内憂にして外患

 

曇り、のち雨。22度。

6時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・大根・パプリカ・キュウリ・ソーセージのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、トースト、紅茶。食後にコーヒー、糸切り餅。

妻は自宅へ。緊急事態宣言が延長されれば、クワイアの稽古はないと思うのだが。この時期にキャリングケースを転がしている人はほとんどいない。妻も平気なわけではない。

ワクチン接種を受けに僕も帰りたいけれど、これほどわかりやすい撞着もざらにない気がする。

昼餉は、シリアル、ソーセージ。

城下町ということもあって、彦根には古民家が目につく。リノベーションした家はどれも底知れぬ魅力をたたえているのだが、築100年を超える家を手に入れるには値段が二の足を踏ませる。

日本家屋らしい建物が消えていく昨今にあって、実は破格なのかもしれないと思ったりして眺めている。

7つも8つも個室があって、2人暮らしではどうにもならない。いっそ、商売でもと思わないでもない。そういう空想は、どんどん面倒になっていく。

夕餉は、大根・カボチャの煮物、牛ステーキ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。食後に紅茶。

 

 

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ふさわしい気構え

 

曇り、のち晴れ。23度。

7時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・パプリカ・大根・キュウリ・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、卵・ウインナーソーセージのサンドイッチ、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴ・バナナ、紅茶。食後にコーヒー。

妻は町内会の公園掃除の手伝いに。

昼餉は、シリアル、煎餅。

ジョギング、10.03キロ。北西の風。短パンにTシャツはちょっと肌寒い。

たくさんのユスリカが夕日を浴びて踊っている。

夕餉は、大根とカボチャの煮物、餃子、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、二色そぼろ丼。食後にちぎり餅、抹茶二服。

大相撲で優勝した照ノ富士が、横綱に挑戦する気持ちを語っている。

なろうと思ってなれるものでもない。なれたら、なれたと。なれなかったら、そうだったんだと。今までどおりやってもだめ。もっと精進したい、というようなことだった。

 

 

 

愚問

 

曇り、ときどき日差し。21度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・パプリカ・大根・キュウリ・カニカマのサラダ、ウインナーと卵焼き、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、トースト、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴ・バナナ、紅茶。食後にコーヒー。

妻と長浜へ。新築物件の内覧会。あれこれ勉強になった。

破綻している設計は、家に入ると伝わってくる。なぜ、伝わるのだろう。

妻と僕は、互いに確認しなくても、そのことを考えていた。

設計は、寸法の取り方に尽きる。数ミリとか数センチが積み重なっていく。その対比やバランスが部屋や廊下になり、空間にまとめられ、やがて家になる。

決まりきった文法はもちろんある。だが、文法は間違っていなくても、いい文章とは限らない。文法どおりではなくても、いい文章というものはたくさんある。

どちらに魅せられるのか、議論の余地はない。

間違っていない——常日頃、僕らが大事にすることは、でもそれで本当に過ごしやすい社会なのかという問いにある。

営みは、果てることのない、そういう往還の中に息づいている。新築も、そのうちにある。

昼餉は、マクドナルドでフレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。

古書店にて、本を求める。

吉田洋一著『零の発見——数学の生いたち』(岩波新書)、南野忠晴著『正しいパンツのたたみ方——新しい家庭科勉強法』(岩波ジュニア新書)、ミシェル・ウエルベック著、大塚桃訳『服従(原題:Soumission)』(河出書房新社)。

2冊目は、英語教師から家庭科教師なった著者が、生きていく力を養うために書いた。プラグマティストへの誘いではある。主要科目が優秀であれば、社会は渡っていけるのか。

それは愚問である。だが今の世は、それが新鮮な響きに聞こえる人が責任ある立場に多い。

夕餉は、きゅうりとワカメの酢の物、大根とカボチャの煮物、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、卵と合い挽き肉の二色そぼろ丼。食後に饅頭。

 

 

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雨、雨、雨

 

雨、夜にやむ。23度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・コーン・キャベツ・ツナ・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・小松菜・油揚げ)、トースト、紅茶。食後にコーヒー。

豪雨警報が出る。庭の小さな枯れ池が、ちゃんとした池に。遅咲きのツツジの赤くて小さな花が雨に打たれている。

梅の実がずいぶん育った。

昼餉は、ファミレスでスパゲッティ・アラビアータ、ドリンクバー。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムをあらたにはじめ、それぞれβ1をリリースした。macOS Big Sur11.5に、iOS14.7に。

夕餉は、温かい蕎麦。食後に紅茶、シュークリーム。

 

 

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なにかの言い訳を

 

曇り、のち雨。20度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・小松菜・油揚げ)、ハム・卵サンドイッチ、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴ、紅茶。食後にコーヒー。

パンツはずっとチノだ。ベイカーパンツやらシェフパンツも。チノーズの仲間ならそれでよかった。

ジーンズは二度と履かないと決めたワケは忘れたが、また履きだした心境の変化はもっとわからない。好みを通し続けるヒトが他方にいるというのに。

同じくたびれた物なら、チノのほうが好ましい。その気持ちは変わらない。20年以上も履き続けているチノパンが何本かあるものの、だからそれらを大事にするというわけではない。不思議なことに、ジーンズに同じ気持ちが抱けない。それをうまく説明できないし、説明したいとも思わない。

心のありようは、言葉では表せないとつくづく思う。服がもし語ってくれているなら、そちらの方がよほど的確かもしれない。

昼餉は、竹輪・天かす・小松菜・カニカマをのせた温かい蕎麦。

なんでも語り尽くせるという錯覚はおそろしい。それ以前に、目の前に横たわっている諦めの気持ちが愛おしい。とてもじゃないが語れないという諦め。

言葉にかぎらず、すべてに諦めがあって、そのことを知っている。そういうヒトが何かを言ったり、書いたりする瞬間が好ましい。その人の言い淀んだり、ペンが止まったままの時間が好ましい。

ヘタクソな脚本のように、ト書きのようなことばかりで1日が終わる。諦めさえ忘れていることに気づく。

夕餉は、納豆、ニラ玉、合い挽き肉のハンバーグ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・エノキ・小松菜・油揚げ)、玄米ご飯。食後に白湯、饅頭。

JRの跨線橋の補強工事が続いている。深夜もぶっとおし。工期は10月らしい。

深夜に雨音が強まる。

 

 

 

I Still Haven't Found What I'm Looking For

 

雨、午後にあがる。20度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・ツナ・キャベツ・コーン・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、トースト、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴ、紅茶。食後にコーヒー。

暑かったり寒かったり、降ったかと思えば、陽射し。驚くほどの前倒しにもかかわらず、鋳型にはまったようにきっちりした梅雨が、空と湖の境目をぼやかしていく。

そろそろ梅の実のシロップを作る頃合いだったろうか……

昼餉は、ヨーグルトとミルクをかけたシリアル。

妻のiPhoneのキャリアを僕と同じMVNOに変更するオンラインの手続き。今月中にSIMを差し替えると、来月以降に通信費が下がる。自宅の通信環境も含めて移行手続きはほぼ終わる。この家の固定電話回線は妻が解約する。

たまにU2の『The Joshua Tree』を聴く。ケツを蹴り上げられる。Bonoはまだ『I Still Haven't Found What I'm Looking For』を唄っているんだろうか。コロナのあと、観客と合唱したりするんだろうか。「まだ見つからないぜ」って。

夕餉は、コロッケ、イワシの蒲焼き、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・シメジ・エノキ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、チューハイ。

Bonoよ、かくれんぼみたいだな。

 

 

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MLB vs. 甲子園?

 

曇り、のち雨。23度。

7時に起きる。

朝餉は、切り干し大根煮、サニーレタス・キャベツ・コーン・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、トースト、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ・バナナ。食後にコーヒー、花林糖。

Appleは、音楽配信サービスのApple Musicを6月からロスレス音質にすると発表した。24ビット/192kHzのハイレゾ音源も含まれているという。料金を据え置くのは、自らの置かれた状況は承知しているということだ。

ならばと、久しぶりにアクセスしても、モサッとした感じは相変わらずだ。さすがにTidalほどプレイリストに冷ややかではない。Spotifyには見劣りするけれど、たとえばLo-Fi hiphopのプレイリストも揃っている。一方で、roonのような、アルバムに不可欠のクレジットやライナーノーツはあってなきに等しい。どの部分をとっても、競合に劣っている。それらが一つのサービスにまとまった時の印象がぼんやりしているのは、仕方のないことだ。Appleらしさが感じられない今のサービスが、来月はどうなっていることだろう。

ジョギング、8.22キロ。

昼餉は、ミルクをかけたシリアル、花林糖。

買い物のついでに彦根のギターショップへ。リペアが完了した妻のギターを受け取る。

復活したギターは、弦高が2ミリ台に戻っている。嬉しそうに説明してくれる店主。こちらまで声があがる。

Fenderのセルロイドのミディアムピックも合わせて求める。ネオソウルの気持ち良いコードを押さえてみたいけれど。

女の子の客が、店員の女の子に教えてもらいながらストラトキャスターを弾いている。最初からエレキギターなんて、やるなと思いつつ眺める。

夕餉は、切り干し大根煮、コロッケ、麻婆豆腐、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムを更新して、正式版をリリースした。macOS Big Sur11.4に、iOS14.6に。

 

 

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漸近ということ

 

雨。23度。

7時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・キャベツ・コーン・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ・バナナ。食後にコーヒー、クッキー。

Audirvanaは、予告どおりAudirvana Studioのダウンロードを開始した。Microsoftがバックで協力しているらしいことが、ちょっとした手続き画面からうかがえる。僕は、毒蛇に遭遇したカエルように、その会社名を見てパッと飛び退ける(あくまで気分的に、という意味だが)。

ダウンロードしたAudirvana Studioはちまちましたデザインで見にくい。インターフェースの意匠は高いバランスを保っているけれど、ボタンやメニューの配置がなぜか散漫に見える。常軌を逸したな、と言いたくなるくらい文字が小さい。デザインについて、なにか大きな勘違いをしているのでは、と心配になる(あまり心配はしないけれど)。

そして、困ったことにうまく動かない。

Tidalと接続しても、僕の作ったプレイリストが表示されない。ついでに、Tidal自身が作った貧相なプレイリストも再生できない(何よりだが)。こういう場合は、ほぼ100%の確率で僕に問題がある。

一方で、LINNが放送しているようなインターネットラジオは聴くことができた。排他的な設定が他のアプリの動きを邪魔しているフシもある。僕の環境に固有のバグかもしれない。そうだとしても、興味は薄れてしまった(毒蛇のせいではない)。

根気が失せたのは、キャピキャピの娘はションベン臭いだけであとは何もない、という疲れ切った中年が抱く雑巾のような感覚に近い。

Audirvanaroonも、ローカルのサーバに蓄えられたリッピング・ファイルがない環境では存在意義の半分は感じられない。アップサンプリングに対応するスピーカーがほしいわけでもない。高品質のストリーミングも出口あったればこそだ。

どちらのアプリも、使っていると音楽からどんどん遠ざかっていく気がする(どの口が言っていると思うけれど)。

で、SpotifyTidalを残してAudirvanaroonもサブスクリプションは今月限りとした。Tidalをどうするかは、今年後半にサービスインが予定されているSpotifyのハイレゾサービスのクォリティを見きわめたい。

昼餉は、玉葱とウインナーのアーリオオーリオ・ペペロンチーノ。食後にクッキー。

これがアナログなら話はもっと簡単だ。イコライザをとおしたら、そのぶんだけ音は濁る。ソースはソースなりに、でいいのだと思う。アップサンプリングしたデジタルの音も、だいぶ乱暴な比較だけれど、似たようなものではなかろうか。ソースが16bit 44.1kHzなら、もうそれでけっこうです、という感じではある。1000万円のハードウェアでも、1000円のハードウェアでもかまわない(どちらのハードウェアも聴いたことはないけれど)。

翻訳された物語を読んでいると、同じことを考える。翻訳によって、物語は顔つきが変わる。けれど、物語という器が揺れ動くことはない。顔つきと器が揃ってこその小説だと思うが、面白いのは、物語の普遍性は実は言葉の住処に根ざしていないところがあるということだ。いくら言葉を紡いでも、それを詳らかにはできない。矛盾を孕んでいる。

アナログだろうとデジタルだろうと、音楽の普遍性も、そこの構造には根ざしていないところがある。

根ざしていないとしたら、どこまで近接できるかという漸近でしかない。同化できないだけのことだ。少なくとも僕は、近接にあたっては、身近に置くことを一義にして音楽と付き合いたい。結局、いつもそう思ってきたし、幸いなことにそれは今も変わらない。

夕餉は、切干大根煮、竹輪のマヨネーズ・アオサ焼き、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、チャーハン。

近接とは、音のクォリティではなく、音楽との物理的な距離にあるという、しごく当たり前のことではある。

 

 

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その意味

 

雨、降ったり止んだり。20度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、ピザトースト、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴとバナナ、紅茶。食後にコーヒー、クッキー。

九州から東海までが梅雨入り。季節までが不穏だ。

人生に正誤表はない。

あたかも存在するかのように言われる。手に取れるように見えることもある。そうやって、試そうとするかのように。

もし正誤表があるなら、試されていると勘違いした瞬間にあらわれるものなのかもしれない。物語の一つもなければ、なんの世かと思う。それに、試されていることは、語りかけられていることと錯覚もできる。

正誤表はない代わりに、錯覚は山のようにあるとも言える。思い込みと言ってもいい。

錯覚は存在するし、思い込みだってちゃんとある。翻って、正誤表はだから存在すると言い切れるかもしれない。まわりくどいことだが……

この世の半分は、そう思う人が占めている。それは事実だし、どうせなら真実と言ってもいい。

思うに、真実はそれくらいのものだということだ。

昼餉は、ブルーベリージャムを塗ったトースト、蒸しパン、ホットココア。

ヒトはただ生まれ、死んでいく。

そこに酷い死とか、祝福される生は存在しない。どんな生き死にだろうと、ただそうであるだけだ。自宅で待機している感染者が死んでいく。トリアージで後回しにされて死んでいく。医療従事者の数が足りないとか、病床数が足りないとか、助けられたはずの命なのにとか。

それは錯覚だし、思い込みだ。

夕餉は、切干大根煮、ピーマンとウインナーのコンソメ炒め、ジャーマンポテト、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後に抹茶二服、饅頭。

 

 

出血

 

曇り、ときに日差し。夜に降り出す。26度。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、ハム・エッグサンドイッチ、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴとバナナ。食後にコーヒー。

妻は自転車を漕ぎに。

剪定をしていて思う。塩梅を見ながら、少しずつ切るのが肝要なのだと。丹精というにはおこがましいけれど、勝手の知らない物事と付き合うには、それしかない。相手が物言わぬものの場合はとくに。

拡大した事業を縮小して、出血を止める。そんなことをやらざるを得ない日々が続いたとき、応急措置をするにしても判断は早くしてほしい、と言われた。勝手知ったる事業でも、わからないことはたくさんあった。考え続けてもアイデアは生まれそうにない。

それでも、と今なら思う。時間をかけて大きくなった物事には、時間のぶんだけワケがある。その時間を遡ることができれば、行く末を見る目も変わる。

出血している事業の多くは、しかし、急拵えが多かった。どこかに無理があったので、出血していた。事業を時間の長短で見ていいものか、そういうことも考えた。

コロナ禍で病院全体が揺らぐ。緊急搬送されてくる数が、救急救命はおろか病院全体を揺さぶっている。判断に割く時間はないだろう。トリアージを招来した時点で、もうどうしようもないのだ。

それらすべてに正しい答えはないのだということを肝に銘じるしかない。すべてに、だ。

昼餉は、ウインナーソーセージと野菜のケチャップパスタ、チョコレートクッキー。

乳化というものがやっとできるようになりつつある。理にかなっているかは別として。

ジョギング、8.05キロ。東南東の風。

夕餉は、コンニャクと大豆の甘辛煮、厚揚げの甘酢醤油かけ、ウインナーソーセージ・キャベツ・ピーマン・コーンの中華炒め、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐・小松菜)、玄米ご飯。食後に妻の点てた抹茶二服、桜餅と草餅。

枯らしたと諦めていた芙蓉の根元から若芽がのぞいて、いつのまにか枝が育っている。それを妻が見守っている。

すると何を思ったか、妻の入れる鋏がおしなべて大胆になった。スパッと枝をはらうので、こちらが驚く。

 

 

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同じ生きるなら

 

おおむね晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・小松菜・豆腐)、ポテト・ハムサンドイッチ、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴ、紅茶。

妻と彦根へ。駅前近くのマンションのリフォーム物件を見る。

昼餉は、マクドナルドでフレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。

ギターショップへ。妻の古いフォークギターを見てもらう。弦を張替えることに。弦高を直すにはそれなりの金がかかると。とりあえず棹を逸らして、少しでも低くしてもらうことに。

売り物のストラトキャスターやレスポール、テレキャスターのシンラインに混じって、ずいぶん古いGretschのホローボディがある。聞けば’57年というではないか。店主はふさわしい値段を口にした。こんなヴィンテージが弾けたら愉しいだろうな。

ホームセンターで端材を求める。キーボードの手前に置くパームレストに。

夕餉は、コンニャクと大豆の甘辛煮、鶏胸肉のミラノ風カツレツ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、リンゴ。食後に柿の種。

リペアもやるギター屋は、雰囲気がいい具合に枯れている。開店時間なのにシャッターが閉まっている。店の前で電話をかけたら、しばらくしてロックな感じの店主が家の横からぬっと姿をあらわした。長髪に寝起きの顔で、すみませんと謝る。

「起こしてしまって、ごめんなさいね」なんて言いながら店に入り、クルマに戻った妻がギターを持ってくるあいだ、展示してあるギターを見ていた。下は2万円くらいから上は50万円まで、新旧のギターが並んでいる。アクセサリーやアンプ類もある。奥にはレンタルのスタジオも控えている。商店街の中ほどに、ちょっと遁世した風情。楽器をリペアしつつギターをかき鳴らす。そうやってギリギリでも暮らせたらと思う。

彦根の若者がうらやましい。

 

 

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真偽のほど

 

曇り、陽射し。23度。

7時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・パプリカ・コーン・大豆煮・キャベツ・カニカマのサラダ、味噌汁(カボチャ・玉葱・人参・シメジ・エノキ・油揚げ・豆腐・ネギ)、トースト、リンゴ。食後にコーヒー。

地下道の鳩より——

 

 

 最高の尋問者には一種の流儀があって、個性の一部を説得の武器に変える方法を身につけている。やさしく解き諭すのを旨とする者もいれば、相手を怖がらせ、動揺させるのが得意な者も、誠実さと魅力で圧倒する者もいる。しかし、大柄で、きわめてタフで、慰めようのない悲しみをたたえたイッサ・コストエフはちがう。会った瞬間から、なんとかしてこの男を喜ばせたいという気持ちが芽生えるのだ。

 

このあとに、52人を殺害したウクライナ人技師を追い詰めるきっかけになったことをコストエフが語る。地下道の鳩より——

 

 

「チカチーロフについて」私は尋ねる。「突破口になったのは何ですか?」

 コストエフは重いまぶたをなかば閉じ、小さなため息をつく。煙草をゆっくり吸い、「息のにおいだよ」と言う。「チカチーロフは被害者の局部を食べていた。それをくり返すうちに、消化機能がおかしくなったようだ」

 

 

昼餉は、食パン、ミルク。

ジョギング、10.03キロ。西南西の柔らかい風。

田植えが終わって、あちこちに休耕田が目立つ。そこにケリが営巣していて、走っているとつがいの鋭い鳴き声が頭上に飛んでくる。上げヒバリもあっちこっちで鳴いている。

物件の値下げ情報が届く。3か月前に内覧した新築が数百万円も下がっている。ふさわしいものかどうかは、見ればわかるということらしい。まだ高い、と僕らは思う。みんなもそう思っていることだろう。

夕餉は、ポテトサラダ、いとこ煮、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・エノキ・油揚げ・豆腐)、チャーハン、リンゴ。食後に煎餅。

 

 

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毒を持っている、尺のあるものたちよ

 

曇り、のち雨。20度。

7時に起きる。

朝餉は、ウインナーソーセージと野菜たっぷりのコンソメスープ、トースト、ヨーグルト・蜂蜜をかけたリンゴ、紅茶。食後にコーヒー。

妻は自転車を漕いで散歩へ。高校時代の友がおすすめの、きれいでもない小川に行くとカワセミに会えると聞いて。

帰ってきた彼女は、そのことに何も触れない。

昼餉は、ソースをかけたコロッケを挟んでトースト、クッキーシュークリーム、紅茶。

妻が大学生の頃に先輩から買ったというフォークギターを水拭き。弦高が5ミリ以上もある。どうしたものか。

風呂場で雑巾をすすいでいた妻が叫ぶ。20センチほどのムカデが彼女の横を這っていた。ゴキブリを捕食してくれるけれど、殺虫剤をかける。排水口を伝ってきたらしい。

午後も遅くなると、皐月とは名ばかりの風が吹いて、スリッパなしでは氷の上を歩いている気になる。外のほうが2、3度高いに違いない。

夕餉は、ポテトサラダ、コロッケ、小松菜とウインナーソーセージの卵炒め、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・エノキ・油揚げ・豆腐・小松菜)、玄米ご飯、酎ハイ。

 

 

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大御所の出番?

 

曇り、のち晴れ。19度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、卵焼き・ハム・サニーレタスのサンドイッチ、ヨーグルト・蜂蜜をかけたリンゴ。食後にコーヒー。

筋肉が落ちる。手に取るようにわかるのは、前屈みの姿勢が骨にへばりついている姿に気づいたときだ。座る格好はすっかりそうなってしまい、立っていてもじきそうなる。それは嚥下にも影を落とすだろう。父がそうだったように。

母方の祖父は細身だった。トレードマークだった白いシャツもカーキ色のチノパンも、しなびかけた風船のように身体を覆っていた。その血を継いでいることから逃れることはできない。自分の褌を干し竿にかけていた祖父が、日向にぼんやり浮かんでいる。

栗山で米問屋を営んでいた祖父は、小学校から帰ってきた母に売上金と出納帳を持たせて銀行へ走らせた。自転車を漕ぐ母は、鼻高々だったろう。ずっと母を支えていたのは、祖父から得た信頼という無形の財産だったに違いない。それは母の生きる糧だったと思う。

Audirvanaがサブスクリプション・サービス型のソフト『Audirvana Studio』を発表した。16日にリリースという。これまでの再生ソフトVer3.5は打ち切りになる。roonが登場してから、使うことはめっきり減ってしまっていた。

古書を求める。ジョン・ル・カレ著、宇野利泰訳『寒い国から帰ってきたスパイ(原題:The Spy Who Came in from the Cold)』(ハヤカワ文庫)。単行本は自宅のほうにあるはずだが。それにしても、翻訳をやり直すつもりが早川書店にはあるだろうか。

昼餉は、キーマカレーの残り、きな粉団子、コーヒー。

コーヒーは浅煎りか深煎りかと問われたら、今は浅煎りだ。コクはないと思われがちだが、深煎りとは異なる景色がある。花のような芳しいフレーバーが先案内してくれる。酸味が奥に立って、冷めてもさまざまな味が顔をのぞかせる。業務で使う浅煎りを400グラムくらい求め、90度くらいに淹れている。

夕餉は、厚揚げとフキの煮物、カボチャのいとこ煮、合い挽き肉のハンバーグ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後に抹茶二服、クッキー。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムを更新して、β3をリリースした。

ちょっとフワフワしていたOSが、バージョンが進むにつれてしゃきっとなった。フワフワの実態をうまく説明はできないが、心許ない浮遊感は伝わってくる。

実際のところ、伝わってきたものが本物だった試しは、ほとんどない。不思議だといつも思う。

 

 

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不知爲不知、是知也

 

おおむね晴れ。21度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・ネギ・キャベツ・豆腐)、卵焼き・ハム・サニーレタスのサンドイッチ、リンゴ。食後にコーヒー、小豆パン。

ぜったい嘘をつかない——こんなあからさまな嘘をつく愚者がこの世にはたくさんいる。この手合いは、すぐわかる。ゼッタイと何度も言うからだ。

たぶん、本当だと思うよ——これはその次くらいに出くわす。賢者のようだが、根っこはそうではない。だから、しばらくするとわかる。ホントウとオモウを巧妙に織り交ぜる。

間違っていると願っているけどね——注意しないと寝首をかく手合いは、平素から懐疑的だし、それが板についている。彼らは、犯したことの大きさを知っているにもかかわらず、それを忘れて生きるという特技を持っている。

世間の4分の3は、このどれかに属している。僕は1番目と3番目をいつも往復するようにフラフラしている。

そして、前記に属さない残り4分の1は、騙され続けても気づかないか、たとえ気づいたとしても、すぐ忘れてしまう特技を身につけている。自覚もないままに。

ややこしいのは、この4分の1は特性として前出の4分の3のいずれかに含まれていることもある点だ。

さて、それぞれが純正として存在する割合はどれくらいだろうか。

昼餉は、コロッケ・天かす・カニカマ・ネギをのせた温かい蕎麦。

古書を求める。ウー・ウェン著『丁寧はかんたん シンプルな一皿を究める』(講談社)。

この書名には、すこしばかりの矛盾が隠れている。それは著者の母国のように、四千年だか六千年だかが、澱のように積もったものではなかろうかと僕は理解している。時は、過ぎるうちに、わずかな綻びを宿すらしい。

孔子は、その矛盾を体現した人物の一人だと思うけれど、彼の著作は母国の実像を文字にした稀有なものであり、ウー・ウェンもその長い列に席を並べていることは論を俟たない。

夕餉は、厚揚げとフキの煮物、かぼちゃのいとこ煮、イワシのパン粉焼き、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。

 

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