蛆虫から天使が

 

曇り、のち晴れ。25度。

7時に起きる。

麦茶、コーヒー。

早春に予約していたLPレコードが自宅に届く。妻が受け取ってくれた。ジャズのリジェンダリー・コレクションはマイルス・デイビス『’Round About Midnight』。B面の1曲目『Bye Bye BlackBird』のために。いつか、ターンテーブルに載せる日が来ることを。

ちょっと大袈裟に言えば、このチューンにおけるこのカルテットの演奏があるとないとでは、人生の趣きがずいぶん変わっていたことだろう。

こうやって、さまざまなthe best of my lifeの鎖が繋がっていく。世界は原体験の吐露に溢れている。ネットがもたらしたオルタナティブなナイーブさの、これは最たるものかもしれない。

その意味するところは、誰かの宝物が私の宝物になる、ということかと思う。

昼餉は、芋けんぴ、メロン、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、麦茶、コーヒー。

ジョギング、6.37キロメートル。

もっとも、ネットのはるか以前から、世界はオルタナティブに満ちているのだと民衆が教えてくれる。

たとえば、ヴェネツィア共和国に住んでいたドメニコ・スカンデッラという粉挽き屋の男は、「各人はその職業に従って働く。あるものは身体を動かし骨折って働き、あるものは馬鍬で耕す、そして私はといえば神を冒瀆するのが仕事だ」と異端審問の場で語り、焚系に処せられている。

この粉挽き屋が、牛乳からチーズができる上がるように、そのチーズから蛆虫が湧くように天使たちが現れたと語ったのは、まさにカオスのことだった。500年前の出来事だ。

僕らは、求めれば得られるところにいて、異端審問で焼かれることはないけれど、処刑は常に姿形を変えて存在していることも忘れてはいけないと思う。

夕餉は、卵サンドイッチ、芋けんぴ、ミルク、メロン。

 

 

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The Ballad of Buster Scruggs

 

曇り、日差し。26度。

7時に起きる。

麦茶、コーヒー。

コーエン兄弟の脚本・ディレクションによる映画『バスターのバラード』より、オレゴンを目指す幌馬車隊で、未開の地へのガイドを務める男と、兄が客死して一人旅をする羽目になった若い女の会話——

 

女 兄には万能の格言がありました。「素早く知恵を使え」というものです。とても自信家だった。確固たる政治的信念があって、すべてにおいて揺るがなかった。信念がないことをよく怒られました。確信が持てなくて……それは欠点ですよね。

男 そんなのは欠点じゃない、違うよ。不確実……この世にはそれが適っている。僕らが確実さを授かるのは、次の世界かもしれない。

女 そうね……

男 見て触れるものの確実性は多くが理に適っていない。ずっと遠い昔から、残ったものはない。なのに人々は新しいものにすぐ走る。それは、気休めだと思う。確実性は苦労のない道だ。

女 「命に至る門は狭く……

男 「その道は細い」。確かに、それは本当だ。

昼餉は、オレンジマーマレードを塗った食パン、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、麦茶。

男は、この夜の会話の前に、天涯孤独になってしまった女にプロポーズしている。女は、男の言葉が沃野のように心を満たしていくのを感じる。結末には、意外な物語が用意されていて、それが人生を彩る綾であることを僕らは痛いほど知る。

西部開拓時代のこのオムニバスには印象的なストーリーがいくつかある。四肢を失ったボードビリアンとその興行師の旅の行く末も忘れ難い。英国の詩人、パーシー・シェリーの『Ozymandias』をボードビリアンが朗々と謳うシーンはなかなかの出来だ。

夕餉は、バナナ、チャーハン、麦茶。

ちなみに『Ozymandias』は、詩における英語の簡潔性と到達力が一体化した見本のような存在だ。曖昧な言語に四苦八苦している民族にとって、意味におけるこの内包と外包の両立性には絶句する。

 

 I met a traveller from an antique land

  Who said: Two vast and trunkless legs of stone

  Stand in the desert. Near them on the sand,

  Half sunk, a shatter'd visage lies, whose frown

 

  And wrinkled lip and sneer of cold command

  Tell that its sculptor well those passions read

  Which yet survive, stamp'd on these lifeless things,

  The hand that mock'd them and the heart that fed.

 

  And on the pedestal these words appear:

  "My name is Ozymandias, king of kings:

  Look on my works, ye mighty, and despair!"

 

  Nothing beside remains: round the decay

  Of that colossal wreck, boundless and bare,

  The lone and level sands stretch far away.

 

 

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Intermittent Fasting

 

晴れ。29度。

7時に起きる。

朝餉は、抜き。コーヒー。

妻が自宅へ戻る。卵サンドを作り、バナナとともに持たせる。来月の頭まで自宅にいて、クワイアのミーティングに出たり、友人と会ったり。

古書を求める。HP・ラヴクラフト著、大西尹明訳『ラヴクラフト全集 1』(創元推理文庫)。

16時間断食をはじめてから、なんだか寒い。胃腸の具合はすこぶるいい。腹が鳴って、その音が福音のようだ。プッシュアップを組み入れて、低体温に備える。代謝を抑えて空腹をしのいでいるという解説も巷にはあるけれど。

昼餉は、マーマレードを塗った食パン、ベーコンと玉葱のアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、麦茶、ミルク。

ジョギング、9.54キロメートル。

SafariTechnology Previewが一足先にMonterey仕様になっている。検索フィールド、タブ、ツールバーを一つにまとめた効果は明らかで、全体の印象が変わった。

夕餉は、竹輪のマヨネーズとアオサ炒め、レタス・キュウリ・トマト・コーン・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐・小松菜)、鶏そぼろ丼。

東京は人出がすごいよ、と妻から。

Marvin Gayeばかり聴いている。

彼が差し出すつもりもなかったものとか、彼が奪われるつもりもなかったもののことを想う。

 

 

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辺境の地で

 

曇りのち晴れ。25度。

7時に起きる。

朝餉は抜き。コーヒー。

妻はペダルを漕いで、義兄の畑へ。

札幌の姉から夕張メロン2個。返礼の電話。声に力のなくなった母と話す。大方は聞こえていない。難聴は認知症の大きな原因の一つというが、しっかりしているのがせめてもの救い。

Apple Musicのハイレゾ音源に関する記事が増えた。Bluetoothで聴いてきた人にとって、それは根底から見直しを迫れられる内容だ。誰だって音が良くなると言われれば、聴いてみたくなる。だが、その差がわかる人は意外に少ないし、かけた金に見合うと思う人はさらに少ないと思う。

僕らの耳の能力は、たとえば犬とは比べ物にならないくらい低い。視覚も臭覚もそんなレベルだ。他の生き物は、僕らとはまったく違う世界に棲んでいる。僕らは、世界のほとんどを知らない。だから損をしているとか、それを知りたいとか、そういう話ではない。

植物が知っている外界は、もっとすごい。彼らは、種族として全体感知している物事がある。他の生物に受粉させ、隔てられた地へ種を届け、その地の情報さえ共有しているかもしれない。他の生き物を利用する術を獲得したプロセスは、多くが解明されていないのだ。僕らが、植物の全貌を知る日は来ないだろう。それはつまり、地球をわからずじまいなのだということを意味している。

昼餉は、玉葱のステーキ、野菜のかき揚げ、ざる蕎麦、麦茶。

ジョギング、7.01キロメートル。西北西の風。

16bit44.1kHzの量子化が耳を歪めていく。CDによって音楽はある意味で衰退し、音楽は萎縮したままだ。

わかるわからないは別として、生で聴く音楽はすべてを伝えてくる。ある種の臭覚とか視覚を刺激する。そういう瞬間があることを体験することは、知り得ない世界が広がっているという当たり前の事実に想いを馳せるとば口になる。

ありがたいことに、僕らの五感の辺境には、目眩く世界が広がっている。僕らが知り得ないのは、狂気を避けるための方便とも言える。

夕餉は、冷奴、納豆、レタス・キュウリ・コーン・トマトのサラダ、卵焼き、シュウマイ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯。

川上元美さんがデザインした椅子の美しさは、日本人が到達した遠島の景色だと思う。よくそこまで辿り着けたものだ。

 

 

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甘冷ややかな匂い

 

雨。22度。肌寒い。

7時に起きる。

朝餉は、抜き。コーヒー。

山と空の境目が消える雲と雨。

起きるちょっと前に、大学の頃の友人だったM君の夢を見た。彼が付き合っていて、のちに所帯を持つAさんもいたような気がする。

僕が顔を洗っていると、妻が玄関口で「M君が来たわよ」と言うのだ。え?とびっくりして顔を上げると、さっきまでモノクロだった部屋の壁に、バカでかい青い花が活けられている。背丈を越える見事な花。

すごいな、コレ。

そう思ったところで目が覚めた。2人をちゃんと見たかわからない。当時から、ヒトの肝心なところを見ていなかったかもしれない。

気配を感じるより、見ることのほうが、よほど感受的かもしれないのに。

夢は、明示的なときこそ、斟酌したほうがいい。そんなようなことを言ったか書いたのは、誰だったろう。

昼餉は、コンソメスープ、ピザトースト、バナナ、紅茶。

岳父の庭が雨に光っている。

「なんだか、ジャングルを感じる」と妻が言う。個々に枝を払っているのに、総体としては萌えている。

もう、ジャスミンの花が咲いている。

夕餉は、冷奴、アジフライ、味噌汁(玉葱・人参・ネギ・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、チャーハン、赤ワイン。

 

 

 

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ウエルベック的

 

曇り、のち雨。25度。

7時に起きる。

朝餉は、抜き。コーヒー。

畑地を貸しているご近所さんから、収穫の玉葱とジャガイモをいただく。

 

ミシェル・ウエルベック著『服従』より抜粋——

このような盲目は歴史的には新しくはない。同様の事例は、「ヒトラーは最終的には理性に立ち返るだろう」と揃って思い込んでいた一九三〇年代の知識人や政治家、ジャーナリストたちにも見られるだろう。既存の社会制度の中で生き、それを享受してきた人間にとって、そのシステムに期待するものが何もなかった者たちが、格別恐れもせずにその破壊を試みる可能性を想像することは不可能なのだ。

 

偏見に満ちた確信でもって言うのだが、フランス人はおしなべてナイーブに見える。社会民主主義をどこかでちゃんと信じているフシがあるし、王制を転覆したという歴史を自負しているらしいし、神など信じないと誇示して憚らないうえに、なんだかんだいって最後にセックスを語らずには済ませられない——

なんてナイーブなんだ、と思ってしまう。問題があるのは僕のほうかもしれないが。

昼餉は、冷奴、唐揚げの残り、妻の作った焼きそば、麦茶、コーヒー。昨夜から18時間経っての食事。

フランス人には、ジャポニストが多い。シノワズリーと見境のつかない欧州にあっては、一見すると正統なジャポニスムに見える(正統なのはイギリス人をおいてない。正統を問うのはいかにもヘンだし、それはイギリス人がいちばんわかっているので、彼らはちゃんと隠している)。

フランス人の気質が日本人に近いというのは早合点で、多くの場合、彼らの好奇心をくすぐっているだけだと思う。

彼らには、そういう自覚が希薄だ。そこがフランス人らしい。

夕餉は、納豆、人参・玉葱・ジャガイモ・竹輪のかき揚げ、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯、赤ワイン。食後にわらび餅、麦茶。

 

 

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Blues Connotation

 

晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナと蜂蜜トースト、ミルク。妻は抜き。コーヒー。

Android OSを前にすると、失語症になる。操作と、その結果の動きが連想できない。オペレーションは、連想させる派生性をコノテーションとして備えているべきなのに。

AをやればBになりますという基礎算術だけで相変わらず人を拘束している。コンピュータの有毒性は、その一点にあると言ってもいい。

自発性を誘引することは、ソフトウェアが備えているべき主要な属性だという了解は、今世紀になって確立しつつあるイシューなのだ。

開発者に向けて環境が開かれたAndroid OSは、一方でユーザーへのガイダンスが欠落している。誘因と拘束の綱引きという運動会から抜け出せていない。

自由を装っているが、実は排他的なのだ。デザインに対する不信を助長するので、表層と深層という異なるロジックがあるのではないかと、ユーザーに疑いを抱かせる。最悪のコノテーションと言える。

そういうことにまったく配慮できない旧弊な自称プログラマーがたくさん残っていて、たとえば、AmazonLINEUIを作っていたりする。

昼餉は、レタス・キャベツ・パプリカ・玉葱・ソーセージのサラダ、ピザトースト、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナ、麦茶、コーヒー。

ジョギング、8.15キロメートル。鼻呼吸に執着するとピッチが上がらない。

Googleが検索をビジネス化した時から、世界の様相は彼らのエンジンとバックアップシステムに握られている。彼らにその意思はないと表明すればするほど、その深刻さは増すというアンチノミーから抜け出せなくなる。

世界の様相に金を払う——僕らも加担しているという点で、その経済活動の闇は深まる。

夕餉は、冷奴、竹輪の磯辺焼き、鶏胸肉のレモンとバジル風味の唐揚げ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。

いっそ、世界を平伏しさせたいと豪語してくれた方がいい。その瞬間に闇は晴れて、物事は単純化へ向かう。

失語症よりマシだと思うのは僕だけかな。

 

 

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コイルと軸受け

 

おおむね雨。23度。肌寒いくらい。

7時に起きる。

朝餉は、妻の作ったヨーグルト・蜂蜜・バナナのジュース、僕は蜂蜜のトーストも、コーヒー。

前夜の食事から16時間はカロリーのあるものを食べない。昼食と夕食だけ。朝のジュースも明日からは抜きたいと妻。胃を休ませて、蓄積された身体中の余剰を使わせる。身体に覚えさせたいのだと。

特別なことはしない——僕が心がけているのはそれくらいだ。16時間の絶食は、ちょっと特別に寄っている。でも、少しずつ試してみようと思う。

昼餉は、高野豆腐の煮物、トマトソースのパスタ、麦茶。

日本の家電製品はもっと頑丈だったと妻が言う。今は、いつ壊れてもおかしくないと。

そうかもしれないと答えて、でも僕は違うことを考える。米国では粗悪品の代名詞だった時代が続いて、少しずつ汚名をすすいでいったと思ったら、もう桧舞台には立っていなかった。

その間の早かったこと。あの開発と販売の狂騒は、二度と来ないだろう。

出はじめたばかりの洗濯機はひどいものだった。今だから、そのひどさがわかる。ゴムで巻かれた2本の棒のあいだに濡れた衣服を挟んで絞っていた。ありがたい仕掛けだったが、そんなものはすぐガタがきた。今の最新機能は、あの2本のゴム巻き棒と変わらない。

狂騒の渦中は、もうこの国にはない。目眩しのような最新機能も多くが取り去られた。

昔も今も、つまるところモーターなのだと思う。モーターさえ頑丈なら、なんとかなる。

妻も、そういうことを言いたいのだと思う。

10年も壊れないと、良くも悪しくも、関心は薄れていくものだ。

夕餉は、冷奴、春巻き、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・油揚げ・豆腐・湯葉・ネギ)、天津丼、赤ワイン。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムを更新して、それぞれβ3をリリースした。

妻から早めの誕生日祝い。広島の日本酒。当日は向こうとこっちに離ればなれだ。

 

 

 

 

腔に難あり

 

曇り、陽射しあり。29度。

7時に起きる。

朝餉は、妻の作ったヨーグルト・蜂蜜・バナナのジュース。僕は菓子パンも半分。コーヒー。

小麦の刈り取りが終わった畑に火を放っている。ヒバリの巣が焼けてはいないか。水を足している水田がちらほら。

五輪を開催するのか、しないのか。政府内で公式な論議があったという報道がない。そこに余地はないらしい。議論があったのなら、すべて公開するべきだ。成熟した国の、正常な手続きを端折っているような気がする。

何かといえば安心・安全しか言わないのは、首相が思考停止しているわけではない。言葉を使うのが苦手なのだ。

官房長官の頃から、その独特の物言いの訳が知りたいと思っていた。口腔内に起因するある種の問題を抱えているフシもあるけれど、やっぱりご本人の立ち位置がそうさせている。剛腕らしく、馬力に物を言わせたい。だが、理を説く場面がくると苦手意識が出てくる。そう感じさせる何かがある。

昼餉は、ジャーマンポテト、ざる蕎麦、麦茶。

ジョギング、13.31キロメートル。長浜バイオ大学までの往復。呼吸を口から鼻に切り替えて走り切る。曲がっていて呼吸に難ありの鼻腔でも、できるのだと証明したいのは己に対してだ。

立派な入道雲が南東の空からあたりを睥睨している。今年はじめての赤い紫陽花。家の紫陽花は沈黙している。

夕餉は、妻が買ってきたカボチャのコロッケ、妻の作った高野豆腐の卵とじ、焼き鮭、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯、赤ワイン。食後に、抹茶味のバウムクーヘン。

先週から縁側の窓を開けて寝ている。虫の音はまだで、時折、ひんやりした風が流れ込んでくる。

 

 

 

 

呑気なことで

 

曇り、ときどき陽射し。26度。

7時に起きる。

朝餉は、妻の作ったヨーグルト・蜂蜜・バナナのジュース、僕はジャムを塗ったトーストも。食後にコーヒー。

関東が梅雨入り。とっくに入っていたのでは。逆に関西は、まだ入っていないかのよう。

妻が自転車であっちこっちへ。どのあたりを漕いでいるのか。背筋がピンとしている。

昼餉は、ベーコンとキャベツのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ。

とある物販サイトでびっくりする安値を見つけた。状態の良い中古だが、それにしてもなのだ。住所に電話番号、メールアドレスを登録して、不明の点を質問するメールを送った。納得できれば、買おうと思った。

普段なら気付きそうなものなのに、値段が目を曇らせた。最低限の下調べさえ忘れていたのだから、よほどだったのだ。

未明に胸騒ぎがして、調べたら案の定だった。軽い検索で素性がわかってしまうような相手である。その類いのハッカーが登録データから集められる情報のレベルを考えて、できる範囲の対処をした(が、見落としはあると思う)。

詐欺サイトに引っ掛かるなんてと、高を括っていた。

夕餉は、冷奴、レタス・グリーンレタス・パプリカ・大根のサラダ、合い挽き肉のハンバーグ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯、赤ワイン。

クルマで15分くらいの天の川では、ホタルが見頃を迎えているらしい。

行ってみようか。

いいね。

そんなやりとりをしながら、ワインを飲んでいる。やれやれ。

 

 

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闇に赤い目

 

降ったり、止んだり、少し日差し。24度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナミルクジュース、僕はトーストも。桜餅、コーヒー。

久しぶりの雨。今日からが梅雨だ、と言われても異を唱える人はいないかもしれぬ。

濡れた景色がすべてを沈静する。

癇に障ったのだろうか——植物たちの伸びように、夫婦して叛逆の気概を感じてたじろぐ。僕らが精を出せば、彼らは負けじと茂らせる。こんな矮小な庭で繰り広げられていることは、国中で起きていることの縮図にもなっていないか。

里山に手が入らなくなって、伸び放題の深緑の向こうから野生たちが這い出てくる。飲み込まれた里は、彼らの領分になっていく。

増えすぎた僕らは、じょじょに後退していく。彼らとのあいだに均衡というものがもしあるなら、それを見つける長い試行錯誤の旅は始まって久しい。

僕らは、怯えることからまた覚える。野生との出会いを今一度、思い起こす。

それは克服したり、追いやったりするものではなくて、なによりも、畏敬のものだったのだと。漲る力に触れて、僕らは怯える。

そうだったね、そういえば——と語り合うのだ。

昼餉は、キーマカレーの残り、和生菓子、麦茶。

この国の景色は、これから鬱蒼としていく。分け入ることなど及びもつかない、と気づくまで飲み込まれていく。そして、彼らとの境界などありはしなくて、僕らが彼らの周縁で生きることを許されていたのだと悟らされる。

なんと素晴らしいことだろうと、小躍りしたい気分だけれど、その景色を見る前に僕は土に還るのだろう。交通事故の死者が減少の一途を辿って、その代わりに、イノシシや鹿、猿と遭遇した負傷者数が天気予報の前に報じられる日が来ないとも限らない。

夕餉は、納豆、冷奴、コーンフライ、ベーコンと野菜の中華炒め、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。食後に抹茶、生なごやん。

妻は、クワイアのリモート会議。

闇に、息を呑む。向こうから、息遣いが伝わってくる。

夜とは、そういうものだったのだと。

 

 

 

 

その冷たさ

 

曇り、少し雨。26度。

7時に起きる。

朝餉は、中華スープ、バナナ。食後にコーヒー、バウムクーヘン。

強いメッセージを、強いままに描く。

それは、すこしうるさくて、逆に届かない。

囁くように描ければ、それに越したことはない。トーンに気をかければ、届くものの中身も変わっていく。当たり前のことのようで、実はそうでもない。

沈黙は、強いメッセージの最たるもの。忘れ得ぬ刻印を残す。一方で、沈黙を沈黙たらしめているのは、騒音の存在だ。

聞けよとばかりのメッセージのあとの沈黙の怖さを僕らは知っている。相対化によって鮮明になる、物事の妙だ。

宇宙を支配しているのは、絶対の沈黙だ。僕らが、味わったことのない静寂が広がっている。純正の存在がそこにある。世界の金持ちが、最後に目指す絶対性。アジテーターの墓場かもしれないそこへ、彼らは吸い寄せられていく。

触れたことのない静けさは、宇宙服のヘルメットを外さなければ味わえない。その沈黙は、死を意味している。

死を賭さなければ知り得ないとは、どんなメッセージだろう。

昼餉は、妻の作ったキャベツのお好み焼き、麦茶。

ジョギング、8.59キロ。東北東の風。

妻は庭仕事。力加減を知ったのか、けっこうな勢いでノコを挽き、鋏を入れる。黙々とやっている姿は、どこか愉しげ。庭と語らい合っているようでもある。

妻の作った夕餉は、キャベツと大根のサラダ、僕が作った親玉葱のソテー、味噌汁(大根・玉葱・人参・ワカメ)、キーマカレー、赤ワイン。食後に生ナゴヤン、麦茶。

無限の空間の永遠の沈黙は、私を恐れさせる——パスカル(パンセより)。

 

 

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ミト、シリウスに向かって飛べ!!

 

曇り、のち晴れ。28度。

7時に起きる。

朝餉は、コンソメスープ、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、僕だけ食パン。食後にコーヒー。

妻と長浜へ。新築の内覧会。施主は20代の夫婦で、若いのに注文がしっかりしていらっしゃる。台所がいいのは、奥さんの人柄か。

工務店の営業氏と話し込む。なんだかんだで2時間。以前に見た彦根のモデルハウスを、値引きして提示される。売りに出て、かれこれ2年になる。

僕らにとっては、目から鱗が落ちるような意匠だった。注文住宅とはいえ建売扱いになってしまった家は、大きな天窓が4カ所に穿たれている。降り注ぐ光。壁に大開口の窓はない。その対比が新鮮だった。建築家の提案は、常識を逆手に取って見事だった。

長浜の美容院でカット。

昼餉は、カボチャのそぼろ煮、かき揚げ、ざる蕎麦。食後にコーヒー、バウムクーヘン。

ジョギングのお供は、空想遊び。平家を建てるとしたら——玄関から居間へ続くあたりの空間を思い描きながら走る。

土間風の床にカウンターと椅子。薪ストーブ。片勾配にむき出しの梁。大きい目のキッチン、配膳テーブル。使い古しの椅子、丸テーブル。作り付けの大きな本棚。何度も描き直して、また消して。

物事のいちばんは、計画の中にある。

夕餉は、大根の皮のきんぴら、義兄の作った新玉葱のステーキ、麻婆豆腐、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・アオサ)、ご飯、ビール。

シリウスを見ながら、眠る。そんな家もいい。

 

 

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JMBの蕎麦猪口

 

晴れ。29度。

7時に起きる。

朝餉は、コンソメスープ、バナナ、コーヒー。僕だけストロベリージャムを塗ったバゲットを少し。

目に見えない螺旋を登ったり降りたりして、どのあたりに居るのかわからなくなってしまう。高低もさることながら、軸を中心にして片方の180度に不幸せがあり、もう片方の180度に幸せがある。ちょっと休もうとして、立っている場所がどちらなのかと思う。上下にも同じような領域がある。どちらがどちらなのか、もうわからない。

螺旋はどこまでも繋がっている。ちょっと動けば、どうにでもなる。

現実も、そんなものではないかと思う。

つまり、気の持ちようである。

昼餉は、レタス・グリーンレタス・大根・玉葱・ハム・カニカマのサラダ、バゲットのフレンチトースト、紅茶。

ジョギング、7.07キロメートル。風、そよとも吹かず。

バスキアの蕎麦猪口で、ざる蕎麦を食す——買おうか躊躇しているのは、ほっとけば、そんなモノで溢れかえるのは目に見えているからだ。

蕎麦を啜るたび、どう思うのか。いやいや、どう思いたいのか。

そんな逡巡を繰り返しているうちが、いちばん愉しいのかもしれない。そのうち、蕎麦猪口は売り切れる。これが時間稼ぎだとしたら、いよいよ他人任せである。

夕餉は、義姉からもらった玉葱・人参・ジャガイモのかき揚げ、大根と人参のきんぴら、ポテトサラダ、味噌汁(人参・玉葱・シメジ・油揚げ・豆腐・アオサ)、ご飯、赤ワイン。

 

 

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残るはSpotify

 

晴れ。29度。

7時に起きる。

朝餉は、紅茶、僕はジャムを塗ったトーストとバゲット。コーヒー。

朝は抜きたいと、妻からリクエスト。前の日の夕餉から16時間は空けたいと。僕も倣ってみることに。

姉に手紙を書く。父の納骨や永代供養の予定など。

今、この瞬間を慈しめないなら、どこへ行こうと同じだ。そういう分かりきったことを、得てして忘れる。

昼餉は、ポテトサラダ、ざる蕎麦、コーヒー。

ジョギング、10.23キロ。

義姉のところで話し込んだ妻は、夕方に戻る。医者嫌いの義兄はワクチンを接種しないという。定期検診も受けていないのだと。

夕餉は、納豆、ポテトサラダ、冷奴、カボチャのそぼろ煮、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・アオサ)、ご飯、赤ワイン。

Apple Musicがロスレス対応のストリーミングを始めた。空間オーディオはそれより少し早くに始っている。

自宅のLINNが使えないので、その音質はわからない。使い勝手に絞ってみると、あれこれ書き立てるのは大人げないな、という気になる。Spotifyに追いつくのは大変かもしれない。音質は、Tidalに及ばないだろう。後発のAppleがすぐできるのは料金だけだというのもよくわかる。

つくづく思うのは、この国のオーディオメーカーの凋落ぶりだ。最新のテクニカルタームを追いかけなくてもいいのだけれど。事業を大きくドライブする力感はどこへ行ったのだろう。手頃な値段の商品ばかり作ってきて、後世へつなぐものは何も残っていないように見えてしまう。