Getz at The Gate

 

おおむね晴れ。22度。

7時に起きる。

朝餉は、レタスとキャベツ、大豆、パプリカ、きゅうりのサラダ、味噌汁(人参、カボチャ、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、さつま揚げと目玉焼き、トースト、紅茶、豆乳とヨーグルト、バナナのジュース。食後にコーヒー。

本を求める。谷川俊太郎著『ひとり暮らし』(草思社)、佐野洋子著『神も仏もありませぬ』(筑摩書房)。どちらも古書の単行本。

昼餉は、チョコレートパンとミルク。

女房のPCは外見は立派だが、かれこれ10年選手。Windows7というシールが貼ってあるが、最新の10をインストールして使っている。これがいつも調子が悪い。今日も女房はいったい何時間、悪戦苦闘していたのだろう。僕がそばをとおると、コレ、なんだかうんともすんとも言わないの、と泣きそうな顔で言う。スイッチを押しても、電源が落ちないらしい。

思い出したのは「ctrl、alt、del、esc」のおまじない。4つのキーを同時に押した女房は、しばらくして直ったと言ったが、胡散臭いものを見る目は変わらない。

古いPCなんて、詐欺みたいなもんだと思う。

11キロをジョグ。

スタン・ゲッツの’61年のライブ音源が見つかり、Verveがリリースした。『Getz at The Gate』。UHQCDなら2枚組、ビニールは3枚組という豪華アルバムだ。 スティーヴ・キューン(ピアノ)、ジョン・ネヴェス(ベース)、ロイ・ヘインズ(ドラムス)の編成で録音されたものが世に出るのは初めて。録音はいいし、演奏もとてもいい。

スティーヴ・キューンのタッチがなにはさておきみずみずしくて、ゲッツも触発されているかのようなプレイを繰り広げる。この夏最高のプレゼントだと思う。

夕餉は、味噌汁(人参、カボチャ、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、スパゲッティ・ナポリタン、赤ワイン。食後にアイスクリーム。

女房が夜のバスで東京へ。クワイヤの仕事。戻りは金曜あたり。

 

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It’s a lost thing

 

雨のち曇り。21度。

7時に起きる。

朝餉は、高野豆腐、レタスとパプリカ、きゅうり、玉ねぎのサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、豆腐、かぼちゃ、ワカメ)、BLTサンドイッチ、豆乳、紅茶。食後にコーヒーとクッキー。

女房は彦根のよさこいソーラン祭りへ。風が吹き、けっこうな雨脚だったのだが、それでもみなさん踊っていたそうで。

昼餉は、たい焼きとコーヒー。

本を求める。佐野洋子著『問題があります』(筑摩書房)。

その古本の中ほどで、頁がヨレヨレしている。あらら、と思ったら189ページ目が丁合から落ちてきた。ああ、と思ってよく見たら、それは別の本の頁。どういう切り取り方をしたのか、破り取ったのか。

忙しい古書屋が、はらりと床に落ちた頁を、たまたま手にしていた『問題があります』に差し込んだのかもしれぬ。ほんと、問題がありますな。189ページが抜けている介護士だかの奮闘記を買った方は、まことに不運というほかない。

こちらも、捨てるに捨てられず…。

映画は、グラント・スパトアー監督『I Am Mother』。SF物だが、終末の世界観がどこか物足りない。最後の部分に深読みできる余地を残した点はとてもいい。母役としてのアンドロイドが、真の母となれるような子供を育てあげ、その役目をちょっと予想外なかたちで譲るところまでを描いている。

いかようにも読み取れるキーのシーンにあえて説明的なセリフを加えていない。あれこれ考えてしまうのがまたいいし、お為ごかしを嫌っているところが清々しい。

予算の大半をガジェットやらCGの製作に費してしまい、そのほかは最低限度で済ませたという裏事情もあるやなしや。

夕餉は、味噌汁(人参、ワカメ、豆腐、カボチャ)、具だくさんの焼きそば、赤ワイン。

 

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B-612について

 

おおむね、雨。22度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、キャベツとレタス、キュウリ、大豆、パプリカのサラダ、ベーコンと目玉焼き、味噌汁(人参、キュウリ、アゴだし、エリンギ、カボチャ)、トースト、豆乳、紅茶。食後にコーヒー。

ワルター・クリーンのピアノでシューベルトのソナタ集を。16番のモデラートが流れると、なぜか笑い顔になる。

本が届く。サン=テグジュペリ著、内藤濯訳『星の王子さま』(オリジナル版、岩波書店)。

さてさて。ひょんなことから5冊目となった『星の王子さま』。意味がわかれば、オリジナル版とことわるまでもない。要するに、版元が使った挿絵の差異に依るものなのだ。その事情はオリジナル版の前書きに詳しい。

’41年からアメリカに亡命していた著者が最初にニューヨークの出版社から刊行できた初版(英語版とフランス語版があった)は、もちろんオリジナルの挿絵だった。3年後、フランスの版元が刊行した時点で挿絵は改変されていた。わかりやすいのは、望遠鏡を覗いているトルコの天文学者の絵。オリジナルでは望遠鏡の先に星が描かれているのに、フランス版では消えている。そうした箇所がフランス版に多々あることは、岩波の愛蔵版を見ればわかる。愛蔵版はフランス版から複版を起こしていることがうかがえるからだ。

フランス版の版元が原画を使えなかったことから、こういう悲劇が起きた。フランス版が刊行されたとき、著者はすでにこの世にいなかったことにすべては起因しているのかもしれない。

それはそれとして、この期に及んで翻訳本にミスがあることもわかった。池澤夏樹訳の単行本はもちろん原版の挿絵を使っているのだが、天文学者の絵から星が消えているのだ。僕が手に入れたのは19刷で、誰も気づいていないわけはない。レイアウトの問題は根深いので、わかっていても手を入れられないのかもしれない。

オリジナル版の前書きでわざわざ指摘されている部分が見過ごされてるかに見えるのは、池澤さんにとって耐え難いかもしれない。

女房は彦根へ。明日のよさこい祭りだかの準備を見物に。

昼餉は、女房の作り置きのチョコレートを何切れか。

オリジナル版を見て、最初に驚くのは横組みになっていること。原書に近づけようという意図を感じる。だからといって、読点をカンマにすることはないと思うのは僕だけではあるまい。句点もピリオドに統一している科学系の文章ならいざ知らず。

内藤さんの文はただでさえ読点が多用されているのだから。黒いカンマがいちいち目に止まって落ち着かないのだ。なぜ、そんなチグハグなことをしたのか(ピリオドの方は採用していないのに)知りたいものだ。

女房が作った夕餉は、高野豆腐の煮物、椎茸のひき肉挟み焼、豆腐の野菜餡かけ、納豆、味噌汁(人参、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒーとクッキー。

内藤濯、池澤夏樹、河野真理子、倉橋由美子ときたので、もう少し探索しようと思う。

 

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古くて新しい

 

曇りのち雨。25度。涼しい風。

6時に起きる。

朝餉は、切り干し大根、サニーレタスとキャベツ、パプリカ、キュウリ、大豆のサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、煮干し、キュウリ)、ベーコンと目玉焼き、トースト、紅茶、豆乳。食後にコーヒーと揚げたあんパン。

手掛かり、もしくは、糸口という。

探しているわけではないのだが、ある時ばったり出くわす。受け入れる側に袋状の穴ぼこが開いていないと、それは穴に落ちずに、通り過ぎていってしまう。

待っているだけでは気づかないままなので、こちらから探しに出かけていく。その気になっていると、けっこう目にするし、おのずと気づくことも増える。

足でかせぐとしようか。

それもいいが、僕はたまに『暮らしの手帖』を買う。雑誌売り場で、目が合う。こっちこっち、と手を振っている。

今の号はキリのいい数字で、携わる人々もそこはかとなく気合いが入っているはず。

受け止めて、穴ぼこへ。

昼餉は、トマト、焼きそば、コーヒー。

星の王子さまの続き--倉橋由美子さんの訳もいい。単行本は絵の大きさが気持ちいい。そのレイアウトもゆったりしている。翻訳どおりというより、日本語のつながりを大事にされている。読みやすい。これが褒め言葉とは限らないところが、この本の面白さではある。

読むたび驚く。そんなこと、書かれてなかったぞ。

読み飛ばしているのか。無頓着すぎて笑う。長編小説ならいざ知らず、読み返すたびそんなところが見つかる。つながりを考えて、文章を付け足しているところもあるにはあるが、それにしても。

女房が作った夕餉は、切り干し大根、椎茸の肉挟み焼き、味噌汁(人参、玉ねぎ、揚げ、エノキ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に緑茶、チョコレート。

 

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愛おしき負け

 

晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、切り干し大根、バナナ、味噌汁(人参、ベーコン、玉ねぎ、煮干し、揚げ、エノキ、キュウリ)、BLTサンドイッチ、紅茶。食後にコーヒーとロールケーキ。

Appleは、OS群のパブリックベータ ・プログラムを更新した。βナンバーが揃っていないのは、WWDCの時期にありがちだ。

些細なことが徴になる。腕時計の革ベルト、セルロイドの眼鏡フレーム、目の細かいブロードシャツ--革はチタンへ、フレームは金属へ、ブロードはリネンへ。

夏への扉が開こうとしている。

11キロをジョグ。

遅い昼餉は、握り飯。

刈っても刈っても、わっさわっさと。植物どもはちょっと目を離した隙に伸びている。比喩なんかじゃない。眠っているあいだも、あいつらは手を緩めない。僕は敬服して、両手を掲げ、降伏する。

この星は、彼らが牛耳ってきたし、これからもそうだ。僕らは、彼らの意思のままに、従って生きていく。

とても、ありがたいことに。

夕餉は、切り干し大根、味噌汁(人参、玉ねぎ、キュウリ、豆腐、エノキ)、穴子とキスの天丼、赤ワイン。

 

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梅雨入り前

 

おおむね晴れ。23度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとサニーレタス、大豆、ゆで卵のサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、竹輪、煮干し、キャベツ、揚げ)、フレンチトースト、紅茶。食後のコーヒー。

松の樹のてっぺん、切り落とした太い枝のあったあたりでユスリカが踊っている。供養しているよう。見ていて飽きない。

女房と玄米買いに。伊吹山の麓から高月まであっちこっちへ。

昼餉は、卵コッペパン、蒸しパン、よもぎ餅、コーヒー。

古書が届く。サン=テグジュペリ著、河野真理子訳『星の王子さま』(新潮文庫)、倉橋由美子訳『新訳 星の王子さま』(宝島社)。

なにはともあれ、『星の王子さま』が4冊になった。ざっくり読んだ感じでは、河野真理子さんのがしっくりくる。彼女はフランス語学科を卒業しており、英語版からの翻訳ではない。何より日本語の流れ方がいい。今のところ、いちばんである。

内藤濯さんの翻訳に巡り会わなければ、こんなことにはならなかった。あらためて感謝。

6キロをジョグ。

この街でいちばん崩れかけている廃屋アパートに重機が入っている。いよいよ消えてしまう。写真の題材としては最上だった。

夕餉は、切り干し大根、味噌汁(人参、揚げ、玉ねぎ、エノキ)、キーマカレーの残り、赤ワイン。食後に緑茶と水無月。

浅井三姉妹の名を冠した道の駅で求めた水無月は小豆がたっぷり乗っかっている。銘店の名にし負う菓子とは大違いの見てくれだが、これがうまかった。近在の農家のおばあちゃんが作ったのだろうか。余計なものが入っていないと躰は素直に反応する。

  

鼻につく?

 

晴れのち曇り。23度。

7時に起きる。

朝餉は、長芋の酢醤油かけ、枝豆豆腐、味噌汁(人参、玉ねぎ、キャベツ、豆腐、エノキ)、BLTサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒーとクッキー。

星の王子さまのこと。内藤濯さんの昔の訳は、ところどころ靄や霞がかかっている。それが味わいだと思えられればいいが、版元の編集者によっても印象はずいぶん変わる。

池澤夏樹さんの訳はスラスラ読める。ほんとに滑るようだ。靄も霞もかかっていないようだ。文学としてそれはどうなのだろう、と思わないでもない。

冒頭の読み比べを――。

内藤訳

 六つのとき、原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という、本の中で、すばらしい絵を見たことがあります。それは、一ぴきのけものを、のみこもうとしている、ウワバミの絵でした。これが、その絵のうつしです。

 その本には、「うわばみというものは、そのえじきをかまずに、まるごと、ペロリとのみこむ。すると、もう動けなくなって、半年のあいだ、ねむっているが、そのあいだに、のみこんだけものが、腹のなかでこなれるのである」と書いてありました。

 

池澤訳

 6歳の時、原始林のことを書いた『ほんとうの物語』という本の中で、ぼくはすばらしい絵に出会った。それはボアという大きなヘビが動物を呑み込もうとしているところの絵だった。ここにあるのがそれの写しだ。

 本にはこう書いてあった――「ボアは獲物をぜんぜん噛まずに丸呑みにする。そのあとは動けなくなって、消化が済むまで6か月の間ずっと眠っている」。

 

僕らは、原著の著作権が切れたのを機会に、味くらべができる。一読してわかるのは、池澤さんのは現代風であること。説明的な部分が、ちゃんと埋め込まれている。たとえば、「ボアという大きなヘビ」がそうだ。一方の内藤さんはただ「ウワバミ」と素っ気ない。なんのための絵か、とおっしゃっているようだ。

池澤さんが「動物を呑み込もうとしている」なら、内藤さんは「一ぴきのけものを、のみこもうとしている」。けものという言葉を使うと、その臭いまでする。池澤さんが「丸呑みにする」なら、内藤さんは「ペロリとのみこむ」。ペロリは、もちろん原典にない。

読点がやたら多くて、ぶちぶちと切れている内藤さんに対して、池澤さんの読点は1つ。内藤さんは17もある。がしかし、内藤さんはあとがきの最後にこう書いていらっしゃる。

 

 平安朝の物語文学や日記文学には、もともと今日の句読点などというものがなかったのでした。というのは、言葉を生かす道が、読む人それぞれの息づかいにあるというしかとした自覚があったからで、私はふつつかながら、この日本語訳でそういう言葉の本道をねらったつもりです。

 

一見、矛盾している。だが、これは謎かけでもなんでもない。わかりやすい表明だと思うが、如何?

昼餉は、焼きそば。

現代は明晰というものを尊ぶ。翻訳にも同じことが求められる。池澤さんのは視界が開けて明るい。逆に言えば、立ち止まれない。物語に没頭できて、筋を追っていける。

言葉への強いこだわりはどちらにもあるはずで、どう受け取るかは人それぞれだ。最後まで読むと、中身がしっかりわかった、と言えるのは池澤さんのほう。内藤さんのは、靄の向こうにどんな景色が広がっているのだろうと、ちょっと思わせる。ここが両者のポイントになっている。

夕餉は、焼きそば、味噌汁(人参、キャベツ、揚げ、竹輪、ベーコン)、キーマカレーの残り、赤ワイン。食後にコーヒー、クッキー。

お二人の大きな違いは、本文が縦組みの内藤さんに対して、池澤さんは横組みという点。

内藤さんは文の構造をつうじて、物語が翻訳されていると思わせる。意味を掴み切れない翻訳臭がある(その点を指摘する仕事が編集者にはある)。池澤さんの文の構造は日本語として流れ続ける。翻訳臭はその文字組みにのみ顕著だ。

僕らは、明快であることに安心する。現代の病といっていい。不明快を放置するのは、責任逃れと言われかねない(それは不幸なことに、岩波書店という版元のイメージと重なってしまう)。曖昧なところは原著に当たるのが当然だが、それだけではないと思う。

内藤さんがおっしゃる「言葉の本道」は、巡り巡ってご本人の胸に突き刺さってくるものだろう。

僕が読んだ愛蔵版とは別に、内藤訳にはオリジナル版というものがある。とりあえず、それも読んでみないことには、と思う。

 

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本棚とまな板

 

雨のち曇り。21度。肌寒さに、夜明けのころ目がいったん覚める。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、キャベツとレタス、ツナ、大豆、トマトのサラダ、味噌汁(人参、ジャガイモ、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、フレンチトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

開かずの扉を二人して開け、ガラクタと格闘する。

汁椀が二十客とか。どれだけの来客があったのか。そういえば昔は、なにくれとなく集まっては宴会を広げていたっけ。

今はみなさん、いずこへ。

大振りのまな板が出てきたのは僕らへの労いかもしれない。イチョウのだったら良かったが文句は言うまい。

ちょっと大きめの本棚を二階から縁側書斎へ移そうとして挙げ句、そんな掃除になってしまった。

本棚はでかくて威圧たっぷり。戻したくなる。

昼餉は、ポテトサラダ、裏のおばちゃんがくれたパスタサラダ、キムチ、玄米ご飯、緑茶。

夕方、庄堺公園へ女房の運転で。花菖蒲が見頃を迎えている。雨上がりに人影も少なく。バラ園の蕾もまだ残っている。

この時期だから花菖蒲。アヤメとカキツバタの違いを、二人して繰り返しているうち覚束なくなった。

アヤメの花びらには網目が入っている。

僕らの頼りは、わずかな差異でしかない。見る人は即座に見分ける。気づかないことがたくさんあります。

まな板に鉋をかける代わりに、クレンザーでこすり熱湯を何度もかける。

夕餉は、レタスとキャベツ、トマト、ツナのサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、女房の作ったキーマカレー、赤ワイン。食後にコーヒーとクッキー。

合成樹脂の白いまな板よりふた手間かかる。それに、でかくて重い。だから義母もお蔵入りさせたに違いない。

日の目を見たのはいいが、いつまで続くやら。

遺影の向こうで、瞳が見入っている。

 

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棚と皿

 

曇り。21度。

7時に起きる。

朝餉は、きんぴらごぼう、味噌汁(人参、玉ねぎ、豆腐、エノキ、煮干し)、BLTサンドイッチ、アールグレイ、バナナヨーグルトジュース。食後にコーヒー、クッキー。

留守にしていたおそよ二週間で、植物たちは伸びに伸びていた。もう咲きはしまいと安堵していた芙蓉が葉を茂らせ、花芽がついている。紫陽花にも花芽が。ひょろひょろと伸びた梅の枝やドクダミの群生を見ていると、さっさと白旗を上げそうになる。

酒を求める。Johnny Walkerの12年。ガラスケースに入っている山崎の12年は19800円。女房に小声で言う。

そんな酒じゃないよ、あれは。

女房が作った昼餉は、豆乳のシリアル、ベーコンのチーズトースト、コーヒー。

戻ってきたらきたで、義母の家の片付けを。

皿を少しずつ減らしていく。食欲の象徴だから、数を減らすと寒く感じる。使わずとも、置いておくだけで許される気持ちがどこかにあるのだ。

いっぱいになった食器棚を寂しいくらいにしてみる。すると、気持ちが落ち着いてくる。いっぱいだと、ざわつく。もっと欲しくなるし、ほかに良いものがありそうだと目を外へ向けがちになる。

これくらい、と思って減らしたのに、後で見るとまだ多いことに気づく。さらに半分にできそうだが、女房は許さないだろう。

夕餉は、ポテトとキャベツ、レタス、キュウリのサラダ、きんぴら、唐揚げ、味噌汁(人参、キャベツ、豆腐、エノキ)、玄米ご飯、赤ワイン。

岳父の庭、松のてっぺんの枝にノコを引いた。大きく太い枝を払うとスッキリしたが、それでも半分ほど残った。枝に足をかけて登ると、年を感じる。猿のように身軽だった頃を思い出せない。

希少だからといって糸目をつけぬ。投機になっているのだろう。値段はもっと上がりそうだが、あと何年かして、大量に樽詰めした12年が市場に出回る。その時、あのウィスキーはどんな顔でバーの棚に並ぶのだろう。

 

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味方になるということ

 

雨のち薄日。21度。

3時に起きる。

日の出前に家を出て、第二東名を使って米原へ。女房が400キロの全区間を運転した。昼前に到着。隣に座っているだけでも疲れたが、彼女は危なっかしいところもなく、余裕をもってハンドルを握っていた。

朝食を兼ねた昼餉は、サービスエリアでおにぎり、ドーナッツ、ほうじ茶。

注文した本が届いていた。土井善晴著『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)、アントワーヌ・デュ・サンテグチュペリ著、池澤夏樹訳『星の王子さま』(集英社)。

遅い昼餉は、フレンチフライ、チーズバーガー、コーラ。

土井善晴という人は、飾らない。

作る料理がぎりぎりのところで飾らないのである。その一線が目に見えるようにこちらに伝わってくる。すべてを見たり読んだりしたわけではないけれど、この人はその一線を越えないだろうと思わせる。誓っていることは自ずと伝わるものだ。

純朴にも見える、その飾らなさ加減が物足りないと映る。そう受け取って、土井善晴を相手にしない人もけっこういるんじゃないかと思う。

彼は、そういう人をはなから相手にしないと、これも誓っているフシがある。僕にはそれが伝わってくる。

固く誓った人は、おのずと潔いい。潔さが文章に現れているので、わかりやすいのである。世の中には、簡潔を裏読みする邪心があるので、そこでも土井善晴は戦っているように見える。

夕餉は、きんぴらごぼう、鳥の唐揚げ、味噌汁(人参、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、ご飯。食後にコーヒー、クッキー。

彼が届けたいと思っている意を、僕はまっすぐ受け止めた方がいいと感じる。意が意のまま飾らずにある場合、それはありがたく受け取るべきと信じるからだ。

彼の本を買うということは、彼の側に付くことにほかならない。

 

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鎮まる肌

 

曇りのち雨。22度。

6時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、キュウリ、大豆、ハムのレタス、味噌汁(人参、ジャガイモ、玉ねぎ、小松菜、豆腐、エノキ)、トースト、豆乳、アールグレイ、コーヒー。

昼前に降り始めると、雨脚に奪われたように気温が少しずつ下がった。時折の雨音。

グリーグの『抒情小曲集(Lyric Pieaces)』を聴いている。アイナル・ステーン=ノックレベルグの全曲演奏。こういう日のためのアルバム。

昼餉は、ざる蕎麦。

BSでリュック・ベッソン監督の映画『ジャンヌ・ダルク』。すっかり忘れていたけれど、ダスティン・ホフマンの演技が、声とともにとてもいい。映画の出来はご存知のとおりだが、彼の声がこの映画を忘れ得ぬものにしていたのだと、改めて気づく。

こちらでの暮らしも今日でひと区切り。

夕餉は、豆乳鍋、ご飯、赤ワイン。

そこにいる

 

晴れ。30度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、大豆、パプリカ、ピーマンのサラダ、味噌汁(人参、キャベツ、小松菜、玉ねぎ、豆腐)、ハムと目玉焼き、トースト、豆乳。食後にカスタードケーキ、コーヒー。

ヤン・バルトシュがヤナーチェクのピアノソナタなどを弾いたアルバム『Piano Works』を聴いている。バルトシュといえばベートーベンのソナタ集や、モーツァルトのピアノ協奏曲20番のロマンツァが良かったが、このアルバムも瑞々しい。自分の血管に流れているものがどんな色や味をしているのか、確かめるように弾いている。体制が変わり、国が分離したと書くのはたやすいが、その辛酸は終わりがないように思えてならない。EUという試行に恩恵があるとすれば、それを受けるのはチェコやスロバキアといった国々であってほしい。

チェコの音楽家が背負っているもろもろは、音色に現れる。

引き続き、片付けをぼちぼちと。

遅い昼餉は、ざる蕎麦。

けったいなもの、見たこともないもの、向こうの世界のもの、地の底のもの、闇の彼方のもの、姿はあるのに形のないもの――文字にするのは簡単なのに、それを描くことは並大抵でない。描かれたものを目にする機会はほとんどない。異形はなかなか描けない。

おどろおどろしさは、どんな形をまとっているのだろう。神々しさは偶像崇拝で確かめられもするが、異形はどこに棲んでいることだろう。淫らな、それでいて触れようとする者を射抜いてやろうと虎視眈々と狙う邪悪の瞳は、僕らの背後の闇にまだ息づいているのか。

それとも、わずかな光のもとで鏡を覗き込めばいいだけのことだろうか。

女房が作った夕餉は、餃子、サバの味噌煮、レタスとキャベツのサラダ、味噌汁(人参、小松菜、揚げ、玉ねぎ)、玄米ご飯、赤ワイン、食後にアイスクリーム。

 

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物言えぬ人々

 

曇りのち晴れ。25度。

6時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、パプリカ、玉ねぎ、ピーマン、ツナのサラダ、味噌汁(人参、小松菜、玉ねぎ、ジャガイモ、豆腐)、ハムとスクランブルエッグ、トースト、豆乳。食後にコーヒー。

UNICEFへの募金は、毎月引き落としで20年以上続いた。僕にとってはけっこうな金額だった。しかし、欲にかられて買った物に比べたら、結局、それは微々たるものだったことになる。買ったぶんを寄付していたらと思う。国境なき医師団へもできたのに。

当時は気づかなかったことに今さら気づく。それは、不幸中の不幸だ。誰もが、臍を噛んでいる。だが、この臍は僕だけのものだ。でなければ、なんの臍かと思う。

女房はクワイアの打ち合わせへ。遅くに帰る。

昼餉は、抜き。

10キロをジョグ。

UNICEFに関することなら、2年前に書いた時と気持ちは同じだ。

 

コーンベルトと呼ばれる、おもに中西部に住んでいる根っからのアメリカ人の暮らしは厳しい。手取りがまったく増えないのは当たり前で、安定した仕事も見つからない。明日の展望が見えない。ずっと我慢を強いられている彼らの人生は、僕らの想像以上に過酷なのだ。

日本のマスメディアは、アメリカ人の窮状を伝えていない。新しい大統領の訴えていることの本質を探ろうとしない。彼はたしかに勉強不足のアジテーターかもしれないが、彼の言説が誰に向けられたものか、常に背景を報じ続けてほしいものだ。彼に票を投じた、保守的で勤勉で我慢強いアメリカ人たちは、大きな声を出さないが、そのぶん彼らの一票はずしんとくる。

彼らは、大統領就任日にワシントンに来たりはしない。祝うためであっても、反対のデモをするためであっても。そういう金すら持っていないのだ。

しかし、アポロを月へ向かわせたのも彼らだし、日本の子供たちに食料支援を続けていたUNICEFを、中心になって支えていたのも彼らだ。ちなみに、その食料支援は東京オリンピックが開催された64年まで続いていた。当時の日本は、実のところ、まだ子供たちを満足に養えていなかった。

世界の安寧と自分たちの繁栄を、黙々と働きながら求めてきたアメリカ人は、今、暮らしに汲々としている。

新しい大統領が、誰のために働こうとしているのか、それは彼がたびたび語ってきた。その言葉に耳を澄まさず、彼のことをネジが一本足りない保守主義者のようにしか報じられない日本のメディアの言説は、いつか来た道を思い起こさせる。

掘り下げてくれるだけでいい。それがどれほど時間がかかり、明晰な思考と丈夫な靴の必要な仕事であることか、日本のメディアはわかっていないように見える。

 

夕餉は、キムチ、焼きそば。

 

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仕事を減らすような仕事

 

おおむね晴れ。27度。

6時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルトのジュース、切り干し大根、キャベツとレタス、パプリカ、キュウリ、コーン、カニカマのサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、小松菜、豆腐、エノキ)、ハムと目玉焼き、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

AppleがWWDCでOS群の年次アップデートを発表した。iOSからiPadを離脱させてiPadOSを作った。iTunesを3つに分けてそれぞれに機能を盛り込んだ。どうだ、仕事はちゃんとやっているぞ、というわけだ。

細分化して、あれこれ加えていく。次から次へ応えていく。不満が尽きることはない。仕事もそうやって増えていく(あなたも、でしょう?)。Appleも同じになってしまったらしい。

スティーブ・ジョブズは許さないだろう。あっちこっちでそんな声が上がっている。そうかもしれないが、そうでないかもしれない。

コーディングが10分の1で済ませられる、iOSアプリがボタン1個でmacOS用に変換できる――確かに、そういう話しには膝を乗り出しそうな人だった。Appleは、細分化しつつ同時に省エネルギーを求めている。

誰も取り上げないが、今回いちばんのトピック。すべての操作を音声だけでコントロールできるようにした。これには喝采を。Siriはもっと早くにそうなっているべきだった。恩恵に与る人は、想像をはるかに超えてたくさんいる。

昼餉は、抜き。

9キロをジョグ。砂埃。

女房が自己嫌悪の声を上げる。どこにしまっておいたものか。アンティーク調のウォールランプを手に、けっこうな金額の領収書にため息をついている。彼女が買ったものらしいが、よくぞそんな金を払ったものだ。

慰めるつもりはなかったが、それを壁に掛けてスイッチを入れたら、複雑できれいな模様があらわれた。

オマヌな買い物選手権は、相変わらず、絶賛開催中だ。

夕餉は、納豆、卵豆腐、キムチ、味噌汁(人参、小松菜、玉ねぎ、揚げ)、あん掛けハンバーグ、玄米ご飯、赤ワイン。

 

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アンチが多かろうとも

 

おおむね晴れ。24度。

6時に起きる。

朝餉は、バナナ、切り干し大根、ポテトサラダ、キャベツとレタス、パプリカ、コーンのサラダ、味噌汁(人参、小松菜、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、ハムと目玉焼き、トースト、アールグレイ、豆乳、コーヒー。

BOSEのスピーカーやヤマハのサイレント・バイオリン、年代物のデジカメやMP3プレーヤーを買取屋に持ち込む。

昼餉は、フードコートでマルゲリータピザ、チーズピザ、レンコンきんぴら、コーヒー。

酒を求める。Johnny Walkerの『Wine Cask Blend』。クラフト・シリーズはブレンダーの裁量を前面に押し出している。このボトルは名前のとおりワイン樽で寝かせている。ブレンダーのエイミー・ギブソンは食事やデザートに供せるウィスキーを目指したという。12年や15年、18年のベースになるモルトやグレーンの不足が心配されるなか(僕だけかもしれないが)、クラフト・シリーズはそれに対する同社の答えだと思う。

年代を記せないのだからモルティであるはずはない(ギブソンはテイスティング・ノートにゼロを点けている)。それにJohnny Walkerかと疑いたくなる甘さ。最初に香るのはモーゼルあたりのワインと南国フルーツだ。煙るようなところは見当たらない。

これはとても旨い。ダブルを二杯までと決めている御仁なら、文句なしだ。でもどこかで飽きる。途中から、その予感が背後にちらちらし出すと、僕は落ち着かなくなった。

女房が作った夕餉は、ポテトサラダ、切り干し大根、味噌汁(人参、揚げ、小松菜、エノキ)、鳥ひき肉のハンバーグ、玄米ご飯。食後にコーヒーとクランチチョコレート。

オスカー・ピーターソン・トリオなど眼中にないというジャズ愛好家は多い。僕もちょっと前までそうだった。饒舌なピーターソンは、飽きるのだ。今もどこかでそう思っている。彼らが『We Get Requests』をこの世に残していなければ、その考えが覆されることはなかったと思う。

幸いにして、僕らには『We Get Requests』がある。ノーマン・グランツの偉大さはこのアルバムに凝縮されている。ピーターソンにこのプレイをさせたのだ。

今夜もこのアルバムを聴くのは、もっともそばにいる愚か者を戒めるためではない。このアルバムによって、救われたと思っているからだ。いつの間にか笑顔になっている、そんなアルバムはそうそうないのだと、滅多に言わないけれど、今夜は甘い酒を飲りながら断言する。

 

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