愛着とその標榜

 

晴れのち雨。31度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、豆腐、エノキ)、BLTサンドイッチ、ミルク、麦茶。食後にアイスコーヒー。

長浜の美容院へ。

昼餉は、抜き。

本を求める。ジョン・ル・カレ著、加賀山卓朗訳『地下道の鳩:ジョン・ル・カレ回想録(原題:The Pigeon Tunnel)』(早川書房)、ルイス・キャロル著、高橋宏訳『不思議の国のアリス・オリジナル』(書籍情報社)。

後者については多くの誤解があるように思う。それにもかかわらず、ちょっと凝った装丁の本がこの世に在ることを許されているのは、ひょっとしたらキャロルの生前の善行のおかげかもしれない。

本好きであることを僕は臆面もなく標榜するが、そこには2つの意味があって、常にどちらか(乃至は両方)を問われていると思う。

1つ目は、もっとも賢明にして崇高な文明的所産である文字、それを読むことそれ自身への愛着とその標榜。

2つ目は、本という形態とそれが作られる一連の工程、その結果生まれた製造物への愛着とその標榜。

本好きとは、必ずしも両方を満たしているわけではない。というよりも、満たしているのは実は稀有であり、多くの場合は1つ目をもって標榜とみなされている。ただ、2つ目に依拠する人種はこの世に多数が存在しており、実はその嗜好によって本という存在の魅力は十全となる。事物の趨勢は、多くの場合、2つ目の標榜によって価値を体系とするもので、1つ目へ向けた秩序の構築という命題を負っている。

電子書籍の興隆は、1つ目の標榜に疑う余地のないことを証明しているし、2つ目を支える産業的背景にもなっている。もっとも、産業的背景という点において、2つ目も人後に落ちるわけではなく、視点によっては、1つ目を凌駕しているかとも思う。

僕の標榜は、もちろん両方に渡っているけれど、2つ目の標榜については付随する行為としての蒐集にまでは至っていない。

要するに、酔狂にかける金がないのだ。

夕餉は、焼き茄子、大葉とチーズの餃子皮の包み焼き、ラタトゥイユの残り、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、豆腐、小松菜、エノキ)、ご飯、麦茶。食後にアイス最中。

Appleは、OS群のパブリックベータ ・プログラムを更新してβ7をリリースした。

 

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吐露は、ときに芳し

 

曇り、ときどき日差し、夕立。30度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルト、レタスと玉葱・コーン・パプリカ・トマトのサラダ、ハムとスクランブルエッグ、味噌汁(人参、玉葱、ナス、油揚げ、エノキ)、ソースト、麦茶、ミルク。食後にアイスコーヒー。

本を求める。ルイス・キャロル著、高山宏訳・佐々木マキ絵『不思議の国のアリス』(亜紀書房)。原著からもっとも遠くにあるアリス本だと思われがちだが、そう言い切れるだろうか。帯には、日本語版「アリス」の金字塔、と書かれているが、そういうことなのだろうか。

堪能したいなら懐深い原著に勝るものなし、と思い込まされる、そんな労作。高山さんの訳者あとがきが、仕事の苦しさと喜びを語って読ませる。

昼餉は、抜き。

5キロをジョグ。真っ黒な雷雲に追いかけられる。いと怖し。

 

訳者あとがきより――

 

(前略)

 しかしものすごい量の注も訳さねばなりません。御想像がつくと思いますが、キャロルの英語をやっと日本語にしたところで、横にくっついたガードナーさんの注とうまくつながらないといけないということがわかって、訳をそのように変えなくていけないので、うまくいくのはほとんど奇跡なのですが、苦労は並大抵ではありませでした。

(中略)

 だから、隣に一段と小さい活字で注のついていないアリス物語を訳せる日がくることが長いあいだの夢でした。

 みなさんが手にとっておられるこの『不思議の国のアリス』がその夢かなった本なのです。何にも余計に縛られることもなく、思いのまま自由に遊ぶことを楽しみ抜いた訳です。訳者のそういう楽しく遊んで仕事している感じがみなさんに伝わるなら、いちばんの幸せです。でもとても面白いことですが、できるだけ忘れようと心がけた前の注釈本での訳がやはり頭に浮かんでくるのです。それだけ苦しみ、本当に神さまの助けで見事に突破していった苦心の訳をそう簡単に忘れられるものではありません。時間と(音楽の)拍子の両方の意味に掛かった、おまけに人物の名前でもあるらしい“time”を「マ(間)」と訳せばすべて解決とわかったときの天にものぼる心地、わかりますか。いちばんの難所の第七章は結局この「マ」をうまく使うかどうかにかかっており、それ以外の案は多分どれも「間抜け」、文字通りマが抜けた訳なのです。それで調子の出た第七章はティーパーティーの場面ということで日本語の「無茶」、「茶」が「無」という言い方が、おまけのダジャレということでものすごく生きたりしました。

(後略)

 

夕餉は、冷奴、唐揚げ、夏野菜のラタトゥイユ、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、豆腐、エノキ)、ご飯、麦茶。食後にアイスコーヒー、クッキー。

 

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今回は、まだ違った

 

降ったり止んだり。29度。蒸す。

7時に起きる。

朝餉は、豆乳とバナナのジュース、レタスとキャベツ・大豆・パプリカ・トマトのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、豆腐、エノキ)、ご飯、麦茶。食後にアイスコーヒー。

札幌の姉より電話。朝、父がベッドから起きられず、口がきけなくなった。救急車を呼んで病院へ向かうところだと。

2時間ほどして電話がある。点滴を受けて、口がきけるようになった。今日にでも帰れると医者に言われたが、姉は、様子を見て決めるという。張り詰めていた声に柔らかさが戻っている。それは熱中症だと思うから、経口補水液と塩飴を含ませるよう伝えた。当たり前のことを言っているのに、何度も聞き返したのは、姉の緊張が続いているからだろう。

昼餉は、冷やし中華、麦茶

10キロをジョグ。

大阪・伊丹空港から札幌へ飛ぶ用意をしていた。米原からだと、朝に発っても、うっかりすると着くのは夕方で、飛んでいるよりも電車の時間が長い。

ペースメーカーを入れている父が起きられなくなるとしたら、その心臓がいよいよの時だろう。いくらボケようと、父はタフなのだと思っている息子は、ただの愚か者かもしれぬ。

水を摂りたがらないのは、言い方に含みを感じるからだろう。父には腹蔵のない諧謔がいちばんなのだが、姉にそれを求めるのは酷というものだ。

夕餉は、キャベツとパプリカのサラダ、枝豆豆腐、鳥の唐揚げ、味噌汁(人参、玉葱、豆腐、エノキ、ワカメ)、ご飯、麦茶。食後にアイスコーヒー、チョコレートクッキー。

この家から歩いて五分のスーパーが33年の歴史に幕を下ろした。女房曰く、今日は1ヶ月ぶんの来客だったらしい。女房は閉店間際にも行って、半額以下になった野菜を買ってきた。3階建のこの辺りにはいかにも不似合いなビルを取り壊し、こぢんまりとした今風の装いに改まった店が1年半後に姿をあらわすという。

 

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今となっては誰も気にしない

 

晴れのち雨。31度。

7時に起きる。

朝餉は、冷奴、キュウリとワカメの酢の物、レタスとトマト・大豆・ハム・パプリカ・玉葱のサラダ、焼鮭と卵焼き、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、豆腐、ジャガイモ)、ご飯、麦茶。食後にアイスコーヒー。

女房と彦根へ。クルマのエンジンオイルを交換。そのあと本屋、文房具屋。ノートを求める。LIFEのノーブルは100枚綴じ、プレーンのA5。光に当てると紙に縦の透かしが入っている。抄造で作るレイド模様で、リズムを刻むような簀目の縦線はなかなかお目にかかれない。特漉きらしい風情といえる。

紙には裏表も上下もある。抄造でできるものだから、それは仕方がない。裏面は毛羽立ちがあってペンの走りにためらいが出る(それが好きになる人もいるくらいだった)。安いノートはその差が比較的わかりやすい。昔は、書いていると「あっ、裏面になったな」と気づいた。LIFEのノーブルはそれを僅差にとどめているのがウリだが、もちろん他のノートでも今は僅差で、気づく人はまずいない。

昼餉はピザ屋で。フライド・オニオン、ピッザマルゲリータ、ジンジャエール。

ノーブルは薄型4冊を糊付けして100枚綴じの仕様にしている。わかりやすく端折るが、A5サイズの商品なら、A4用紙13枚とか12枚を2つ折りにし、それらを組み合わせて綴じている。すると、表面と裏面が折り目ごとに逆転することになる。そこで書き味が変わったと思われないような抄造を製紙メーカーは目標にして今に至っている。この国の製紙メーカーの技術力は世界一ではある。

蛇足だが、コピー用紙にももちろん裏表がある。表面がトナーの乗りはいいと言われたのは昔のことで、素人目にはもうわからない。それでも配布資料が表面で揃って綴じられていると「やるな」と思ったものだ。

夕餉は、冷奴、豆腐、鯛茶漬け、麦茶。食後にアイスコーヒー。

 

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Little Did They Know

 

おおむね晴れ。34度。

7時に起きる。

朝餉は、冷奴、焼き茄子、キュウリとワカメ・竹輪・カニカマの酢の物、トマトを添えた焼鮭と卵焼き、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、油揚げ、ジャガイモ、エノキ)、玄米ご飯、麦茶。

女房は彦根のカフェのマスターのところへ。新盆に来れなかった友人と旧交を温める。

7キロをジョグ。滝の汗。

昼餉は、ドーナッツとチョコパン、サイダー。

誰もが、鑿と槌を持っている。造作も大きさもさまざまだが、持っていないヒトはいない。その使い方もさまざまだ。

憧れるのは、少しずつでも確実に穿っていくようなヒト。

少しずつとか、確実とか、そういうことはきっと自覚していない。眺めていると、そう見えるだけのこと。

ただ、判で押したように向かっている。己との対話に忙しくて、ほかのことに気が回らない。そういう向き合い方について、俯瞰してみるとか思いも及ばない。朝が巡ってくると、また同じように向き合う。

そういうヒトのそばにいると、こちらが純化していくのがわかる。騒々しかった心のうちが鏡のように真っ平らになっていく。

そんな成分が己のうちにあるのか、しばし覗き込んでみる。

夕餉は、冷奴、豚ばら肉と夏野菜のポン酢炒め、キーマカレーの残り、麦茶。食後にアイスコーヒー、花林糖、スイカ。

小さい鑿と槌――すぐに壊れてしまい、細々と手入れをしながらでないと使えない。自分のはそんな道具だったとしても、いかに使いこなすか考え続けることが、向き合い方なのかもしれぬ。

Angela Davisのアルトサックスがいい。若いのに、ギラギラして見えないのは、よほどのことだ。向き合い方に対する示唆に、老若や男女は関係ない。彼女の姿勢は、音に現れている。

 

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でも軸はズレている

 

おおむね晴れ。33度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナと豆乳のジュース、レタスとキャベツ、玉葱、パプリカ、トマト、大豆、カニカマのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参、玉葱、油揚げ、ズッキーニ、エノキ)、トースト、麦茶。食後にアイスコーヒー。

キビタキが山からやってきて啼いている。あたりの鳥たちが、その聴き慣れない声に色めき立っている。よく見ると、ヒヨドリくらいの大きさの真っ黒い羽を持っている。渡り鳥の羽休めかもしれぬ。クロツグミかとも思ったのだが。番いは夜まで啼き交わしていた。

6キロをジョグ。汗だく。

遅い昼餉は、フレンチフライ、チーズバーガー、コーラ。

酒を求める。バランタイン12年。すでに書いているかもしれないが、バランタインはすっかり変わってしまった。

酒屋の棚には、バランタインのさまざまな瓶が並んでいる。昔からのFinestを別にして残りは苦し紛れにこしらえたと見られかねない。痛くもない腹は探られるものだ。

夕餉は、冷奴、カーマカレー、麦茶。食後にアイスコーヒー、煎餅。

独楽を回していて、思う。材料の木は、日本の木だろうか。

木の文明を築いてきたはずだが、林業はもう成り立たなくなってしまった。寺社も輸入した木で建て替えるようになった。2×4の建売は大工仕事とは言わない。

いったん終わってしまったものの、これからはどうなのだろう。手作りの独楽はびっくりするくらい回り続ける。

そういう手仕事は、まだ残っている。

 

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彼の魂を

 

台風一過。33度。

8時に起きる。

朝餉は、夏野菜と肉団子の甘酢あんかけ、味噌汁(人参、玉葱、ジャガイモ、豆腐、小松菜、エノキ)、トースト、ミルク、麦茶。

玄関口に吹き寄せられた枯葉。蝉が腹を見せて死んでいる。蜘蛛が巣を張り直した。

縁側の机は、すぐ暑熱に侵されていく。

拒絶する旗印として音楽を見据えたミュージシャンは数えるほどしかいない。オーネット・コールマンはフリー・ジャズの先駆だが、彼はどうだろうか。’50年代の作品にその萌芽を見て取れるが、それを拒絶と捉える歴史家はどれほどいるだろう。

音楽は、呪術をルーツにする古代からの憑依道具だが、無調の現代音楽を聴くまでもなく、音楽は撞着するものなのだ。音楽とは、呪術を施すための呪術であり、誤解を恐れずに言えば、自己撞着を内包することによって存立している。

音楽にとって、もっとも音楽をさらけ出すスリリングな瞬間があるとするなら、それは音楽をあたかも拒絶していることなのだと思う。音楽を通して、君と僕はつながっている――正面からそんな当たり前のことを当たり前に歌う腑抜けた、自己撞着さえする心がまえのない音楽が溢れかえっている。

昼餉は、ロールケーキ、アイスコーヒー。

家のまわりの草刈り。汗だく。

拒絶の内包を意識したストラヴィンスキーのような音楽家がこの世から消えて久しい。『春の祭典』の初演がいかに拒絶の嵐となったことか。その音楽はパリで音楽とは認められなかった。サン・サーンスが怒りに震えて席を立ったとき、ストラヴィンスキーの音楽はまさに音楽たり得ていた。

夕餉は、竹輪と夏野菜のポン酢炒め、ざる蕎麦。食後にクランチチョコアイスとアイスコーヒー。

AppleはOS群のパブリックベータ ・プログラムを更新してβ6をリリースした。

 

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その音は、作られた虚無の音

 

嵐。29度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナと豆乳、ヨーグルトのジュース、味噌汁(人参、小松菜、玉葱、エノキ、豆腐)、BLTサンドイッチ、麦茶。食後にアイスコーヒー。

気圧が下がる。風圧はいや増す。雨脚は細いものの、間断なく降り続ける。

デジタル技術の近傍で仕事をしてきたのに、僕はデジタル技術全般を斜に見ている。疑っているし、便利という言葉に違和感を抱き続けてきた。

今は、確信になっている。

このブログも含めて、暮らしからできるだけ排除しておきたいし、それ無しでも普通に暮らせる技量を身につけようとしている。

デジタル技術なしでも生きられるか、と問われるとそれはもう不可能に近いところへ来た。身の回りはなんとかなっても、電力など基幹では考えられない。したがって、僕が排除したいと書くのは絵に描いた餅以上に虚しい。

昼餉は、ハムとカニカマを添えた、ゆず風味のつけらーめん、麦茶。

だが、心がまえは変わらない。いつ足元をすくわれても仕方ないと諦めた。3.11の時にそれは現実となり、僕らはどこへ行くにも歩いた。停電が計画され、定常的な物事は消え去った。基幹はすべてデジタル化された管理システムで動いている。その代替システムもそのまた代替システムも、すべてが止まる。

この世の頼りなさは、たぶん半世紀前よりもっと深刻だった。

便利なんて、すべて信じないことだ。

手足を動かすに限る。それが基本であり、すべてなのだ。

夕餉は、キュウリと竹輪、ワカメの酢の物、野菜あん掛けの揚げ豆腐、チャーハン、麦茶。食後にアイスコーヒー、ロールケーキ。

台風がどこにいるのか、床について本を読んでいると気になる。手元のスマホに手を伸ばそうとして、屋根を叩く雨音に耳を傾ける。さっきよりどう変化したのか。五感を頼る。

スマホの緊急音が鳴る。どこかで避難警報が出たのだろう。

 

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電話には出ない、という権利

 

晴れのち雨。34度。風。

7時に起きる。

朝餉は、キュウリと竹輪、ワカメ、カニカマの酢の物、茄子とズッキーニ、エリンギのソテー、味噌汁(人参、エノキ、玉葱、ジャガイモ、豆腐)、シャケと卵焼き、玄米ご飯、麦茶。食後にコーヒー。

彦根の空は晴れているが、こちらは雨が降ったり。そのあいだだけ、ベタつく風が流れ込む。

アイスランドの作曲家オーラヴル・アルナルズ(Ólafur Arnalds)の音楽はポスト・クラシカルと呼ばれるが、弦楽器やピアノ、シンセサイザーを使った内省的で鎮静的な音を紡ぎ出している。この“ポスト”という言葉を冠して、音楽をジャンルという枠に嵌め込む欲求がさっぱりわからない。だが、世界中どこに住んでいても、この音楽はヒトを心地良くすることだろうと思う。

“ポスト”を冠して、その音楽が本来持っている良い意味での無関心さを台無しにしないでと願わずにいられない。

昼餉は、落花生をかじる。

無関心に良いも悪いもあるか、と思いがちだが、今は隠密裏に関与されている時代で、こちらが拒絶してもあちらは放っておいてくれない。抵抗としての無関心は、最後の砦なのかもしれない。

大きな虚構が僕らを覆い尽くしている。たとえば、情報は洪水のようにタダでやってくる、とか。

タダなんかではない。インターネットほど高価なシステムはない。毎月の出費をご覧よ。Wi-Fiだの、ルーターだの、iPhoneだの、サブスクリプションだの。それにメールアドレスだって。

そのうえ、アクセスすればリスクだらけで、生存権さえ脅かされかねない。

女房は、新盆の同級生の墓参りと彼が務めていた寿司屋で御斎。夜遅くに戻る。

夕餉は、野菜炒めのポン酢かけ、玄米ご飯。

金を払って、洪水のような情報へ泳ぎだしたところで、それはどこまでいってもキリがない。

虚構なのだから。

金をちょっとでも使わせようという企図に溢れた世界だからこそ、音楽がもたらしてくれる無関心さは他に換えようがない。

つながりとか絆とか、音楽にべったり張り付いたそういう陳腐化した価値に音楽を閉じ込めようとしている若きミュージシャンたちに、僕はそれこそ無関心でいたい。

さすがに超という文字は頭から取れたらしいが、それでも十分に大きな台風が近づいている。

 

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Hokkaido Spring

 

晴れ。35度。

7時に起きる。

女房は散歩を兼ねて墓参り。

朝餉は、蜂蜜をかけたバナナとヨーグルト、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、豆腐、エノキ)、BLTサンドイッチ。

本を求める。アリス・マンロー著・小竹由美子訳『Dance of the Happy Shades(邦題:ピアノ・レッスン)』(新潮社)。

昼餉は、餡団子、アイスコーヒー。

二人で滋賀大学の図書館へ。夏休みにお盆が重なり、駐車場も構内も学生はちらほら。図書館もガラガラで、もったいないと口に出そうになる。おかげで捗る。

夕餉は、長芋のトロロとオクラの酢の物、焼き茄子、冷奴、ざる蕎麦、麦茶。食後にゴマ餡餅。

とっぷり暮れても、暑気は居座り続ける。

文体と物語は不可分だとは思わない。物語における文体は、自転車におけるサドルほどの役割も果たしていないのではないか。ブログにおける無意味な余白のほうがまだしもと思えるくらいだ。

専門用語とか固有名詞に特有のリズム性とか蓋然性といったものが、物語に寄与する度合いはどれほどなのだろう。

鬼退治、という響きと目的性。ドンブラコっこという音楽性と運動律。退治される物事への嗚咽――いずれも文体を構成する要素だが。

要素がどの時点までまとまると文体へと昇華されるのか。

Bertha Hopeのタッチ。リズム感、スタイルへの疑心暗鬼。'92年のアルバム『Between Two Kings』は7曲目が美しい。

 

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ぜんぶが望みどおりではない

 

晴れ。36度。

7時に起きる。

清岸寺へ。女房の実家の墓に詣る。墓は除草剤が撒かれて綺麗になっていた。すべての墓がそうなっている。水場には東屋もできていた。代替わりしてから、清岸寺は変わりつつある。待合いだった座敷もいつの間にかカウンター・カフェになっている。

寝転がって枯山水の庭を眺められた頃が懐かしい。

朝餉は、ジャコをかけたさつま揚げ、トマト、納豆、卵焼き、焼き鮭、味噌汁(人参、玉葱、エノキ、豆腐、ワカメ)、玄米ご飯、蜂蜜をかけたヨーグルトとバナナ。食後にアイスコーヒー。

二人して近江図書館へ。執筆、勉強で3時間ほど。

遅い昼餉は、チーズバーガー、フレンチフライ、アイスコーヒー。マクドナルドで図書館の続きを。

6キロをジョグ。陽炎にさえ躰がふらつく。

本を求める。高村薫著『我らが少女A』(毎日新聞社)。

夕餉は、竹輪とワカメの酢の物、焼き餃子、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、豆腐)、玄米ご飯、麦茶。食後にメロンジュース。

 

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うずくまる

 

晴れ。35度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルトのジュース、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、豆腐)、BLTサンドイッチ、麦茶。

NHKの将棋、囲碁トーナメント、甲子園。

昼餉は、チーズトースト、豆乳。

陽が沈んでから、ほんの少し涼しげな風が湖から流れてくる。立秋を過ぎたことが、こんな日々にも垣間見える。

夕餉は、かき揚げの残り、豆腐、サバの味噌煮、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、豆腐、ジャガイモ)、玄米ご飯。食後にアイスコーヒー。

 

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帰郷

 

晴れ。35度。

6時に起きる。

朝餉は、味噌汁(人参、玉葱、煮干し、豆腐、小松菜、ジャガイモ)、 BLTサンドイッチ、ミルク、麦茶。食後にアイスコーヒー、ドーナッツ。

女房は大阪の同窓会へ。夜に戻る。

そんなに話すことがあるものだ、と感心したり。

昼餉は、抜き。

8キロをジョグ。汗まみれ。

シャワーを浴びて、真っ裸のまま居間で横になっていた。走り終えて、気分はとてもいい。甲子園の声援がTVから流れていた。

来客を告げるベルの音が台所で鳴った。猫の首に鈴をつけるようなもので、玄関の扉とその音は連動している。一人暮らしの義母の形見。

飛び起きたものの、その音の前に聞こえてくる扉が動く音がなかった。息を詰めていても、訪う人の声は聞こえない。

前触れもなく鳴ったベルが、暑さをいや増す。誤動作だと思った次の瞬間に、義母の顔が浮かんだ。

夕餉は、玉葱と人参、ジャガイモ、甘エビのかき揚げ、ザル蕎麦。食後にアイスコーヒー、花林糖。

帰宅した女房にベルの話をする。ちなみに、玄関は鍵がかかっていたので、そもそも開かない。

何事も前倒しだった義母が、ひょっとしたらお盆を前に帰っているのかもしれぬ。

「おかん、まだ早いよぉ」

女房は義母の部屋に向かって声を張る。

 

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体積にして1300000倍

 

おおむね晴れ。36度。

8時に起きる。

朝餉は、長浜のファミレスで朝定食を。女房は鮭の和食、僕はスクランブルエッグとベーコン、ソーセージの洋。

本屋、服屋と回ってから、昼餉はマクドナルド。フレンチフライとアイスコーヒー。

立ち寄った服屋で女房にリネンの黒いワンピースを買ってやる。赤いリボンを頭で蝶結びにすれば、魔女の宅急便の主人公だ。僕はブロード地のサーモン・ピンクのショートパンツを。

立秋を過ぎて、秋冬物が目に入る。

すべてを焦がし、沈んでからも余韻が焦がし続ける。海王星あたりの衛星では、地下数メートルのところに眠るメタンだかがわずかな太陽光に反応して地表に吹き出すそうな。マイナス200度以上の暗黒で、その光はロウソクの炎より小さいかもしれないというのに。

僕らを射抜いているのも同じ太陽だが、こちらではうっかりすると死が待っている。いつの間にか、太陽をそんな存在として感知することと相成った。

夕餉は、冷奴、冷やし中華。食後にドーナッツ、アイスコーヒー。

夜、木皿泉の『すいか』を観る。馬場ちゃんの電話、教授の言葉。

 

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一瞬という邂逅

 

晴れ。36度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、コーン、チーズのサラダ、焼き茄子、味噌汁(キュウリ、小松菜、キャベツ、エノキ、茄子)、トースト、ミルク、麦茶。

昼前に家を出て、東海道線ほぼ各駅停車の旅。青春18きっぷに不似合いな二人旅もマンネリ気味。周りを見ても、そんな風情は見当たらない。暑気の危険を冒すほどの旅ではないということかな。

昼餉は、僕は抜きで女房はお握りとかフランスパンを齧る。

車中でずっと聴いていたのは、ジョビンの『WAVE』。気づかなかったアレンジの妙にハッとしたり。アルバムのキリンの写真を眼球の裏側あたりに定位させながら聴いていると、ストリングスが涼やかな風となって首を撫でていく。豊橋から米原の19駅は帰宅ラッシュと重なり、そんな混雑を毎夜耐えていた東京でいったい何を考えていたのか。

本を読みながら聴いていた音楽は今と変わらないのに、響きは変わって聞こえてくる。

姪っ子は、僕が何をしている人なのかずっと知らずに来たそうで、ある日、インターネットを見てびっくりしたそうだ。仕事のことなどおくびにもださない、ヘンな叔父さんくらいにか思っていなかった。

なんだよ、それでいいじゃないか、と僕は言う。実際のところ、ヘンなんだから。

昔の仕事のことなどどうでもいいが、通勤に読んだものや聴いたものの印象がガラッと変わってしまう、というのは気になる。姪っ子には、そんなことはもちろん言わない。

家に着いたのは10時近く。

夕餉は、お握りと塩焼きそば。疲れて怒りっぽくなった夫婦は熱帯夜に沈黙をとおしたり。

すぐ忘れてしまうような小さな駅の風景が、いつの間にか焼き付いている。そのどこかが微妙に変わっていると、それが何とは無しに訴えてくる。ん? 何かヘンだぞと。その綻びを辿っているうちにやがて電車は過去へと向かう。

高村薫の『レディ・ジョーカー』は警察小説の白眉だが、それを決定づけているのは、何度も通る道すがら、わずかに変わっているある一点についに気づく、その過程と瞬間の描写にある。主人公が気づいた瞬間に、僕はひっくり返りそうになった。まさか、そういうことを述べるために何百頁を費やした。その一瞬のために、小説家が払ったものは莫大すぎて想像もできなかった。

高村薫の最新作が書店に並んでいる。合田刑事が主人公らしい。

今度の版元も、毎日新聞だ。

 

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