どんな下駄か?

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(カボチャ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、ピザトースト、豆乳。食後にコーヒー。

妻は、買い物やPCR検査を受けに3つ離れた駅へ。夕方に戻る。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。

囲碁は、富士田明彦7段が小池芳弘7段の大石をごっそり召し上げて中押し勝ち。富士田さんは1回戦もそんな勝ちっぷり。本来は手厚い打ち回しらしいが、またもや、図らずもということか。それだけに鮮やか。

ジョギング、6.71キロメートル。

雨が続いた後の好天で、湧いて出たボウフラのごとくのジョガー。

大相撲は平幕の玉鷲が2回目の優勝、38歳は立派。大関・御嶽海が関脇へ陥落。正代は角番。

夕餉は、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、ナスとピーマン、万願寺とうがらしを加えたカレーの残り、ウィスキー・オンザロック。食後にアイスクリーム。妻の作ったチョコレートムース。

開け放した窓から脚を慰撫する風。ほのかな夜空、雲が漂う。

天国があるなら、こんな夜かも。

 

 

 

 

 

 

象に関するお接待

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち曇り。24度。

7時に起きる。

朝餉は、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、キャベツを添えた目玉焼きとハム、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、バタートースト、ミルク。食後にコーヒー。

 

カプシチンスキ著『黒檀』より抜粋――

 

 象がどうやって最期を遂げるか、現地人はちゃんと知っていた。ただし、それは白人には明かさず、長い間、秘密にしてきた。現地人にとって、象は神聖な動物であり、その死もまた神聖だ。すべて神聖なるものは、厳重な秘密に包み込む。世の中で象ほど無敵な動物はいない。だから、畏怖をもって遇される。象を打ち負かすものは存在しない。だから、象の最期は自然死しかない。では、どんな時、どこが死場所となるのか。それは、黄昏時の水辺である。沼、池、湖、川――その岸辺に立って、普通の象ならば、長い鼻を遠くに伸ばして水を飲む。だが、老い衰えた象は、もはや重たい鼻を持ち上げる力がない。喉の渇きを癒すため、沼や池にずんずんとは入って行く。水底の泥の深みに脚を取られて、老象は沈み始める。初めのうちこそ身を守ろうと暴れる。底の泥から抜け出し、岸へ戻ろうとする。けれども、象の巨体はそれを許さない。泥底の吸引力にからめ取られ、そのうちに象はバランスを失ってどっと倒れてしまう。巨体は、永遠に水底へと消える。

 われわれの湖沼の底には、太古からの象の墓地があるのです」と、ドクター・パテルは話を締めくくった。

 

ははぁ、と読みながら思う。この寓話には、ダルエスサラームあたりの露天で売られているマサイ族の偶像に似たニオイがする。現地人はそうした土産物には見向きもしない。

象の鼻は足元の水を巧みに飲む。セレンゲティでは、多くの池や沼は象たちの土遊びによって作られる。そこに沈むというのはずいぶんロマンチックである。底が泥ではない川や湖もあろう。水場を墓場に選ぶのは老象に限った話ではない。

現地人が密かに守ってきた話というが、現に白人の知るところとなっている。それも白々しい。象たちが拵えた沼や池は、乾季ともなれば干上がる。そこに象の骨が見つかるのか。

この話には、白人をもてなそうという微かなお接待が盛り込まれている。饗応されたドクター・パテルの孫引きは美しいけれど、その部分は作為である。すべての美しさがそうであるように。

それを嗅ぎ取る筆者の洞察は、自然に関する限りどこにも見当たらない。

 

妻の作った夕餉は、ナス・万願寺とうがらし・玉葱・人参・ジャガイモのツナカレー、野菜のコンソメスープ、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

伝わらないこと

 

 

 

 

 

 

 

おおむね雨。23度。

7時に起きる。

妻の作った朝餉は、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、キャベツのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、バタートースト、ミルク。食後にコーヒー。

妻は新宿へ。クワイアの稽古で使うホールの確認とか。夕方に戻る。

次の台風が近海で生まれる。勢力は並らしい。

政権の支持率が、毎日新聞で30%を切ったという。与党の支持率も落ちている。集票マシンとしてカルト宗教を使っていた議員の煮え切らない態度が反感を買っている。元首相の国葬をめぐる議論が他方にあって、同じカルト宗教がからんでいる。

首相は米国に飛んで、この国への投資を促したり国連を機能させる改革の必要を説く演説を国連総会で行った。この国のメディアはその中身を伝えているけれど、総会の会場はガラガラだった。この国の政治家への関心はほとんどない。

首相の演説を聞いていたのは30人もいなかった。リモートで済ませた代表が多かったのではとか、わかったふうな説明はいらない。

どうしてもと思う演説は間近で聞きたいものだ。

プーチンはウクライナの占領地区でロシア編入の是非を問う投票を始めた。ロシア軍がウクライナ人に目を光らせている。

首相は、演説のあとでウクライナの首相と会談している。手元の紙に目を落として何やら語っていた。それをウクライナの首相がじっと見つめている。

苦境の政治家に語る言葉くらい、自らの言葉で語るのが礼儀というものだろう。熱量のない言葉を紡がれて、戦時下の政治家はどう思ったことだろう。

夕餉は、カボチャの煮物、唐揚げの残り、厚揚げとナス・万願寺とうがらしのオイスターソース炒め、塩鯖焼き、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

ひと癖、ふた癖

 

 

 

 

 

 

曇り、のち雨。21度。

7時に起きる。

朝餉は、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(小松菜・ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、卵焼き・チーズ・ハムを挟んだクロックムッシュ、豆乳。食後にコーヒー。

大陸からの乾いた風が流れ込んでいる。

人間ドックの結果。尿酸値と血圧がすこし高め、白血球数の低下が見られる。ほかは正常値。妻は便に潜血。追加の検査を勧められる。40代の僕もそうだったが。

注文していた鉛筆キャップができあがって手元に。銀と真鍮の2種類。チビた鉛筆をパンツのポケットに忍ばせるに際して、ずっと100均のアルミキャップを使ってきた。

作ってもらった銀も真鍮も、重さとバランス、それにサイズが絶妙。

チビた鉛筆は使いきれないほど残っているが、どれも50年以上前のもの。色鉛筆の当時のプルシャンブルーは発色が違う。淡くて儚い。だからどうしたというわけではない。メモしていると、なぜか和むのだ。

メモといえば、当時も今もお手本はコロンボ警部である。彼の使っていた鉛筆は、そのチビ加減にくすぐられたものだ。あの背広のあのポケットから出てくると、なぜだか目が釘づけになった。話の筋が頭に入ってこないほどに……。

影響を受けたのが、チビた鉛筆でよかった。あの色の背広に魅入られた諸兄はさぞ苦労されたことだろう。

夕餉は、キュウリの中華漬け、カボチャの甘煮、キャベツの千切りを添えた鶏胸肉の唐揚げ、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ・キャベツ)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

刑事の小道具といえば、コジャックにはまったのはフェルト帽と細長いシガレット。テリー・サバラスのひん曲がった人差し指と中指に挟んだシガレットは旨そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初秋の風

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。24度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトとリンゴジャムをのせ他バナナとリンゴ、味噌汁(玉葱・人参・ネギ・油揚げ)、ピザトースト、豆乳。食後にコーヒー。

妻は、クワイアの稽古とシニアチームの指導へ。夜遅くに戻る。

ジョギング、10.33キロメートル。

彼岸花が一斉に咲いている。

日没から急に肌寒くなる。それでも歩いていると汗ばむ。

夕餉は、ハム・チーズ・卵焼きを挟んだコックムッシュ、コーヒー、ウィスキー・オンザロック。

Appleは、macOS 13 Venturaのベータプログラムを更新してβ8をリリースした。バグはまだ相当数が残っているとAppleの開発チームがリリースノートに明記している。

LinnのKonfigやKazooは起動するものの、変わらずDSMを認識しない。

 

 

 

 

 

凍結保存されたセリフ

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち曇り。27度。

7時に起きる。

台風14号は東北の太平洋側へ抜けて温帯低気圧に。未明まで強い風。

朝餉は、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(小松菜・ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、チーズ・ハム・卵焼きのクロックムッシュ、豆乳。食後にコーヒー。

昼から気温が下がり始める。台風がとおりすぎて、そこに大陸からの風が流れ込んできたような。

テレビのBSでフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録 ファイナルカット(原題:Apocalypse Now Final Cut)』。

途中から何を撮っているのかわからなくなった、と監督がどこかのインタビューかなんかで吐露したらしいが、ファイナルカットでもその道が逸れることはなかった。そういう意味では、徹頭徹尾、やりたいようにやり遂げた。

不思議な魅力を湛えた作品を支えているのは、気の済むように撮るのだというリビドーからコッポラ監督が逃げなかった、その一点に尽きる。そんな映画は滅多にない。

監督に限らず、多くの作家は遠慮するのだ。そして自分以外の誰かの声に耳を貸す。実際の声のときもあるだろうが、それよりも己が作り上げた誰の声でもない声に従うことのなんと多いことだろう。

 

I love the smell of napalm, in the morning.

 

朝のナパームの匂い、格別だな――キルゴア中佐を演じたロバート・デュバルは、このセリフによって映画史に残ることとなった。

夕餉は、冷奴、キャベツ・キュウリ・トマトを添えたチーズハンバーグ、味噌汁(小松菜・ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、くるみ餅。

久しぶりに2階のベッドで寝る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Crownを巡るあれこれ

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち曇り。27度。

7時に起きる。

朝餉は、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、トマト・卵焼き・ハムを挟んだマスタードサンドイッチ、豆乳。食後にコーヒー。

日本海側を東へ通過中の台風14号が各地に被害をもたらしている。

雨が上がっても、強い風はやまない。

昼餉は妻とマクドナルドで、ハンバーガー、コーヒー、月見パイ。

Netflixで連ドラ『Crown』を見始めた妻は、エリザベス2世の葬式が今夜に迫った英王室のことで頭がいっぱいのよう。数年前に見て細かいことを忘れてしまっているこちらの感想は曖昧だ。

そんな頭でも、チャーチル首相にまつわる幻の肖像画の回だけはしっかり覚えている。でもあの連ドラにあってはスピンオフのようなストーリーだ。

ほんとのところは闇の中だけれど、見る影もない老いた姿をチャーチルは肖像画が初めてという抽象画家に写し取られた。その画をどうしても受け入れられない政治家。その偏狭ぶりが、彼の老いぶりを浮き彫りにしていた。老害を描く手法はさまざまあるけれど、肖像画にそれを求めた脚本は見事だった。

ひょっとしたら、それはチャーチルという老獪の本性をあぶり出していたのかもしれない。世間の評価とは裏腹の真の姿。見る側にそういう想像をさせただけでも、虚構の持つダイナミズムの勝利というべきかもしれない。

その回の感想を妻に話して聞かせた。

妻の作った夕餉は、小松菜とキャベツの卵とじ、焼き塩鯖、味噌汁(玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

BSの名画座で、映画『英国王のスピーチ』を観る。エリザベス2世の父君、ジョージ6世の吃音をめぐる物語。主演のコリン・ファースは翌年の映画『Tinker Tailor Soldier Spy』の好演が記憶に深く刻まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ココロザシではないこと

 

 

 

 

 

 

 

雨。27度。

7時に起きる。

妻の作った朝餉は、キャベツ・トマト・キュウリのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・小松菜)、卵サンドイッチ。

Patagoniaの創業者、イヴォン・シュイナード氏が、彼と家族の保有しているすべての株式を環境保護を目的とするNPO法人などに全額寄付した。金額はおよそ4200億円という。彼は声明のなかで「地球が私たちの唯一の株主になった」と述べている。

彼の決断を見倣う世界の大金持ちが増えてくれればと思う。それでも、NPOくらいしかその金の受け皿がないというのは、ある種の悲劇かもしれない。使い途の選択肢が意外に狭い。そのことが彼を悩ませたのではなかろうか。

写真の彼は見ようによっては苦痛に耐えている老人だし、彼の部屋はどこにでもありそうな老人のそれだ。雑然としていて、金をかけた痕跡がどこにもない。ただの老人とその部屋。イヴォン・シュイナードを取り巻く地球の姿と、そこで暮らす彼のすべてがそのまま写っている。

もとから思ってきたけれど、普段着を買い替えるときはPatagoniaしか買わないことにする。Patagoniaの掲げているミッションに彼らが真摯に取り組んでいることの一助になればと思う。

 

米ペンギン・ランダムハウスからの新刊予約メールによれば、コーマック・マッカーシーの著作『The Passenger』がKnopf社から10月25日に発売される。御年89歳にして大部の新刊である。上下2巻の1巻目はハードカバーで400頁。

夕餉は、サツマイモの甘煮、ナス・厚揚げ・ピーマンの味噌焼き、焼き塩サバ、味噌汁(ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

Patagoniaのミッションは「故郷である地球を救うためにビジネスを営む」だ。商品を作る目的が地球を救うためだという時点で矛盾を抱えている。罪滅ぼしというわけではないが、たとえば着古した同社の服を送ると繕って送り返してくれる。着なくなった同社の服を送れば、再生利用してTシャツにして販売する。目新しいことではないが、それでもやらないよりよほどマシである。

ちなみに今回のリリースの最初のパラグラフにイヴォン・シュイナードはこう書いている。

 

「私はビジネスマンになりたいと思ったことはありません。クライミング用具を友人や自分用に作る職人から始めて、後にアパレルの世界に入りました。世界中で温暖化や環境破壊が広がり、自分たちのビジネスが及ぼす影響を目の当たりにするようになったことで、パタゴニアは自分たちの会社を活用して、これまでのビジネスのやり方を変えることに取り組んできました。正しい行いをしながら生活に十分な資金が稼げるならば、顧客や他のビジネスにも影響を与えられるし、そうしている間にこの仕組みも変えられるだろう、と。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一にして絶対か?

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ、夜に雨。29度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナ、キャベツ・トマト・キュウリのサラダ、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、ミルク。食後にコーヒー。

 

リシャルト・カプシチンスキ著『黒檀』より抜粋――

 

 時間は、われわれの行動の結果として顕在化する。そして、行動を中止するか、または行動に取りかからないとき、時間は消失する。時間というのは、物質であって、人間の影響下で、いつでも活気を取り戻すことが可能となる。ただし、われわれが時間に対して、こちらのエネルギーを分与しなければ、それは冬眠状態に陥るか、あるいは、無に帰しさえする。時間は、受身で受動的な実体であって、なによりもまず、人間に依存しているものである。

 ヨーロッパ的な考え方とは、雲泥の差、正反対だ。

 以上のアフリカ式時間の概念を、実際の状況に当てはめてみよう。ある村で政治集会が午後に開かれると聞いて、そこに車で乗りつける。集会の場所に行っても、人っ子ひとりいないとする。その場合、「集会は、いつですか」と訊ねるのは、ナンセンスだ。答えは初めから知れている。「みんなが集まった時ですよ」

 

カプシチンスキの言説は明解だ。「ヨーロッパ人は、自らを時間の奴隷と感じており、時間に従属し、時間の家来だ」という。「存在し、機能するために、彼は、時間の侵しがたい鉄則に従い、その強固な原則や規則を守らねばならない」と。

ヨーロッパ人に限らない。文明人はみんなこのルール(というか鉄則)に生きている。なぜか? 答えは簡単だ。ルールこそ、文明そのものだから。そして、ルールの第一は、時間は唯一絶対で、いかなる者に対しても平等に降り注ぎ、神の上に位置する存在ということだ。

一方のアフリカ人は、そんなふうに物事を考えたこともない。

当時はそうだとして、今もアフリカ人は真逆の考えで暮らしているだろうか。

言うまでもないことだが、アフリカ人の時間概念は、まことに正しい。時間は僕らが作り出した概念装置そのもので、外界はそれと隔絶されているという捉え方こそ真実だ。不慣れな僕らは、大真面目にそう言われると狐につままれた顔になるが、昔はすべてのヒトがそうだったことを忘れてはなるまい。

妻の作った夕餉は、ナス・ピーマン・サツマイモのソテーを添えたハンバーグ、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

Appleは、iOS 16のパブリックベータ・プログラムを更新してβ1をリリースした。iPhone12や13のバッテリー残量が数字でやっと表示される。

冗談のようなリリースだが、これも21世紀のリリースだ。

キーアサインソフトのKarabiner-ElementsがmacOSの動作を不安定にしている。アンインストールしたら、Bluetoothの挙動が戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三つの条件

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。29度。

朝餉は、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、トマトとチーズのカプレーゼ、スクランブルエッグ、味噌汁(カボチャ・小松菜・キャベツ・油揚げ・豆腐)、トースト、豆乳。食後にコーヒー。

 

リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』より抜粋――

 

 アフリカ人(この呼び方に行きすぎた簡略化があるのは承知している)の精神世界は、豊穣かつ複雑である。しかも、その内面生活は、深い宗教性に貫かれている。アフリカ人は、相異なりながら、同時に互いに結びつく三つの世界の存在を信じている。

 その第一には、彼らを取り巻く、従って、手に触れ目に映る現実が挙げられる。生きている人間も、動植物も、そのうえ、命のない岩石、水、空気までもが加わって形づくる現実だ。第二が祖先の世界。われわれ以前に亡くなった死者たち、死者とはいえ、完全にも、最終的にも、徹底的にも、死んではいない人々の世界である。彼ら故人は、形而上的に、いまもなお存在し、われわれの現実生活に参与し、それに影響を与え、それを形成することさえ可能である。だから、祖先との間に良好な関係を維持するのが、順調な暮らしのための、時には、生きていくこと自体のための条件となる。最後に、第三の世界は、精霊たちの極めて豊かな王国だ。精霊たちは、独立に存在しており、存在するものすべて、それぞれの事物一切のなかに、いずれ場所を問わず生きている。

 これら三つの世界の最高位に立つのが、〈至高なる本質〉〈最高の存在〉〈神〉だ。

 

アフリカ人の精神世界、とカプシチンスキは断っている。だが、日本人もこの言説にぴったり当てはまる。日本人というのも簡略化した呼称かもしれないし、そうとなれば、フランス人だろうがアルメニア人だろうがすべてのヒトは同じだとすぐ気づく。イギリスの人類学者、エドワード・バーネット・タイラーが生み出したアミニズムは、ヒト全般が持ち合わせていた恐怖に直結する本能に準じている。なぜ恐怖なのか。恐怖は、生存に直結する安全装置の動力源だからだ。

神は、その動力に直結している。ヒトが創り出した最高のモノではある。

ジョギング、9.12キロメートル。

彼岸花が咲いている。

夕餉は、冷奴、カボチャ・トマト・ナスの南蛮漬け、ホッケの開き焼き、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

敬虔という擬態

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。28度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトとリンゴジャムをかけたバナナ、キャベツの千切りを添えたハム・目玉焼き、味噌汁(小松菜・サツマイモ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、バタートースト、豆乳。食後にコーヒー。

 

どれだけ愉しいことをしているのか――僕らの脳は欲張りなので、愉しみが続くとそれが当たり前だと感じてしまう。同じ愉しみなのに、足りないと感じる。もっと強い愉しみを求めて彷徨う。

経済の基本は、このとめどない欲望に依拠している。短い時間で済ませたいとか、もう少し便利にしたいとか、煩わしさを改善したいとか、やりたいことに限られた時間を使いたいとか――欲望は巧妙な姿をまとっている。

経済の基本は、奥底にある欲望に衣を着せて、目的が崇高であるかのように錯覚させることでもある。もっと便利に、もっと短時間に、と突き進んでいくことが叡智を拓く行為に直結している。そう思わせる。

欲望を満たすものでない目的は、ヒトの世には存在していない。真の欲望ほど、欲望からもっとも遠くに存在しているような素知らぬ顔をして輝いている。

神の祝福を得たい、平安に暮らせるような世であってほしい――欲望のもっとも巧妙な擬態がここにある。神仏に手を合わせて、何かを願う。断るまでもないけれど、神仏とは、ヒトの欲望が作り出した欲望の化身だ。

僕らは、そうまでして欲望を満たす。大きな理屈は哲学と言われるけれど、なぜヒトは生きるのか、という命題に正面から取り組むことは、欲望の実体を露わにすることにつながっている。

欲を捨てなさい、という教理を持たない宗教はない。宗教という欲望は、それ以外の欲望を統御するようにヒトを導こうとする。ヒトが考え出したもっとも巧妙な欲望なのだと思う。

壺や指輪を買えば呪いが消えるなどというパンクな宗教は、宗教全般から言わせれば、ずいぶんキッチュなレベルにある。そして、キッチュであろうと、それが宗教の本来の顔であることを教えてくれる。

ご本尊を拝む、礼拝をする、賽銭を投じる、お守りを求める、金銭を包む。

それなのに、税金は免除されている。宗教は純経済の行いだと思う。

 

夕餉は、冷奴、厚揚げ・ピーマン・ナスの南蛮漬け、鯖の味噌煮、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・カボチャ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

消え去る時間

 

 

 

 

 

 

 

晴れたり曇ったり。30度。

窓を開け放して寝ていると、虫の声。

7時に起きる。

朝餉は、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(玉葱・人参・サツマイモ・油揚げ・小松菜)、ピザトースト、豆乳。食後にコーヒー。

妻はクワイアの稽古へ。夜に戻る。

ジョギング、8.68キロメートル。汗だく。

暑い日に限って、百日紅の花が目につく。ハナミズキの赤い実が街路に目立ちはじめた。

 

年寄りの感情には、びくともしない不感症が積み重なっている。それはまるで古生代からの分厚い地層のようだ。よほど大きな地震とか地殻変動がないかぎり、涙腺は緩まない。相貌を崩したりしない。

干からびて、びくともしない地層にまで届く雨水はすでにない。それでも年寄りは、さまざまなものを見たり聞いたり読んだり触れたりする。揺さぶられたいのだ。それが生の証だから。

誤解されがちだが、年寄りは生まれた時から年寄りだったわけではない。たっぷりの水を湛え、四季の空模様を水面に映す湖を持ち合わせていたのだ。

 

ひとりの夕餉は、シャケと炊き込みご飯のおにぎり、シリアル、ウィスキー・オンザロック。

 

だが不思議なことに、当の年寄りが自分にもあったみずみずしさをいつしか忘れる。忘れるというより、最初から年寄りだったと悟る。老いとは、すべてを消し去ってしまう地道な作業のことを指すのかもしれない。

なんと残酷なことか、と思ったのは老いる前のことだ。老いてわかるのは、いつまでも記憶に残る残酷さのほうだ。消し去られて、やっと平穏を得る。

残照の日々に一生を振り返るような、懐古の時間が年寄りには贈り物として差し出される――小説や回顧録に書かれている回想の場面のいかに陳腐なことか。

悔恨に苛まれることばかりの日々から逃れる方法はない。あるのは、地道に消し去られていくという幸福の作業だけである。

若者よ、安心しなさい。あなたの犯したことは、じき消えていく。残されるのは、なにもかもが無くなった空白のあなたである。

 

 

 

 

 

 

取り戻せない状態

 

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。30度。

7時に起きる。

妻が深夜の高速バスで戻ってくる。

朝餉は、豆乳、妻のカスタードパイを半分ほど、コーヒー。

妻の土産話をあれこれ聞く。義姉にせっつかれて帰ったものの、別に急ぎでもなかったのだと妻がこぼす。

Filcoの無線キーボードが届く。Bluetooth 5.1のチップを使ったMajestouch MINILA-R Convertibleの茶軸。筐体は特別色のホワイト・マイカだ。

これまで使ってきたキーボードのBluetoothはバージョン3で、それに起因するチャタリングには悩まされた。

新しいほうはチャタリングが消えて(そのために買ったのだが、OS側のバグがまだ残っているようだ)、打鍵時に気になっていた箱鳴りのような構造的な問題もない。茶軸とはいっても赤軸に近い感じ。もっと早くに買い替えておけばよかった。

昼餉は、ファミレスで天ぷら・ざる蕎麦定食。食後にずんだ餅。

Bluetoothのバージョン3は欠陥仕様と言っていい。メーカーも対応に苦慮したと思う。バージョン5になってやっと仕様らしくなった。

社会を巻き込んだ壮大な実験をやっていることを、規格にまつわるバグに遭遇するたび痛感する。便利とフラストレーションの狭間で身悶えすることが、20世紀後半から人類を襲ったパラノイアになった。その被害は甚大で広大で、容赦ない。それに伴って増大したのは、精神疾患と不必要な孤独感だ。

21世紀に入ってから顕著になった孤独感は、もともと僕らの精神にとって涵養なものだったのが、いつしか反転してしまい、忌み嫌われるものになってしまった。

ヒトは、孤独とともに生きてきた。そのことに反論の余地はなく、孤独こそが精神の平衡を保つ唯一にして無二のクスリだった。SNSがヒトから孤独を奪いつつある。僕らの孤独は風前の灯だ。誰もが両極を行ったり来たりして、絶えず不安を訴えるようになった。

孤独という状態を失った結果は甚大だと思う。

夕餉は、冷奴、カボチャ・サツマイモ・玉葱・人参・桜エビのかき揚げ、唐揚げの残り、味噌汁(小松菜・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。ずんだ餅。

本を求める。マイケル・オンダーチェ著、土屋正雄訳『新潮・現代世界の文学 イギリス人の患者(原題:The English Patient)』(新潮社)。

本書は絶版扱いで、こともあろうに文庫本の方が値がはる。

AppleがiOS 13をリリースした。

 

 

 

 

 

 

二人の力士

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち雨。29度。

7時に起きる。

朝餉は、ハムと目玉焼き、バタートースト、リンゴジャムとヨーグルトをかけたバナナ、豆乳、コーヒー。

BSを相撲中継に合わせたら、東の幕下15枚目で大イチョウを結っていない朝乃山の立合いを迎えたところだった。2時をすこし回ったばかりの両国は観客もまばら。

朝乃山は、そこまで這い上がってきたのだ。

相手は坊主頭の子どものような力士だった。まだ髷も結えない番付らしい。

あっという間に西の土俵際へ追い込まれた若者は、朝乃山が体を被せていくと、弓なりに体をのけ反らせ、しばし耐えてみせた。のけぞったまま倒れていくときの柔らかい体が残像となった。

幕下で全勝しても、朝乃山が幕内に戻るのはまだ先のことだ。コロナ禍で女の子のいる店に酒を飲みに行った。相撲協会が禁じていたことだった。朝乃山が正直に告白したところで、今の位は変わらなかったろう。

大関を張っていた頃より朝乃山の体はぶよついて見える。そこまで体を重くしないほうが彼の相撲にはふさわしいのに。

4時間ほど経って、今度はキッチンからテレビを見たら、横綱が平幕の飛猿に負けたところだった。先々場所あたりから照ノ富士の膝は悲鳴をあげているように見える。優勝を逃した先場所はいよいよ悪そうだった。飛猿には失礼かもしれないが、今日の負け方はよほどのことだと思う。

夕餉は、キャベツの千切りを添えた鶏胸肉の唐揚げ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・油揚・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、花林糖。

数日前の中秋の名月あたりから夜風に秋が濃くなって、眠りが深くなっていく。

 

 

 

 

 

 

兆候としての存在

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。28度。

7時に起きる。

朝餉は、ハム・目玉焼き、リンゴジャムを塗ったトースト、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ミルク、コーヒー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。藤井聡太竜王が伊藤匠5段を下す。対局はもちろんだったが、渡辺明名人の解説はタイトルホルダーらしく示唆に富んだものだった。彼の説明によって、藤井竜王の差し回しの特異性が浮き彫りになった瞬間がいくつもあった。タイトルをかけて戦い続けている相手を好奇の目で見続けている。畏怖の念が混じっている、その視線が好ましく感じられる。

もっとも、中盤でAIの予想手を即座に退けてしまい、それ以上に言及しなかったのは残念だった。視聴者の多くは聞いてみたかったのではと思う。

ジョギング、8.15キロメートル。

少しずつ体が絞れていく。

食事の量をそれに伴って減らす。脳が渇望しているのが手に取るようにわかる。意思で御することのできない部分が脳にはあって、それはひょっとしたら僕らの生理の大部分かもしれない。脳の渇望が、こちらへ訴えてくる。食にまつわるサインはわかりやすく、そのぶんだけ強い。

夕餉は、冷奴、鶏肉と夏野菜の中華炒め、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、アイスクリーム。