務めの果たし方

 

曇り。9度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・大豆・キュウリ・パプリカのサラダ、ハムと目玉焼き、肉じゃがの残り、味噌汁(サツマイモ・大根・れんこん・きゅうり・油揚げ・豆腐、ほうれん草)、トースト、リンゴ・バナナのヨーグルトがけ。食後にコーヒー。

妻は、クワイアの打ち合わせと稽古へ。夜に帰る。

Netflixが『The Crown』のシーズン4をリリースしている。前のシーズンに、主役がクレア・フォイからオリヴィア・コールマンに代わって、これがドラマの

トーンから華を消してしまった。それが続いている。

新顔としてサッチャー首相をジリアン・アンダーソンが、ダイアナ妃をエマ・コリンがそれぞれ演じている。どちらも好演だが、特に前者がいい。脚本の完成度は相変わらず高い。

昼餉は、チョコパイ、コーヒー。

サッチャーが、女王に閣僚の入れ替えについて語るシーンが印象的だ。首相の剛腕について、女王が指摘する。「無闇と敵を作るのは、賢いことではない」と。

その答えに、首相はチャールズ・マッケイの詩を引用する。

 

You have no enemies, you say?

Alas, my friend, the boast is poor,

For those who have mingled in the fray

Of duty, that the brave endure,

Must have made foes.

If you have none,

Small is the work that you have done.

You’ve hit no traitor on the hip, 

You’ve dashed no cup from perjured lip,

You’ve never set the wrong to right.

You’ve been a coward in the fight.

 

敵がいないというのは、自慢できることではない。

務めを果たさんと戦いに出る者は、必ず敵を作る。

君に敵がいないのは、戦おうとしなかったから。

一度も裏切られなかったのは、悪の企みを阻もうとしなかったから。

悪しき行いをただそうともせず、

戦いにおいて臆病だったということだ。

 

サッチャー首相は、この後、フォークランド紛争を陣頭に立って指揮する。

一人の夕餉は、肉じゃがの残り、ご飯。

そんな会話が二人にあったとは思えない。彼の国に横たわっている階級の意識が廃れることはないし、それを取って付けるほど二人はウブでも世間知らずでもない。

だが、この時の二人は階級のことを語っていたのではないと思う。

備わっている美徳の、表し方の違いに触れていたのだ。

 

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飛び飛び

 

晴れ。13度。

7時に起きる。

朝餉は、蓮根とサツマイモの酢豚風、ハムと目玉焼き、サツマイモのポタージュスープ、トースト、バナナのヨーグルトがけ。食後にコーヒー。

札幌の叔母から電話、返礼に送った菓子の礼。妻が滋賀の銘菓を見繕った。

父の月命日である31日を、叔母は悔しがっている。

昼餉は、サツマイモのポタージュスープの残り、妻の作った卵サンドイッチ、コーヒー。

札幌を後にする際、父の遺骨に手を合わせることもなく、月命日であることも叔母の電話で気づく。かといって、父を思い起こさないわけでもなく。

叔母は、父の顔が安らかだったとしきりに言う。

夕餉は、ほうれん草の胡麻和え、蓮根とサツマイモの酢豚風の残り、肉じゃが、味噌汁(サツマイモ・大根・人参・ほうれん草・油揚げ・豆腐)、ご飯。食後に焙じ茶。

母は、父の死顔さえ見ていない。遺骨となって帰ってきた時でさえ、手を合わせたのは一度だけだ。

母には母の流儀がある。それは、僕らにさえわからない。

 

 

気づいている

 

晴れ。14度。

7時に起きる。

朝餉は、サツマイモの甘煮、ピーマンの鶏ひき肉詰め焼き、味噌汁(カボチャ・大根・人参・ほうれん草・豆腐)、サツマイモご飯。食後にコーヒー。

レンタルしていたモバイルWi-Fiを返却。札幌の実家で45日ほど使った。一人暮らしの若者は、インターネット環境をこれだけで賄うらしい。

潔いというか、いいなと思う。据え置きとか固定とか、融通が効かないモノへのそこはかとない嫌悪が宿るようになったのは、いつ頃からだろう。

若者がクルマを持たなくなったのも、そういうことだと思う。買って、駐車場を借りて、保険に入って、車検証を取って、定期点検して、ガソリンを入れて……。いちいちに金を払う。契約書に書き込んで、ハンコを押す。その場限りの書類が溜まっていく。

そこまでして、年に1500kmも走らない。

クルマは、鈍重な物の代名詞になった。どこへでも行けるという幻想から、クルマは解き放たれた。

買うという行為には、扉を開く力がない。

僕らが、資本主義というイデオロギーにぶら下がり続けているのは、次を開く扉がどんなものか、わからないからだ。

昼餉は、妻の作った卵サンドイッチ。

250ccの生産中止になったネイキッドのバイクが好ましいのは、服の次くらいに羽織る感じがするからか。

だが、重さ100kgを超える羽織りなど必要なのか。

厚手のメルトン地のPコートが、この時期はよほどありがたくはないか。

だが、重さ1kgのメルトン地が肩にのしかかるのは、はたして羽織るというのか。

今風の心象は、この「迷う」という堂々巡りのことらしい。

その次のステップは、とりあえず、というやつだ。そのための行動原理が、シェアとか、お古というやつらしい。俗に、濁す、という。要するに、逃げるのだ。

とりあえず、間に合わせてみる。どんな感じなのか、自問する猶予をもらう。

僕らは、場をつなごうとしている。それっぽいイデオロギーが見つかるまで。

だが実は、僕らは気付きつつある。

「それっぽい」というのが見つけようとしているイデオロギーらしいことに。

夕餉は、キュウリ・竹輪・ワカメの酢の物、ほうれん草の白胡麻和え、ピーマンの肉挟み焼きの残り、焼き鮭、味噌汁(カボチャ・大根・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ご飯。食後に焙じ茶、蒸しチョコパン。

今さら、決めつけてみたところで、何かが変わるわけではない。信奉できるものなど無いに越したことはない。

イデオロギーなど、役に立たない。そもそも、役に立つって、それはなんなのだろう。役に立たないことの方が、よほど役に立つと、僕らは気づいている。

だから、なんにせよ、それっぽいことをどこまでもそれっぽく。それなのか、と膝を打つことは来ないし、それの方がよほどいい。

だから、それっぽくがいいのだ、と。

 

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ミルクセーターの法則

 

おおむね晴れ。12度。

7時に起きる。

朝餉は、きんぴら、鶏ひき肉と大根のトロトロ煮、白身魚のフライの残り、味噌汁(大根・人参・小松菜・ワカメ・油揚げ)、サツマイモご飯。食後にコーヒー、抹茶ドーナッツ。

クローゼットから出てくるセーターに見覚えがない。次から次へ、よくもまあと驚く。

冬が来るたび、ヒトは思うのだ。

「どうしよう、セーターがないぞ」

春が来るたび、ヒトは思うのだ。

「どうしよう、セーターがこんなにたくさん」

そしてある年の冬。ヒトは思うのだ。

「どうしよう、セーターはもう十分みたいだ」

恐るべし。

セーターの法則の、重力のような敷衍性に身もすくむ。

夏になれば、それは、Tシャツの法則へと換骨奪胎する。なんたる柔軟性。

歳を重ね、腰が曲がりはじめると、ヒトは訝る。なぜ、クローゼットはセーターとTシャツで溢れ返っているのだろう、と。それは、誰かの陰謀に違いない、と。

昼餉は、野菜かき揚げをのせた蕎麦、焙じ茶。

僕には、もう一つある。

それが、ミルクローションの法則。

かくして、使い切る寸前のミルクローションがたまっていった過去を振り返る。

だが、老人はもう訝ることはない。ミルクローションはもちろんだが、肌の養生にはベビー用がいいとやっと気づいたからだ。かくして、洗面台にはPigeonのベビーミルクローションが不動の地位を占めることとなる。

ベビー用に間違いなし——これが、ミルクローションの法則である。

夕餉は、大根・厚揚げ・人参の煮物、味噌汁(カボチャ・大根・人参・小松菜・豆腐)、サツマイモご飯。食後に焙じ茶。

だが、ミルクローションの法則は、常にセーターの法則に脅かされている。ミルクローション売り場は、今年も、見目麗しき初見参のボトルが所狭しと並んでいるからだ。

それらを前にして、試供品を試さずにはいられない己がいる。かくして、その両手はさまざまな香りを放ち、ベトベトとスベスベが何層にも重なり、世界中のシアバターとハーブと香料と酸性とアルカリ性が渾然一体となった驚くべき状態へと擬態していく。

どれがいいなんて、誰にもわからない。

ミルクセーターの法則が姿をあらわす。

 

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先に立たないこと

 

晴れ。16度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・パプリカ・キュウリのサラダ、鶏ひき肉のミニハンバーグ、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ご飯。食後にコーヒー。

妻は、友人宅へ。さつまいものおすそ分けに預かりに。

高止まっていた大根も、ここへきてやっと求めやすくなった。大根を炊いていると、なぜ満たされていくのか。誰が、そんな思いをもたらしてくれているのだろう。鍋の中でカボチャとともに柔らかくなっていく、大根にはある種の啓示が宿っている。

時間ができたから、料理を始めた。

そのことに後悔している。やるべきだった、時間があろうがなかろうが。寸化を惜しんで、最優先して。毎日、やるのだった。心から思う。

昼餉は、抜き。

入院中の父を撮ったビデオを、改めてゆっくり観る。

姉の呼びかけに、父は答えようとしているような。

忘れかけた頃に見舞いに来る僕らとか、その社会的な背景のことを、なにひとつわからなかっただろう。父は落胆のうちに逝ったのだろうか。

そういう思いを抱きながら生涯を閉じる人が、この時期どれほどいるのだろう。胃瘻を断らず、なにはともあれ生き延びて、事態が落ち着いてから最終的な判断をするべきだったのか。

そんなことさえ、過ぎる。

どんな死をのぞんでいるのか。自分の思い描いていることが、近しい人の死に図らずも投影されてしまう。そんなふうに思えてならないのは、晩秋の夕暮れだからか。

父の目は、見たこともないような落胆の色を浮かべているようだ。

夕餉は、妻の買ってきた白身魚のフライと春巻き、きんぴら、大根・人参・厚揚げの煮物、味噌汁(カボチャ・大根・人参・小松菜・厚揚げ)、ご飯。食後に焙じ茶、チーズチップス。

 

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生産が続くかぎり

 

曇り。13度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・厚揚げ・人参の煮物、ハムと目玉焼き、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、トースト。食後にコーヒー、クッキー。

半日かける水道工事の2回目。家中のバケツ、洗面器に水を張る。夜、水からカルキ臭が消えている。

エルメスの手帳は、Globe TrotterVisionにとどめを刺す。

サイズといい、リフィルを綴じている金属製のリングといい、この世に同じものは二つとない。

リフィルの紙は、フランスらしい薄さで、独特の風合いがあり、味を占めると手放せなくなる。それだけに、というわけでもなかろうが、リフィルは1万円を超える。

手帳の革に惚れ込んでいなければ、手を出すことはまずない。エルメスめ、と舌打ちしたくなるところを我慢して、勤めているときは使っていた。年の暮れ、リフィルを求めてエルメスへ行くときの足はいつも重かった。

だが、新しいのに付け替えると、身がグッと引き締まった。

どことなく、初詣のようで好きだった。

昼餉は、トースト、ミルク。

勤めを辞してからは、トラベルノートや無骨なFiloFaxで我慢してきた。二つの手帳は、引き出しの奥に眠っていたのだ。

だがある日、Visionのリフィルに使えそうなものがあることを知る。ものは試しと、Now On Daysのプレーンのノートブックを取り寄せてみた。

誂えた、とまでは言わない。サイズが少しだけ小さい、それにエルメスの紙は別格なのだ。

だが、Visionが使えるようになった。すると、書くことがまた増えた。それは、生きることに繋がっている。

そうなると、Globe Trotterも、という欲が出てきた。

しかし、リングで綴じられたリフィル様のノートに、これというものは見つからないまま時が過ぎた。

これも、偶然と言っていい。

四宝好きなら、目的もなく店を見て回るし、ブラウジングもする。そしてどうやら、コレというものと出会った。

リヒトラブは、あろうことか、ポリカーボネートで綴じ具を作った。さらにあろうことか、綴じ具にそって滑らかに動く、専用のリーフも作った。合いそうなサイズのを、ツイストノートという商品の中から見つけて、狐につままれたような気分のまま、仕様を何度も確かめた。実物は、デパートの文房具コーナーにもなかった。試しにと1冊だけ注文したのが届いて、Globe Trotterに付けてみた。

誂えた、とまでは言わない。プレーンのリフィルがないので、Rhodiaよろしく方眼のリーフなのだが、その罫はしっかりと印刷されている。だが、ポリカーボネートの綴じ具の収まりはことのほか良い。

旧友に再会したのだ。

エルメスのカーフは、休ませておくと傷が治っていく。艶が戻り、独特の香りがよみがえる。

触れるときの喜び、書き込むときの愉しみ——エルメスが知っているその感情は、ほかのメーカーのそれとは違う。

妻の作った夕餉は、おでん、ご飯。食後に焙じ茶、クッキー。

 

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Patagoniaの言葉

 

おおむね晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、大根の皮のきんぴら、卵焼き、焼き鮭、味噌汁(大根・カボチャ・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯。食後にコーヒー、クッキー。

Patagoniaの広告に書かれていること——

 

私たちが製造するものは地球に影響を与えます。

衣料品業界は気候危機を悪化させる汚染の最大10%の一因です。そして、アパレル産業の労働者は世界で最も賃金の低い人たちです。でも、これを変えることは可能です。

より良い行動を求めましょう——皆様が買うものが業界をつくります。

買うことは減らしましょう。破損したものは修理しましょう。人びとと地球を気遣う企業を後押ししましょう。

皆様には衣類の製造方法を変える力があります。

リサイクルを求めましょう。

フェアトレードを求めましょう。

オーガニックを求めましょう。

品質を求めましょう。

修理可能性を求めましょう。

リジェネラティブ・オーガニック認証を求めましょう。

ヘンプを求めましょう。

ユーレックス天然ラバーを求めましょう。

グローバル・トレーサブル・ダウンを求めましょう。

レスポンシブル・ウール・スタンダードを求めましょう。

買うことは減らし、求めることは増やす。

行動で応えましょう。

 

昼餉は、チーズ味のチップス。

Patagoniaの言葉は、伝播するだろうか。毛抜けのせいで回収になってしまったレトロ・パイル・ジャケットや、評価が芳しくないクラシック・シンチラ・ジャケットを見ていると、隘路は険しく長いと感じる。

彼らの商品が、彼らの理想に追いついていないのは、彼らがいちばんわかっていることだろう。

僕らが求めた彼らの商品は、彼らの言うとおり、修理して長く着るしかない。それが、彼らの理想を実現することにつながるからだ。

理想は実現するのか。答えは、僕らが握っている。

夕餉は、きんぴら、バターでソテーしたほうれん草とコーン添えのハンバーグ、味噌汁(カボチャ・大根・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ご飯、ビール。食後に焙じ茶、クッキー。

映画は、土井裕泰監督『麒麟の翼』。阿部寛ならとりあえず観るという妻と、深夜に。出演者がみんな若い。8年前だというのに。

 

 

カロミ

 

雨、のち曇り。12度。

7時に起きる。

朝餉は、厚揚げと小松菜の生姜炒め、卵焼き、味噌汁(ボタンエビの頭・大根・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ご飯、リンゴとバナナのヨーグルトがけ。食後にコーヒー。

妻は、クワイアの稽古や打ち合わせに。夜に帰る。

デパートで買い物。書斎で焚くお香、敏感肌用のオールイン・ワン・ジェル、文房具など。目当てのリフィルは見つからず。

昼餉は、ポテトチップス、煎餅。

いろいろ焚いてきたが、ごく控えめが好みになった。お店によっては沈香とか檜でも甘みがおもてにあらわれる。沈香ならなんでもというわけではないし、日本製がいいとも一概には言えない。

燻らして、すぐはいいのに、数日するといけなくなるものが増えた。最後の最後まで崩れない、そんな佇まいに巡り会いたいと思いつつ、手頃なものから選ぶのも愉しくはある。

どんなものにも、純度がある。

純度が上がると、澄んでいく。それに従い、軽みが増してくる。不純のうちは、重いのだ。重々しさは、見ようによっては得難く感じる。だが、それは鬱陶しい。

澄んいくと、見透せるようになる。見透しは、明るさを招き寄せて、周囲の重力が消えていく。軽みとは、そういう意味のことかと思う。見ようによっては、安っぽい。扱いも、つい雑になりがちだ。雑に扱われても、純度はつねに上がり続けて、やがて無重力に近づいていく。

夕餉は、塩ラーメン、ご飯。

ガツンと来る、という。

味も絵も音も、そういう出会いがある。ヒトにも、あるらしい。「ガツンと来ましたよ」と表現されると、なんだか有難い。嬉しくなる。

そんなものなのかなと思うことが、でも、最近は多くなった。ガツンと来なくていい、フワフワと浮いているような出会いはないものかな、と思う。

ちょっと悩ましい。そんなふうなのがいい。

迷うくらいで、丁度いい。ガツンと来てもらっては、鬱陶しいのだ。

「軽み」と書いて、カロミと読む。カロムとは、侮るとか馬鹿にするという意味で使うが、それくらいのほうが愉しい。もしやして、と気づくこともあればいい。やがて、ハッとするのもいい。気づかなくてもいいし、ハッとしないまま終わるのが慎ましい。よほど、好ましい。

バカじゃなかろうか——とりあえずは、そこからである。

長い目で見ると、続いていくものは、そんなものやも知れぬ。

 

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語り部

 

晴れ、のち曇り。13度。

7時に起きる。

朝餉は、小松菜と油揚げの煮浸し、大根とカボチャの煮物、焼き鮭、味噌汁(大根・カボチャ・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯、りんごとバナナのヨーグルトがけ。食後にコーヒー。

『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン著)より——

 

 ときどき母はアリスと連れ立って、彼女の結婚相手を見つけに米軍慰問協会のダンスパーティに出かけた。けっきょくアリスに結婚相手は見つからず、ポピュラー・ドライグッズ百貨店で死ぬまで裁縫をほどく仕事を続けた。

 その同じ「ポピュラー」のランプ売場に、バイロン・マーケルがいた。ランプ売場の主任だった。バイロンはもう何十年もずっとママに死ぬほど恋していた。二人は高校の演劇部でいっしょで、どのお芝居でも主役を張っていた。ママも相当小柄だったけれど、彼が五フィート二しかなかったせいで、ラブシーンはいつも座ってやった。それさえなければ、いずれ有名な俳優になっていただろう。

 バイロンは母をいろんなお芝居に誘った。『ゆりかごの唄』。『ガラスの動物園』。たまに家にやって来て、夜、ポーチのスイングチェアに並んで座った。そうして若いころにいっしょに演じたお芝居のセリフを言い合ったりした。当時わたしはポーチの下に古毛布とクッキー缶に入れたクラッカーを持ちこんで自分の巣を作っていて、いつもそこにいた。『まじめが肝心』。『ウィンボールどおりのバレット家』。

 バイロンはティートタトラー(禁酒主義者)だった。わたしはそれをお茶しか飲まない人という意味だと思った。じっさい母がマンハッタンを飲むあいだ、彼はずっとお茶で通していた。彼が何十年たってもずっときみに死ぬほど恋している、と母に言ったのも、そうしている時だった。僕がテッド(父のことだ)にロウソクを掲げることはできないのはわかっている、そう彼は言った。これも変てこな言いまわしだった。口癖のように言う「まあ、ホーまでの長い道のりさ」もわからなかった。いちど母がメキシコ人のことを悪く言うと、彼は「連中はこっちが一インチ譲っても一インチしか取らないような奴らさ」と言った。困るのは、彼が何を言うにも張りのあるテノール声で言うものだから、言葉の一つひとつがものすごく深遠なことのように頭の中にこだますることだった。ティートタラー、ティートタラー……

 

こんな文章が息つく間もなく並んでいる。とめどなく飛び出してくるのだ。抜き書きしてみると、その非凡さがわかる。

昼餉は、妻の作った卵サンドイッチ、紅茶。

どのページでもいいのだ。それが、なぜか恐ろしい。

 

 エンジェル・コインランドリーはニューメキシコ州アルバカーキにある。アルバカーキ四番通り。場末の商店とゴミ集積場。軍用折り畳みベッドだの靴下片方だけだの一九四〇年の『衛生生活」だのを売る中古ショップ。穀物倉庫に逢い引き用のモーテル。酔っぱらいやヘナで髪を染めたお婆さんが「エンジェル」の客だ。メキシコ系の幼な妻も「エンジェル」に来る。タオル、ピンクの短いネグリジェ、〈木曜日〉と書いてあるビキニのショーツ。その亭主たちのオーバーオールは、ポケットのところに手書きで名前が書いてある。鏡に映った乾燥機の窓に名前が出てくるのを待ちかまえて読むのが、わたしのいつもの楽しみだ。ティナ。コーキー。ジュニア。

 

書き写していると、たまたまだが、文末のパターンに出くわすことがある。なるほど、と思う。

夕餉は、ホタテの醤油バターソテー、焼いたボタンエビ、大根とカボチャの煮物、味噌汁(大根・カボチャ・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯。食後に煎餅、焙じ茶。

ルシア・ベルリンは、自分をとおりすぎていったことを書いているのかもしれない。だとしたら、彼女の積んだ経験は半端なことではない。

彼女は、いっときも気を抜かずに生きていたかのように、克明に憶えているように思える。どういうことなのか、僕にはそれがわからない。記憶力だか想像力だかわからない、その境界線のところに彼女の文学はそそり立っている。

 

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すーっ、と。

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・キュウリ・ピーマン・ツナのサラダ、スクランブルエッグ、味噌汁(大根・人参・ワカメ・油揚げ・豆腐)、クロックムッシュ風トースト。食後にコーヒー。

クリームコロッケから小麦粉料理が続いている。グルテンまみれで、手がむくむ。もっと言えば、ポストハーベストの影響の方がよほど大きいかもしれない。

大規模農法が犠牲にしていることは、巡りめぐって僕らを犠牲にする。和風の煮物や魚が旨いと感じるのには、ちゃんとした理由がある。別の意味で、グルテンが豊富なものは中毒性がある。体から抜くには、それなりの覚悟がいる。禁断症状は数週間は続くので、覚悟してかからないと負けてしまう。神経質になるのも、どうかと思う。グルテンを完全に抜いたら、それはそれで不自然だろう。

ポストハーベストについては、皮膚の炎症のような形で10年以上も酷い目にあった。完全に治ったのだとしたら、そのわけを僕はわかっていない。いつ再発するかそれもわかっていない。

均衡は簡単に崩れるが、長い時間をかけて修復していく。その力が己に宿っていることを信じた方がいい。何事も、最終的には宿っていることに還っていく。愛おしいのは、善きことの方角が誰に教わるともなしに、わかっていることだろう。

昼餉は、抜き。

働き方とか、食事とか、もっとも身近な物事によって均衡は成り立っている。身近な物事に耳を傾ける、そんなことでしか僕らは自らを護れない。耳を傾けて、言葉とは別のメッセージを感受する。それが、しっかりできるかどうか。

素朴なことほど、難しい。

頬張って、すぐ旨いと感じる。そんな料理がテレビに映っている。わかりやすいことが、危ないことに思える。

他のものと一緒に口に運び、少しずつ食べ、どの料理も食べ終えるころ、やっとわかることがある。

それが積み重なっていく。均衡とは、一皿のことでも、一食のことでもないのだと思う。

夕餉は、妻の作った蓮根のカニしんじょ揚げ、大根・カボチャの煮物、味噌汁(れんこん・大根・人参・豆腐・油揚げ・小松菜)、ご飯。

自分の力だけでは、どうにもならない。

だが、その力を抜きにしては、何事も始まらない。

一筆書きのような、何の衒いもないものに憧れる。

どこまでも、簡素でいいから。

 

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味だけが残る

 

晴れ。18度。

7時に起きる。

朝餉は、大根の皮のきんぴら、レタスとキュウリを添えたチーズハンバーグ、味噌汁(カボチャ・大根・人参・エノキ・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯、バナナジュース。食後にコーヒー。

NHKの将棋と囲碁のトーナメント。将棋は、藤井聡太2冠が木村一樹9段に負ける。解説は羽生善治9段という豪華な布陣で、将棋のもっとも面白い要素をすべて披歴してもらった気がする。木村さんの差し手が要所で光った。

指手さえ選ぶことが許されるなら、凡庸なボードゲームではないことを将棋は証明できるのだ。逆の言い方もできよう。凡庸なボードゲームにしてしまったのは、数多のプロ棋士なのだと。定石のようなものは、実はこの世に存在しない。すべての物事に、決まりはない。AIが教えてくれたのは、そういう柔軟性が確かに存在することだった。

定石とは、凡庸の集大成でもあるのだった。

詰まるところ、AI対ヒトの戦いなのかもしれない。だが、凡庸との戦いをAIに求めることはできない。それこそ、将棋を面白くする究極の要素と言っていい。凡庸こそ、残された聖地と言ったら怒られるだろうか。

堂々巡りのような……

昼餉は、リンゴ。

勝負事の機微——AIにそれを求めても、面白くはない。機微とは、ヒトの心模様だからだ。

心模様は、見えない。見てはいけない。見ぬふりをするに限る。それでいて、見えてくる。

だから、機微というのだ。

勝負事には、勝負事の機微がある。普段の機微が、先の尖ったものとなってこちらへ向かってくる。わかりやすくもあり、それだけに怖い。AIは、怖いところだけを尖ったカタチにして見せてくれているだけだ。

めっぽう強いが、そこに機微の入り込む余地はない。

いつか、機微まで計算して見せる日が来るだろうか。来るかもしれない。

だが、そこに面白味はない。

夕餉は、レタスとキュウリを添えた毛蟹のクリームコロッケ、味噌汁(大根・カボチャ・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯。食後に焙じ茶、クッキー。

11月場所は、貴景勝が大関らしさを見せて勝った。本割では派手に投げられたが、それが巡り巡って火を付けたらしい。

面白味を味わうために、僕らは生きている。

 

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爪痕

 

晴れ。18度。

7時に起きる。

朝餉は、大根の皮のきんぴら、きのこと豚ひき肉入り卵焼き、野菜コンソメスープ、チーズリゾット、リンゴのヨーグルト掛け。食後にコーヒー。

感染の拡大が続いている。Go toキャンペーンの見直しを首相が指示した。

mRNAにウイルスの遺伝情報を持たせて、それを抗体とか抗原の核としてワクチン化できたと米国の製薬会社2社が発表している。ウイルスの遺伝子をコピーしたmRNAは、ヒトの体内でDNAにその設計図を読み込ませる(そのメカニズムを理解するのはほとんど不可能だ)。

端折れるだけ端折って、認可に必要な手続きは簡略化される。当局の認可を待つあいだにも、ワクチンは作られ続けて、認可と同時に数千万人分とも言われるワクチンが投下されるらしい。数万人規模の治験を製薬会社は終えているものの、それはあくまで見切り発車である。

マスクを外せる日は、この先、来ないだろうと涼しい顔で言う専門家がいるが、誰だってワクチンの効果に期待する。

昼餉は、中華スープ、毛蟹のチャーハン。

ワクチンと同じくらい大事になるのは、ひょっとしたら布地とか新素材の開発だろうか。着けていることを忘れてしまうようなマスクは、どんなものだろう。

それとも、気管支とか咽喉になにかを装着するような、考えもしなかった外科的解決法が待っているのだろうか。このウイルスが与えつつあるさまざまな打撃は、まだほんの一部なのかもしれない。街の風景は変わりつつある。だがそれは、これからが本番なのだろう。急激に変わった暮らしの様式は、街の様相に爪痕を残す。外食という様式がどこまで残るのか、僕らはわかっていない。

経済はノリシロによって拡大するのに、ウイルスはそれを根こそぎ収奪しようとしている。

新しい経済の発芽がまだどこにも見当たらないのは、状況が悪化しきっていないことの証左かと思う。

夕餉は、きんぴら、妻の作った蟹・豆腐の餡かけ、味噌汁、ご飯。

僕らが知っている爪痕の範囲でしか、その深刻さは想像できない。思いもしなかった深刻さに、僕らはこれから遭遇するのだろうか。

 

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次なる局面への移行

 

曇り。22度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・コーン・大豆煮・ハムのサラダ、大根・さつま揚げ・人参の煮物、味噌汁(カボチャ・ジャガイモ・大根・人参・揚げ・豆腐・小松菜)、トースト、リンゴ・バナナのヨーグルトがけ。食後にコーヒー。

アーロンテープを求める。洗面所の漏水は、温水の給水管が原因のよう。漏れていると思われる箇所をアーロンテープで固着して様子を見る。今のところは止まっている。

留守の期間が長くなると、不具合が顔を出す。台所のシングルレバーはパッキンが老朽化したせいと思う。こちらは狭い場所に温冷の給水管が隠れているので、素人が手を出すにはややこしい。

電気スイッチはどこもガタが来ているし、窓際のフローリングは湿気を吸って黒ずんでいる。

できるところは、やろうと思う。

遅い昼餉は、妻の作ったトマトの即席リゾット。

TidalのデータをRoonに読み込み、アップサンプリングしたデータをLinnに出力して、FLAC192kHz/24 bitで聴く。それは、ちょっと次元が違う世界だ。もっともTidalのプレイリストは出来が今ひとつなので、SpotifyのプレイリストのURIをコピーして変換ソフト経由でTidalに読み込ませるという手間をかける。そのひと手間などどうということもない、という音質が待っているからだ。プラセボ的でもあるのだが、それを高音質だと言い聞かせているフシもある。

妻の作った夕餉は、大根とさつま揚げの煮物に残り、野菜炒め、味噌汁、ご飯。食後に焙じ茶、クッキー。

量子化はどこまでもいっても近似値である。

飛び飛びの断片を補完しているのは、僕らの脳だ。聴くという行為の本質は、補完ではない。だが、デジタルになってから僕らは常に補完という一手間をしなければいけなくなった。

実際には、無意識に行われている補完を、ひとたび意識してしまったが最後、僕らは呪縛から逃れられなくなる。

補完を補完する——そんなまどろっこしいことをデジタルは強要する。数値が高ければ、強要は苦にならなくなる。そう言い聞かせるのだ。

良い悪いではなく、そういう行為が僕らの脳を少しずつ変えていく。デジタルは脳にとって居心地がいいから、もはや脳は自らを変換することに躊躇はない。

脳は、デジタル化する。もともとそうだった部分が、次第に全体化する。その先の進化については、予測しようもない。

進化は、進歩と同じだと間違われているけれど、進化は別の局面への移行という意味でしかない。それがいつからか進歩と同義になった。

脳の進化は、ひたひたと進んでいる。脳は喜んでいるが、感性はどうだろう。ギャップがあるとしたら、僕らはこれからそのことにひどく悩まされることになるかもしれない。

進歩ではない。ただ進化するだけなのだ。

 

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旧友

 

晴れ。22度。

7時に起きる。

妻の作った朝餉は、レタスのサラダ、卵サンド、

電車に乗って、妻と秩父へ。水道工事で夕方まで断水となり、それでは新蕎麦でも食べに行こうということに。

秩父は、百名山の両神山や武甲山をはじめ、登山で通った頃が懐かしい。三十四観音霊場巡りもやった。霊場巡りで気づいたのは、銘仙やセメントをはじめとする殖産と豊かな自然とが合わさり、いつの間にか秩父は桃源郷になっていたということ。そこここの大伽藍を見るにつけ、遠大な商いが窺い知れる。

秩父神社は左甚五郎の作と伝わる『つなぎの龍』の彩色が新たに施されたところで、真っ青な空に鮮やかに浮かんでいた。至る所に、大きな力の痕跡が見て取れ、それを見てまわるうち想像の翼の作る影が濃くなっていく。

遅い昼餉は、新装となった西武秩父駅のイートインで盛りそば。ご当地のディスティラリーとして名を馳せたイチローズモルトのオン・ザロックを食後に。

妻の作った夕餉は、野菜のかき揚げ、味噌汁(大根・人参・油揚げ・豆腐)、ご飯。食後に、秩父で求めた小豆菓子、焙じ茶。

Appleは、macOS Big Surのパブリックベータ・プログラムを更新して11.1のβ1をリリースした。11.0.1から一足飛びのアップデートになる。詳細は不明だが、SNSあたりでは積み残したセキュリティアップデートが中心とのコメント。

秩父は、どこまでも深く、行き着く先に寂寞がゴロンと横たわっている。

 

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忍び寄る

 

晴れ。21度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・ピーマン・コーンのサラダ、ハムと目玉焼き、ホタテのクラムチャウダー、トースト、ルイボスティ。

喪中ハガキを投函。還骨法要の際に四十九日も繰り上げたので、父の葬儀にまつわることはほぼ終わった。コロナがなければ法事はやりたかったが、母のことも含めて諦めた。

姉はまだ、父の行政申請をやっていることだろう。

昼餉は、ずんだ餡の団子、コーヒー。

暖かい日が続いている。汗ばむくらいだが、どこからともなく這い出てきたように、人々が歩いている。

すぐそばの内科に仮説のテントが建った。コロナの検査だろう。連日のように記録を塗り替える感染者が報じらるようになった。札幌では外出の自粛が要請されている。

夕餉は、塩ラーメン、キーマカレーの残り。

Appleは、iOS 14.3のパブリックベータ・プログラムを更新してβ2をリリースした。

 

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