重量級の対話編

 

 

 

 

晴れ。24度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・イチゴ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・コーン・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(シメジ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、たまごトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
時計修理師より電話。岳父の腕時計の修理部品のことなど話す。「蓋押さえ」なるリューズ周りの小さな部品はもう手に入らないかもしれない。壊れやすい部品らしく、必要とする方がぼくのほかにもいらっしゃる。ならばということで、ぼくは修理を辞退した。岳父の腕時計は、ほかにも交換部品がない部位が壊れる可能性と同居している。そのリスクに同意して修理するのは、ある種の博打ではある。修理師さんの説明はおおむねそういう趣旨だった。
マッカーシー著『ステラ・マリス』より——

 今のだと精神病院はその施設自体が精神増強に役立つと言ってくれているように思えるからね。なんだろう。教会が邪悪な霊を遠ざけてくれるようなものかな。
 その比喩はそこそこ的確だと思う。教会は罪人のことばかり話す。救われた人たちのことはほとんど言及されない。悪魔が関心を持つのは完全に霊的なことばかりだと誰かが言っている。チェスタトンだったと思うけれど。
 悪魔は人間の魂にだけ関心がある。魂に関係のない幸福のことはどうでもいい。
 興味深いね。きみの訪問者たちだけど。何者なのかはともかくとして、彼らについて何かぼくに話してもらえることはあるかな。
 その質問にはどう答えたらいいかわからない。知りたいことは何なの。
 彼らに名前はある?
 名前がある人なんていない。暗闇のなかでも見つけられるようにこちらから名前をつけるの。わたしのファイルを読んだと思うけど優秀な医者はみんな幻覚として現われる人物たちの描写にはほとんど注意を払わないのね。
 きみにはどれくらいリアルに感じられるの。彼らはなんだろう。夢のような質感があるのかな。
 そうじゃないと思う。夢に出てくる人たちには一貫性がない。断片が現われるだけでかけてる部分はこちらが埋めるでしょ。眼の盲点に入って見えない部分みたいに。彼らには連続性がない。別の存在に変わってしまったりする。もちろん彼らを取り囲む風景は夢の風景だし。

昼餉は、菓子パン、コーヒー。
ジョギング、8.19キロメートル。最大心拍数は150 bpm。最高速度は11.6 kph。Tシャツ&短パンで。
『ステラ・マリス』より——

 世界には喜びが少ししかないということは単なる物の見方の問題じゃない。どんな善意も疑わしいの。あなたが最後に悟るのは世界はあなたのことなんか考えていないってこと。考えたことがないってことよ。
 ほとんどの人は与えられた日々を何か絶望とは別の状態でなんとか生きているわけだけど。
 ええ、そうね。
 もしきみが世界について何か決定的なことを一文で言わなければならないとしたらどういう一文になる?
 それはこうよ。世界は破壊するつもりのない生命を一つたりとも創造したことがない。
 それは本当だろうね。するとどうなんだろう。世界が考えていることはそれだけだろうか。
 世界にここがあるならばその心はわたしたちが思っているよりずっと酷いものね。
 心があるだろうか。あるとしてそんなに酷いものだろうか。

短い小説なのに『過ぎ去りし者』より重い。
夕餉は、ヒジキ煮、妻の作った味噌汁と鶏ひき肉カレー、ウィスキー・オンザロック。食後に煎餅、ルイボスティー。