意味を捨てて聴く

 

 

 


雨、のち曇り。16度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(レタス・キャベツ・コーン・蒲鉾・チーズ・バジル・カニカマ)、味噌汁(ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
時計修理屋からローターが回らなくなった時計の見積もりメール。修理には1ヶ月かかりそう。義父のほうの見積もりはこれから。
青葉市子を聴いていると、音楽は習うものじゃなくて手のうちに収め置き続けるのが大事なのだと痛感する。原動力はチャームにある。そこには才能という密やかさも含まれている。好きこそ物の上手なれ——とはチャームを端的に語った言葉だ。当たり前すぎてかえりみられなくなった言葉。埃をかぶり、錆びついてしまった言葉。
音楽に限らない。あいつ、才能あったのにどうして止めてしまったんだろう、と言われる子どもたちがたくさんいる。途中で止めてしまうのは、才能とは違う。才能とは、やり続ける力のことを言うのだ。下手とか上手というレベルは、才能とは関わりのない世界といっていい。
それが世に言う、不思議というものだ。
青葉市子の、それこそ不思議ではないか。
昼餉は、菓子パン、コーヒー。
頭の良い人は間違わないと思われている。うまく隠しているにすぎないのに。間違ったことを美しく見せることだってあるのに。なんにせよ、間違うことは平等にあるというだけだ。特別なんてないのだ。
Lampを聴いていると、日本語はなんて美しい音の連なりなんだろうとびっくりする。言葉の意味を知らない海外の人に届く日本語は、とても不思議な抑揚に満ち溢れているだろうなと思う。意味を捨てて聴いていると、日本人だってびっくりするくらいだ。
言葉の意味を捨ててしまい、ただ音の連なりとして聴くのがいいと思う。
夕餉は、冷奴、納豆、小松菜のお浸し、切り干し大根煮、卵焼きを添えたサワラの焼き物、味噌汁(ネギ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、玄米ご飯、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、バナナロールケーキ。