ささいな想像の喚起

 

 

 


晴れ。25度。
7時に起きる。
朝餉は、サラダ(オクラ・レタス・キャベツ・トマト・バジル・チーズ)、味噌汁(菜の花・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、バターをのせたトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
ときたま、テレビのワイドショーにチャンネルが合う。歩行者天国で通り魔にでっくわした気分になる。大谷選手の元通訳と胴元とのメッセージのやり取りを紹介しつつ、コメンテーターが話している。信じられない、と誰かが言う。おくびにも出さず大切な人の口座に手を付けるなんて、と。法廷での姿がどこか不気味だった、と。
元通訳が深刻な病に罹っていることを指摘する声はない。彼のテキストメッセージが自虐的なのは、その病の深刻さを物語っている。絡め取られて自らの意思ではどうにもならなくなったヒトの苦しみがそこにはある。彼は病に罹って苦しんでいる。病は、誰だって罹る可能性があるという単純な想像をしない。それが恐ろしい。
その病が完治する可能性は低く、その道のりはとても険しい。脳が覚えた快楽を、脳が忘れることはとても稀有なことだ。それくらいの想像は誰だってできる。
昼餉は、水餃子の中華スープ、菜の花とハムの焼きそば、コーヒー。
妻と買取店へ。ガラス食器・額縁・クラークスのサンドシューズなど。汗だくに。
査定の結果を待つあいだに市役所へ歩く。妻は店のそばの公園へ。マイナンバーカードの更新は数分で終わる。データの書き換えくらいのことで役場に行く。どこか本末転倒な感じがする。5年後にカードが新しくなるらしい。
行政の施策は、すべてプロシージャに帰結する。支えている法律がどれほど渇望されたものであろうと、プロシージャによっては悪法に姿を変える。役人にそういう自覚があるのか、ぼくらは不安を抱えて彼らを見ている。
そういう国民の視線を意識している役人はいるのだろうか。ぼくらは確認するすべをどこかに入れ込まなければならない。今の国家で欠落しているものの一つではないかと思う。
夕餉は、マカロニサラダ、味噌汁(菜の花・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、チャーハン、赤ワイン。食後にコーヒー、クッキー。