共に暮らす

 

晴れたり曇ったり。ぱらつく。20度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・ワカメ・ネギ・油揚げ・豆腐)、ピザトースト、紅茶。食後にコーヒー、クッキー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。西山朋佳 女流三冠の8二歩は、桂から香を取ろうとした歩打ち。4手かける成り金が、玉と反対の左端に張り付くというぼんやりした構想が敗着につながった。

同じ歩打ちでも、八代弥7段が放った2つの金成りは即詰みにつながった。

将棋も囲碁も今期から、AIが優劣をパーセントでリアルタイムに表示する。中盤すぎに70パーセントの優勢が出ると、なかなか覆らない。解説者は、まだまだです、と言うのだが。囲碁の六浦雄太7段がまさにそうだった。

昼餉は、ミルクをかけたシリアル、カフェラテ。

玄関の屋根裏に蛇がいるらしい。這うような、擦れるような音がする。玄関脇でそれらしい卵の殻も見つけた。これからコウモリが増えるので、そっとしておきたいけれど。彼らに対する妻の好意的な態度は変わらない。僕はできるのは、線香を炊きしめるくらいだ。

夕餉は、サツマイモのレモン煮、妻の作ったキーマカレー、キャベツ・ベーコンのコンソメスープ。食後にクッキー、紅茶。

姪っ子が娘を伴い訪う。こもりがちな娘を連れ出して関ヶ原のあたりをクルマで遊んだとか。岐阜で名高いパン屋の食パンを土産にいただく。電車通学にも慣れたようで、友だちもできた娘は、クラブ活動でブラスバンドに入った。妻が、親子に靴下やらをプレゼントした。

未明に便所に立つ。和らいだ寒さとは裏腹に、過ぎ去った日々や人々が脳裏から離れなくなる。悶々として、やがて眠りに入る薄明までのあいだ、あれこれ想う。

忸怩たる時の重なりを前に、消え去りたい衝動と添い寝する。

 

 

 

難しいことを、難しく

 

おおむね曇り。22度。

8時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・パプリカ・コーンのサラダ、味噌汁(大根・玉葱・ネギ・サツマイモ・油揚げ・豆腐)、トースト。食後にコーヒー、クッキー。

簡単なことを簡単に行う。そこに秘密が隠されている。

難しいことを簡単に行う。たいていの人が目指すのは、これだ。

簡単なことを難しく行う。これにも惹かれる。だが、切羽詰まった日々にはあまり向かない。

簡単なことなら、簡単に済ませたい。僕らは、簡単な済ませ方を自分の内外に問う。なぜこんな簡単なことが——自分には欠陥があるのか。そんな自問さえ許されないような、待ったなしの暮らし。

なぜ、できないの? 幼い子にさえ、そんな言い方をする。自分を棚に上げて。

簡単なことを、簡単に済ませたい——そこに隠されている秘密が、詳らかになったためしはない。

岳父の庭の剪定の続き。ツツジや梅、名も知らぬ木たちの枝をバッサリと。

昼餉は、ミルクとヨーグルト・蜂蜜をかけたシリアル、ホットケーキ、コーヒー。

こんもりした小山に見えるよう、枝を払っているつもりなのに、少し下がって遠目に見ると寝癖のような枝があちこちに飛び出ている。それを払って、また下がって眺める。そんなことを繰り返していると、こんもりしていたものが、なだらかな丘に姿を変えている。

だがご心配なく。ひと夏で、その丘は小山はおろかアルプスとなってそびえることもある。

コロナ禍で過去最高の感染者を記録する地方自治体が増えている。変異ウイルスの威力もあるが、政府の無策に幻滅した国民が、自粛の要請を真に受けなくなっている。

夕餉は、きんぴら、肉豆腐、豚バラと玉葱のポン酢炒め、味噌汁(大根・玉葱・サツマイモ・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。

 

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アデナウアーの言葉

 

曇り、午後に雨。18度。

7時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・パプリカ・コーン・カニカマのサラダ、ベーコン・目玉焼き、味噌汁(大根・玉葱・カボチャ・ネギ・エノキ・豆腐)、トースト。食後にコーヒー。

『地下道の鳩』より——

 

 

(上略)そしてその間ずっと、第三帝国の崩壊から十五年のあいだのどこで古いドイツが終わり、新しいドイツが始まったのか探ろうとしていた。一九六一年の時点で、それは容易にはわからなかった——少なくとも私には。

 この問題をうまく表現した、当時の西ドイツ首相コンラート・アデナウアーの言葉がある。一九四九年の西ドイツ誕生から一九六三年まで首相を務め、老人の渾名で呼ばれた彼は、「汚い水であっても、きれいな水がない限り捨てることはできない」と言った。これは国家安全保障など多くの分野で隠然たる力を発揮した、ハンス・ヨーゼフ・マリア・グロプケ博士を暗に指した発言と広くとらえられている。ナチスの基準からしても、グロプケの経歴は印象深かった。ヒトラーが権力を握るまえから、プロイセン政府のために反ユダヤ人法を起草して頭角を現していたのだ。

 新たな総統が生まれて二年後、グロプケはニュルンベルク法を起草し、すべてのユダヤ人のドイツ国籍を剥奪し、識別しやすいように名前にサラまたはイスラエルを含めることを義務づけた。ユダヤ人と結婚した非ユダヤ人は離婚を命じられた。グロプケは、ナチスでユダヤ人問題を担当したアドルフ・アイヒマンのもとで、新たにドイツ人の血と名誉を守るための法律を起草したが、これがホロコーストの先触れとなった。

 同時に、おそらく熱心なカトリック信者だったために、グロプケは反ナチスを掲げる右翼のレジスタンス集団にも接近し、彼らがヒトラーを追放した折には、新政府の高官として迎えられるという保険もかけていた。戦後、連合軍がグロプケを積極的に訴追しなかった理由は、このあたりにあるのかもしれない。グロプケは難を逃れ、アデナウアーは彼を側近に迎え入れて、イギリスもそれに反対しなかった。

 そして終戦からまだ六年、西ドイツ建国から二年の一九五一年、ハンズ・グロプケ博士は、以前からのナチスの同僚のために、いまなお信じられない衝撃的な法律を成立させた。グロプケの新法と呼ぶことにするが、これによって、ヒトラー時代に逃れようのない事情で仕事を奪われた公務員は、第二次大戦が起きないか、ドイツが勝っていれば享受できた給与の差額分や未払金、年金受給権を全額補償された。言い換えれば、連合国の勝利がなければ得ていた職業上の地位を完全に復活したのだ。

 効果はすぐに現れた。かつてのナチスの上層部は割りのいい仕事にしがみつき、それほど汚れていない若い世代は苦しい生活に追いやられた。

 

 

この先は、薄幸のヨハネス・ウルリッヒ博士にまつわる不屈でいて哀しい話が続く。

昼餉は、玉葱とベーコン・ピーマンのトマトソースパスタ、ナッツ。

札幌の姉から妻に電話。母の日に送った花の礼。母は食欲がそれほどないらしい。でも元気そう。姉はそうでもなさそうだと妻。

夕餉は、フキ・ニンニクの芽の炊いたの、サツマイモのレモン煮、豚バラの肉豆腐、味噌汁(大根・玉葱・カボチャ・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。

 

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ポパイ刑事のイコンのように

 

晴れ。23度。各地で夏日。周回遅れのGWが来たかのよう。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・カボチャ・エノキ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ピザトースト、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ。食後にコーヒー。

本を求める。ウィリアム・サローヤン著、柴田元幸訳『僕の名はアラム(原題:My Name Is Aram』(新潮文庫)、ナサニエル・ウエスト著、柴田元幸訳『いなごの日/クール・ミリオン ナサニエル・ウエスト傑作選』(新潮文庫)、トマス・ハーディ著、河野一郎訳『呪われた腕(原題:The Withered Arm ハーディ傑作選』(新潮文庫)。いずれも古書。

岳父の庭のツツジを刈る。だいぶくたびれてきた花は、明日の雨で腐るだろう。美しさをとどめているうちにバッサリと。ついでに、梅の根元から大きく育った名も知らぬ4本の木も。

剪定しても雑然としている。腕の悪い庭師にかかると目も当てられない。

妻は長浜の叔母のもとへ。肥料やらの買い物や畑の手伝いに。夕方に帰ってきたので、よしよしと頭を撫でてやる。

昼餉は、シリアルを齧ったり。

野良仕事や散歩、トレッキング用のバケットハットを求める。Columbiaのはポークパイのような形で普段使いにちょうどいい。馬鹿のひとつ覚えのように、被って出かけたい。どんな日も、どんなところへも。

20年選手のトレッキングハットは少し休ませることに。

夕餉は、叔母からのフキやニンニクの芽の炊いたの、きんぴら、納豆、肉じゃが、味噌汁(大根・人参・玉葱・エノキ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後にクッキー。

 

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1行に10年の真実

 

雨。17度。

7時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・パプリカ・コーン・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、ポテトサラダ・サンドイッチ。食後にコーヒー、パウンドケーキ。

ジョン・ル・カレ回想録より——

 

 

本書に記すのは記憶にもとづく真実だ。むろん読者には尋ねる資格がある——真実とは何か、そして、穏当に言えば人生の黄昏時に差しかかった作家にとって、記憶とはいったい何なのか。法律家にとって真実とは飾らぬ事実のことであり、そうした事実を発見できるかどうかは別の問題だ。一方、作家にとって事実とは材料であり、親方ではなく、彼の使う道具を指す。作家の仕事はそれを歌わせることだ。もし本物の真実というものがあるとすれば、それは事実のなかではなく、物事の機微のなかにある。

 かつて純粋な記憶などというものが存在しただろうか。疑わしいと思う。いかに自分は冷静で、勝手に飾ったり省いたりしていないありのままの事実に忠実だと信じているとしても、純粋な記憶というのは濡れた石鹸のようにつかみどころがない。少なくとも、生涯を通じて経験と想像を混ぜ合わせてきた私にとっては、そうだ。

 

 

昼餉は、ベーコンと玉葱のアーリオオーリオ・ペペロンチーノ、食後にサツマイモの芋けんぴ。

縁側の机に座って、キーを叩いたり頁を開いたり。間断なく降る雨が気温を下げていく。朝がいちばん暖かかったと思う。

数多の回想録にあって、ル・カレは常に上位に来ると思う。すべての回想録を読んでいないのにだ。83歳の時に書かれたとなれば、彼の小説より彼の記憶の方が面白いのは論を俟たない。

要するに、物事の機微が詳細に綴られているということだ。

夕餉は、小松菜と油揚げの煮浸し、大根の皮と人参のきんぴら、豚バラ肉の肉じゃが、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ビール。食後に柏餅。

ル・カレは奥義に触れていない。煌めくほどの事実と、そこから導かれる真実があるとしても、それを記すには技術がいる。技術にはいくつかの側面があって、それらを駆使できる者だけが触れることのできる世界がある。

僕らはその世界を味わうのであって、単なる事実や真実を羅列された文書は願い下げなのだ。そうした文書は歴史家の手に委ねるべきものかもしれない。

第一級の資料と第一級の回想録は、必ずしも同じではないのだ。

Appleは、macOS Big Surのパブリックベータ・プログラムを更新して11.4β2をリリースした。

 

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暢気なのだろうか?

 

おおむね晴れ。23度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・カボチャ・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ。食後にコーヒー、クッキー。

岳父の庭で剪定。高枝切り鋏にノコギリ、刃渡り40センチほどの大振りのハサミ。除草剤も撒く。

ツツジの花はもって来週頭くらいか。名も知らぬ花がつぎつぎと出番を待っているが、うっかりすると玄関脇の紫陽花が僕らの関心を奪ってしまう予感がある。

冷静さを取り戻しつつあるマルハナバチたち。枝を詰めていると、それでも、彼らが威嚇してくる。

——まだ残ってるだろ! 花粉が‼︎

羽音は、そんなふうに聞こえる。

庭を作るにあたって、岳父は主役をツツジに据えようとした。今となっては、そういう意図がはっきり伝わってくる。4月末から5月あたまの狂騒に、岳父は何を求めたのだろう。

咲き誇ると同時に、僕は枯れはじめの姿を思い描いてしまう。その煩わしさが、花の美しさを邪魔する。美しさを耽溺できるヒトはマルハナバチのようだ。少し、羨ましい。

昼餉は、焼きそばのカップ麺、鳥の唐揚げの残り、クッキー、クルミの実、紅茶。

今年の連休は、晴れと雨が交互に来る。五月晴れという言葉に焦れる。

僕ら夫婦は、マスクを忘れて外へ出る。うっかりする。途中で気づいて、引き返したり、戻ってそのまま家で過ごすこともある。

身についていないのだ。家にこもっているという実感もないのに、ついマスクを忘れる。たいていは、玄関で気づく。妻は下駄箱の上に常備している。

帰ったら手洗いして、うがいして——そんなことはやらない。テレビを見て、数字を見て、怯えるでもなく、憤るわけでもなく、ただ眺めている。

夕餉は、コロッケ、大根・人参の煮物、イワシの蒲焼、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・三つ葉・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後に芋けんぴ。

 

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友という存在

 

おおむね晴れ。19度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・エノキ・三つ葉・ネギ・油揚げ・豆腐)、喫茶店のマスターからいただいた食パンでピザトースト、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ、紅茶。食後にコーヒー。

レオン・ウェルトがサン=テグジュペリの思い出を本に著した際の冒頭のほうの文章——

 

 

 そんなわけだから、僕以外の人たちには見当がつくかもしれない多くの不確かな事柄が、ここには残っている。無意味な出来事に重大な意味が与えられている。僕がその残虐行為について何も知らなかった時代の、ドイツに関する判断がある。

 巧みに調整して仕上げようとする配慮を一切欠いたこの記録ノートは、無味乾燥な調子で語る。だから、これはアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリについて、手なおししていない単なるメモにすぎない。したがって、「死の完璧さ」のなかで彼が不動の銅像になっていないことに驚かないで欲しい。決して癒されることのない苦痛があるのだが、その痕跡がどこにも見つからなくても驚かないでほしい。

 

 

なんと端的で、正直な言葉の並び。そして、どこまでも文学的であることか。この文章を前にすると言葉を失う。

昼餉は、ブルーベリージャムを塗ったトースト、ミルク。

ジョギング、8.06キロ。北北西の強い風。

米原の田植えは8割がた終わっている。

マニュアルのないMacBook Airのオペレーションを妻はなんとかやっている。たまに僕に尋ねるけれど、そういう時に思うことは、マニュアルがまったくない状態で、たとえばFinderという常駐のファイル操作環境を身につけることの困難さだったりする。

WindowsにおけるExplorerだと、すぐわかる対比対象があればいいけれど、システム環境でトラックパッドのドラッグ操作をあれこれカスタマイズしたい——となると途端にハードルが高くなる。検索すればスポットライトでわかるとか、ヒントを教えるのはやはりマニュアルの存在なのだ。

たかがオペレーションなのに、OSの未熟さに起因するハードルの高さ。このあたりの20世紀感は如何ともしがたい。

夕餉は、冷奴、ポテトサラダ、大根・人参の煮物、ささみ肉のレモン・バジルソテー、味噌汁(大根・玉葱・人参・エノキ・三つ葉・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後にクッキー。

 

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商品にあらわれるもの

 

雨、夜に止む。13度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・大根・コーン・カニカマのサラダ、ベーコン・目玉焼き、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・三つ葉・ネギ)、トースト、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ。食後にコーヒー、クッキー。

妻のために求めたM1MacBook Air 13インチが届く。色はゴールド。

そろそろ買い替えだからと、妻の口からMacBookの名前があがった。これもM1の威力なんだろうか。軽い驚きと、時代が変わったのだとやっと思う。

妻のNEC製は10年選手。僕のMacBook Airもかれこれ8年が経って、バッテリーを交換した方がいいとアラートが出ている。

昼餉は、野菜とベーコンのスパゲッティ・ナポリタン、コーヒー。

妻は彦根のマスターの喫茶店へ。金色のAirを携えて嬉しそうだ。そういう姿を見るのが何より。

デニス・ルヘインの『あなたを愛してから』は、脱字が目につく。最初は、あっ、ラッキーと思う。珍しいことだから。1冊に1カ所もあればいいほうだ。それが、2カ所、3カ所と増えていく。

書き留めてはいないけれど、覚えているのは4つか。わかりやすいところばかり。校閲が入ってない? それはちょっと考えられない。だが、出版の今を思うと予断は許さない。

その昔は、クジに当たったような気分が味わえた。初版はそういう機会が多かったので、どこかで期待しているところもあった。

ルヘインの本書は重版出来しているだろうか。3年前の初版の発見に葉書を書くのはためらわれる。後に続く読者への申し送り状みたいなところもあったが。

夕餉は、竹輪のアオサ・マヨネーズ炒め、ポテトサラダ、麻婆豆腐、味噌汁(大根・玉葱・人参・エノキ・三つ葉・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後にクッキー。

早川書房が果たしてきた、この国の出版における役割はとても大きい。ふさわしい言葉がすぐ思いつかないほどだ。

読了の余韻がちょっと複雑な。

 

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空と心模様

 

晴れ、のち雨。19度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・エノキ・ジャガイモ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ピザトースト、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ。食後にコーヒー。

昼を過ぎる前から雲行きが怪しくなる。気づいたときには、忍び寄っている。

昼餉は、妻の作った焼きチーズのカレー、紅茶。

無印良品で太番手の生成りTシャツを求める。

古本屋で2冊。ジェーン・オースティン著、中野良夫訳『自負と偏見(原題:Pride And Prejudice)』(新潮文庫)、コーマック・マッカーシー著、黒原敏行訳『ザ・ロード(原題:The Road )』(早川書房)。

後者は、初版のハードカバーがたまたま目に止まってしったのが運の尽き。

で、栞がわりに挟まれていたのが中国出入国検疫所の申告書だった。中国へ入国した女性のもの。ハードな仕事をしているか、荒涼たる心象を抱えているか。

この時期ということもあり、しばし、そのヒトのことを想像する。

夕餉は、惣菜コーナーの鰯の唐揚げ・鶏肉のチーズ挟み揚げ、麻婆豆腐、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・三つ葉・ネギ)、玄米ご飯。食後にチョコレートクッキー。

 

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気が触れたい

 

晴れ、午後に雨。19度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツ・サニーレタス・大根・大豆煮・コーン・カニカマのサラダ、ハム・目玉焼き、味噌汁(大根・玉葱・人参・ミツバ・小松菜・油揚げ・豆腐)、トースト、リンゴ。食後にコーヒー。

本を求める。ウィリアム・ジェイムズ著、舛田啓三郎訳『プラグマティズム』(岩波文庫)。

岩波の翻訳は往々にして非難の対象になってきた。無闇と難解ならまだしもで、そもそも日本語になっていなかった。本書がそうした対象から辛くも逃れられたのは、原書の論旨が明快で、言葉の森に分け入っても迷子になる可能性が低い文章で綴られていたからだ。本書の成り立ちや、その言わんとするところの対象が、迷子になることを許さない思想だったことが幸いした。

もっとも、著者のウィリアムをW.と表記し続けるのは、いかにも不親切だ。心の大事な働きの一部を欠いているのではないかと疑いたくなる。解説を待たなければいけないなんて、悪意すら感じる。

岩波文庫は、シェイクスピアをはじめとする作家の名前の表記が、苗字だけだったり、頭文字だけだったりとバラバラだ。そこに、さしたる基準とか根拠があるようには見えない。

デリカシーの欠如と決めつけてはいけない気がする。相手は出版社で、著者名という基本中の基本のことなのだから。

おおらか、そう言うこともできる。

昼餉は、菓子パン。

妻とクルマで、長浜の豊公園から彦根城の玄宮園をめぐって、藤の花を見る。豊公園はすこし早いのだが、それにしても花が少ない。マルハナバチたちが、気が触れでもしたように飛び回っている。

あの香りの中に突っ込んで行ったら、そりゃあおかしくなるわなと思いつつ。突っ込んでいくくらい快感なのだと思う。

うらやましい。

たまに気が触れるなんて、すてきだ。

夕餉は、納豆、合い挽き肉・大根・人参のとろみ煮、ブリの照り焼き、味噌汁(大根・玉葱・人参・ジャガイモ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯。食後に煎餅。

4月の総括をば。アクティビティは7日間、総距離は74.16キロメートル。スクワット80回は毎日。

 

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しんがりを務める

 

雨。15度。

8時に起きる。ここしばらくの春眠。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・カボチャ・ミツバ・油揚げ・豆腐)、ピザトースト、紅茶。食後にコーヒー。

緊急事態宣言が出ている一方で、混雑しているところはしている。オリンピックの開催について誰が決断するのか、という話題が出てきた。首相は7月末までに高齢者へのワクチン接種を終えたいという。思惑が交錯している。

2日間も救急車で待ち続けていたという感染者と隊員のこととか、高齢者を優先的に診ることはできないという大阪府の医官のメールのことが話題になっている。コロナ禍以前から、病院はどこも待ち行列が続いている。多くは老人だ。その光景を逼迫と言わない人はいない。

昼餉は、マーマレードを塗った食パン、ココア。

ワクチンがこの国にも少しずつ来はじめた。なぜ遅いのだ、と文句を垂れる人々がいる。

一方で、感染状況の逼迫している国が、もっと後回しにされている。であれば、そっちをお先にと言う気配がこの国にはない。オリンピックを開催したいのなら、世界の国々をこそ優先したい。ワクチンはいちばん最後でいい、という気持ちがなければ、なんのオリンピックかと思う。7割の国民が開催に後ろ向きなのは、世界の人々の様子を見ているからだと思う。

夕餉は、きんぴら、ほうれん草・ベーコンの卵とじ炒め、合い挽き肉・大根・人参のトロ煮、味噌汁(大根・玉葱・人参・シメジ・ミツバ・油揚げ・豆腐)、ご飯、ビール。食後にクッキー。

 

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嫌悪する均衡

 

雨。17度。

8時に起きる。満開のツツジ、濡れて鮮やか。

朝餉は、サニーレタス・大根・コーン・大豆煮・カニカマのサラダ、目玉焼き、味噌汁(玉葱・人参・分葱・三葉・油揚げ・豆腐・シメジ)、トースト、リンゴ。食後にコーヒー。

感性という言葉を使う人をどこかで胡散臭く思っていたのは、それを真っ先に出してしまう安易さを嫌っていたのだと思う。曖昧模糊としているのに、共通言語のように使っている。

昔はそれでも我慢していたけれど、今なら「くだらんことを言うな」と叱って席を立つかもしれない。それでは年齢と行為の関係が逆じゃないかと思うこともある。今こそ我慢しろよ、と。

そうかもしれない。だが、もう我慢したくないのだ。堪え性がなくなったのは、膀胱が小さくなったこととどこかで同期しているかもしれない。

自分の言葉が、誰かの堪え性を壊している可能性だってある。僕が誰かの感性という言葉に鋭く反発するように。きっと、そっちのほうが多い。

昼餉は、竹輪・ジャコ・小松菜のパスタ、白湯、クッキー。

長浜の美容院へ。裾を刈り上げて、てっぺんを透いてカットして。認知症を患った老婆が嫁さんに連れられて店に入ってくる。耳が遠いことも重なって苛立っている。その声が義母を思い起こさせる。

パン屋で食パンなんかを。スーパーでは切れている調味料やら。

NHKの土曜ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』を、NHK+で。脚本は渡辺あやさん。この長ったらしい題名は、同じクールで始まった坂元裕二さん脚本のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』に酷似している。

で、両方とも眺めている地平線は違うのだが、言葉を扱うときのデリカシーの置き所がいい。物語のテンポとか伏線とか、説明っぽくならない説明とか——ああ、すごいなと思いながら観ている。並大抵の腐心では、こんな展開を一話目から描けない。ビンビンと伝わってくるのは、物語に対する真摯さ。逃げないことを課して、ギリギリまで踏ん張る。

ただ、すごいな、と思う。

夕餉は、大根の皮と人参のきんぴら、鶏ひき肉のハンバーグ、味噌汁(玉葱・人参・大根・分葱・ミツバ・油揚げ・豆腐)、ご飯。食後に紅茶、クッキー。

ピンクムーンは昨夜だったか。8時過ぎに玄関を出たら、駅のホームの向こう、東の空にぽっかり浮かんでいた。うっすらと滲んだ満月に、妻としばし見惚れる。

 

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現場には現場なりの

 

晴れ。20度。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・揚げ・シメジ・豆腐・分葱・三つ葉)、ピザトースト、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴ。食後にコーヒー、クッキー。

そういえば昨日、2階建てのモデルハウスを譲るという看板を見た。湖岸のスーパーの近くで、前々から気になっていた物件だ。1時間後に見られるというので、お願いする。

若手の建築家のコンセプトは、スリットのような縦長の窓。大きな開口は4つの天窓しかない。北側は壁だけ。外はほとんど見えないのだが、風の通りは考えられている。なにより天井から陽が降り注ぐ。冷暖房はリビングにつけたエアコンだけで賄う。

空さえ大きく見えたらいい——なかなか面白かった。駅とか大きな道路に面していると、窓はつねにカーテンに覆われている。それを逆手に取った考え方だ。

3つの壁には床から天井まで40センチほどのスリット窓が通っている。開け閉めできるし、2階にも同じ位置に窓がある。降り注ぐ陽を仰ぐと、青い空が広がっていた。

譲るというので、建物だけ移築できると勘違いしていた。2時間ほど見学して辞去。

昼餉は、小松菜とシラスのパスタ。

ジョギング、10.71キロ。用水路の亀が交尾している。

アディダスの昔のボストンを履いたら、踵がプラプラして取れそうになっていることを思い出した。接着剤を塗ってみたけれど。                                     夕餉は、大根・カボチャの煮物、妻の作った豆カレー、ご飯、紅茶。食後にシュークリーム。

これまで見たモデルハウスの中では1、2を争うくらい面白かったが。北側の壁の向こうには、確かめられなかったけれど、彦根城を望めたはずだ。絵画のように城の風景を切り取ったフレーム窓が壁の高いところに1箇所——様相はずいぶん違ったかもしれない。

コンセプトはコンセプトとして、その土地にはその土地なりの面白味もある。

 

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音の周辺

 

おおむね晴れ。15度。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・しめじ・わけぎ・三つ葉・揚げ・豆腐)、ピザトースト、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナ・りんご。食後にコーヒー。

彦根のマスターにいただいたオーブントースターで焼くと、ゴーダチーズの溶け具合がちょうどいい。食パンの焦げ具合が物足りないのは、コンロのグリルに味をしめたせいか。直火のトーストも、こうしてみると捨てがたい。

jazzinuflo-fiサウンドは病みつきになる。60年代を中心にメロディアスな楽曲をさまざまに加工して、hip-hopにとどまらない彩りを音に乗せている。彼が音大でクラシックを学び、オペラ歌手としての素養もあることは、響き方に影響を与えているのかもしれない。

昼餉は、玉葱・合い挽き肉のコンソメ・パスタ、クッキー。

ギターのリペアショップの店長とその友人(数奇な運命の2人)が繰り広げるYouTube動画は、フェンダーやギブソンのヴィンテージ、そのピックアップの性能、真空管アンプのあれこれとリペア関連の話題に事欠かない。

ギターが弾けなくても、その奥深さは伝わってくる。ギター弾きの内科医がゲストで不具合を見つけるまでの道のりが酷似していると話す。かと思えば、ピックアップのアルニコ磁石の磁性の違いを音で確かめたりもする。

すべての道具にはリペアの世界がある。その道具に固有の話題なのに、通底するものの存在に誰もが気づく。そして、魅了される。垂直の話題なのに、水平の広がりに包まれるのだ。

夕餉は、大根・カボチャの煮物、レモン・バジルの鳥唐揚げ、味噌汁(大根・玉葱・人参・シメジ・揚げ・豆腐・わけぎ・三つ葉)、ご飯。食後にクッキー。

 

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純理と容赦

 

おおむね晴れ。17度。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・三つ葉・わけぎ・カボチャ・油揚げ・豆腐)、ホットケーキ、バナナ。食後にコーヒー、シュークリーム。

温度ではなく、それは日照の堆積が決める。開花は、照度センサーにつながった積算タイマーが司るらしく、だからどんなに朝夕が冷えていようとも、花は次から次へと押し出されていく。

容赦ないのではない。時間の堆積という純理。合理だから、容赦ない。そういう感情は花にも宿っているだろうか。モーツァルトで甘みが増すイチゴは、プラセボかもしれない。空気の振動効果と片付けていいものか。

忿懣やる方ないという顔のモーツァルトが見える。

昼餉は、ミルクをかけたシリアル、クッキー。

若い頃にアルバイトをしていた彦根の喫茶店へ妻がツツジの花を持って行く。

しばらくしてメッセージあり。使わなくなったオーブントースターをマスターがくれるという。ありがたくいただくことに。この家ではガスコンロのグリルでトーストを焼いている。それもなかなか旨いが。

松の若芽を高鋏で摘んでいく。そのたびに花粉が飛んで、落ちた枝を集めていた妻が退散。車庫の高い木も梢をずいぶん払う。

除草剤を撒き続けた地面はすっかり枯れ茶色に。残った部分にも撒いていく。効力は真夏まで続くものだろうか。

夕餉は、大根・カボチャの煮物、イワシの蒲焼、味噌汁(人参・玉葱・大根・シメジ・油揚げ・豆腐・わけぎ・三つ葉)、ご飯。食後に紅茶、クッキー。

 

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