存在しないもの

 

 

 

 

雨、のち晴れ。18度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・トマト・ブロッコリー・チーズ・バジル・カニカマ)、味噌汁(小松菜・豆腐・油揚げ・玉葱・人参)、ピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
別の時計修理屋から届いた梱包キットに岳父の時計とぼくが30年ほど前まで使っていたセイコーとシチズンのクォーツ時計をそれぞれ1個ずつ入れて送る。岳父の時計はセカンドオピニオンというやつだが、ダメもとではある。クォーツ時計はどちらも中古市場で人気らしい。もとよりクォーツ時計が直ったとしても使うつもりはない。電池で時を刻むなんてあり得ないではないか。時は、ぼくらが作ったもっともまやかしに満ちた概念かもしれないが、それでもなににも増してぼくらの暮らしに溶け込んですべての基礎を圧倒的な力で統率している。
ただでさえ信じられないのに、その力をいや増す方へと舵を切ることに加担できようか。と、妙に力んだりも。
昼餉は、菓子パン、コーヒー、イチゴ。
ヒトという種族だけが、時を競う。それは歴史という過去帳に綴られていく。誰もが歴史を紐解く。そして書かれていることを大事にせよと教えられる。時は社会という体系の礎なのだと。
だが、誰も時とはどういうものか、教わった覚えはない。その成り立ちとか、絶対性の根拠についてわかっていることはない。でも、正確な時は決め事として存在している。

この世は、摩訶不思議で成り立っている。
夕餉は、納豆、冷奴、ほうれん草のお浸し、蕪とエビ・カニカマの餡かけ、魚ハンバーグ、味噌汁(サヤエンドウ・小松菜・水餃子・玉葱・豆腐・油揚げ)、玄米ご飯、赤ワイン。