愚問

 

曇り、ときどき日差し。21度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・パプリカ・大根・キュウリ・カニカマのサラダ、ウインナーと卵焼き、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、トースト、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴ・バナナ、紅茶。食後にコーヒー。

妻と長浜へ。新築物件の内覧会。あれこれ勉強になった。

破綻している設計は、家に入ると伝わってくる。なぜ、伝わるのだろう。

妻と僕は、互いに確認しなくても、そのことを考えていた。

設計は、寸法の取り方に尽きる。数ミリとか数センチが積み重なっていく。その対比やバランスが部屋や廊下になり、空間にまとめられ、やがて家になる。

決まりきった文法はもちろんある。だが、文法は間違っていなくても、いい文章とは限らない。文法どおりではなくても、いい文章というものはたくさんある。

どちらに魅せられるのか、議論の余地はない。

間違っていない——常日頃、僕らが大事にすることは、でもそれで本当に過ごしやすい社会なのかという問いにある。

営みは、果てることのない、そういう往還の中に息づいている。新築も、そのうちにある。

昼餉は、マクドナルドでフレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。

古書店にて、本を求める。

吉田洋一著『零の発見——数学の生いたち』(岩波新書)、南野忠晴著『正しいパンツのたたみ方——新しい家庭科勉強法』(岩波ジュニア新書)、ミシェル・ウエルベック著、大塚桃訳『服従(原題:Soumission)』(河出書房新社)。

2冊目は、英語教師から家庭科教師なった著者が、生きていく力を養うために書いた。プラグマティストへの誘いではある。主要科目が優秀であれば、社会は渡っていけるのか。

それは愚問である。だが今の世は、それが新鮮な響きに聞こえる人が責任ある立場に多い。

夕餉は、きゅうりとワカメの酢の物、大根とカボチャの煮物、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、卵と合い挽き肉の二色そぼろ丼。食後に饅頭。

 

 

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