根のない暮らし

 

 

 

 

 

 

 

晴れたり、曇ったり。7度。

8時に起きる。

朝餉は、大根・キャベツのサラダ、目玉焼き、味噌汁(ほうれん草・玉葱・人参・大根・キャベツ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、興し。

古書が届く。古川日出男著『ベルガ、吠えないのか?』(文藝春秋)。著者は『平家物語』の全訳をされている方。そういうつながりでめぐり逢ったのだが、この書名は刊行まもないころ本屋で見た覚えがあった(忘れようもない表紙なのだ)。

古川さんとこうして邂逅できるのも古典のおかげなのか、本屋の新刊を避けるようにして生きてきた報いなのか。

『徒然草』とか『典座教訓』といった古典は、どこかに置いておいて手持ち無沙汰のおり、腕を伸ばして開いた頁をひろい読むのが僕の性に合っている。目の届く範囲にあって、なおかつ手が届く場所。僕にとってそれはトイレなのだが、僕に限ったことではあるまい。

自宅のトイレにこぢんまりした、それでいてしっかりした本棚をこしらえようか、あれこれ考えるものの、そうなると作為が表に出てきてうるさくなるものだ。

昼餉は、レーズンパンを齧る。

クルマで妻と彦根へ。喫茶店のマスターに年末の挨拶。コーヒーとベルギーワッフル。マスターが20年近く飼っているメダカのことや彦根の住宅事情なんかをボソボソと。

姪っ子の家へ寄る。留守だったので妻が玄関に又姪へのクリスマスプレゼントを置いて帰る。

甥の息子には昨日、妻が渡している。

夕餉は、漬物、納豆、卯の花煮、佃煮、餃子、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・ほうれん草・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に喫茶店のマスターからもらったクッキー。

足の霜焼けが痛痒い。なぜここで暮らしているのだろう?

 

 

 

 

 

 

自由のありよう

 

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち曇り。6度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツと大根のサラダ、目玉焼き、味噌汁(蕪・ジャガイモ・キャベツ・人参・玉葱・ネギ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、チョコレート。

100年に一度と言われる大寒波が全米を覆っている。寒波と大雪によって飛行機もクルマも動かなくなり、クリスマス休暇は困難な状況が続いているとメディアが伝えている。

そんな中で、変電所施設を狙ったテロ行為が起きている。テロルと自由の国と呼ばれる社会とのあいだには、曰く言いがたいズレがある。トランプを大統領に押し上げ、国会議事堂を占拠した人々の憤懣が、その背後にもあるのかわからない。

差別はどこの国より根が深く、進化論を神への冒涜だと信じる人々がどこの国より多い。自由の国と呼ばれる背景には、人にけっしてやわらなくない国の岩盤が見え隠れしている。

昼餉は、ほうれん草と佃煮の雑煮。

国民の抗議によってゼロ・コロナ政策の変更を余儀なくされた中国では、中央政府が発表する感染者数や死者数が現実から乖離していることに批判が集まっている。ゼロ・コロナではなくフル・コロナだという。

国民が政権に表立って抗議する、とうの中国人がそのことに驚いている。自由を奪われた人々の自由を求める声に驚いた中央政府が軟化したことは、なにかが変わったことのあらわれだと中国人の誰もが思いつつある。彼らに許されている自由は、それがどれほどちっぽけでいびつなものであろうと彼らの支えとなってきた。

彼らが怒ったのは、その自由のちっぽけさを自覚していなかったからだろう。

抗議することによって無自覚は確信に変わったのだと思う。自分たちがどれほど怒っていたか、動きだしてから彼らはじめて気づいた。自分たちでわかっていたつもりの気持ちより、はるかに大きな感情が自分の中に蠢いていた。気づくということは、そういうことかと思う。

夕餉は、漬物・卯の花煮・佃煮・ほうれん草・玉葱・人参・厚揚げの卵とじ、焼き鮭、味噌汁(大根・玉葱・人参・ジャガイモ・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に煎餅、おこし。

米国も中国も、そこに暮らす人々の日々は僕らと変わらない。暮らしの本質が異なるわけがない。喜怒哀楽のうちに寝て食べて生み出したり破壊したりする。日々のなかに自由などというめんどくさい概念の入り込む余地はほんらいない。僕らがなにかを求めて立ちあがるのは、暮らしがおびやかされたときなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

寒波におおわれて

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち風雨。7度。

8時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナ、キャベツと大根のサラダ、味噌汁(蕪・玉葱・人参・ネギ・キャベツ・油揚げ・豆腐)、ハムと玉葱をのせたチーズトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

ウクライナはロシアとの戦争から大きな戦果を上げたかに見えたが、その後は膠着している。過日のこと、ゼレンスキー大統領が米国を急遽訪問して議会で今後の支援を求める演説をし、ミサイルの供与をバイデン大統領から引き出して帰った。米国の往復に使った交通手段は詳らかになっていない。共和党の一部はウクライナへの軍事供与を縮小すべきと訴えている。

妻とクルマで愛荘町へ。リフォームした古い家の内覧会。時間をかけてリフォームした家は見応えがあった。50坪を超える延床面積は隠居の離れと蔵からなっている古民家を作りかえて生まれた。立派な梁や柱。床を底上げしたぶん天井を抑えている。吹き抜けのあるリビングをのぞけば2.2メートル平均の天井高は落ち着きのある空間になっている。

昼餉は、マクドナルドでフレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。

寒波が襲って、アパートの冷え込みが厳しい。とりあえず自宅に引き返そうかと妻と話す。

夕餉は抜き。

 

 

 

 

 

 

稀覯本になる条件とは

 

 

 

 

 

 

 

 

雪、のち雨。4度。

8時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、大根・キャベツ・ツナのサラダ、味噌汁(蕪・玉葱・人参・蕪の茎・ネギ・油揚げ・豆腐)、ハムと卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー、クッキー。

クリスマスイブとはいえ、米原あたりでは目をひくような飾りつけがあるでもない。子どもたちはプレゼントをもらったりケーキを食べたりするのだろうか。

妻がコンサートで交換したプレゼント、トリュフの生チョコを口のなかで溶かす。プレゼントは妻が戻ってきた日にわたした。

昼餉は、ハムと小松菜のアーリオオーリオ・ペペロンチーノ、チョコレート。

古書が届く。『世界SF全集 6 ステープルドン リュイス』(早川書房)。読みたかったのはオラフ・ステープルドン著『シリウス』。早川が世界で初めて(にして最後かもしれない)のSF全集35巻を刊行したのは1968年から71年にかけてだった。

僕が手に入れたのは再版印刷で77年に刊行されている(それなりにニーズがあったらしい)。届いた本は45年前のハードカバーらしいヤケはあるもののきれいなほうだった。文庫本は絶版で古書が4000円以上する。状態のいいものは5000円を超える。単行本の刊行はないので、全集の1巻は稀覯本かもしれない。帯には「宗教、哲学、科学の諸問題を掘り下げた二大思索SF!」なる惹句が踊る。

リュイスの『沈黙の惑星より』も楽しみだ。

日本ではともかく欧米におけるステープルドンの評価は確立していると聞く。早川書房が全集に入れたのは慧眼である。いまに至るまでこの国のSF界を引っ張ってきたのもむべなるかな。

夕餉は、佃煮、漬物、卯の花煮、蕪の挽き肉あんかけ、焼き鮭、味噌汁(大根・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にクッキー、チョコレート。

 

 

 

 

 

 

第二や第三の心臓

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。のち雪。2度。寒風。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ハムと目玉焼き、味噌汁(カブと葉・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

妻は大阪へ。大阪城近くのホテルでクワイアのクリスマスコンサートに出演。戻りは夜遅く。

昼餉は、ファミレスで鶏肉ソテーとアジフライの定食、ドリンクバー。居座って本を読む。

アパートは石油ストーブをつけてエアコンをつけても寒い。

暖をとるには、布団に入って本を読むのがいちばんだ。冬のあいだこんな暮らしを続けていたら、身体によくないだろうと思う。本を読めるのはいいけれど。

身体を暖めるには、スクワットやクランプ、プッシュアップを繰り返すに限る。クランプをやり続けていると体幹がぶれなくなる気がする。台所で立ち仕事をしているときに、両脚の踏ん張りに気づく。上体が脚のうえで安定している、そんなふうに感じるのだ。

煮炊きや湯を沸かしているとき、スクワットを繰り返す。息が弾んでくる。暖かい季節なら汗ばむところだけれど、この時期は皮膚も鎮まりかえっている。奥の和室でプッシュアップをすると少し汗ばむ。

この時季の米原は北北西の風が強くて走ろうという気がしない。有酸素運動ではないけれど、歳を取ったら筋トレかもしれない。なんにしても、走れないことは精神衛生にくびきを打ち込まれているようなものだ。

夕餉は、餅を焼いて海苔を巻く。

妻の土産のチョコレートやパンを頬張る。

 

 

 

 

 

 

長浜をあっちこっち

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち晴れ。9度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイのミルクティー。食後にコーヒー。

妻が深夜バスと東海道線を乗り継いで戻る。疲れただろうに、そんな素振りも見せない。相変わらずの笑顔。

妻と長浜の住宅展示場へ。途中で暴風雨。

大手ハウスメーカーの営業氏に会うのは1年ぶりかもしれない。とりとめのない話を2時間(でも大切なポイントがいくつかあった)。

僕らのような年寄りに付き合ってくれる営業氏はそうそういない。ありがたいことだと思う。そのことを面と向かって口にする。

遅ればせの昼餉は、フードコートで豆パンとお茶。

大通寺の少し北へ。地元の工務店が建てた2階建の和モダンの内覧会。

水回りに大谷石をふんだんに使っている。幅3センチほどの杉のルーバーでリビングの天井をかまぼこ状に覆っている。造作の家具にブラスの取っ手でリズムを作っている。建築家・伊礼智さんの作品に特徴的なところを倣って取り入れている。30代の夫婦と2人の子供の家。小さくても住みやすそうだった(というより、小さいほうが住みやすいのだが)。

本が届く。三浦しをん著『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)。

夕餉は、漬物、佃煮、卯の花煮、人参のグラッセを添えた合挽き肉のハンバーグ、味噌汁(玉葱・人参・キャベツ・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にチョコレート。

夜に冷え込む。今冬いちばんの寒さ。

 

 

 

 

 

弘法はここにもそこにもいる

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち雨。9度。

7時に起きる。

朝餉は、ハムと目玉焼き、味噌汁(カボチャ・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。

吹き荒れた風がおさまって、湖面が輝いている。

注文した古書が届く。山口晃著『すゞしろ日記』(羽鳥書店)。日記とはいっても、そこは画家らしく絵日記である。画風は飄々として味わい深い。なにより細かい。ちまちました線、ちっちゃな手描き文字。日記というよりエッセーなのだが、日本画家らしい筆使いで下書きなしに書き進めている。どこから見ても読んでもいいので、疲れた頭を休めるのにちょうどいい。と思って見ていると、細かい線やら字を追いかけていつのまにか目を凝らしている。肩がいかってしまっている。

奥付けには初版から5年で6刷りとある。世の中にはこういう本の読者が一定数いるのである――となんだか心温まったりするのだった。いわゆるハマる。ちんまい、語りつくせない、どこまでも曖昧模糊、それでいて業の深さのようなものが漂う。

夕餉は、佃煮、卯ノ花煮、餃子、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。食後に揚げ煎餅、白湯。

3.5インチFDDしか外部記憶装置のない初代のMacintosh。発売まもない頃の話である。その小さなコンピュータには描画ソフト『MacPaint』が付いていた。HDDのない時代なので、128KBしかないメインメモリに3.5インチフロッピーディスクからアプリケーションをロードして使う。それが当たり前の時代だった。東京芸大を出たデザイナーは、「どれどれ」という感じでマウスを転がすとなにやら描き始めた。およそ1時間。モノクロの小さな画面には猫の細密画が映し出されていた。

ツールは関係ない。絵心のあるヒトはいきなりマウスで描けるのだった。

それは『MacPaint』で描いた世界で初めてのまともな絵だったのではないかと思う。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

ドラマと教育テレビ

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。6度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ハムと目玉焼き、味噌汁(玉葱・人参・カボチャ・小松菜・油揚げ・豆腐)、ハムと玉葱のチーズトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

今年の大河ドラマは面白かったと世間では言われている。史実をなぞっただけではない三谷幸喜らしさが出ている部分が話題を呼んでいた。

歴史上の人々の暮らしの先に僕らの暮らしがある。喜怒哀楽はそのままに。ドロドロの殺戮物語を支えている、感情や理屈は変わらないのだと思わせた。

渡辺あやの脚本による『エルピス』も手管の筆という感じがする。彼女のデビュー作である『火の魚』を僕はいまでも見返す。見たいドラマが見つからないときは、けっこうな頻度で見る。彼女の脚本の言葉にかよっている血を舐めるように噛み締める。朝ドラの『カーネーション』もいくつかの見たい回が頭に残っている。

今年のドラマはこの2本が楽しめた(エルピスはまだ終わっていないけれど)。

NHK教育の『読書の森へ 本の道しるべ』の3回目はヤマザキマリ。書斎や本棚、暮らしの一部を垣間見る。他人の本棚を見るのはドキドキする。そこには素の部分が露出している。ヤマザキマリの哲学書は見ているだけで胸が高鳴る。イタリア人の夫の嗜好もかい見えて、でも彼女の柔らかい部分を撫でるようなものがあった。エドガール・モランの『祖国地球 - 人類はどこへ向かうのか』をさりげなく見せる。彼女は色っぽい。

ちょっと触発されて、オラフ・ステープルドンの『シリウス』を古書で注文してしまう。

夕餉は、佃煮、漬物、豚バラ肉とキャベツ・小松菜の中華炒め、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン、白湯。

 

 

 

 

 

物語にふさわしき色

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。4度。

7時に起きる。

ここ1週間くらい、大陸からの風がやけに強い。日本海側の各地は大雪だ。局地的にまとまった雪が降る。線状降雪帯というらしい。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ハムと目玉焼き、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

クルマで長浜へ。妻へのクリスマスプレゼントを求める。ボアのついたルームシューズと靴下。僕の霜焼けはおさまりつつあるけれど。

クナイプのハンドクリームを見つけて求める。

注文していた波佐見焼の蕎麦猪口が届く。蛸唐草紋と市松紋の2個。コーヒーカップや茶碗がわりに。小鉢としての出番もありそう。

隙間だらけのアパート、風呂場は外気温と変わりない。昼間じゃなければシャワーも浴びる気にならない。霜焼けの両足薬指あたりが痒くて気持ちいい。髭を剃っていたら指をスーッと刃で引いてしまった。

さっぱりして、届いたばかりの『平家物語』をすこし眺めてから、手当たりしだいに机の本を手にとった。読みかけを片っぱしからめくる。そうやってなにかが満ちてくるのを待つ。

気構えというほどのことでもない。さっきよりちょっとマシな気持ちで『平家物語』をまた手にとる。と、本の小口が赤くなっている。紙の断面を鮮やかに染める血。左親指の傷口を見る。

『平家物語』にふさわしいと思ってから頁を繰る。赤い色はやがて元の色が想像できない色になる。その色をどう言い表せばいいのかわからないけれど。

鯖江のメガネ職人から礼状。少し疲れているようで。

夕餉は、佃煮、漬物、大根とかぼちゃの煮物、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。食後にかりんとう、コーヒー。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

5分の1ということ

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち雪。4度。昨夜から強い風。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・大根・ツナのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・大根・小松菜・油揚げ・豆腐)、卵サンドインチ、アールグレイ。食後にコーヒー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。

気温が下がっていく。

昼餉は、卵サンドイッチの残り、コーヒー。

本が届く。吉村昭著『平家物語』(講談社文庫)。ダイジェストとしては評価を得ている1冊。古川日出男訳の全訳を当初は考えたけれど、吉村さんのチカラ技に期待して。

ちなみに吉村・平家の書き出しは――

 

 祇園精舎の鐘の音には、諸行無常の響きがある。

 栄えた者も、おごりたかぶればかならずほろびる。それは、吹く風の前のちりのように吹きとんでしまう。まことにはかなく、それが世の習いなのだ。

 よい例が、平清盛である。

 

となっている。全訳である古川日出男のほうは――

 

 祇園精舎の鐘の音を聞いてごらんなさい。ほら、お釈迦様が尊い教えを説かれた遠い昔の天竺のお寺の、その鐘の音を耳にしたのだと想ってごらんなさい。

 諸行無常、あらゆる存在は形をとどめないのだよと告げる響きがございますから。

 それから娑羅双樹の花の色を見てごらんなさい。ほら、お釈迦様がこの世を去りなさるのに立ち会って、悲しみのあまりに白い花を咲かせた樹々の、その彩りを目にしたのだと想い描いてごらんなさい。

 盛者必衰、いまが得意の絶頂にある誰であろうと必ずや衰え、消え入るものだよとの道理が覚れるのでございますから。

 

と続く。誰もが冒頭を誦じられる文学は、それだけに作家たちを奮い立たせる。

サンデーソングブックは夫婦放談。竹内まりあさんの声は変わらず。

さらに気温が下がって零度近くまで。

夕餉は、佃煮、大根の皮の漬物、カボチャ・大根の煮物、焼き鮭、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。食後にピーナッツ、歌舞伎揚。

サッカーW杯の決勝戦は、アルゼンチンとフランス。土壇場でフランスが追いつき、PK戦のすえにアルゼンチンが勝つ。

 

 

 

 

 

 

 

コマの生きざま

 

 

 

 

 

 

 

曇り、午後から雨。6度。

7時に起きる。

朝餉は、大根の皮の漬物、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。

山口晃著『ヘンな日本美術史』より抜粋――

 

 屋敷一つを描くにしても、屋根などを描きながら「ああ、何かパリッとしない。どうしよう」というときに、白壁の場所に胡粉(貝殻などで作られる白色の絵具)を置いた途端に「あらっ」と思うくらい、画面全体にめりはりがついてきます。白を入れた瞬間に絵のレベルが変わるのです。これは描く人にはわかる感覚だと思います。

 例えば、画面の奥行を出す役目を果たしている霞を描く際に、墨でぼかしているときは非常に心細いものです。「あれ、全然ぱっとしないな。大丈夫かな」などと考えながら、絵師は暗い道を不安に打ち震えながら行くわけです。そしてようやく際に胡粉の白をのせた瞬間、画面がうわっと出来てくる。その最後の瞬間を信じて自分の不安な心を抑えるのです。

 絵師もそれを楽しみたいのでしょうか。白は最後にのせる事が多い。

 

小林秀雄が絵師の心を描くのとはわけが違う。ここには絵師本人の不安がちゃんと述べられている。不安の先の光明を見いだすまでがいい。

昼餉は磯辺巻き、ミルクをかけたシリアル。

ちゃんと眼科を受診しているの?と妻にメッセージを送ったら、たまたま診療が終わったところだった。なんというめぐりあわせ。

夫婦が長いと、そういうことはままあるものだけれど……。

大きな道をジョギングしている。なぜか小道から出てくる人とばったりする、クルマの鼻先がとびだしておどろく。

その日の朝からのあれこれがどこかでちょっとでも早かったり遅かったりしたら、そのがっちんこはなかった。がっちんこが重なってくると、走りながらつい考えてしまう。わざわざ重なるように組みつけられている。そう思えてならない。どこかでは実際にぶつかることだってある。

そういう確率をともなう物事はコマだと思う。で、それが出てくるヒョウタンのようなことをあれこれ想像してしまう。世の中にはヒョウタンとはおよそ思えないヒョウタンがたくさんあるのだ。

ふと思うのは、人生そのものがヒョウタンなんじゃなかろうかということだ。コマは己れということかもしれぬ。

夕餉は、カボチャと大根の煮物、焼き鮭、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡本太郎、のちパンダ

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り。8度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・大根・ツナのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(大根・玉葱・人参・ワカメ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

昆布・鰹節で佃煮つくり。大根の皮の漬物はまだ道なかば。

出汁と砂糖、醤油のにおいに台所が満ちて、食欲が胃袋から這いあがってくる。

昼餉は、磯辺巻きを作ろうとして(作るというほどのものじゃないけれど)、海苔はどこかなと妻にメッセージを投げる。20分ほどして妻より返事。

「ありました! でも食欲がなくなってしまった」

――僕の返事に、妻は無言で。

本が届く。山口晃著『ヘンな日本美術史』(祥伝社)。小林秀雄賞を受賞している。

この人の文章は衒いのない平易なものでサラサラと読んでいけるのだが、一方で、画家としての視座がしっかりしている。読みとばしてしまうと肝心なことがなにひとつ頭に入らないまま読みおえてしまいかねない。注意して読んでいても、いつのまにか緊張が解けていて、鼻毛のひとつも抜きながらぼんやり読んでいる。そして、ぜんぶ忘れてしまっている。

ある意味では、理想の読書かと。

夕餉は、大根皮の漬物、佃煮、豚バラ大根、餃子、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒー、皮付きピーナッツ。

妻は上野の東京都美術館へ。かねてから切望していた『展覧会 岡本太郎』を見たと。金曜は夜8時まで開場しているのをいいことに4時間も居座った。なぜだか妻は、目を剥きだした芸術家がずっと頭に居座っている。

妻はついでに上野動物園にも行ったのだが、こちらはぜんぜんダメだった。目玉のパンダも「月の石」みたいな感じだったと(大阪万博世代らしいたとえだ)。

僕らは旭川の旭山動物園を訪れて魅了されている。比ぶべくもないということか。

妻には吐露してないけれど、檻の中の生き物を観ることの息苦しさを僕は乗り越えられなくなってしまっている。旭山動物園でさえもうだめだ。小さなプール(それでも大きなほうらしいけれど)で泳ぐカバの親子とか、頭の高さで対峙できるうら若きメスのキリンとか、見ていると胸がしめつけられる。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムを新たに始めてβ1のリリースを始めた。macOSは13.2、iOSは16.3へ。

OS群をまたぐ新しいアプリケーション『フリーボード』が前バージョンのOS群からリリースされている。ホワイトボードのようなもので、デバイスをまたいでチーム共有もできるような仕様(だと思うけれど……)。

この程度のアプリがこれまでなかったのは逆に驚く。

 

 

 

 

 

 

 

 

禅・武の背骨

 

 

 

 

 

 

 

曇り。6度。西北西の風。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ミートローフと玉葱をのせたチーズトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

大根の皮を漬物に。ポン酢、唐辛子、柚子、りんご酢少々。

水上勉著『沢庵』より抜粋――

 

 不動明王は、右手に剣をにぎり、左手に縄を持ち、歯をむき出し、眼をいからして、仏法をさまたげる悪魔を降伏させようと突っ立っておられます。あの姿はどこの国でも見られるもので、その姿を仏法守護のかたちにつくって、つまり不動智を体現してみせたものです。何もしらぬ凡夫は、これに恐れをなし、仏法に仇をすまいと思い、悟りに近い人は、そこに不動智の表現を知って、一切の迷いを去り、この身が不動明王ほどに不動智の心法を体現するならば、もはや悪魔は存在しないのだ、としらせているのが不動明王です。それゆえ、不動明王は、一心の動かぬところをさしたもの、身がぐらつないことです。ぐらつかないということは心が留まらないことでしょう。物をひと目見て、それに心をとめない、それを不動と申すのです。なぜなら、物に心が留まると、いろいろの分別心が胸にわいて、いろいろ胸のうちに動いてくる。心が止まれば、止まる心は、動いているようで、じつは自由自在ではないのです。

 

このあとに、沢庵が柳生宗矩に書き記した『不動智神妙録』の本体が語られる。それは

応無所住而生其心(オウムショジョウニショウゴシン)という言葉に集約されるもので、「どこにも心を止めないで、しようとする心をおこせ」ということへ収斂していく。

昼餉は、小豆餡を添えた焼き餅。

沢庵は、宗矩の息子への教育についても一言あって、あれこれ細かい。二人の往還の深さが窺い知れる。

『不動智神妙録』はその後の武家の必読になり、禅と剣の領域における精神の支柱として読まれていく。

夕餉は、納豆、豚バラ大根、焼き鮭、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。 食後にコーヒー、ジンジャークッキー。

NHKで井上尚弥のドキュメンタリー。世界バンダム級4団体統一の王者になるまでの日々。強いボクサーでいつづけることの意味がわかっている。宿命なんて言葉を使う。

トリッキーなことはしない、言わない。基本に忠実で、どこまでも冷静だ。己れを過大評価しない。小さいときから、そうだったらしい。つわものらしいつわもの。

 

 

 

 

 

 

寒さはなんとかなるけれど……

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち晴れ間。朝の9度からどんどん下がる。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(大根・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、卵トースト、マスカット酢ジュース、アールグレイ。食後にコーヒー。

耳が切れそうな寒さを風が運んでくる。散歩を早々に切り上げる。妻からのメッセージによれば、こちらは夜にも雪が降りそうだと。

昼餉は、ミルクをかけたシリアル。

徒然草より第五十五段――

 

 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。

 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なきところを作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

 

夏のことを考えて家は作るもので、暑さはこらえられないものだというのは意外な感じだ。冬はどこでも同じだからというのは、寒さはもう仕方ないという諦めがある。

現代はどちらかといえば冬の寒さ対策が焦眉かもしれない。今も昔も暑がりだし寒がりだが、現代は暑さで死ぬ確率が昔より高いだろう。それでも現代が寒さを云々するのは考えさせられる。

遣り戸は引き上げ戸より明るいと。それはそうかもしれない。

高い天井は冬は寒いし、暗くてだめだと。今は無闇と明るいことを嫌う。それに高い天井は意外に好まれている。

造作は、とにかく作っておけば見て楽しいしどこかで役に立てばいいのだ、と。これは今も同じかな。

夕餉は、ジャガイモ・大根・ソーセージの煮物、焼売、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。

手描きのポスターの瞳を見て、ははぁと思った。

頑なな目、怒りをたたえた眼差し。

結局のところ、10年を経て宮崎駿さんを突き動かしたのは、この瞳だったのだ。原作も脚本も監督が務める。公開は来年7月14日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い商売

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち晴れ間。12度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ミートローフと目玉焼き、味噌汁(大根・人参・ネギ・小松菜・油揚げ・豆腐)、バターとブルーベリーのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

花梨材で作ったカリモクの古い椅子が届く。本花梨は伐採規制が厳しくなって手に入れるのが難しい。カリモクのビベンテも昔は花梨で椅子を作っていた(今はウォールナットを使っているらしい)。椅子裏の名版によれば、’00年9月の刻印があるから最後期の製造かもしれない。

求めたビベンテは傷がそこそこあった。ずっしり重くて稠密な木材の感じが伝わってくる。倉庫で眠っていただろう花梨の椅子は芯まで凍えて冷たい。温もりを取り戻すのにどれくらいかかるだろう。

長浜の美容院へ。いつもより短くしたツーブロック。いっそ逆立ててみようかとよぎったけれど。

妻からのメッセージに、ビニール袋にいっぱいの人参の写真。ワケありとはいえ170円とは……。

昼餉は、小豆餡を添えた餅を2個。

クナイプのハンドクリームは去年までたいていのドラッグストアにあったものだが、今年は見かけない。もともと見切りが早いらしい。そんなだからストアの扱いも極端に見える。グーテナハトが切れたのに買えないでいる。

代打で選んだのが黒バラ本舗の椿オイルクリームだ。こちらは無臭でそっけないのだが、来年90周年のメーカーが作り続けたクリームだ。今ふうの即効性は求むべくもないと思うけれど、欲しいのはそういうことじゃない。

クナイプは、120年くらい前にドイツのクナイプ神父が創始している。作り続けるという点では同じかもしれない。だが、日本での商売は頭の切れそうなビジネススクール出が取り仕切っているような感じだ。クナイプさんが悲しんでいそう。

夕餉は、納豆、ジャガイモ・大根・ソーセージの煮物、焼き鮭、味噌汁の残り、玄米ご飯、佃煮、赤ワイン。

座っていて気づいたが、最近の椅子はしなう感じがどこかにある。実際はしなっていないのに、材そのものの弾性とか構造的なものが身体に伝わってくるのだろうか。

花梨はそれがない。不思議な感じだ。