弘法はここにもそこにもいる

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち雨。9度。

7時に起きる。

朝餉は、ハムと目玉焼き、味噌汁(カボチャ・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。

吹き荒れた風がおさまって、湖面が輝いている。

注文した古書が届く。山口晃著『すゞしろ日記』(羽鳥書店)。日記とはいっても、そこは画家らしく絵日記である。画風は飄々として味わい深い。なにより細かい。ちまちました線、ちっちゃな手描き文字。日記というよりエッセーなのだが、日本画家らしい筆使いで下書きなしに書き進めている。どこから見ても読んでもいいので、疲れた頭を休めるのにちょうどいい。と思って見ていると、細かい線やら字を追いかけていつのまにか目を凝らしている。肩がいかってしまっている。

奥付けには初版から5年で6刷りとある。世の中にはこういう本の読者が一定数いるのである――となんだか心温まったりするのだった。いわゆるハマる。ちんまい、語りつくせない、どこまでも曖昧模糊、それでいて業の深さのようなものが漂う。

夕餉は、佃煮、卯ノ花煮、餃子、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。食後に揚げ煎餅、白湯。

3.5インチFDDしか外部記憶装置のない初代のMacintosh。発売まもない頃の話である。その小さなコンピュータには描画ソフト『MacPaint』が付いていた。HDDのない時代なので、128KBしかないメインメモリに3.5インチフロッピーディスクからアプリケーションをロードして使う。それが当たり前の時代だった。東京芸大を出たデザイナーは、「どれどれ」という感じでマウスを転がすとなにやら描き始めた。およそ1時間。モノクロの小さな画面には猫の細密画が映し出されていた。

ツールは関係ない。絵心のあるヒトはいきなりマウスで描けるのだった。

それは『MacPaint』で描いた世界で初めてのまともな絵だったのではないかと思う。