昔も今もない

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。11度。

8時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ハムと目玉焼き、味噌汁(大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、バタートースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

ジョギング、10.64キロメートル。北の風。コンプレッションシャツを重ね着。

用水路の枯れ草からアオサギがいきなり飛び立っていく。生き物の気配が消えた畑にとびきり大きな鳥。地面を睨みながら走っていたことに気づく。伊吹山の輪郭がくっきりしているのに。

昼餉は、ブルーベリーを塗った食パン、ミルクをかけたシリアル、コーヒー。

画家の山口晃さんの絵が気に入っている。ユーモラスな視線。浮世絵風の油絵は緻密で温かい。人柄がそうなんだろうと思う。

『新東都名所 東海道中 日本橋 改』は浮世絵版画だが刷数が限られている。多芸な方でエッセーが小林秀雄賞を受賞している。

夕餉は、ジャガイモ・大根・ソーセージの煮物、味噌汁の残り、ルーを解凍してカレーライス、赤ワイン。

山口画伯の絵を見ていると、同じ場所に異なる時が並行して刻まれていることがわかる。過去とか未来とかヒトが便宜的に呼んでいる決め事はあくまで便宜的かと思う。100年前は100年前のことではなくて、そのままの風景として刻まれ続けている。

見る人によってはすべてが詰まって見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清々しい姿勢

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたキウィとバナナ、味噌汁(大根・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、ハムと玉葱をのせたチーズトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

NHKの囲碁トーナメント。1、2回戦で大石を取って勝ち進んだ富士田明彦7段が、開始早々に高尾紳路9段の右辺下を召し上げる。解説の武宮正樹9段がよほどのことがない限り(そんなことはないという含みで)勝敗は決したと言った。

終盤近くに、そのよほどが起きた。逆に右辺から中央までの大石を持っていかれて、高尾さんが中押し勝ち。武宮さんは「ちょっとやりすぎましたね」と笑ったが、無難に勝とうとしなかった富士田さんは、高尾さんに礼を失しなかったと思う。清々しいと思ったのは僕だけではあるまい。

昼餉は、厚揚げ・大根の煮物、佃煮をのせた玄米ご飯。

サンデーソングブックを聴きながら佃煮を作る。今度は山椒を入れてみようかと。山下達郎さんが言っている。レコードでもCDでもハイレゾでもサブスクでも、好きな方法で聴けばいいのだと。「ご自由に、どうぞ」と。

彼がSpotifyなどのサブスクリプションに楽曲は提供していないのは有名な話だ。ハイレゾ配信している一部のサービスにも考えは崩さない。彼らの音楽に対する姿勢に疑問を持っている。そのことを公言している。CDが登場してから、彼が音作りに苦労してきたことはこれまたよく知られたことだ。

夕餉は、キャベツを添えた合挽肉のハンバーグ、味噌汁の残り、玄米ご飯、出汁で使った昆布・鰹節の佃煮、赤ワイン。

 

 

 

 

 

 

想うこころ

 

 

 

 

 

 

晴れ。13度。

8時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたキウィとバナナ、味噌汁(大根・人参・小松菜・ネギ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

ジョギング、10.21キロメートル。

琵琶湖の水面は油を流したよう。日差しが暖かい。

昼餉は、ミルクをかけたシリアル。

本が届く。若菜晃子著『街と山のあいだ』(KTC中央出版刊)。雑誌『山と渓谷』で副編集長をやっていた方のエッセー。本はハードカバーで、著者の描いた素描が書名とともに薄緑で表紙に箔押しされている。

その文章に飾り気はない。それでもふくよかな気分になるのは、伝わってくる彼女の気持ちに因っている。どんな山にも隣り合わせの覚悟があって、それをふくめてすべての山が人に求めてくるなにかが、そういう文章を書かせるのだろう。

彼女の人柄は、街にいてただ山をおもうだけの何気ない日を書いた文章にも浮かびあがる。ふくよかなのは、彼女の山をおもう心がそうだからなのだと思う。

夕餉は、厚揚げ・大根の煮物、合挽肉のハンバーグ、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。食後に紅茶・クッキー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰のために……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。12度。

8時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたキウィとバナナ、味噌汁(大根・人参・小松菜・ネギ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

誰かがこれを読んでいると意識しながら、でも備忘録として書いている。たまに1年前とか3年前の今日を読みかえす。

その時に思うのだ。その誰かとはやはり己れなのだと。未来の己れに向けて書いていることを読みかえすたびに強く思う。

 

あなたのことは知っている。だが、あなたは自分のことをわかっているんだろうか。

こうして書いていると、あなたがわかっているあなたのことがおぼろになっていく。あなたを知るには、これを書き続けるしかない。やがて、どこかであなたに再会することを願っている。

備忘録とは、よく言ったものだと思う。

夕餉は、きんぴら、厚揚げ・大根の煮物、焼売、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。食後に紅茶、チョコレートパイ。

深夜のW杯サッカー、クロアチアとブラジルのマッチはPK戦のすえ、クロアチアがベスト4へ。クロアチアは人が変わったように動いた。しっかり休息できたのか。派手なところのないチーム。他国チームとは違うところを見つめている。そんなふうに感じるのはなぜだろう。

ベスト4ではオランダを下したアルゼンチンと戦う。

 

 

 

 

 

東と西の空

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り、ぱらつく。12度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ハム・ソーセージと目玉焼き、味噌汁(大根・人参・玉葱・小松菜・ネギ・油揚げ・豆腐)、バタートースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

妻からのメッセージには、空は晴れわたり洗濯日和だと。こちらは雨まじりで冷たい風が吹いている、と返す。

買い物の帰りに彦根城の中をクルマでゆっくり走る。こんな日にも観光客の姿が。こんな日だから、忘れられないものかも。

思い出は大雨の日のこと、大雪の日のこと。ひどい目にあったよね、ほんとに……僕らは苦い日を笑う。今日の人々はどうだろうか。

昨夜からの鼻水がやっと止まる。妻によれば血管運動性鼻炎らしいが、ただ異物をすいこんだだけだと思う。

なんにしても、ティッシュをたくさん使った。

昼餉は、ハムと小松菜のアーリオオーリオ・ペペロンチーノ、コーヒー。

映画はセバスティアン・レリオ監督『聖なる証(原題:The Wonder)』。キリスト教にまつわる贖罪と原罪を描いた映画は数えきれない。小さな女の子が数ヶ月も食事を摂らないまま生きている。証にまつわる人々の想いが女の子の周囲で屹立していく。

女の子が背負っている穢れは、彼女の思いによって浄化されようとしている。その両方を知ることになる主人公をフローレンス・ピューが好演している。原作者のエマ・ドナヒューは『部屋』が翻訳されている。

夕餉は、きんぴら、キャベツ・厚揚げ・ソーセージの中華炒め、味噌汁の残り、佃煮、玄米ご飯、赤ワイン。食後に紅茶。

AppleはOS群のパブリックベータ・プログラムを更新してRC版をリリースした。

 

 

 

 

 

 

具象と抽象のはざま

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。10度。午後に風。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・小松菜・ネギ・油揚げ・豆腐)、ハム・玉葱・ピーマンのチーズトースト、生姜紅茶。食後にコーヒー。

教育テレビで本と本棚をテーマにした番組。角田光代さんの家に見入る。吹き抜けの天井まで伸びる本棚とその手前の椅子を兼ねた階段がおちつきそう。漆喰らしい壁の濃緑もいい。小さな地窓や高窓の穿ちかたもいい。建築家の西久保毅人さんはおもに杉並区で活躍されている建築家らしい。

夫婦が建築家にお願いしたことは3つだけだったという。目立たない家であること(これは大事なことかもしれない)、居酒屋みたいな場所があること(それなりのカウンター?)、そして野良猫が来てくれるような家であること。あとはなんも注文しなかったと。

それにこたえてた建築家は、家をおおうようにたくさんの木を植えたらしい。角田さんは目立たないことが木を植えることになるとは思ってもみなかったらしい。

「鬱蒼」という言葉をここのところあーでもないこーでもないと考えていた僕は3つの注文になるほどと思う。鬱蒼とした木々の中を入っていくかのように、木に囲まれた家に入っていきたい。そう妻に語ったのは数日前のこと。木に囲まれていると、結果として家が目立たない。

角田さんは、注文の仕方に大事なことを教えてくれる。具体的であることと抽象的であることの境界はむずかしいものだ。設計者のイメージを膨らませる抽象化は、具体化よりはるかに大事かもしれない。

でも、角田さんの注文が実はとても具体的であることに建築家は気づくだろう。ところがそこからさらに先は、やはりイメージの世界が広がっているのだ。そのあたりの塩梅はさすがと思わせる。角田さんは意識していないだろうけれど。

夕餉は、大根の皮・人参・油揚げのきんぴら、朝の味噌汁の残り、出汁をとった昆布と削り節で作った佃煮をのせた玄米ご飯、赤ワイン。食後にクッキー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

びわこ布巾

 

 

 

 

 

 

 

曇り、日差しあり。11度。

6時に起きる。

サッカーW杯で日本代表が敗れる。またもベスト8に届かず。試合後、森保監督が観客席に向かって深いお辞儀をしたと海外のメディアが伝えている。

妻が東海道線経由の高速バスで横浜へ。クワイアの稽古やら。それから自宅に帰る。戻りは来週以降に。

朝餉は、ハムと目玉焼き、ポークカレーの残り。食後にコーヒー、饅頭。

長浜の文具店へ。めあての陶器は売れていた。来年3月まで店は冬眠に入る。びわこ布巾を買って帰る。琵琶湖が赤潮に悩まされていた20年以上前のこと、家庭洗剤の使用を抑えるために作られた布巾だ。湯洗いだけで食器洗いができる。肌荒れがない。昨日の黒壁スクエアのそばの店にも置いてあったけれど、文具店はずっと以前から扱っている。

1875年にこの国で生まれたがら紡績は落綿を使って柔らかい糸を紡いできた。びわこ布巾は原綿をがら紡績にかけて吸水と吸油力が増している。洗剤に頼らなくてもさっぱりと汚れが落ちる。

店主の女性は元気そうで、引っ越し前よりかがみ込んだように小さくなった店は逆に品揃えが倍くらい増えて見える。

 子どもさんは元気ですか?

 ええ、それはそれは。

店主は母親の顔にもどって微笑んだ。

昼餉は、塩煎りのそら豆と花林糖、コーヒー。

ひとりになると料理がおっくうになる。作りおきをこしらえるいい機会なのに。妻のためもあるけれど、己れが愉しまなければ料理が旨くならない。そんなことを思いながら、でもついつい手を抜いてしまう。

映画は小泉堯史監督『蜩の記』(原作は葉室麟)。主演の役所広司は、所作と言葉の抑揚がいい。正座から立ち上がる瞬間の振る舞い。駆け足の馬を並足に戻し、止まって鼻先を半周させるときの脚のこなし。息を呑む。端座の重心のかけようをつい岡田准一と比べてしまう。岡田准一は言葉の抑揚にぎこちなさが拭えない。年相応とかではないところの作為。

偉そうに書くけれど、正座も満足にできない己れに恥じいる。

夕餉は、ハム、ポークカレーの残り、赤ワイン。食後に花林糖、クラッカー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁は異なもの

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。パラつく。11度、

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・バナナ・チーズのサラダ、味噌汁(大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、ハムをはさんだ卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。

妻と長浜の文具店へ。あいにくの臨時休業だった。たまたま臨時休業だったのは2回目。縁の薄さを思う。

長浜の市街へ。図書館でちょっとすてきな発見。たまたま手にした『暮らしの手帳』に子どもたちの詩が載っていて、たとえばこんな詩だった。

 

 豆がへんしん

                   3年 中山蒔郎   

 

 オラがふだん食べている豆は

 やわらかいけど

 今日畑でひろった豆は

 すごくかたかった

 白い豆がほとんどだった

 こんなかたい豆が

 あまいあんこになるなんて

 信じられないな

 この詩を書いている時に

 かあちゃんは

 消しゴムと白い豆をまちがえてた

                  (音更町立音更小学校)

 

『サイロ』という子どもの詩集に載ったものだが、詩集を編む母体となっている『サイロの会』は62年前に北の大地に生まれた。六花亭の創業者である小田豊四郎さんが福島県郡山で創刊された『青い窓』という詩集に感動したことが発端という。

そこまで読んで気づいた。

『サイロ』は六花亭の真駒内本店で手に取った覚えがあった。父の葬儀の引出物を見繕っているとき手にしたのだった。そんなことを思い出した。

図書館から歩いて黒壁スクエアへ。アーケードのなかほどに目新しいビルが建っていて、そこの1階にD&Departmentがプロデュースしたショップが営業していた。開業は1年前なのに気づかなかった。滋賀県の麻布に代表される地場商品の品揃えは見応えがある。同社の奈良支店が品揃えに力を貸しているという。加えて発酵をテーマにした商品開発が目玉で、味噌やチーズをガラス越しのブースで仕込み販売している。D&Departmentの社長さんは47都道府県の名品を掘り起こして流通させることを商売にしている。その企業姿勢がグッドデザイン賞を受賞した際に親交を結んだのだった。

店舗の中にはやまなみ工房の方々が作った作品が置いてあり、陶器のお地蔵さまを2つ求める。ギャラリーで明後日から開催の展示会でやまなみ工房の絵が展示即売されるという。店舗の社長さんの案内で一足先に拝見する。作品がとてもチャーミングで言葉を失う。見ていると多幸感に包まれる。

開催前だったけれど好意に甘えて2点求めた。来年3月の会期末に僕らの手元に絵画がやってくる。その絵を思い起こすと心が浮き立つ。

文具店が休業していなければ、それ以降の出会いはなかったかもしれない。めぐりあわせてくれたと思う。

夕餉は、味噌汁(大根・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、ポークカレー、赤ワイン。食後に紅茶、クッキー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陰影の浮世絵

 

 

 

 

 

 

 

曇り。11度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツ・大根・ツナ・チーズのサラダ、味噌汁(白菜・人参・大根・ネギ・豆腐・油揚げ)、ハムとピーマンを乗せたチーズトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、最中。

売りに出ていた土地が、先月末に売れてしまった。義母の畑を宅地にする妻の目論見は潰えた。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。将棋は、中盤でAIが第1候補とした角を切る手を解説の稲葉陽8段が「ちょっと勇気がいりますね」と言って退けた。

角交換をした後手の弱気とは対照的に先手は左桂が攻めに活かせ、逆に角を切ってそのまま優勢として寄り切った。勇気がいると退けた一手が、まさに勝負を分けた格好だった。そうした考察を対局中に解説者は見極めようとしなかった。ほかの手はともかく、その一手にこそ解説は必要だったと思う。

囲碁は名人と天元の若者ふたりの戦いだったが、天元の関晃太郎さんが中押し勝ち。芝野虎丸さんはNHKトーナメントとの相性が良くない印象だ。寄せに入る直前にAIは天元に90%近い優勢を与えて、そのまま勝負がついた。AIの先読みは確かだった。

昼餉は抜いて、茶菓子をコーヒーとともに。

日曜美術館のアートシーン、渋谷の太田記念美術館で開催中の「闇と光 ―清親・安治・柳村」が面白そうだ。明治初期に西洋からもたらされた油彩画・石版画・写真といった表現技術を浮世絵に取り入れた作品が見られる。小林清親、井上安治、小倉柳村らによる陰影の強いコントラストの浮世絵。

18日まで開催中だが……。

うっかりするとニュースを読んでいるのはAIだったりする。AIの描いた絵も当たり前になりつつある。

夕餉は、サツマイモのレモン煮、キャベツを添えたビーフコロッケ、味噌汁(大根・人参・油揚げ・豆腐)、ポークカレー、赤ワイン。食後にピーナッツ、紅茶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祝福するライトウェイト

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツとウィンナーソーセージの卵とじ、味噌汁(大根・人参・白菜・ネギ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。

妻と長浜の居川屋へ。注文の菓子折りを受け取ってから叔母の家へ。昨年他界した義叔父の1周忌。読経は2時間ほど。

去年の本葬で喪主を務めた従兄弟は、ロードスターのNDを買って叔母の不興をかっているそうだが、「いいクルマを手に入れたね」と話を向けると、「それがね、腰が痛くてほとんど乗れてないんですよ」と笑う。

シートが腰に堪えるらしい。「もったいないな……」と言いながら笑い合う。笑うしかあるまい。年をとって求めたオープンカーに腰をやられるなんて。

叔母が苦々しく見ていようが、そんなことは関係ないのだ。一度の人生にオープンカーが必要だと気付いたのなら、その人は祝福されたのだから。

いったん帰宅して、着替えてから伊吹山麓の蕎麦屋へ。ニシン蕎麦。汁に完膚なきまでに打ちのめされる。どれだけの諦念の先にその味はあるのだろう。

薬草の里のバザール会場に寄って、ほうじ茶ラテなど。夜のライトアップが本番らしい。それでも駐車場は満杯。

会場の向こうに初冠雪した伊吹山の頂上あたりが覆い被さる。吹き下ろす風に背筋が曲がっていく。

長浜で妻がジーンズとスニーカーを求める。

分け合った供物の菓子で腹を満たす。

遅い夕餉は、即席のカレーをかけた玄米ご飯を少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早暁のミラクル

 

 

 

 

 

 

 

雨、降ったり止んだり。8度。

8時に起きる。

目が覚めたらFIFAワールドカップで日本代表が決勝トーナメント行きを決めていた。ドイツに続いてスペインに逆転勝ち。勝負師としての森保監督の勝ち運はサンフレッチェ時代から刮目すべきものだった。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、雑煮の味噌汁(大根・キャベツ・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)。食後にクッキー、コーヒー。

アパートが寒い。隙間だらけでは仕方ないけれど。光熱費は焼け石に水だ、妻とこぼす。YouTubeでは古民家暮らしの模様を視聴する人が多いらしい。実際の古民家はいかにおしゃれに見えても過酷だろうと思う。

全国のラジオをインターネット経由で聴いている。湘南ビーチFMに合わせることが多い。放送のスタイルとか選曲が肌に合う。母体は逗子・葉山コミュニティ放送だが、社長はジャーナリスト・木村太郎氏だ。コミュニティー放送局としては開局が早い方で、明日が29年目となる。

インターネットラジオではほかに旭川のいくつかの局に合わせる。クラシックの新譜専門やピアノ専門、ジャズギター専門といった特化が面白い。鎌倉や軽井沢のコミュニティー局も以前は聴いていたが、ずっとお休みしているようだ。そのあたりの事情は音楽配信の著作権料と切ってもきれない。

ラジオはMCが曲の合間に地域情報をすこし盛り込んだりして、その人肌が好ましい。その点、Spotifyのようなサブスクリプションは素っ気ないのだ。ラジオの経営は厳しいだろうが、ものいわぬリスナーは案外多いのではと僕は確信している。

昼餉は、ハム・小松菜・昆布のアーリオオーリオ・ペペロンチーノ。

夕餉は、焼き鮭、豚バラと大根の煮物、味噌汁(玉葱・人参・サツマイモ・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後に生姜の葛湯、クッキー。

AppleはOS群のパブリックベータ・プログラムを更新してβ4をリリースしている。ちなみにmacOSは13.1、iOSは16.2。

 

 

 

 

 

日本は変わらない

 

 

 

 

 

 

 

曇り、ぽつりぽつりと。11度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・大根・ツナ・チーズのサラダ、ハム・目玉焼き、味噌汁(大根・人参・エノキ・キャベツ・ネギ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリーのトースト、アールグレイ。食後にチーズケーキ、コーヒー。

革靴を磨く。靴墨をコンロの直火で溶かして使う。Lloyd FootwearのストレートチップとChurch’sのメダリオン。こちらへ来てから履いたのは法事のときだけかと思っていた。Church’sは京都の面接にも履いていったかもしれない。Lloydは姪や甥の結婚式に履いたかもしれない。

そうやって思い出しの真似事をするのも、靴を磨いているときだけ。

昼餉は、焼き豚とネギのチャーハン、中華スープ。

姉への手紙を投函。

妻と彦根のいと重へ。鯖江メガネ工房の職人氏へ「埋もれ木」を見繕って贈る。近況伺いの手紙を添える。店員に調べてもらったら、この4月にも送っていた。

昼過ぎから雨がぱらつき、気温下がる。鈍色の空は日本海寄りらしい。札幌の冬もおおかたはこんな色だった。

夕餉は、カボチャのいとこ煮、厚揚げ・白菜・エノキ・キャベツ・モヤシ・人参のトロトロ煮、味噌汁(キャベツ・大根・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にお茶、饅頭。

この20年ほどで英国の革靴ほど化けたものはない。化けた値段は3倍以上だ。世界の物価高を英国靴が語っている。

 

 

 

 

 

 

その気づきさえも

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り。15度。

昼前から温度は下がり続けた。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、きんぴら・ハム・目玉焼き、味噌汁(大根・人参・白菜・もやし・ネギ・油揚げ)、ブルーベリーのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、栗饅頭。

 

頭の中で言葉が死んでいく。

 

思いだせないというより二度とよみがえってこない。

 

そんな予感がある。

 

それでもいいと諦める。

 

すると、ひょんなことが起きる。

 

そのときは、死んだことさえどこかで死んでいる。

 

ああそうか、死とは、そういうことなのか。

 

その感覚も、すぐ死んでいく。

 

淡雪のように。

 

降ってきた数だけ、溶けていくのだな。

 

小さい女の子が店先で遊ぶ。その母親が営む小さな文具店で、彼女の義父母だったかが手びねりした小さな器をたまたま求めた。

それからずっと、そのカタチが好ましくてつい手にとってしまう。触れるともっと好ましくなるのをすこし我慢したりする。どんなひとなのかな、手びねりする姿を想像する。

もっと欲しいな。そう思い続けて、ずっと行けずにいる。週二日しか開かない店。

器たちは、まだ棚に並んでいるだろうか。

昼餉は、モスバーガーでフレンチフライ、ハンバーガー、ミルクティー。

無印良品でソックスを求める。

メモ帳を見ている。なにを書こうとしていたんだっけっか。

 

メモ帳をにらんでいる。どんなつもりで書いたんだっけっか。

 

メモ帳を求めて手があっちこっち動く。たしかここに……。

 

メモ帳って、なんだったっけか。

やがて、そうなるのかしら。

 

夕餉は、カボチャのいとこ煮、焼豚と白菜・ピーマンの炒め物、味噌汁(大根・人参・白菜・ネギ・豆腐・油揚げ)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後に栗饅頭。

今月の総括をば――。アクティビティは7日、総距離は59.54キロメートル。スクワット、プランク、プッシュアップはほぼ毎日。寒い時は筋トレに限る。

 

 

 

 

 

 

その些細は、些細のままに

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち雨。18度。

8時に起きる。

雨とともに気温が下がる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、卵焼きとハムをはさんだトースト。食後にコーヒー、笹餅。

些細なことは、些細なままにしておくのがいい。

僕らのまわりはちょっと煩わしいとか、少し不便とか、つい舌打ちしたくなるようなことばかりだ。気になりだすとふくれあがって頭からはなれなくなり、眠れぬ夜に寝返りやため息をつく。なんとかしようとして大枚をはたいたりする。

自戒を込めるけれど、買い物のほとんどは些細なことをおおごとにしてしまった成れの果てだ。せっかく買ったのに思いどおりにならなくて、さらにおおごとになる。ちょっと解決したけれど、予想だにしなかった不便をまたかかえこむ。もう引き返すことはできない。最初はほんの些細なことだったのに……。

その些細をずっとそっとしておいてやってくれ。寝た子は眠らせておくに限る。寝た子はひとりではないのだ。ブラックフライデーとやらが、寝ている子らのまわりで太鼓を叩いている。

昼餉は、塩焼きそば、中華スープ。

僕らの時代にはなかった「自分へのご褒美」という言い訳を考えついたのは誰だろう(もしや平賀源内センセか……)。幼い子をあやすように、たいしてがんばったわけでもないのに、些細な褒美なんだからといちいち言いわけまでして。

不便の解消でも煩わしさへの抵抗でもない。そんなおおげさなことじゃない。

愉しみを買うのさえ、今は些細である。どこかでこりごりしている。成れの果ての結末がわかっている。「沼」とやらに突っ込でいった己れを嘲笑う気持ちさえかいま見える。

いわれずともわかっている。些細なことは、些細なままにしておくにかぎるのだ。こどもをあやすくらいのちっちゃな甘やかしでお茶をにごす。ご褒美は、その程度のことだ。

些細をおおごとにはしない、僕らの些細は、どこまでも些細のままうずくまっている。今日も些細を飼い慣らして、折り合いをつける。

そうやって牙をむく瞬間を狙っていると言えなくもないか。まだ持っているだろうか、そんな牙を。

夕餉は、大根の皮と人参・油揚げのきんぴら、里芋のにっころがし、鶏団子・白菜・豆腐・大根・糸蒟蒻の中華鍋、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。

 

 

 

 

 

 

 

冬の備え

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。18度。

8時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、大根・キャベツ・ブロッコリーのサラダ、ハム・目玉焼き・里芋のにっころがし、味噌汁(人参・大根・キャベツ・ネギ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、フルーツルイボスティー。食後にコーヒー。

妻が冬タイヤへ換えるのを手伝う。僕はせいぜい冬タイヤをガレージから引っ張り出し、夏タイヤを仕舞い込むくらい。あとは彼女がさっさと進めていく。力仕事を見ていると、まだまだ一人でやれそうだ。最後に敷地の雑草刈りも。

アパートの仮住まいはこれからが辛い。妻はあれこれ対策を考えては提案してくる。畳の上に段ボールを敷いてはどうか、と今日は笑う。気づかぬうちに霜焼けができる女ならではの思いつき。生返事ばかりしていると怒られそうだ。

クルマで長浜の菓子屋へ。今週末の義叔父の法事の供え。

夕餉は、鳥肉団子・白菜・エノキ・大根のキムチ鍋、シメに餅、ウィスキー・オンザロック。