その些細は、些細のままに

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち雨。18度。

8時に起きる。

雨とともに気温が下がる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、卵焼きとハムをはさんだトースト。食後にコーヒー、笹餅。

些細なことは、些細なままにしておくのがいい。

僕らのまわりはちょっと煩わしいとか、少し不便とか、つい舌打ちしたくなるようなことばかりだ。気になりだすとふくれあがって頭からはなれなくなり、眠れぬ夜に寝返りやため息をつく。なんとかしようとして大枚をはたいたりする。

自戒を込めるけれど、買い物のほとんどは些細なことをおおごとにしてしまった成れの果てだ。せっかく買ったのに思いどおりにならなくて、さらにおおごとになる。ちょっと解決したけれど、予想だにしなかった不便をまたかかえこむ。もう引き返すことはできない。最初はほんの些細なことだったのに……。

その些細をずっとそっとしておいてやってくれ。寝た子は眠らせておくに限る。寝た子はひとりではないのだ。ブラックフライデーとやらが、寝ている子らのまわりで太鼓を叩いている。

昼餉は、塩焼きそば、中華スープ。

僕らの時代にはなかった「自分へのご褒美」という言い訳を考えついたのは誰だろう(もしや平賀源内センセか……)。幼い子をあやすように、たいしてがんばったわけでもないのに、些細な褒美なんだからといちいち言いわけまでして。

不便の解消でも煩わしさへの抵抗でもない。そんなおおげさなことじゃない。

愉しみを買うのさえ、今は些細である。どこかでこりごりしている。成れの果ての結末がわかっている。「沼」とやらに突っ込でいった己れを嘲笑う気持ちさえかいま見える。

いわれずともわかっている。些細なことは、些細なままにしておくにかぎるのだ。こどもをあやすくらいのちっちゃな甘やかしでお茶をにごす。ご褒美は、その程度のことだ。

些細をおおごとにはしない、僕らの些細は、どこまでも些細のままうずくまっている。今日も些細を飼い慣らして、折り合いをつける。

そうやって牙をむく瞬間を狙っていると言えなくもないか。まだ持っているだろうか、そんな牙を。

夕餉は、大根の皮と人参・油揚げのきんぴら、里芋のにっころがし、鶏団子・白菜・豆腐・大根・糸蒟蒻の中華鍋、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。