自由のありよう

 

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち曇り。6度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツと大根のサラダ、目玉焼き、味噌汁(蕪・ジャガイモ・キャベツ・人参・玉葱・ネギ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリージャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、チョコレート。

100年に一度と言われる大寒波が全米を覆っている。寒波と大雪によって飛行機もクルマも動かなくなり、クリスマス休暇は困難な状況が続いているとメディアが伝えている。

そんな中で、変電所施設を狙ったテロ行為が起きている。テロルと自由の国と呼ばれる社会とのあいだには、曰く言いがたいズレがある。トランプを大統領に押し上げ、国会議事堂を占拠した人々の憤懣が、その背後にもあるのかわからない。

差別はどこの国より根が深く、進化論を神への冒涜だと信じる人々がどこの国より多い。自由の国と呼ばれる背景には、人にけっしてやわらなくない国の岩盤が見え隠れしている。

昼餉は、ほうれん草と佃煮の雑煮。

国民の抗議によってゼロ・コロナ政策の変更を余儀なくされた中国では、中央政府が発表する感染者数や死者数が現実から乖離していることに批判が集まっている。ゼロ・コロナではなくフル・コロナだという。

国民が政権に表立って抗議する、とうの中国人がそのことに驚いている。自由を奪われた人々の自由を求める声に驚いた中央政府が軟化したことは、なにかが変わったことのあらわれだと中国人の誰もが思いつつある。彼らに許されている自由は、それがどれほどちっぽけでいびつなものであろうと彼らの支えとなってきた。

彼らが怒ったのは、その自由のちっぽけさを自覚していなかったからだろう。

抗議することによって無自覚は確信に変わったのだと思う。自分たちがどれほど怒っていたか、動きだしてから彼らはじめて気づいた。自分たちでわかっていたつもりの気持ちより、はるかに大きな感情が自分の中に蠢いていた。気づくということは、そういうことかと思う。

夕餉は、漬物・卯の花煮・佃煮・ほうれん草・玉葱・人参・厚揚げの卵とじ、焼き鮭、味噌汁(大根・玉葱・人参・ジャガイモ・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に煎餅、おこし。

米国も中国も、そこに暮らす人々の日々は僕らと変わらない。暮らしの本質が異なるわけがない。喜怒哀楽のうちに寝て食べて生み出したり破壊したりする。日々のなかに自由などというめんどくさい概念の入り込む余地はほんらいない。僕らがなにかを求めて立ちあがるのは、暮らしがおびやかされたときなのだ。