曇り、午後から雨。6度。
7時に起きる。
朝餉は、大根の皮の漬物、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
山口晃著『ヘンな日本美術史』より抜粋――
屋敷一つを描くにしても、屋根などを描きながら「ああ、何かパリッとしない。どうしよう」というときに、白壁の場所に胡粉(貝殻などで作られる白色の絵具)を置いた途端に「あらっ」と思うくらい、画面全体にめりはりがついてきます。白を入れた瞬間に絵のレベルが変わるのです。これは描く人にはわかる感覚だと思います。
例えば、画面の奥行を出す役目を果たしている霞を描く際に、墨でぼかしているときは非常に心細いものです。「あれ、全然ぱっとしないな。大丈夫かな」などと考えながら、絵師は暗い道を不安に打ち震えながら行くわけです。そしてようやく際に胡粉の白をのせた瞬間、画面がうわっと出来てくる。その最後の瞬間を信じて自分の不安な心を抑えるのです。
絵師もそれを楽しみたいのでしょうか。白は最後にのせる事が多い。
小林秀雄が絵師の心を描くのとはわけが違う。ここには絵師本人の不安がちゃんと述べられている。不安の先の光明を見いだすまでがいい。
昼餉は磯辺巻き、ミルクをかけたシリアル。
ちゃんと眼科を受診しているの?と妻にメッセージを送ったら、たまたま診療が終わったところだった。なんというめぐりあわせ。
夫婦が長いと、そういうことはままあるものだけれど……。
大きな道をジョギングしている。なぜか小道から出てくる人とばったりする、クルマの鼻先がとびだしておどろく。
その日の朝からのあれこれがどこかでちょっとでも早かったり遅かったりしたら、そのがっちんこはなかった。がっちんこが重なってくると、走りながらつい考えてしまう。わざわざ重なるように組みつけられている。そう思えてならない。どこかでは実際にぶつかることだってある。
そういう確率をともなう物事はコマだと思う。で、それが出てくるヒョウタンのようなことをあれこれ想像してしまう。世の中にはヒョウタンとはおよそ思えないヒョウタンがたくさんあるのだ。
ふと思うのは、人生そのものがヒョウタンなんじゃなかろうかということだ。コマは己れということかもしれぬ。
夕餉は、カボチャと大根の煮物、焼き鮭、味噌汁の残り、玄米ご飯、赤ワイン。