息の音

 

晴れ、ときどき曇り。13度。

7時に起きる。

朝餉は、姉の作ったなます、黒豆煮、焼き鮭、味噌汁(カボチャ・大根・人参・揚げ・豆腐・大根の葉)、親子丼、お新香、柿・キウイのヨーグルトがけ。

母と姉を乗せて父の病院へ。

母の検査結果を姉が聞き、それから3人で父の病室へ。

父は昨日よりさらに生気が抜けている。

母が小さい声で「お父さん……」と語りかける。

父は、そちらへ目を向けた。母が、笑いかける。

看護師のお嬢さんに「家は、このそばですか?」と尋ねられた。いつ呼び出しがかかってもおかしくない。

母の検査結果は基準値の範囲だった。僕より、よほど健康である。

姉の作った昼餉は、黒豆煮、ベーコンと目玉焼き、サーモンの刺身、おろした山芋、ご飯、お新香、番茶。

妻の飛行機を予約。来月1日の午後便で着く。レンタカーの延長に行く、その地で待ち合わせることに。

2つほど書き上げたのを妻に送る。不評。

病室で、父の息の音を聞いた。

母と姉の耳にも、その音は届いただろうか。

この瞬間にも、暗闇に沁み入る、その音。

夕餉は、黒豆煮、切り干し大根煮、スパゲッティ・ナポリタン。母は、ナポリタンの代わりにご飯。

僕は抜き。

 

 

見舞い

 

晴れ、のち曇り。12度。

7時に起きる。

朝餉は、姉の炊いた黒豆煮、マカロニサラダ、小松菜・ソーセージのクリームソース煮、ハンバーグ、味噌汁(カボチャ・大根・人参・揚げ・豆腐・三つ葉・大根の葉)、ご飯、新子、柿・リンゴ・ブドウのヨーグルト掛け、番茶。

姉と父の病院へ。

母は、会いたくないと言って、留守番を選んだ。看護師さんたちが、「あら、お母さんは?」とたずねてくる。

ご飯のとき「死にたい……」と小声で言いうと、少し笑った。母は、父のことで覚悟を決めたんだと、姉は言う。

母は、ただ言ってみただけだと思う。僕だって、たまに言う。言うのに、さしたるわけはない。ただ、言うのだ。なんでも、思いつたら言ってみるのだ。それだけのことである。

父は、少量らしいのだが下血がある。それに伴う貧血になっており、黄疸も広がっていた。目から力が失せ、火が消えようとしている。

姉は、かたわらで呼びかけ続けていた。僕だったら、黙っていてくれたほうがなんぼかいい。そうでなければ、笑ってくれたほうが楽だ。自己顕示してどうする、と言いいそうになるのを飲み込む。

見舞いに行って、死の床のかたわらで泣くなんて。

父のためを思うなら、笑え、アホっ。って思う。

昼餉は、みたらし団子、ポテトチップス、かりんとう。

葬儀のことをぼちぼち話す。

夕餉は、抜き。ファミマで当たった缶ビールを一本。禁酒していたのだが、これはこれ。

 

 

ドクター・ウィザード

 

曇り、日差しあり。12度。

7時に起きる。

朝餉は、山芋の酢醤油がけ、カボチャの煮物、大根と厚揚げの煮物、鰯の煮付け、味噌汁(白菜・大根・人参・シメジ・揚げ、三つ葉・大根の葉)、ご飯、柿・梨・りんごのヨーグルトがけ、番茶。

メルカリで買ったワイヤレスのイヤホン、Nobleの『Falcon』が届く。状態のいいものだった。Falconは新しいのが今月末に発売される。それを知ったのは昨日のこと。軽く舌打ちしたくなるとは、このこと。

ShureのSE215のブルーを、これといった思い入れもなく使ってきた。それにリケーブルのBT2を買い足そうとしていたのだが、また休眠に入る仕儀とあいなった。

SE215は、僕のなかではどこか場つなぎ的な宿命を背負っていて、そのくせ、もっともShureくさい音だと思いこんでいる。要は気に入っているのだが、休眠は休眠だ。ポンコツ扱いである。

耳のかたちと合わないのか、2時間もすると耳の奥が痺れて痛くなる。ポンコツの所以である。その点、Falconはたまたまだが、ぴったりだった。

歳を取ると、体に合わなくたって不都合はない。痛くても使うんである(休眠だけど……)。

昼餉は、朝の残り、焼いたソーセージ、マグロの刺身、ご飯。

どうせBluetoothの音でしょ、と思っていたが、Falconはなかなか頑張る。聴覚専門のドクター、ジョン・モールトン博士の監修という箔付きである。歳を取ると、箔付きくらいでは動かないが、このチューニングはたしかに上手い。

だがワイヤレスになった途端、電池残量だの接続状況だの、テクノロジー特有のあれこれが待っている。やれやれ、だ。

ヒト(というか僕)は、わずかな便利と引き換えに、なぜ煩わしさを暮らしに招き入れてしまうのだろう。柔軟なんだか、愚かなんだか、もはやわからない。

夕餉は、姉の炊いた黒豆煮、大根の皮のきんぴら、カボチャとベーコンのミルクスープ、ご飯、番茶。

 

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あわてんぼう

 

晴れ、のち曇り。ぱらつく。10度。

7時に起きる。

朝餉は、ほうれん草のお浸し、大根の皮のきんぴら、胡瓜とカニカマの酢の物、焼き鮭、鶏もも肉と茄子の甘酢炒め、味噌汁(カボチャ・大根・人参・シメジ・豆腐・油揚げ・三つ葉・大根の葉)、大根の葉と揚げの混ぜご飯、リンゴ・梨・キウイのヨーグルト掛け、番茶。

買い出しへ。スーパーを2軒ほど。こちらの野菜の売り方はちょっと違う。玉ねぎなどは10キロ単位だし、大根とか白菜も箱単位で売るのが普通になっている。食べ切るには、勢いがいる。もちろん1個の半分といった小分けもある。一人暮らしとか夫婦二人の家は、どうしたって割りを食う。

北国ならではかもしれない売り方が、どうも馴染めない。新鮮なのをちょっとずつ、と思うのは貧乏性なのだろうか。

遅い昼餉は、ハニーバター・トースト、ミルク。母と姉は、朝の残り、ご飯。

本を求める。ジョン・クラカワー著、海津正彦訳『空へ 悪夢のエヴェレスト』(ヤマケイ文庫)、井上靖著『穂高の月』(ヤマケイ文庫)、串田孫一著『若き日の山』(ヤマケイ文庫)。デジタル版であることを確かめもせず、半額セールの文字に目が眩んでしまう。

クラカワーの山岳ドキュメンタリーは、最良質の文学である。これを単行本で持たないとは……、不覚である。

夕餉は、肉じゃがの残り、マグロの刺身、姉と作ったカボチャの煮付け、ご飯、お新香、番茶。

 

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その後のこと

 

強い雨、のち曇り。17度。

7時に起きる。

朝餉は、カボチャサラダ、大根おろし、肉じゃが、麻婆豆腐、味噌汁(さつまいも・大根・人参・油揚げ・白菜・豆腐・三つ葉・大根の葉)、ご飯、お新香、柿・梨のヨーグルト掛け。

食卓で、小さかった頃の思い出に花を咲かせる。近所の人々の行く末、風物。たまたまなのかもしれないが、気持ちのいい隣人ばかりだったと。確かに、見守られていると感じる眼差しが多々あった。

庭のカエデ、目に染みる赤が血のよう。

母が、それをずっと見ている。

姉が病院へ電話。父の下血は、見られないと。師長さんによれば、血圧も安定しているとのこと。

下血が、これっきりということはないと思う。医者によれば、痩せ衰えてしまえば血も出なくなるらしいけれど。

父に待っているのは、もう多幸感くらいなのだと思いたいが。

昼餉は、温かい蕎麦、ブドウ・リンゴ。

まとまった雨。季節を洗い流すように。

夕餉は、朝の残りのおかず、ご飯、番茶。母に付き合うと、こちらの胃袋がもたない。

母は、どこかが麻痺したように食べる。

 

 

 

黒い便

 

曇り、日差し。19度。

7時に起きる。

朝餉は、カボチャのマッシュサラダ、ふろふき大根、大根の皮・サツマイモのきんぴら、焼き鮭、味噌汁(大根・人参・油揚げ・豆腐・大根の葉・三つ葉、シメジ)、ご飯、柿・キウイ・リンゴのヨーグルト掛け、番茶。

姉と父の病院へ。担当の医師と面談。

昨日から、父は胃とか十二指腸あたりから出血しているらしい。胃炎とか潰瘍、ガンの可能性があると。胃カメラを飲んで原因を突き止めるのも、父の状態では意味あることではないと。

一方で皮下点滴による水分補給は続いているので、出血が続いた場合は、血が薄まって貧血がひどくなると言われる。貧血は余命を縮める。

来週月曜の面会までには、出血の状態がもうちょっとわかっていると思う。

話しかけると父は目を向けてくる。ひと頃より目立っていない黄疸が、今日だけのことなのかわからなかった。この数日で、父から生気がさらに抜け、穏やかな顔つきになった。

昼餉は、姉の作った甘酒、干し芋。母と姉は、朝の残りのきんぴらやカボチャのサラダ、お新香なんかを。 

妻にも、父のことをメッセージで伝える。

ジョグは、7.1キロ。前半は急登、後半はその逆。

夕餉は、ハニーバターの食パン2枚、ミルク。母と姉には、カボチャサラダ、鶏肉のソテー、大根とかぼちゃの煮物、玉ねぎとイカのニンニク炒め、ご飯、ブドウ。

Appleは、iOS 14.2のパブリックベータを更新してβ4をリリースした。そういえばiPhone12は、エッヂが角ばった意匠に戻った。

 

 

あちらとこちら

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、白菜・豚コマの中華炒め、大根とカボチャの煮物、ホタテ・サーモンの刺身、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・大根の葉・油揚げ)、ご飯、お新香、柿・リンゴのヨーグルト掛け。

父の死について、少しずつ食卓で話すようになった。この家族にして、大いなる前進かもしれない。

死が身近にあると落ち着く。それを、憚ることなく話し合うことで、さらに落ち着いていく。自分の死もぼちぼち語る、どうして欲しいとか、どうしようとしているとか。

昼餉は、母は菓子パンとぶどう、豆乳。

姉を乗せて病院へ。甲状腺の定期検診。

病院の近くのホームセンターで、ゴミ収集ボックスの助成金をもらう準備を。

妻とメッセージのやりとりをしていると、存在がずいぶん遠くに感じる(実際、遠いけれど)。どちらかが死んで、それでもメッセージだけは使えるとしたら、今みたいな感じを味わうのだろうか。

――おはよう。こっちは晴れるよ

――おはよ、こっちは雨だわ

晴れてるからといって、そこが天国とはかぎらない。

だが、やりとりができるなら、どこだってかまわないと思ったり。

夕餉は、握り寿司、朝の残り、お新香、番茶。

 

 

小鳥ほどでもない

 

晴れ。16度。

7時に起きる。

朝餉は、カニカマと椎茸の豆腐あんかけ、豚バラ大根煮、焼き鮭、味噌汁(カボチャ・大根・人参・大根の葉・油揚げ・豆腐・シメジ)、ご飯、お新香、ぶどう、番茶。

姉とストーブを買い換えに。キッチンのが寿命らしい。新しいのは来週に届く。

当たり前なのだが、関東や関西のストーブ事情とは別世界である。

半世紀前は森だったであろうところが、住宅街になっている。クルマで走っていると、目に付くのはそんなところだ。札幌で生まれ育ったのが嘘のよう。当時をしのばせる街並みは数えるほどしかない。やがて鄙びていくだろう景色の未来が、今は想像だにできない。

昼餉は、ハニーバタートースト、ミルク。母と姉は、朝の残り物、天ぷら、チキンソテー、ご飯、お新香。

市に申請していたごみ収集箱の設置がとおった。姉のゴミ出しが楽になる。

いただき物の野菜や果物が日に日に増えていく。ありがたいことだが、集中の悲劇が起きつつある。

夕餉は、菓子パン。母と姉には、チキンソテー、天津丼、お新香と朝からの残り物。

Twitterが米国で生まれたばかりのとき、アカウントを作ったまま、ほったらかしておいた。すっかり根付いてしまったが、基本的には嫌いである。

構造がパッとわからない。特有の表現が排他的だ。

コミュニケーションではない、なにか別のやりとりをしているような気がするのに、その正体がわからない。

久しぶりにログインすると、14年前の違和感がそのまま残っている。大統領のツールとしては、なんだかポンコツだ。共通性は、そのあたりにあるのだろうか。

ブログだって似たようなものだけれど……。

 

 

母と父

 

晴れ、のち曇り。15度。

7時に起きる。

朝餉は、キュウリとワカメ・カニカマの酢の物、姉の天ぷらの残り、大根の皮のきんぴら、鰯の梅煮、味噌汁(カボチャ・大根・人参・油揚げ・大根の葉・シメジ)、ご飯、お新香,柿とリンゴのヨーグルト掛け。

一匹で生きる。

野生の持っている当たり前のことが、僕らにないはずはない。

僕らだって、一匹で生きる。心には野生を抱えているから、社会とは縁もゆかりもない、組織化とは無縁の荒漠とした心象が好ましくなる。若いときは、それが無闇と顔を出す。だから戸惑うのだが、歳を取ると、その甘やかな邂逅をどれほど求めることか。

昼餉は、母がポークカレーの残りと天ぷら。姉は、菓子パンを半分。

母と姉を乗せて、父の病院へ。

「ここに、お爺さんがいるの?」

玄関先で、母が軽くボケてみせる。父をそんなふうに呼んだことは一度もないから、僕らは絶句する。

父は、母の顔を見ても大きな変化がなかった。すぐウトウトしだした。安心したようにも見えたし、興味を失ったようにも。先週より、ツヤツヤしているのは、顔に塗ったクリームかなんかのおかげかもしれない。

見栄えが悪いので入れ歯をしてくれ、と姉が頼む。看護師が入れようとしたら、父は顔色を変えた。看護師の頭をコツンとしようとして腕を上げた。口が痛かったのだろう。

父の状態を考えたら、そんな頼みごとはしないだろうに。

腕を上げられる――余力があるらしい。顔色を変えることもできる。こういうのを、持ち直したと言えるだろうか。

9.2キロをジョグ。森の中の公園を。週1のペースに落ちて、脚が鈍っている。

雪虫が行く手にホワホワ、舞っている。札幌の秋は、それらしく染まっていく。

夕餉は、刺身、ポークカレーをさらう、お新香、リンゴ。

 

 

リアシート

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、小松菜と油揚げの煮浸し、いとこ煮、味噌汁(大根・人参・シメジ・大根の葉・油揚げ)、ポークカレー、柿・リンゴのヨーグルト掛け、お新香、番茶。

食べ終えたばかりの母を、姉と連れ出す。クルマで紅葉狩り。芸術の森の奥、滝野、空沼のあたり。イチョウは来週らしい。

助手席の母は、ずっと、どこを見ていたのだろう。

父を隣に座らせて、2人で木漏れ日を見たのは4、5年前だった。

1時間ほどのドライブから帰ると、母と姉はソファで船を漕ぎ始めた。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。井山裕太さんの打ちまわし。ため息が出る。山田規三生九段を七目半差で退けた。

遅い昼餉は、黒豆煮、マグロの刺身、姉の作ったカボチャとサツマイモの天ぷら、ご飯、リンゴ、番茶。

ある法則を見出す。

冷蔵庫に食材が詰まっていると、僕は、それだけで腹一杯になってしまい、頭のどこかが休眠してしまう。

冷蔵庫は、空っぽへ向けて時を刻むとき、僕を覚醒させる。残り物や、端切れ、賞味期限切れが糾弾してくる。僕の不甲斐なさを責め立てる。

なぜだろう。それが落ち着く。

スカスカの冷蔵庫が、精神を安定させる――それが、冷蔵庫の法則。

夕餉は、抜き。母は、姉の作った天ぷらや刺身、ご飯。

先週のどこかで舞っていた雪虫が、影を潜めている。

 

 

子ダヌキ

 

おおむね、晴れ。16度。

7時に起きる。未明に鹿の鳴き声。

朝餉は、黒豆煮、マカロニサラダ、豚バラと大根の煮物、マグロの刺身、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・大根の葉・油揚げ・ワカメ)、焼いた餅、お新香、キウイ・牡蠣のヨーグルト掛け、番茶。食後に、姉の作った甘酒。

寝てばかりいる母を連れ出して紅葉狩りにでもと思ったが、母は動こうとせず。

95歳の頃の父を思い出すと、今の母も同じに見える。3年後の母は、今の父の姿なのかもしれない。

昼餉は、カボチャのいとこ煮、鶏肉のソテー、コーンバターライス、お新香、番茶。

大根や白菜のもらい物。家庭菜園の収穫。

姉が大根の葉を茹でて、げんなりしている。

今年は、いただき物の野菜が少ないと姉。父の入院が影を落としているという見立て。そんなものか。

ちょうど1年前、父はまだご飯を食べていた。少し陰りが見えていたが、食欲は旺盛だった。年寄りの1年は矢のようだと思う。去年は、大量の大根や白菜を片っ端から料理していたのだった。毎日のように煮物を作っていたはずだが、そのことが思い出せない。

夕餉は、僕と姉は抜き。母は、いとこ煮、鶏肉のソテー、蟹味噌、ご飯、お新香。

未明に鹿の鳴き声をよく聞く。

そういえば、母の定期検診の日。対向車線に血だらけのタヌキが倒れていた。轢かれて間もないタヌキは、全身が痙攣していた。

 

 

変えたいだけ

 

晴れたり、曇ったり。14度。

7時に起きる。

朝餉は、キュウリとワカメ・カニカマの酢の物、揚げ出し豆腐、ナス・ピーマン・豚ひき肉の炒め物、ホッケの焼いたの、焼き鳥、味噌汁(大根・人参・白菜・ワカメ・揚げ・大根の葉)、ご飯、お新香、リンゴ・柿・キウイのヨーグルト掛け、番茶。

父のケアマネさんが訪う。姉が心情を吐露して、涙ぐむ。母のケアプランも作ってもらうことに。

市の清掃局の職員が訪う。ゴミ収集のステーションが家から遠いので、自宅脇に置きたいという願い。申請がとおれば、冬場の姉の負担が減る。とりあえず、近所3世帯で使うという主旨で申請することに。

昼餉は、サーモンとマグロの刺身、温かい蕎麦、柿。

姉が作った甘酒がうまい。

ソファでうたた寝していた姉の盛大なイビキ。そんなのははじめてだと母。

夕餉は、蜂蜜バタートースト、豆乳。母と姉は、目玉焼き、ハム、サーモンの刺身、茶碗蒸し、お新香、ご飯。

Appleは、macOS Big Surのパブリックベータを更新してβ7をリリースした。

新しい首相が、首相とは思えない。母と姉がそう言いあっている。内閣は威勢のいい大臣たちが、さまざまな改革をはじめようとしている。国家観がないと首相のことを言うメディアもあるが、行政機関の手続きを見直すというのはわかりやすい。

ほんとうの改革をしてくれ、という指摘もある。どれがほんとうなのか、言い出したらキリがないが、手始めということもある。見当違いであろうと、手をつけるという意思に勝るものはない。この国は、意思さえ封殺されかねないどん詰まりにある。

 

 

暇をいいことに

 

晴れ、のち曇り。10度。

7時に起きる。

朝餉は、キュウリとカニカマの酢の物、クリームシチュー、豚ひき肉のハンバーグ、シャケご飯、お新香、柿・リンゴのヨーグルト掛け、番茶。

父の病院へ。身の回りの品々をソーシャルワーカーさんに預ける。下着、ベスト、電動カミソリ、イヤホン。

ガソリンを入れて、タイヤの空気圧をチェック。食材の買い出し。

痩せ衰えた父は、何かを考えられるのだろうか。

姉が話しかけると、父は涙を浮かべることがある。感情に訴える言葉や動作、表情に、父は涙で応える。高ぶった感情は、理屈ではない部分が働いているあかしだ。

考える、という活動は父の中で生き続けているだろうか。感じることと、考えることは同じなのだろうか。

そもそも、こんなことを考えること自体が、間違っている。

医療は不遜だ。寿命をあやふやなものにしてしまった。言い方は悪いが、生命を弄んでいるようにさえ見える。こっちまで考え方が貧相になる。

僕もくだらない奴だ。こんなことを自問している。

昼餉は、黒豆煮、チャーハン、水餃子の中華スープ、番茶。

姉が折に触れて言うことがある。父の寿命は20年以上前にいったん終わったのだと。心臓にペースメーカーを入れて、父は残りの時間を刻みはじめた。

姉は、そんなことを言いながら、何かを納得しようとしている。

夕餉は、小倉トースト、豆乳。母と姉には、刺身、卵焼き、黒豆煮、ご飯、豆乳、お茶。

AppleはiOS 14.2のパブリックベータを更新してβ3をリリースした。

 

 

ストレッチャーで

 

晴れ、降ったり止んだり。14度。

6時に起きる。

朝餉は、茶碗蒸し、黒豆煮、焼きシャケ、焼き鳥、味噌汁(カボチャ・人参・大根・玉ねぎ・三つ葉・豆腐)、赤飯、柿・リンゴのヨーグルトかけ、番茶。

姉を乗せて父の病院へ。転院の手続き。

介護タクシーに父を乗せて、家にもう少し近い病院へ。母が通院している病院でもある。

担当の副院長先生が父の容態を説明してくれる。思っていたより死が近い。足からの皮下点滴で水分を補給しているだけなので、余命は1~数ヶ月と言われる。もっと短いかもしれない。正式な診断は検査を経てになる。個室を選んだので面会の融通が効く。看護師長さんが、面会について臨機応変に対応してくれる。家族3人の同時面会もできることに。

父の顔に黄疸があらわれている。言葉は出ないが、こちらの問いかけに時たま答える。

母に父のことを報告。母は黙って聞いている。

昼餉は、黒豆煮、焼き鮭の残り、卵焼き、お新香、赤飯、柿、番茶。

「わたしは、見舞いに行かない」と夜になって母が言う。父の死相を見るのは辛かろう。母は自分のことも頭にあるのだと思う。それも無理のないことだ。

父は大病を患うこともなく、老衰で逝こうとしている。世間でいうところの大往生というやつだが、コロナ禍での看取りは付きっきりというわけにいかない。

父は、放っておかれているような気分を味わったかもしれない。新型ウイルスが世界で猛威を奮っていることなど何もわかっていないのだから。

夕餉は、クリームシチュー、ご飯、お新香、リンゴ。

 

 

母と先生

 

曇り、降ったり晴れたり。16度。

6時に起きる。

朝餉は、姉が炊いた黒豆、卵焼き、ホッケの焼いたの、鶏胸肉のソテー、味噌汁(ジャガイモ・大根・玉ねぎ・人参・シメジ・豆腐・大根の葉)、栗ご飯、お新香、柿・リンゴのヨーグルト掛け、番茶。

母と姉を乗せて、病院へ。母の定期検診。血糖値が高くなっている。まったく動かないので仕方ない。糖尿病は、経過観察することに。肺のレントゲンは正常だった。インフルエンザのワクチン注射も。

お医者の前に出ると、母は猫を被る。聞き分け良く「ハイ!」と答える。そんな母を見て、少し安心する。病院へ行くと元気になる――年寄りの正常進化。

モバイルのWi-Fiルーターは、2階の窓際に置くだけで激変した。同じ窓でも数メートルの差でこんなに違う。

昼餉は、黒豆煮、ほうれん草とベーコン・コーンのバーター炒め、赤飯、お新香。吉日ではない、たまたまの黒豆と赤飯。古々米のもち米をさらって。

8.7キロをジョグ。森の公園を巡る。

夕餉は、黒豆煮、赤飯、お新香、番茶。