面談の末

 

晴れ、のち雨。17度。

7時に起きる。

朝餉は、お新香、カボチャのいとこ煮、ナスとシメジ・ベーコンのチーズ炒め、小松菜・ピーマン・ソーセージの卵炒め、サーモンの刺身、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・油揚げ・三つ葉)、栗ご飯、柿・リンゴ・ブドウのヨーグルト掛け、番茶。

昼餉は、トーストとミルク。母と姉は朝の残りと栗ご飯。

姉とクルマで父の見舞い。面会した姉によれば、これまででいちばん意識がはっきりしていたと。車椅子に乗っているだけなのに、父の場合はそれがリハビリになるらしい。

お医者は2、3ヶ月の余命と言った。それは最短の見立てかと推察する。父は、もう少し頑張るかもしれない。

「おなか、減ってる?」という問いかけに、父はわずかに頷いたという。

姉が胃瘻のほうへ心変わりしたとしても、誰が責められるだろう。それに立ちはだかるのは、とても辛いけれど。

夕餉は、栗ご飯のおにぎり、味噌ラーメンを少々。

 

 

欠片ほどの

 

おおむね晴れ。18度。

7時に起きる。

朝餉は、金時豆煮、キュウリとカニカマの酢の物、お新香、おろした長芋、大根と人参・ごぼう天・竹輪の煮物、豚コマの生姜焼き、味噌汁(大根の葉・人参・玉ねぎ・豆腐・白菜)、コーン混ぜご飯、柿・キウイ・リンゴのヨーグルト掛け、番茶。

食事中に母が、ボソッと言う。僕の妻が一人で寂しかろうと。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。母も見入っている。囲碁に興味がありそう。計算好きの血が共鳴しているのか。

未知の物事への、そこはかとない憧れ――その血は母から受け継いだのかもしれない。

母の耳が遠くなければ、と思う。互いに、話す前にどこかで諦めているふしがある。補聴器でも、僕の声は聞きにくいのかもしれない。

昼餉は、朝の残り物、炊いたばかりの栗ご飯、番茶。

買い出しへ。段ボール3箱分の食料。2人の食欲にはかなわない。

18で家を出てから、家族らしい時間を過ごしてこなかった。母も姉も、思い出は消えつつある。こちらもそうだ。母とどんな日々を送っていたのか。なぜか、すっぽり抜け落ちている。たとえば、どんな料理を作ってもらっていたのか。手料理はなにが好きだったのか。こちらへ来ると、掘り返そうとして果たせない。寂しいとか、そういうことはない。

ただ、思い出せないことが不思議でならない。

夕餉は、バターと蜂蜜を塗ったトースト、ミルク。母と姉はマグロの刺身、筋子、大根の煮物、栗ご飯。

忘れているのか、そもそも何もないのか。

僕は非協力的な存在だった。それだけは言える。

 

 

封印と狼狽

 

晴れ、のち曇り。17度。

7時に起きる。たっぷり寝ているのに眠い。

朝餉は、キュウリと竹輪の酢の物、金時豆煮、サーモンの刺身、キャベツとネギの卵とじ、ラム肉の野菜炒め、味噌汁(ジャガイモ・大根・玉ねぎ・人参・三つ葉・豆腐)、大根の漬物、柿・ブドウ・リンゴのヨーグルト掛け、番茶。

僕らは、人生の多くを休養に当てる。前へ進むには、休まなければならない。体はもちろんだが、脳や心にも必要だ。夢を見て、さまざまに取捨選択をし、そして、忘れ去ることにしっかり封印をする。

覚えていることより、実は、封印したことに面白みがある。封印のやり方はどうであれ、それは何かの拍子に現れることもあるし、別の事柄に紐づけられてずっと顕在化していることもある。

どちらにしても、本人ははっきり自覚しないままでいる。急に現れた物事は、脈絡も関連もないように見える。だから、僕らはびっくりしてしまい、我を失って狼狽する。

僕らがいくつになってもうろたえるのは、そこに封印のエキスが詰まっているからだ。

昼餉は、朝食の余り物に焼いた鶏肉、ご飯、番茶。

うろたえることで、僕らは、封印というものの存在を知る。どこか深くに、それは押し込められ埋められている。力づくで掘り起こすのは分析医に任せるにして、僕らはその存在に無頓着に生き続ける。

それがいいのだ、と思う。

封印とか、狼狽とか――そんなことはどうでもいいのだ。脳は、そうやって自らの存在を僕らに知らしめようとする。それが脳の習い性というものだ。僕らは、脳のされるがままではない。その逆の行動をとったときに得られる幸福感や達成感だってあるのだ。

うろたえるのは、誰も好まない。それは、脳がそう仕組んだうえで、うろたえさせるように働いているのだ。

禅は、その呪縛から己を解き放つ方法のひとつだけれど、禅を学ばなくとも、僕ら一人ひとりはその方法を身につけている。ただ、気づいていないだけのことだ。

夕餉は、バターと蜂蜜を塗ったトースト、ミルク。

 

 

一生に一度

 

おおむね晴れ。16度。

7時に起きる。

朝餉は、大根の皮のきんぴら、焼きホッケ、鶏胸肉のソテー、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・三つ葉・豆腐)、ご飯、大根のお新香、柿・ブドウ・リンゴのヨーグルト掛け、番茶。

昨夜、早く寝た母は普通に食べる。

フロアヒーターの点検業者が訪う。炎をコントロールする王冠みたいな金具を交換したら、姉が嫌っていた赤い炎が影を潜めた。新品購入の10分の1の出費。

この世には、会いたいと思っていても会えない人がいる。

たまたま連絡先を交換しなかった。そのつもりでいたのに、機会が訪れなかった。探す手がかりはほとんどなくて、そうなると気持ちの収まりどころが見つからない。誰にでも、そんな人の一人や二人はいる。

こんな時代だというのに、どんなツールを使ってもその人は見つからない。まるで、最初から存在していなかったかのようだ。

ジョグは9.2キロ。森の公園にクマゲラ、エゾシカを見る。赤い実は、ナナカマド。

遅い昼餉は、ピザトースト、豆乳、ミルク。母にケーキ。

父の転院先の病院では、レギュレーションを緩めてくれた代わりに個室をあてがわれる。他の患者との接触をできなくして、新型コロナの感染を避けるらしい。個室なので入院費が跳ね上がる。父の蓄えから取り崩すことに。

夕餉は抜き。

 

 

98回目

 

晴れたり曇ったり。15度。

7時に起きる。

朝餉は、ヒジキ煮、ほうれん草の胡麻和え、大根と厚揚げの煮物、ナスと豚バラ肉の味噌炒め、味噌汁(サツマイモ・大根・三つ葉・人参・豆腐)、柿・ブドウ・リンゴのヨーグルトかけ、番茶。

大きなカボチャをいただく。スーパーなら800円くらいしそうだ。今年いっぱい、いとこ煮が食べ続けられそうだ(作らないけど)。

モバイルWi-Fiルーターをレンタルし直す。容量が無制限のやつに。でも、ここは電波の状況が良くない。皮肉なこと。

クルマでスタバへ行き、OSのアップデートやら溜まっていたアプリのアップデートをする。実に皮肉だ。

昼餉は、ヒジキ煮、温かい蕎麦、姉が漬けた大根のお新香。

バースデーケーキを3人で食べる。紅茶はダージリン。

キノトヤは、作ったケーキを直接届けてくれる。

玄関で「お誕生日、おめでとうございます」と会社の人に挨拶されて、ケーキを受け取る。些細だが、これがいい。

妻から母へビデオメッセージが届く。

「たくさん食べて、でもお腹を冷やさないでくださいね。腹巻をしましょう!」

力強く、でも優しい内容。母が、ビデオに向かって「はい、はい」といちいち返事している。

姉にスマホの使い方を教える。単なる電話器でしかなかった姉のスマホが、やっとそれらしく動きはじめる。姉は、妻に礼のメッセージを送って、それから互いにぼちぼちやりとりが始まっている。明日の肩こりが思いやられる。

母が6時過ぎに寝る。珍しいらしい。

98回目の誕生日を迎えた父は病院のベッド。生きているという自覚が父にあるだろうか。

夕餉は、抜き。

 

 

95回目

 

晴れ、ときどき雨。17度。

7時に起きる。

朝餉は、べったら漬け、ヒジキ煮、豚ひき肉と大根の煮物、鯖の味噌煮、水餃子の中華スープ、ご飯、柿・リンゴのヨーグルト掛け、番茶。

父の入院先のソーシャルワーカーから電話。家からいちばん近い病院を探してくれた。それが、母の通院している病院だった。コロナ禍で面会はできないのだが、終末期の父のことを伝えてくれたら、1名に限って週1回15分の面会を許してくれた。

姉が喜ぶ。院長先生も看護士も、姉は顔を知っている。それに、バスですぐそこだ。想像の域を出ないけれど、病院側が、母の旦那だとわかって柔軟に応対してくれたのかもしれぬ。そうだとしたら、ありがたい。

母は、父が同じ病院になったことを理解できていない。そもそも自分が通院しているという認識がない。理解できる日が来るだろうか。

妻は朝一番の新幹線で東京へ。21日まで向こう。クワイアの稽古やら、旧交を温めたり。

昼餉は、姉の漬けた大根のお新香、ヒジキ煮、大根煮、チーズリゾット、柿、番茶。

姉が花束を母に渡す。注文しておいたキノトヤのバースデー・ケーキは、父の誕生日である明日に。母の95回目の誕生日は、父にとっても良き日となった。

夕餉は、生寿司。

 

 

同じ1日でも

 

晴れ、のち曇り。17度。

7時に起きる。

朝餉は、キュウリとカニカマの酢の物、ポテトサラダ、カボチャのいとこ煮、いただき物の里芋の牛肉煮、味噌汁(三つ葉・大根・人参・シメジ・エノキ・豆腐)、ご飯、柿・リンゴ・キウイのヨーグルト掛け。

朝餉が終わると母はソファでうたた寝が始まる。ずっと眠り続けて、たまに目が覚める。トイレへ行って、また眠る。

寝るか、食べるか。話すことはあまりない。テレビも少し見る。気が向けば新聞を眺め、チラシに目を通している。だが、大半は眠っている。ある日、眠ったまま起きなくなるのでは、と思う。

母は、その時を待っているようにも見える。

昼餉は、いとこ煮、豚ひき肉と野菜の中華ポン酢炒め、焼き鳥、ご飯、番茶。

札幌は、秋の深まりが手に取るようにわかるので、動物たちも鳥たちも、一心不乱に冬への用意ができるだろう。呑気にしているのは僕くらいだ。

米原の妻よりメッセージ。長浜の叔母を見舞ったことなど。

叔母もすっかりやつれて、義母の最晩年のように歩いているらしい。認知症の叔父の入院も長くなった。

僕のまわりはそんな年寄りばかりで、自分のちょっと先の未来を見せられているのに、どこかで他人事のように思っている。

夕餉は、抜き。母と姉は、姉の作ったものを適当に。

 

 

残り時間

 

晴れ、のち雨。19度。

7時に起きる。

朝餉は、かぼちゃの煮物、厚揚げのみぞれ掛け、ピーマンの豚ひき肉挟み焼き、肉じゃが、味噌汁(油揚げ・人参・大根・シメジ・エノキ・三つ葉)、ご飯、リンゴ・柿・ブドウのヨーグルト掛け、番茶。

体温は36.6度。コロナではないらしい。海の向こうの大統領は一両日が要注意とのこと。

父の入院先から電話あり。

胃瘻せず、点滴だけで終末期を過ごすことに決めたと連絡。家に近い病院へ転院することに。

だが、コロナ禍で面会時間が限られている。姉が気に入っている病院は、調べたら月1回10分のビデオ面会。いよいよとなれば付き添えるのだろうけれど、とりあえずはそんなインターバル。

姉はそんなに父を放っておけないと。評判の芳しくないもう一つの病院は、週1回30分で2名まで直接面会できる。

会って触れ合えば父も少しは紛れる、と姉が言う。その気持ちをソーシャルワーカーに伝えて、第二候補に重点を置いてもらう。空きベッドがあればいいのだが。家からもっと遠いところなら、もう少し良い病院がある。だが、そこの面会状況は調べていない。

遅い昼餉は、母とカレーライスを少し、マグロの刺身。母は他にも少し。

姉を乗せて父の病院へ。10分の面会だったが、車椅子に乗せて談話室まで運んで来てくれた。父は眠り続けていたが、姉が声をかけ続けると目を開いた。僕らのことを認識したようにも見えたが、声は出なかった。

父をビデオに撮って母に見せる。変わらないね、と母。でも、母は見たことをすぐ忘れてしまい、あとでまた見せることに。すると今度は、ずいぶん険しい顔をしていると。

父のその無表情さは、義母の末期に見ていたのと同じもの。

誰も飲まないニッカの『竹鶴12年』をちびちびやっている。絶品。

夕餉は、抜き。

母が子どもの頃のことを話し始めたので、iPhoneのビデオで撮り続けた。祖父が羽振りの良かった頃のことで、小さかった母は、祖父の自転車を漕いで銀行への使いっ走りをやったらしい。米問屋を営んでいた祖父の腰巾着だったと。祖母や姉を幼い頃に亡くした少女は、祖父に可愛がられながら商売のイロハを身に付けた。

そんなことを語り終えると、母はまた無口に戻った。

 

 

交錯する心

 

晴れ、のち雨。19度。

7時に起きる。

朝餉は、キュウリとワカメの酢の物、長芋のポン酢和え、ポテトサラダ、サーモンの刺身、肉じゃが、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・玉ねぎ・三つ葉・豆腐)、ご飯、柿・リンゴ・キウイのヨーグルトかけ。

母や姉はともかく、僕は食べ過ぎだ。食べずに済むなら食べたくない――僕の考えは、どうやら許されないことらしい。

昼餉は、姉が作ったポークカレー。こいつが重かった。胸焼けがひどい。

買い出しへ。2時間近くかかって、段ボール2箱ほどの食材。

帰りが遅いと心配される。どこへ行っていたんだと。やれやれ。母も認知症が進んでいる。

夕餉は抜き。

なにか食べたかったら言ってくれ、と母にしつこく言う。

母は要らないと言う。

姉が、何か食べる?と母に尋ねると、ウンと答える。

そのくせ、僕が食べないことを気にして、姉になんとかしてやれと言う。

一緒に食べたい、と思う母の気持ちに寄り添ってやれ。もう一人の自分が言っている。腹が重い。

 

 

母との会話

 

雨、のち晴れ。21度。

7時に起きる。

朝餉は、ポテトサラダ、豚バラ肉の生姜焼き、焼いた鱈、味噌汁(サツマイモ・玉ねぎ・ワカメ・エノキ・油揚げ)、ご飯、柿・ブドウ・リンゴのヨーグルトがけ。

リースしたモバイルWi-Fiが届く。無制限のにすべきだった。

居間のフロアヒーターの掃除。カーボンを削り取っても、赤い炎は変わらず。

母と二人、父のことを話す。

「1ヶ月も病院で寝たままだけど、お父さんのこと、どう思う?」

「あたしは、わかっているよ」

母はそう答えてから、老い先について長い話しを始めた。それは、覚悟しているということなのか。最後まで真意は掴めなかった。

来週の水曜は父と1日違いの誕生日で、母は95歳になる。姉によれば、最近の口癖は「もう死ぬんだから」。白内障の手術をしようと提案しても、口癖とともに却下される。提案というものは、時間の残っている人のためにある。母は、そう言いたいたけだ。

傾眠は、放置しておくべき状態ではないと指摘する専門家に僕は異議を唱えたい。働き詰めの人生にあって、最後の数年をうたた寝し続けて何が悪いというのだろう。母を見ていると、正しいことは、それほど正しくはないのだと思えてくる。

姉の作った昼餉は、かぼちゃの煮物、レンコンの天ぷら、焼き魚、ご飯。

姉が職人を入れた父の庭は、こざっぱりしている。父は何年もかけて庭に植える樹々を集め、借りた土地でそれらを育て続けていた。その樹々をもとにして、200坪はあろうかという庭を手塩に掛けて造った。ところが、認知症を患うと一顧だにしなくなった。それはまるで、そこに庭など最初から存在していないとでもいうかのように。庭のことで姉が父に相談を持ちかけても、興味を示すことは稀だった。

夕餉は、菓子パン、豆乳。

8時に就寝。熱は一時的にしろ37度になる。

妻にメッセージ。

 

 

どっちに転んでも

 

降ったり止んだり。18度。

7時に起きる。熱は36.8度。

朝餉は、卵豆腐、きゅうりの酢物、姉が炊いた大根の煮付け、ほうれん草とベーコンの卵和え、マグロとサーモンの刺身、味噌汁(ジャガイモ・玉ねぎ・人参・エノキ・ワカメ・豆腐)、ご飯、柿・キウイのヨーグルトかけ。

熱が下がらないのは、疲れが出ているせいだと姉。そういえば、10時間寝てもまだ眠れる。

今さらだが、病院のベッドに臥せっている父が頭から離れない。看護師の若いお嬢さんが話しかけてくれるのがせめてもの救いだが。もともとが無口なので寂しいとは思わないかもしれないが、そうは言ってもである。

認知症の頭で何を思っていることだろう。

昼餉は、スパゲッティ・ナポリタン、コーヒー。

父の脳に走馬灯が回っているなら、それは満艦飾であってほしい。その見事さに、我を忘れて見入っていてほしい。

我を忘れる――認知症ではどんなふうに自覚というものが壊れていくのだろう。それとも、自覚はどこかに残っているのだろうか。叶うことなら、認知症からの生還者の声を聞いてみたい。

米国の大統領が奥さんとともに新型コロナに罹ったと。討論会の時は罹患していたのだろうか。民主党の候補は気遣う声明を発表している。

短期間でウイルスを克服できたら、それは大統領にとって追い風になるだろうと気の早いメディアが分析している。一方で重篤化したら、それはそれで同情をかうだろうとも。

オクトーバー・サプライズは確かに起きるものらしい。

夕餉は、ブドウ、ラム肉と野菜炒め、ご飯。

 

 

無声の父

 

曇り、のち雨。18度。

7時に起きる。

朝餉は、かぼちゃの煮物、かき揚げ、卵焼き、焼きサンマ、きゅうりの漬物、味噌汁(サツマイモ・玉ねぎ・人参・ワカメ・豆腐)、ご飯、ヨーグルトをかけたキウイ・ブドウ・柿。

姉を乗せて父が入院している病院へ。

父は誤嚥性肺炎が治って熱が下がり、顔色が良かった。入院して1ヶ月、点滴を受けてずっと寝ていたのだ。

握り返す握力はあるものの、話すことはできない。姉の言葉に涙するのは条件反射に近い。僕のことは認識できていなかったと思う。認知症が進んでいる。

「しっかりしなきゃね、オヤジ」

握っていた手の甲を強めに叩いたら、その時だけ目に宿るものがあった。定められた15分はすぐ過ぎる。

誤嚥性肺炎を治すことはもうできない。老衰が進んでいる。時計を戻すことはできないのだ。あとは点滴か胃瘻のどちらかしかない。胃瘻を施さなければ、数か月の命ということになる。

医師と面談して、終末期の方針を話し合う。胃瘻をして延命することは避けたいと思う、と考えを述べたけれど、同席している姉の手前、結論は月曜まで待ってもらうことに。
「これが私の父なら、胃瘻はしません」

個人的な見解ですが、と断ったうえで医師がそう言ったのは、姉への言葉だったと思う。踏み込んだな、と思ったが黙って聞いた。胃瘻の有無は別にして、ソーシャルワーカーに転院の候補をお願いする。こちらの希望と合う病院を中心に。

喫茶店に寄って、姉と話す。母への報告のことなど。

姉の作った昼餉は、天ぷら、焼き鳥、煮豆、ご飯。

父は今月8日で98歳になる。頑張ったと思う。父を安らかに逝かせることが僕らの務めだ。姉は「わたしが試されているんだね」と言った。胃瘻すれば、少し長く生きるかもしれない。だが、父の意思はそこにはないかもしれない。何も施さず、あとは摂理に任せる。それは、言うほどやさしいことではない。無力感との戦いは、誰にとっても辛いものだ。

姉の結論が、摂理に適ったものであって欲しい。

熱が36.9度ある。1度くらい高い。

今週はクルマ、電車、モノレール、飛行機、レンタカーと乗り継いだ。電車と飛行機は混んでいた。

帰ってからずっとマスクをしている。嫌な気持ちだ。

夕餉は、おやき、菓子パン、豆乳。

 

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北の街へ

 

曇り。25度。

6時に起きる。

朝餉は、ドーナッツとミルク、コーヒー。

荷物をまとめ、米原駅へ。妻とはそこでお別れ。

JRと阪急、モノレールを乗り継いで伊丹空港へ。

千歳行きのANAはそこそこに混んでいて、移動が戻りつつあることを実感。テレワークの影響は電車に顕著だが、それは元に戻らないのかもしれない。

JR北広島駅でレンタカーを借り、姉の待つ札幌の実家へ。

なんだかんだで8時間かかった。

姉と父のことで話し合う。

母にも意見を聞いたけど、分からないと言われた。それが正直な気持ちなのだろう。母は去年より元気そうだ。入れ歯の具合がいいからか。姉も思ったより元気そう。

 

 

四十二次

 

おおむね晴れ。26度。

5時に起きる。露天風呂。

朝餉は、バイキングで洋食を。

チェックアウトしてから、中山道・妻籠宿を散策。宿が軒を連ねる街道。栗きんとんが軒先に並んでいる。

妻がハンドルを握って米原へ。

昼餉は抜き。

主に21号線を使って下る。4時間ほどで妻の実家に着く。雨戸を開けて、庭の枝を払う。

夕餉は、栗きんとん、焼きそば。

 

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go to Kiso

 

晴れ。26度。彼岸花が咲いている。

5時に起きる。

コンセントを抜き、窓を閉める。

クルマに荷物を積んで、米原へ向かう。甲州街道を下る旅。妻がハンドルを握る。

朝餉は抜き。

昼餉は、道の駅で買ったパンとか。

諏訪湖畔から富士山が見える。八ヶ岳と南アルプスの裾野が諏訪湖から見えるのは一箇所しかない。そこから、たまたま富士山が見えるのだ。知らずに訪れた場所。

今日は、中山道は南木曽・妻籠の宿に骨を休める。温泉はアルカリ単純泉。肌がすべすべに。露天に星は見えず。

投宿してから姉に電話。病院に行ったら、父が車椅子に乗っていたとか。父の容態は少し戻っている。医者との面談で姉は疲れている。

妻は遅くまで何回も風呂に入る。たくさん食べて、たっぷり浸かった。久しぶりの温泉。

国道で10時間以上も走るのは、さすがに無理っぽい。ドイツ車のシートならなんとかなったと思うが。

宿は月曜でも客が入っている。マスクをしてビニールの手袋をして。従業員も客も、すっかり板に付いている。

 

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