選択肢という錯覚

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。20度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、ラディッシュの甘酢漬け、きんぴら、レンコン・人参・コンニャクの煮物、大根おろしを添えた卵焼き、焼き鮭、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・大根の葉・ネギ・豆腐・油揚げ)、玄米ご飯。湯がいたブロッコリーを食べ忘れる。

ジョギング、5.48キロメートル。西北西の風。この風になぶられると、初夏の米原を走っていたことが遠い昔に思える。

朝妻の農水路に繁茂していた梅花藻モドキのオオカナダモは、近隣の人々が刈り取ったようで堤に盛り上げられている。

おやつにナッツ、紅茶ラテ。

夕餉は、玉葱・じゃがいものスープ、ブロッコリーとシャケのクリームソースパスタ、ウイスキーオンザロック。食後に妻の点てた抹茶、生菓子。

関東と関西を行き来きすることを前提にした家づくりを考えている。義母の家は手を入れないかぎり暮らせそうもない。僕らが暮らしているマンションもそろそろリフォームの時期が来ている。どちらも成り立たせる道がまったくないわけではない。

この土地や生家にいると落ち込んでいく妻のことを考えれば、取りうる選択は明らかな気がする。土地を守る、という思慮の重要性も話した。親戚にも相談したほうがいいと最後に言った。

 

 

 

 

 

 

 

豊作の柿

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。20度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、冷奴、大根の皮と人参のきんぴら、ラディッシュのバターポン酢炒め、豚コマ・ナス・ピーマンの味噌炒め、味噌汁(人参・玉葱・ジャガイモ・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯。

手紙を書いた札幌や夕張の親戚から電話。長い無沙汰なのに、会話は途切れない。

駐車場の先にある畑へ妻と。大きな柿の木にたわわの実。伯父夫婦が元気な頃なら、頼まずとも収穫に来ただろうか。畑は一部を近所に貸している。ほとんどは手付かずで、大きな落葉樹もそびえている。それも切り倒さなければいけない。住宅地のど真ん中にあって使い道も思いつかない。妻は呆然としている。

2人で枝から落とした柿を袋に詰める。200個以上を洗って縁側に並べる。柿が豊作の年は大雪とか。木には、まだたくさん実っている。

食べごろをいくつか剥いて柿の空。

夕餉は、ラディッシュの甘酢漬け、キンピラ、レンコン・人参・コンニャクの甘辛煮、豚バラの肉豆腐、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・大根の葉・豆腐・油揚げ・ネギ)、ご飯、ウイスキーオンザロック、柿、紅茶ラテ。

梅の葉が風に散っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見積もるまでもなく

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。19度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、サツマイモの蜂蜜レモン煮、ポテトサラダを添えた鳥唐揚げ、味噌汁(大根・玉葱・人参・シメジ・豆腐・油揚げ、大根の葉、ネギ)、玄米ご飯。

札幌のご縁さんに手紙を書く。昨日、雨の中で撮ってきた写真5葉を添えて投函。少し楽になる。郵便局の窓口がいつの間にか電子マネーに対応している。

リノベーションの業者さん、訪う。義母の家を内外から見てもらう。僕らがそうだろうと思っていたことを裏書きされた。解体して新たに建てるのと変わらない費用がかかるとのこと。

木材の価格が高止まりしている。伐採から乾燥までに1年はかかるというから、相場が落ち着くのに2年と見るべきか。この時期に建て替えるのはどうかと思う。妻とそんなことを話す。

義兄が訪う。大量のラディッシュや小松菜、蕪かなんかの葉をいただく。畑仕事で日に焼けた笑顔。

夕餉は、サツマイモのレモン煮、味噌汁(大根・人参・玉葱・豆腐・油揚げ・小松菜・ネギ)、キーマカレーの残り、ウイスキーオンザロック。食後に妻の点てた抹茶、生菓子。

Appleは、macOS Montereyと、BigSurのアップデート11.6.1をリリースした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その家のこと

 

 

 

 

 

 

 

冷たい雨、15度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、大根のツナマヨサラダ、ポテトサラダを添えたコロッケ、焼き鮭、味噌汁(大根・玉葱・人参・シメジ・ネギ)、玄米ご飯。食後に蒸しパン、コーヒー。

妻とクルマで彦根の荒神山そばの甘呂町へ。

その家は、普通の家なら3軒ぶんはゆうにあり、大きな蔵まで建っていた。だが、住む人はもういない。

札幌で夫に先立たれ、悲嘆にくれる女性は故郷へ戻ってこいという地元の声に従った。生まれ育った街へ帰れば、きっと平穏な日々がある。彼女はそれを信じた。そして、一人暮らしに必要なぶんだけ大きな家に手を入れると、心機一転をはかった。

僕らが挨拶に伺ったご縁さんは、夫を失った頃からその人の相談に乗ってきた。札幌と彦根に離れてからも、彼女の話を電話で聞き続けた。いつからか、それが日課になったという。死にたい、とこぼす彼女に諭し続けた。

その人が自死を選んだのは一昨年のこと。

助けることができなかった。ご縁さんは、僕らにそのことを話してくれた。

僕らが彦根を話題にしたとき、ご縁さんは誘われるように話してくれたのだ。

昼餉は、マクドナルドで三角チョコパイ、コーヒー。

大きな家は崩れかかっていた。漆喰が剥がれ、塀が波打ち、瓦の隙間から雑草が伸び、冷たい雨に打たれていた。栄華を極めた時代を窺えたのは、その家の威風のおかげだったか。

毎日のように人と会えるわけではなかった。大きな家に一人。それが彼女を追い立てたのかもしれない。ご縁さんはそう語った。

いつか、その家を訪れたい。

その想いを聞いて、僕らは彦根へ行って写真を撮り、様子を報告しましょうと約束した。印刷した写真には、矢のように家を射る雨が写っている。

どのように書いたものか。写真には、厳しかった彼女の日々が写っているようだ。

夕餉は、ポテトサラダ、大根ツナマヨサラダ、妻の作ったキーマカレー、ウイスキーオンザロック、ナッツ。

写真を撮っていると、斜向かいの大伽藍の横道からご住職と思しき方が出てこられた。僕らの問いかけに、彼はその家の名を知らないと答えた。赴任して間もないから、と。

鄙びた家々に雨が降りしきる。

 

 

 

 

 

 

 

形見のフィルムカメラ

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。18度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、大根・蒟蒻・竹輪の煮物、レタスを添えたコロッケと豆腐の餡かけ、味噌汁(大根・玉葱・人参・エノキ・豆腐・油揚げ・ネギ)、玄米ご飯。食後にミルクティー。

縁側のサッシに隙間ができて、そこから外気が入り込む。長い留守の時間が、家を痛めつけていく。

彦根のメガネ屋へ。乱視を矯正して遠視を少し入れたSilhouetteを受け取る。壊れていたレンズ留めが直った。読書やPC作業が楽に。新たに1本預ける。去年の夏、妻に踏んづけられてテンプルが折れたKameManNenのフレーム。リムに七宝を施したチタン製だが、直れば嬉しいこと。

昼餉は、菓子パン、ナッツ。

妻は義姉の家へ。土地の相談やら。義兄が育てたジャガイモやサツマイモをいただく。ありがたい。

義姉とまた揉めた妻が、笑顔で涙を流している。きつい言われ方をした。黙ってその話を聞く。それから、散歩に連れ出した。文化産業会館に寄って、週末催事の展示を少し眺める。

夕餉は、冷奴、オクラとナスの煮浸し、ポテトサラダを添えた鶏ひき肉と豆腐のハンバーグ、味噌汁(大根・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、ウイスキーオンザロック。

夜気に体が震える。義母の家で冬を越すのは無理らしい。

書き忘れていたが、一昨日、GR Digitalを売ってきた。そこそこの値がついた。手元には岳父の形見のコニカ II B-mを残すのみとなった。

 

 

 

 

 

 

 

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幾千のことば

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、冷奴、肉じゃが、鯖の味噌煮、味噌汁(玉葱・大根・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、コーヒー。

梅の木の樹液を求めて、蜂が飛んでくる。

エナガの囀りが聞こえる。

手紙を3通。父の一周忌にお花をいただいた母方の親戚筋へ礼状。納骨の様子など。

昼餉は、マクドナルドでコーヒー、チーズバーガー。

妻と彦根の住宅内覧会へ。ずっとお付き合いしてもらっている工務店の社長さんに、そろそろ決めてはいかが、と笑顔で言われる。内覧会の招待状が届くたび訪れている夫婦は僕らくらいだと。

互いに笑い合えるのは、それくらいの関係になったということ。

夕餉は、冷奴、大根・竹輪・蒟蒻の煮物、豚バラ肉・ピーマン・ナスの味噌炒め、味噌汁(大根・玉葱・人参・シメジ・豆腐・油揚げ・ネギ)、玄米ご飯、ウイスキーオンザロック。食後にナッツ。

妻と話し込む。土地や家のこと。生まれ育った街に戻ってくると妻は落ち込む。ずっとその状態が続く。一方で、母親が遺してくれた家や土地を守らなければという想いもある。その狭間で彼女は揺れ動く。

心の持ちよう一つなのだけれど。そのことには触れず、受け皿になるようなことを話してみる。紡ぐ言葉より雄弁な何かがあれば、と思う。物事が熟すには時間が必要だが、それだけは伸ばしたり短くしたりできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

気高さとの邂逅

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。19度。

7時に起きる。

この時期に着ていた服が見当たらない。というよりも、どんな服を着ていたのか思い出せない。僕を見る妻の目が灰色になっていく。

朝餉は、味噌汁(ジャガイモ・人参・玉葱・ワカメ)、フレンチトースト、コーヒー。

「アフリカの日々」より——

 

ハンブルクで老ハーゲンベックに会った時、彼が言ったことを思いだす。肉食獣をふくめたあらゆる動物のなかで、いちばん気を許せないのは鹿なのだという。ヒョウのほうがまだ信頼がおける。だが、若い鹿を信じても無駄なことで、おそかれ早かれ、そいつは後ろからおそいかかってくるだろうと、彼は話してくれた。

 

このあとに続く、若い雌鹿のルルとの思い出を綴った文章ほど美しいものはない。それは、筆者であるディネセンの己へ向ける眼差しとどこかで交錯している。そんな想像をするのは僕くらいかもしれないけれど。

昼餉は、ナッツ、コーヒー。

立派な雌鹿となったルルが、再会に訪れる描写——

 

 森に帰ったルルには威厳がそなわり、立派にひとりだちしていた。心のもちかたが変わり、今や落ちつきはらっていた。王位を要求して亡命を余儀なくされている若い王女と知りあった人が、後年権利を回復して王位につき、権勢にみちた彼女と再会する——私とルルとの再会は、まさにそんなふうだった。フランス王となったからには、オルレアン公時代の自分の不平不満は記憶にとどめないと宣言したルイ・フィリップ王にひけをとらないほど、ルルには卑小さのかけらもなかった。ルルはいまや完全にあるがままの自分となった。(中略)ルルはしばらく私を見つめていた。その紫がかった眼はまったく無表情で、またたきもしない。神々は決してまたたきしないという。私は牛の眼をもつ女神ヘラと対面している思いだった。

 

ディネセンが雌鹿の神々しさにまことの神を見たのは、どこかで僕らのアニミズムに通じている。だがそれも一瞬のことで、彼女はすぐ女神ヘラを呼び寄せてしまう。僕らは、神をほかの神に置換しない。

ウイスキーを求める。Teacher’s Highland Cream

夕餉は、鯖の塩焼き、味噌汁(大根・人参・玉葱・カボチャ・ネギ)、玄米ご飯、ウイスキーオンザロック。食後にナッツ。

 

 

 

 

 

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冴え冴えの月

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り、日差しあり。17度。

7時に起きる。

食パンを齧って、豆乳。

荷造りをして、妻と米原へ。高速バスの旅。

新宿はコロナ禍とは思えない人出。昼過ぎの名古屋行きは、半分の席が空いている。

足柄で昼餉。サンドイッチやらお握り、温かいほうじ茶、どら焼き。

浜松では、お握りと味噌汁。

「アフリカの日々」を読み続ける。

名古屋から東海道線で米原へ。夜着。

肌寒い。

夕餉は、即席ラーメン、ウイスキーオンザロック、ナッツ。

座り続けて、血が固まっている。

ほぼ満月が、東の雲間からあわい光。

 

 

 

 

 

 

跡を濁さず

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。21度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、冷奴、きんぴら、ナス・ピーマン・厚揚げ・シメジの甘辛味噌炒め、小松菜とシメジの卵とじ、味噌汁(大根・玉葱・人参・シメジ・豆腐・ネギ・レタス)、玄米ご飯。

妻はクワイアの稽古などで外出。遅くに帰る。

昼餉は、竹輪、カニカマなど冷蔵庫の残り物を。

夕餉は、冷奴、大根・グリーンレタスのサラダ、チャーハン、ウイスキーオンザロック。

 

 

 

 

 

開明とはほど遠いところで

 

 

 

 

 

 

 

曇り、夜に雨。14度。

7時に起きる。

豆乳、コーヒー。

朝餉は、納豆、かぼちゃと大根の鶏そぼろあん、焼き鮭、味噌汁(大根・人参・ナメコ・豆腐・ネギ)、ご飯、コーヒー。

『野生の思考』より——

 

 動植物の種や変種の名を詳細に書き出すために必要な単語はすべて揃っているにもかかわらず、「樹木」とか「動物」というような概念を表現する用語をもたない言語のことは、昔から好んで話の種にされてきた。ところが、「未開人」の抽象的思考への不適合性と称されるものの例としてこのようなケースを挙げるとき、まず第一に人びとは、抽象語の豊富さはただ文明語のみの特徴ではないことを証明する他の例がいろいろあることを無視してきた。たとえば北アメリカ北西部のチヌーク語は、人や物の特質や属性を示すために抽象語を多用する。「この方法は、私の知っている他のいかなる言語よりもチヌーク語に多い」とボアーズは述べている。「悪い男が哀れな子供を殺した」がチヌーク語では「男の悪さが子供の哀れさを殺した」となる。また、女の使っている籠が小さすぎることを述べるのに「女は、はまぐり籠の小ささの中にエゾツルキンバイの根を入れる」という。

 それに、どの言語においても、語彙の穴を埋めるのに必要な手段を文脈や統辞法が提供するものである。また次の例のように、逆の場合、すなわち極めて一般的な用語の方が種名にまさって用いられる場合が、同じく野蛮人の知的貧困の証拠として利用されることを見れば、前節にあげたような言い方の偏向性は明白となる。

「インディアンは動植物の中で有用なもの、もしくは有害なものにしか名をつけない。それ以外は十把一絡げにして鳥、雑草、などと呼ばれる」

 

昼餉は、食パン2枚、豆乳。

レヴィ=ストロースが人類学を構造主義によって解き明かそうとしたとき、すべての解答が冒頭のこの文章に象徴されていたことは、今なお驚き以外のなにものでもない。

それはやがて、マルセル・モースの贈与論を経て、価値があるから交換されるのではなく、交換されるから価値がある、という地動説へと昇華されていく。

近代経済学の富の分配におけるこのコンテクストは警鐘として常に銘記されるべきかと思う。

早い夕餉は、冷奴、大根の葉と人参のきんぴら、カボチャと大根の鶏そぼろあん、小松菜・シメジ・厚揚げの卵とじ、味噌汁(大根・玉葱・人参・ナメコ・ネギ・レタス)、玄米ご飯、ウイスキーオンザロック、ピーナッツロースト。

Appleは、iOSiPad OS15.1をアップデートしてRCをリリースした。

MacBook ProAirPodsなどのラインナップを刷新している。MacBook ProのファンクションキーやMagSafeI/O周りを元に戻している。自社開発のCPUはバージョンアップ。

インテルのCEOが、またいつか我々のCPUを使ってもらえる日が来ることを願っている、と。

 

 

 

 

 

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売ったり買ったり、漁ったり

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。19度。

7時に起きる。

豆乳、コーヒー。

今日から朝型の16時間ダイエットにシフト。

朝餉は、冷奴、大根・厚揚げの煮物、グリーンレタスとカニカマ・半熟卵を添えた鶏ひき肉と絹ごし豆腐のハンバーグ、味噌汁(大根・人参・ナメコ・豆腐・油揚げ・ネギ)、玄米ご飯。食後にさつま芋の羊羹。

ジーンズを2本、買取屋へ持ち込む。Japan Blue Jeansにそこそこの値がつく。

古書店で本を求める。

クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳『野生の思考(原題:La Pensee Sauvage)』(みすず書房)、ミュリエル・バルベリ著、河村真紀子訳『優雅なハリネズミ(原題:L’Elegance du Herisson)』(早川書房)、常盤新平著『明日の友を数えれば』(幻戯書房)。

早い夕餉は、ズッキーニのカレーチーズ焼き、味噌汁(大根・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・ネギ)、チャーハン、ウイスキーオンザロック。食後にハニーピーナッツ。

リノベーション屋の事例写真を妻とネットから漁る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初冬の冷性

 

 

 

 

 

 

 

雨、遅くに晴れ。19度。

夜半にこむら返り。起き上がって伸ばすを繰り返す。

6時に起きる。

札幌で起居していると、外界が遠ざかっていく。戻ってきて、欠落を埋める。それが埋めるに値する事象かはさておき——そういうことが、知らぬ間に日々を形づくっている。

Insanity is doing the same thing over and over and expecting different results(狂気とは、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること)。アインシュタインが言ったとか言わなかったとか。誰が考えたにせよ、これは至言。

狂気と日々をリンクさせた構造性の発見とも言える。

「解散したのかしら?」

素っ頓狂な問いかけをしてくる妻。

飛行機も街も、コロナ禍はなかったかのような人出だった。それでもマスクが消えることはない。

ロシアをはじめとして、他国では相変わらずの猛威。

昼餉は、妻の作ったジャガイモのガレットと目玉焼き、バナナジュース。

NHKの囲碁トーナメント。広瀬優一5段が村川大介9段に7目半勝ち。左下隅の大きな地を村川さんが取って、右辺との振り変わりになった時は損をしたように見えた。短い時間でその勘定を相手に選ばせた。若い時ならではの勝負勘のカオス。彼は21歳だという。

買い物に出て、風の冷たさに驚く。

夕餉は、厚揚げ・大根・人参の煮物、妻の作った味噌汁(大根・人参・油揚げ・ネギ)、ピーマンの肉詰め、玄米ご飯、ウイスキーオンザロック。食後に栗羊羹、コーヒー。

忘れていたが、AppleOS群のパブリックベータ・プログラムを更新してβ4をリリースしている。

 

 

 

 

 

 

 

北は北、ここはここ

 

 

 

 

 

 

 

雨、止んでみたり降ってみたり。1万メートル上は強い風。

7時に起きる。

柿を食べて9時に妻と家を発つ。母を包んで、しばしの別れ。

ここ数日でサァーっと色が濃くなった樹々の葉。近所の散歩道やら芸術の森、市立大学のあたりをクルマで流す。舞う落ち葉。

妻が健気。

キャリーケースを宅急便で送る。

六花亭ホールで旬のお菓子を見繕う。この店はいつ来ても心が晴れる。店員の笑顔、応対の妙。

豊平の生家のあたりに行くのは40年ぶりくらいか。面影はどこにも見当たらず。幼馴染の名前を表札に見つける。彼の子供とおぼしき主の名前。

クルマを返して、昼餉は札幌駅そばのラーメン横丁で旭川の支那そばを。妻は味噌、僕は醤油。

札幌駅は見違えるほど。数え切れない店が並ぶ。

紀伊國屋で本を求める。イサク・ディネセンの『アフリカの日々』を文庫本で買い直す。3年前の本はまだ初版のまま。

千歳空港のスーパーラウンジでミルクやコーヒー。時が風のように流れていく。外の雨、風が鳴っている。

夕方の飛行機。窓の夕焼けに浮かぶ主翼が揺れている。

成田に夜着。湿気。汗の匂い。東京が汚れて見えるのは、汚れているからだと。

帰宅は10時近く。鍵を開けならが「キャリーケースをコロコロしていたら、もっと疲れていたね」と妻。

僕らが身に纏っていた少し冷たくて、白樺の香りの空気が少し残っているといいが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言霊のやるせなし

 

 

 

 

 

 

 

曇り、時々日差し。16度。

7時に起きる。 

朝餉は、小松菜の卵とじ、ポテトサラダとトマトを添えた鶏ひき肉と豆腐のハンバーグ、味噌汁(大根・玉葱・人参・エノキ・豆腐・油揚げ)、ご飯、蜂蜜とヨーグルトをかけた柿・ブドウ。

妻とクルマで父の葬儀を執り行ってもらったご縁さんに挨拶に。2時間以上も話を伺う。仏に仕える身でも、抱える問題は僕らと同じなのだった。そうやって胸襟を開いて話すご縁さんは、苦しいにもかかわらず何処かで身軽な感じがする。僕らが背負い込んだのかもしれない。言霊、恐るべし。宿題ももらった。

大通りやススキノの老舗仏壇店をハシゴ。老舗の店では地下に眠る数百万円クラスの仏壇を見せていただく。別世界の光景にため息。もっとも妻の実家の90年前の仏壇もそれらとそっくりなのだが。

また1軒目に戻って、そこで仏壇の候補を2つに絞る。

生寿司など買って帰宅。

母、姉も同じ仏壇を選んだので、それに決めることに。

ご縁さんの重たい話を引きずって、最後はまた姉と諍い。いつものパターン。

さまざまな疲れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

寝る力も残っていない

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。18度。

7時に起きる。

朝餉は、ほうれん草と木綿豆腐の白和え、クリームシチューの残り、焼き鮭、ホッケの一夜干し、味噌汁(大根・玉葱・人参・エノキ・ナス・油揚げ・豆腐・ネギ)、梅カツオを乗せたご飯、蜂蜜とヨーグルトをかけた柿・ブドウ・キウイ。

北の仏壇屋へ妻とクルマで。昔とは景色がずいぶん変わっていて、すっかり街中の様相になっていた。

店では営業氏が付いて微に入り細を穿つ説明をしてくれるのだが、こちらの頭がまとまっていないので迷惑をかけた。

菓子屋・柳月で贈答品を見繕う。ついでに僕らのおやつも。フードコートでお茶と共に。

姉や母の食材を買い込んで帰宅。

夕餉は、姉の作ったカレーライス、マグロの刺身、リンゴ、ウイスキー・シングル。

食事が終わると、母はすぐにうたた寝を始める。終日寝ている。100歳が近いと、もうそういう感じなのかと思いながら寝姿を見ている。寝る事に使う体力は、最後の体力なのかもしれない。

早めに床に就く。