選択肢という錯覚

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。20度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、ラディッシュの甘酢漬け、きんぴら、レンコン・人参・コンニャクの煮物、大根おろしを添えた卵焼き、焼き鮭、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・大根の葉・ネギ・豆腐・油揚げ)、玄米ご飯。湯がいたブロッコリーを食べ忘れる。

ジョギング、5.48キロメートル。西北西の風。この風になぶられると、初夏の米原を走っていたことが遠い昔に思える。

朝妻の農水路に繁茂していた梅花藻モドキのオオカナダモは、近隣の人々が刈り取ったようで堤に盛り上げられている。

おやつにナッツ、紅茶ラテ。

夕餉は、玉葱・じゃがいものスープ、ブロッコリーとシャケのクリームソースパスタ、ウイスキーオンザロック。食後に妻の点てた抹茶、生菓子。

関東と関西を行き来きすることを前提にした家づくりを考えている。義母の家は手を入れないかぎり暮らせそうもない。僕らが暮らしているマンションもそろそろリフォームの時期が来ている。どちらも成り立たせる道がまったくないわけではない。

この土地や生家にいると落ち込んでいく妻のことを考えれば、取りうる選択は明らかな気がする。土地を守る、という思慮の重要性も話した。親戚にも相談したほうがいいと最後に言った。