ダメ出し

 

曇り、のち豪雨。27度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツ・サニーレタス・大根・竹輪・ピーマンのサラダ、クロックムッシュ、ルイボスティ。

首相の在任期間が長いと、これほど綻ぶものらしい。ちょっとひどいな、と誰もが思うようなことが明るみに出ている。

役人に国会答弁させなくなってから、行政のタガが外れているような気がしてならない。資質を問いたくなるような大臣が矢面に立っているだけで、中抜け状態をチェックする機能が働いていない。

出来の悪い部長の尻拭いに奔走する部署が、少しずつやる気を削がれていくような。ただ出来が悪いというなら諦めもつくが、裏で接待費を使い込んでいるとか、特定の業者と懇ろになっているとか。ガスは溜まる一方というか。

良きブレーンのいないリーダーは、詰まるところ己の力量が己を滅ぼすらしい。

昼餉は、菓子パン、アイスコーヒー。

料理をしていると、その一線が超えられないことに気づく。僕のような新米は、ブレークスルーの存在が大切なのだ。

自分で自分を見直す。それが難しいのだが、それをしないと味がよくならない。

夕立。雷。各地に洪水警報。

数メートル先が見えないという豪雨。雨らしい雨がシトシト降っていた昔を取り戻せないものだろうか。

夕餉は、冷奴、キュウリと竹輪・ワカメの酢の物、厚揚げと小松菜の中華炒め、餃子、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・ジャガイモ・豆腐)、玄米ご飯。

 

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あるいは無知

 

曇り、のち晴れ。28度。

7時に起きる。

朝餉は、スイカ、キャベツ・サニーレタス・大根・竹輪・カニカマのサラダ、クロックムッシュ、ルイボスティ。食後にコーヒー。

新型ウイルスについて勘違いしている人が目につく。メディアでさえそうだ。終息という言い方に、それがあらわれている。株式とか投資信託の市場の高騰にもあらわれている。経済をリセッションと捉えているのもそうだ。ワクチンとか薬が開発されたら、展望が開けるというのも同じだ。

ちょっとした認識不足が、これから大きな問題になる。

ウイルスと暮らすという、その意味がほんとうに理解されたら、軽いパニックとか軽度の鬱状態が社会に訪れる。そこからが、ウイルスとのほんとうの意味での付き合いとなる。

昼餉は、ツナと梅肉・サニーレタスの冷製パスタ、蜂蜜入り豆乳。

6キロをジョグ。

この国の医者不足は深刻だ。今すぐ対策しても、改善するまでに10年以上かかる。そういう意味で深刻なのだ。

都市の様相とか重要性が変わっていくのは、もっと早い。地方とか過疎の価値は、すでに高まりはじめている。それが決定的にならないと思うのは、医者の不足が解消されないからだ。

特定の理由で年間の死者数が3万人を超えると、それは戦いと言われる。前世紀の交通事故死者数、今世紀に入っての自殺者数が代表的だ。

そのスケールに新型ウイルスがなるかは、11月以降にわかってくるのかもしれないが、死者数に紐づけられることはなく、戦いはすでに始まっているし、社会を変容させるというインパクトでは比較できるものがない。

夕餉は、コンニャクと大根のキンピラ、大根の皮と人参のキンピラ、冷奴、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・豆腐)、赤魚の西京焼き、玄米ご飯。

そうは言ってもという、ある種の楽観主義がまだ蔓延っているので、僕らは本格的な絶望期をこれから迎える。

 

 

ドキュメンタリーこそ

 

曇り、ときどき日差し。27度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツ・パプリカ・大豆煮・ツナ・カニカマのサラダ、クロックムッシュ、ルイボスティ。食後にコーヒー。

YouTubeを見ていて思うのは、ますます厳しい時代になるテレビのことだ。

「大学で勉強しなおそうなんて、もう思わないことにした」

妻が笑いながら言う。YouTubeが知的好奇心を満たしてくれるというのだ。その程度の好奇心なのか、と聞きそうになる。テレビはおろか、大学さえ脅かしつつあるらしい。

就寝前に見始めたら、2時間くらい経っていることが普通になってしまって、睡眠時間とともに僕は視力が低下している。

海外で生きる日本人の映像には、下手なドキュメンタリーには及びもつかない手触りがある。今日は、どんな1日だったのかな。軽い挨拶のような感じで、彼や彼女たちの映像を眺める。映像は巧妙に覆い隠したり、盛っていたりするけれど、透けて見えてくるものがある。

枕元の本がどんどん遠ざかっていく。我が家でさえそうなのだ。こいつは手強いな、と思う。

昼餉は、ざる蕎麦、アイスコーヒー。

撮影してエンコードしてアップロードするという手間隙は馬鹿にならないだろう。彼らを駆り立てているのは、もちろん副収入もあるだろうけれど、視聴者とともに時代を生きているという共感性も大きいのではないか。少なくとも、見続ける動機の大きな割合を占めているのは、その共感性だ。

制作者が長続きしないのは、追いかけてくる現実に時間を費やさざるをえないからだろう。

それに、YouTuberの消耗度合いは、彼らの想像をはるかに超えていそうだ。クォリティを維持しようと思えば、誰だって生業の壁に気づくと思う。

夕餉は、冷奴、野菜の中華炒め、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、キーマカレーの残り、ルイボスティ。食後にアイスクリーム。

 

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彼らのこと

 

晴れ、のち曇り。28度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナとキウイのヨーグルトかけ、インゲンのゴマ和え、キャベツ・パプリカ・大根・ツナ・カニカマのサラダ、トースト、ルイボスティ。食後にコーヒー、あん団子。

白人警官が黒人を圧殺して、全米で抗議のデモが起きている。参加者の一部が暴徒と化して、店に押し入り、盗みを働いている。大統領は、知事や市長にデモの鎮圧を指示した。

事件は、警官が異例のスピードで逮捕されて収束に向かっているのに、大統領の言動が市民の怒りを煽っている。彼の分かりやすさは、言葉に表れている。含蓄とはおよそ無縁なので、ウイットもユーモアもない。

彼の支持層がいかに追い詰められているか。トランプさんの言動は、そのまま支持母体の心理状態を物語っている。

昼餉は、バターを塗ったオレンジパンのトースト、コーヒー。

7キロをジョグ。バテバテだ。

僕がいつも気になるのは、中西部の黙々と働いてきた人々の気持ちだ。物言わぬ人々は、ひどい目にあってきた。彼らが納めた税金は、彼らの暮らしを豊かにはしなかった。

それでも彼らは我慢に我慢を重ねてきた。大義を重んじ、世界の安寧と近隣の平穏を願ってきた。他者を救うために、己を二の次にしてきた。

彼らがトランプさんを支持したのは、やむに止まれなかったのである。選択肢は示されなかったのだ。

彼らの切羽詰まった状況について、この国のメディアは無関心すぎるように思う。大統領が誰に向かって話しているか。そのことを見据えてほしいのだ。彼は、その点ではまったくぶれない。誰に忠誠を誓っているか。それがわかれば、かの国の状況がもっと見えてくる。

盟主たるアメリカが、自国主義に偏していていいのか。この国のメディアの論調はとても浅薄だ。無頓着だし、無関心に過ぎると思う。トランプさんは正直なのだ。彼の彼らに対する忠義は不変だから。

好き嫌いとか良い悪いの問題ではなく、そういう状況なのだ。

夕餉は、冷奴、アジフライ、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・豆腐)、妻が作ったキーマカレー、レモンサワー。

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お先に

 

晴れ、のち曇り。27度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ・キウイの蜂蜜ヨーグルトがけ、大根・コンニャク・竹輪・人参の煮物、トマトと玉子のコンソメスープ、ご飯、ルイボスティ。食後にコーヒー。

「今のあたしに読ませるとしたら、なにがおすすめ?」

妻が尋ねてくる。

そんなことは初めてで、妻は笑っているけれど、きっと煮詰まっている。なんとなく、感じる。

本棚を見渡して、エリザベス・ストラウトの『オリーヴ・キタリッジの生活』を選んだ。

小説を読まず人生を送ることができる。それはもしかしたら、幸せなことかもしれない。

ストライクゾーンがとても小さい妻が、ストラウトを気にいるかは望み薄だ。やっぱり、ジュンパ・ラヒリを渡せばよかったかな。

昼餉は、豆乳をかけたシリアル、コーヒー。

6キロをジョグ。

テレワークの普及によって、移住が増えそうだという。どうせなら、と信州とか北陸を目指す人があらわれているとか。ネットのインフラが最終的な決め手らしい。迎い入れの窓口を設けている自治体もそうとうな数に上るとか。

コロナ禍がもたらした、もっとも寄与したことの一つかもしれない。職種によらないというから、驚きではある。

罹患率がそれほど高いわけでもないのに、この国の変化は他国の先を行くようだ。

夕餉は、インゲンの胡麻和え、大根・コンニャク・竹輪の煮物、小松菜とハムのクリーム煮、サバ味噌煮、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、玄米ご飯。食後に餡団子。

Appleは、OS群のベータプログラムを更新した。macOS 10.15.6、iOS 13.5.5などがβ1に。

 

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違う世界にいる

 

降ったり、止んだり。20度。

7時に起きる。

朝餉は、キウイとバナナのヨーグルトかけ、大根・レタス・パプリカ・トマトのサラダ、ハムとスクランブルエッグ、トースト、ルイボスティ。食後にコーヒー。

軽い断食を。

通学する子供の声が、窓から流れ込んでくる。普段の暮らしの声。なんの痛痒もなく、さっぱりと忘れている。

養老孟司さんの講演の抜粋録画で、動物はぜんぶ絶対音感を持っていると。音程を言語化しているとしたら、僕らよりはるかに効率的なコミュニケーションをしていることになる。

ヒトと他の動物の差異なら、逆のパターンもある。僕らは一歩のあいだにいくらでも呼吸ができる。他の動物は、一歩につき一呼吸しかできない。すべての動物は短距離走者だ。ヒトだけが長距離を走れる、巨大なラジエーターを持っていることになる。

20kHz以上の音が聞こえないヒトは、他の動物たちが交わす会話の半分も聞こえていない。世界は、音に満ちている。

猫の目は、赤の色成分を検知できない。彼らの世界は、鎮静剤を打ったように沈んで見える。

昼餉は、シフォンケーキ、ルイボスティ。

闇に向かって吠える犬に見えているものが、ヒトには見えない。匂っているのかもしれないし、聞こえているのかもしれない。なんにしても、犬にはわかっている。

夕餉は、ラスクとシリアル、ルイボスティ。

 

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巨大な倉庫

 

曇り。23度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトときな粉をかけたバナナ、レタス・パプリカ・大根・大豆煮・ポテトのサラダ、トースト、ルイボスティ。

音楽も小説も、僕らにはシリアルに届く。いっぺんに全貌は俯瞰できない。当たり前のことだが、とても大事なことだ。呼んだり聞いたりは、順を追って咀嚼していく。

文脈と文意は一体のものだが、その関係性はとても脆い。だが、そのぶんだけ鮮烈な印象を残す。音楽にも同じことが言える。だからこそというべきか、僕らはそのプロセスを大事にしている。文脈と文意とが合わさったスタイルという乗り物に、自分をあずけることができるか。そのドライブ力を無意識に見極めている。

読むなり聞くなりしているプロセスが、同時にドライブ力の評価につながっている。ドライブ力は、時間という軸を中心に展開する。読むのも聞くのも、時間という属性の姿を変えた実体だ。

これらのことは、ぜんぶが当たり前のこととして、享受されている。だが、僕はごくたまに、この当たり前のことがとても愛おしく感じられる。それは、心という倉庫で繰り広げられる、ある種の棚卸しに思えて仕方ない。

昼餉は、妻が作ったチーズトースト、コーヒー。

書くことは、それだけではない。1文字ごとに、1音ごとに、それは浄化の作用をもたらす。

それは、心という倉庫で繰り広げられる、ある種の発送作業に思えて仕方ないのだ。

夕餉は、厚揚げの揚げ出し豆腐風、鶏ひき肉の豆腐ハンバーグ、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯。

今月の総括を。アクティビティは6日。距離は53キロ。スクワットとプランクはほぼ毎日。

 

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もう、誰も座らない?

 

おおむね晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・パプリカ・大根・竹輪・大豆煮のサラダ、BLTホットサンドイッチ、ルイボスティ。

通勤者を中心にして、電車の着席マナーが新しく定着しつつあるという。

7席シートにどのように座るべきか。いつのまにか、ルールができつつあるというのだ。最初に座る人が大枠を決め、次に座る人によって、それは確定的なバリエーションへと発展する。僕には複雑すぎるそのルールとかマナーが、実にこの国らしい。

隣り合って座るのは避けたいが、集中する時間帯になるとそうも言ってられない。シートの場所取りには、そこまで考え抜いた痕跡があるらしいのだが、僕はお手上げだった。

妻に教えたら、「もう電車には怖くて乗れない」と言った。

ウイルスが怖いのではない。

ルールとかマナーを逸脱しやしまいかという怖さなのだった。

昼餉は、妻の作った焼きそば、コーヒー。

年寄りは、時々の了解事項をアップデートできずに、社会性というコミュニティーから排除されていく。

年寄りがほんとうの意味で歳を取ったと実感するのは、排除されていることを身をもって悟った時かもしれない。

その先には、無頓着という末路がある。

排除の完成形は、自分が自分を排除するのだ。もう、排除した自覚さえない。

夕餉は、ポテトサラダ、アジフライ、味噌汁(大根・人参・玉葱・エノキ・小松菜・豆腐)、ご飯。

 

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不穏な兆候

 

おおむね晴れ。25度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、卵焼き、焼鮭、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯、ルイボスティ。

冬物の衣類を半分以下にしたいのだが、コロナ禍で回収が延期になっている。市の健康診断も、予約は7月からだと電話で言われる。東京はこの6日ほど感染者が右肩上がりなのに、週明けから自粛の緩和が広がる。北九州はクラスターが見つかって、また自粛が始まっている。

感染していても症状が出ないという、わかりにくい特性が新型コロナにはある。陰性と陽性を繰り返すという特性もそうだ。

まるで、嘲笑うかのようだ。

今冬はインフルエンザが話題にならなかったね、と妻が言う。

毎年1000万人がかかり、それが遠因となって、1万人くらいがインフルエンザで亡くなっているらしい。

昼餉はエクレア、コーヒー。

11キロをジョグ。

地震が頻発している。特定の地域というより、全国が揺れている。

開け放した窓から、焦げ臭い煙。けたたましいサイレンが途切れずに。駅前のマンションが火事になっていた。消えたのは、2時間経ったころ。すぐ下の階は大変だったろう。

夕餉は、カボチャのいとこ煮、ピーマンの鶏ひき肉はさみ揚げ、野菜とひき肉の中華風炒め、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・小松菜・豆腐)、ご飯。

 

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道を断つこと

 

晴れ、のち曇り。パラつく。23度。

7時に起きる。

朝餉は、キウイとバナナのヨーグルトかけ、小松菜と厚揚げの生姜炒め、BLTサンドイッチ、ルイボスティ。食後にコーヒー。

政治家が、オーバーロードを怠れば、行政はやがてダイナミズムを失う。それが世の常だ。

役人は、まず、できませんと言う。それは立法化されていません、と。法律上の根拠がありません。過去に例がありません。許容範囲の設定がありません。他省庁との足並みが揃っていません。予算の裏付けがありません。

国民の代表は、それでもやりなさい、というオーバーロードの責任を持っている。代表者だから、オーバーロードできる。

行政の代弁をするようになったら、政治家はおしまいだ。

何かを読み上げる、プロンプターを見る、行政用語を多用する、噛んで含ませる――職責を放棄した政治家は、傍目に分かりやすい。

遅い昼餉は、ざるそば、そば湯。

役人上がりの政治家を許してはならない。国民の責務かと思う。名だたる政治家には役人上がりが多い。僕らは、間違いを冒しているのだという自覚を持たなければ、それはずっと続いていく。

最近の役人は、役人でさえない。議事録をとっていない。とっていない、と虚言する。裏に回って、密かに破棄する。

公務員の録取の法制を見直す、役人上がりの被選挙権の禁止を立法化する――これも政治家に与えられたオーバーロードかと思う。

自治法を知らなければ、地方自治はできない。そのとおりだと思うが、立候補者はだからこそ勉強して知ればいい。そんなことを役人に言わせてはいけないのだ。

役人から被選挙権を奪えば、彼らは、政治家と正面から戦い始める。録取を堅持するし、嘘をつかなくなる。巡り巡って、僕らは自分たちの代表者を育てることになる。

夕餉は、カボチャと小豆のいとこ煮、ピーマンの鶏ひき肉はさみ揚げ、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯。食後にコーヒー、ロールケーキ。

 

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コマ落とし

 

曇り、ときどき日差し。24度。

7時に起きる。

朝餉は、キウイフルーツ・バナナのヨーグルトがけ、サニーレタス・レタス・トマト・バターコーン・大豆煮・カニカマのサラダ、BLTサンドイッチ、ルイボスティ。

Lo-Fi Beatを192kHz/24bitのアップサンプリングで聴くという、パラノイアみたいなことをやっていると、どこから来てどこへ行こうとしているのかわからなくなる。

そういう迷走がもたらすあれこれについて、僕は不慣れではないのに、出くわすたび茫然となる。ハリネズミに出会うたび、好奇心丸出しで匂いを嗅ぎにいき、鼻頭に痛い目を負うシベリアンハスキーにどこか通じている。

いや、そんなチャーミングなものではないが。

昼餉は、ミントチョコのエクレア、コーヒー。

Lo-Fi Beatは、多くが1、2分ほどの演奏時間だ。あっという間に終わるので、食い足りなさも残る。イントロもなければ、余韻もなし。バッサリ断たれる。スケッチをパラパラ見せられているようだし、どの曲もどこかのフレーズの借用に聞こえる。

ストリーミング時代には、そういうタイムラプスのような手触りが音楽にも求められるらしい。決して、嫌いじゃない。

夕餉は、冷奴、コロッケ、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・小松菜・豆腐)、キーマカレーの残り。

Appleは、macOS Catalina 10.15.5をリリースした。バッテリーまわりの管理ツールをアップデートしている。おかげで、僕の Macは内蔵バッテリーの交換を促されてしまう。裏蓋を開けてバッテリーを確認したが、膨張のような外観の異常はない。

申請していた特別定額給付金が振り込まれる。時を同じくして、審査を通ったから振り込むよ、という通知書が郵送されてきた。こういうのを、自分の尻尾を食っている感じというのか。

 

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Scribble

 

曇り、ときどきパラつく。23度。

7時に起きる。

朝餉は、サニーレタス・コーン・ポテト・カニカマ・キウイのサラダ、BLTサンドイッチ、ルイボスティ。食後にコーヒー。

 

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昼餉は、どら焼き、コーヒー。

油性ボールペンを求める。LAMYのスクリブル。0.7mmのシャーペンに続いて2本目。3.15mmを足せば、スクリブルは完結する。思うに、スクリブルの由来からすれば、3.15mmのシャーペンこそ最初に持っておくべき1本なのかもしれない。

これを掌に玩んでいると、こんな脳みそでも、なにかを捻り出せそうな気になる。書き始めると、もっとそう思う。

文具大賞で受賞するこの国のボールペンが、スクリブルを越えたことはあるだろうか。工業デザイナーの練度に圧倒的な差があって、それがなにに起因するのか考えることさえバカバカしくなる。

ひとつはっきりしているのは、ファンシー以外の喚起要素を見つけるのは、とても難しくなったということ。誰におもねり、誰を黙殺しているのか、言わなくともわかる。

文具メーカーの商品企画は、それ以外の手法があることを知っているのに、見て見ぬふりをしている。それを傍観しているこちらまで辛くなる。

夕餉は、コロッケ、アジフライ、味噌汁(大根・人参・玉葱・カボチャ・エノキ・豆腐)、妻が作ったキーマカレー。

 

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啓示と曲

 

晴れ、のち曇り。26度。

7時に起きる。

朝餉は、ひじき煮、ポテトサラダ、サニーレタス・トマト・キュウリのサラダ、トースト、ルイボスティ。

量の少ない朝餉に続いて、軽い断食を。

蜜蜂を飼いながら、野菜を作る。

暮らしていくのに、これからも必要なのはそれくらいかと思う。どこで暮らそうと、それは譲らない。そんなことをぼんやり考えている。

世界中が家で過ごしているこの頃のことは、ちょっと大袈裟なのだが、蜜蜂と野菜でしか答えが得られないような気がしている(たしかに大袈裟だ……)。僕らに啓示を与えてくれるものは数多あるというのに、よりによってこの時期に、なんで蜜蜂と野菜なのだ。そんな一人ツッコミをしたくなるが。

昼餉は、妻の作った小豆餡で、皮を焼いたどら焼き、コーヒー。

蜜蜂と野菜については、あれこれと語りたくない。口にすることで、なにかを失う気がする。

リリースされたばかりの曲『Inside Friend』は、Leon BridgesとJohn Mayerのコラボレーション。この時期らしい歌詞と、瞑想感漂う不思議なメロディが頭で鳴り続けている。

昨日、どら焼きの皮を焼きながら、このメロディが頭を侵していくのを許していた(Leon Bridgesとどら焼きの皮、これだけでも十分キケン水域だと思うが)。

頭に侵入するいかなるものも排除する。歳を取ると、いつの間にかそれが習い性になるのに、この曲はなぜか満ち溢れていくのを眺めたくなる。

あと2ヶ月もすると、人々は夏空の下へ飛び出していく。

それと同時に、この曲は日差しに溶け、いつの間にか、姿をくらます。チャートにも、顔を出さない。

ずっと頭に鳴っている僕のような連中は、溶けた日差しに目を細める。

夕餉は、コロッケ、蓮根揚げ。

 

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どっちもどっちか?

 

おおむね晴れ。23度。

7時に大きる。

朝餉は、切り干し大根、トマトと卵・ハム・チーズのコンソメスープ、バターとリンゴジャムのソルトトースト、ルイボスティ。

緊急事態宣言が解除される。氷は、少しずつ解け始めるのだろうか。

海外のメディアが、この国の見方を変える記事を書き始めている。PCR検査はほとんどできず、病床数も足りず、指数らしい指数も出さず、中枢機関の強力なリーダーシップもなく、近いうち最悪の状況が来ると思っていたら、驚くほど少ない感染者数や死者数に抑え込んだ。

なにが、幸いしたのか。

世界の興味はそこにある、という記事だ。あることないこと、書き立てられている。顕著なのは、中央官庁や首相の功績だとする記事がほとんどないこと。海外ではリーダーシップで切り抜けた国が目立つのに、この国は違う。ほかの要因がすぐには見当たらない。不思議だ、と思っているのは、この国の人々も同じだ。

昼餉は、トースト、コーヒー。

8キロをジョグ。ランナー数人とすれ違う。散歩する人とも。

例のマスクは送られてこない。誰が立案し、それを押し進めたのか。その決定過程が知りたいと大部分の国民は思っていることだろう。

やらなければいけないことを後回しにした、その象徴のマスク。家に飾っておきたいのに。

強力なリーダーシップなんか要らない。僕らは、そんなものを賞賛しなくてもいい国に住めている。リーダーが体たらくなせいで、煮湯を飲まされる人はたまったものではないけれど。

香港のデモを報じるテレビを見ていると、一党独裁の怖さが伝わってくる。見方を変えると、戦っている彼らは、まだ諦めていないのだ。

僕らは、どうだろう。 

彼らの相手は、ある意味の狂信者だ。僕らの相手は、ボンクラなだけで、そのせいで被害は甚大だが、狂信者の怖さはない。

夕餉は、ヒジキ煮、ポテトサラダ、サーモンフライ、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・小松菜・豆腐)、シャケご飯。

 

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心弱き者の目論見

 

晴れ、のち曇り。19度。

8時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・大豆煮・カニカマのサラダ、メンチカツの残り、りんごパイ、ルイボスティ。食後にコーヒー。

施設もできて、準備はおおかた終わっていた。1年後に伸びたが、オリンピックが開催されるか誰にもわからない。

’64年の時を思い起こしながら、この国の歳の取り方を、つい自分に重ねてしまう。

最初に招致を言い出した元都知事は、ここらで元気を出そうじゃありませんか、という主旨のことを語った。彼も、’64年が頭にあったと思う。僕らはずっと、当時に引っ張られっぱなしで来たような気がする。

’64年は突貫工事の間に合わせで、なんとか格好つけたものの、都市計画という点ではひどいものだった。今、間に合わせ工事のツケを払っていることを僕らはあまり話題にしない。

’64年は、戦後復興の融資を受けている最中で、子どもたちの給食も米国の救済を受けていた。できる背伸びはすべてやったうえで、まだ足りなかったのに、あのオリンピックは開催された。

当時はともかく、今度は、なぜオリンピックなのか。元都知事は、そのことを満足に説明できなかった。見せかけの威勢は、彼の心の弱さを物語る名刺みたいなもので、誰もが、あぁまたか、と思ったはずである。あれよあれよという間に決まったという点で、今も昔も同じような気がする。

IOCは、今年中に来年開催の可否に決着をつけたいという。この時期だから、来年についても悲観する人が多いかもしれない。

相変わらず、都市計画らしいものがなにもない状態で箱物が出来上がってしまった東京を見ていると、僕らは、どういうことを学んだのかな、と思う。

昼餉は、妻の作ったかき揚げ蕎麦。

ある日、元都知事の電話が鳴って、IOCは嘆願した。

どこの国も、オリンピックどころじゃないと言っている。このままでは2020年は中止かもしれない。ついては、東京に立候補してもらえないだろうか。ちゃんと当て馬は用意する。ぜひ、お願いしたい。

そして、貧乏くじは引かれた。

僕はずっと、そんなことを空想していた。

東京が提案した計画は、それくらいひどいものだった。

夕餉は、キュウリとワカメ・竹輪の酢の物、切り干し大根煮、厚揚げと小松菜の生姜炒め、味噌汁(大根・人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、シャケご飯、ビール。

 

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