ドリッピングの要

 

曇り。19度。

8時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・コーン・パプリカ・竹輪のサラダ、フレンチトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

動画サイトでコーヒーの淹れ方を見れば、スタンダードというか常識とされている作法の存在がわかる。それを守っていれば大きな失敗はない。だいたいは、コーヒー器具メーカーとか、チェーン店のバリスタの作法がベースになっている。あとは、その亜流か、ベースを鵜呑みにしたものが大半だ。

ところが、バリスタ選手権で世界一になったという名人の淹れ方は、ぜんぜん違ったりするから面白い。大袈裟にいえば、その淹れ方は、非常識といわれていたような部類に属するように見える。

僕もスタンダードとか常識とされる作法どおりではない、どちらかといえば自己流だが、名人の淹れ方を見て、そこまでやる勇気のようなものはなかったと教えられた。

ドリッピングのキーになるところさえ押さえておけば、よほどのことがない限り、間違いはないのだと思う。名人の淹れ方は、あらためて、それに気づかせてくれる。

昼餉は、妻が作ったスイトンの小豆碗、お茶。

コーヒー豆の素性がしっかり伝わる、それが淹れ方の基本中の基本だが、突き詰めれば豆ごとにそれは変わるだろうと、僕は想像している。

モカとブラジル、エチオピアの差が、しっかりわかる。僕が目指しているのはそれくらいだが、これが一筋縄ではいかない。自己流を編み出したのは、常識の作法どおりでは、味の違いが出にくいと思ったからだ。

世の中には、数多の作法がある。それは、長年の研磨に耐えてきたものだ。だから、大きな間違いはない。ドリッピングの作法など、その最たるものだ。

間違いはないけれど、どこか物足りない。どうやら、敷衍した情報には、知恵の発露が途絶えたモノクローム性があって、それが鼻につくらしい。

ネットの情報は、そういうことが多い。

作法のキーとか要になっている物事を見つけるのは、簡単ではない。

コツコツと学べば、やがてわかるというものでもない。体系化したり再編成する能力とか熱意のようなものが求められないようなキーとか要は、所詮はキーとか要ではないのだと思う。

ネットの情報に足りないのは、そうした覚悟のようなものかもしれない。

時間も熱意もほかへ注ぎ込まなければいけない人にとって、だからネットは重宝なのだが。

夕餉は、切り干し大根煮、大根とコンニャクの甘辛煮、味噌汁(人参・玉葱・大根・エノキ・小松菜・豆腐)、チーズリゾット。

 

 

nausea

 

降ったり止んだり。15度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナ、ゴボウとレンコンのサラダ、大根の皮・コンニャクのキンピラ、カボチャと豚挽肉のそぼろ煮、味噌汁(人参・大根・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯、ルイボスティ。食後にコーヒー。

ファーブル昆虫記を読んでいると、絶滅していった膨大な生き物のことを思わずにはいられない。この星が美しいのは、生命を揺籃しつつ、容赦なくそれを奪っていくことにあるからなのだろう。

命は奪い、奪われる。その連鎖が途絶えることはないので、尊いと思いつつ、あまりの潔さに言葉を失う。

ウイルスが僕らから奪っていくよりはるかに多くを、僕らは他の生物から奪っていく。生み出し、飼育し、姿形の連想を断ち切ってから、容赦なく奪う。

この星がほんとに揺籃しているものは、いったいなんだろう。

昼餉は、妻の作った正油ラーメン。

僕らは、綺麗事を並べる。命の重さ、と言う。尊厳と言う。当局者に拍手を送る。

一方で、牛や豚、鶏の子たちを舌舐めずりしつつ、食らい続ける。ありとあらゆるものを、食らい尽くす。

いただきます、という意味をありがたく噛み締める。贖罪という言葉を作り、昇華させる術まで生み出して前へ進む。

絶滅危惧種という概念を、僕らは作り出す。保護して、延命する。土地を囲って、立ち入りを禁じる。

毎日奪う、数億の命については一顧だにしないというのに。

夕餉は、焼きナスのポン酢かけ、肉団子の甘酢あんかけ、味噌汁(人参・大根・玉葱・エノキ・小松菜・豆腐)、ご飯。

Appleは、macOS 10.15.5のパブリックベータを更新してβ4をリリースした。

 

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2年後、ひっそり届くかも

 

曇り、のち雨。16度。

6時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・コーン、パプリカ・竹輪のサラダ、トースト、ルイボスティ。

企業の業績は、一部をのぞいてとても悪い。戦後最悪という表現が現実になりつつある。年率で-20パーセントというGDPを見込む研究機関もある。

今の政権は疲労骨折している、と感じる人が増えている。世論調査はどこも不支持が伸びた。各戸にマスク2個の顛末で見限った、という人が多そうだ。検察庁法改正が追い討ちをかけている。法改正の指示は出していない、と首相は言う。それならそれで問題だ、と思うのが常識ある人かもしれない。

昼餉は、妻が作った卵とチーズのサンドイッチ、コーヒー。

ウイスキーに小さな氷を浮かべて、台所に立つ。

仕込みをしながら、ちびちびやっていると外が暗い。

コンロの火口を総動員させる。肌寒さが溶けていく。

砂糖、醤油、みりんが煮詰まる匂い。アジに片栗粉をまぶして、ついでに、心が鎮まっていくのを眺めている。

そんなことが、この身に起きる。不思議なこと。

夕餉は、ゴボウサラダ、大根の皮・コンニャク・人参のキンピラ、カボチャと豚挽肉のそぼろ煮、アジの蒲焼、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯。

Appleは、iOS 13.5のGMをリリースした。変更点は、顔認証の手直しなど。

 

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自覚のありやなしや

 

降ったり止んだり。20度。これくらいが、5月らしい5月。

7時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・コーン・大豆煮のサラダ、トースト、ルイボスティ。

すこしの食い物で、眠くなる。

今週になってから、街行く人々のマスク着用率が下がった気がする。スタバが営業を再開しているし、感染者数が一桁台になることも珍しくなくなった。メディアでは、第二波に向けての準備が話題になっている。

見切り発車のように自粛を緩めている国が出てきて、第二波に襲われている国もある。メチャクチャ度合いで見ると、この国はまだマシに見えるから不思議だ。

中国は、感染者数や死亡者数の公表値が実際と大きく乖離しているという報道が続いている。本当の数字が詳らかになることはないだろう。

昼餉は、妻が作った野菜の卵とじ、ご飯、ルイボスティ、コーヒー。

自粛警察が跋扈していると話題になっている。そういう人は人種や性別を問わず、どこにでもいる。うっかりすると、自分がそのユニフォームを着ていることだってある。いつなんどき、当事者になるかもしれない。そういう恐れを抱いていない人が、いちばんこわい。

夕餉は、冷奴、小松菜とソーセージのクリーム煮、イワシの梅煮、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯、ルイボスティ。

 

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すこし断食

 

曇り。ぱらつく。20度。

8時に起きる。

今日は、軽い断食。ルイボスティ。

「久しぶりにどうよ?」と誘って来たのは妻だった。いいね、と言って僕はすぐにやろうと言った。1日くらいなら準備もいらない。

朝餉を抜いただけで、腹が鳴る。さっそく脳が騒ぎはじめて、それがうるさい。

昼餉は、食パン1枚、豆乳、ルイボスティ。

なにもつけていない食パンが旨い。豆乳の調整した甘さが脳に刺さる。

胃袋が食物を渇望しているような気配はない。相変わらず、騒いでいるのは脳だ。

本を求める。ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳『完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 上』(集英社)、保坂和志著『季節の記憶』(講談社)。どちらも古書。

夕餉は、煎餅とシリアル、ルイボスティ。

Zoomでミーティングを終えた妻が、頭が痛いといってソファに寝込んでしまう。断食か、それとも気圧のせいか。

夜半になって復活。

内臓を休ませるなら、いっそ心臓も。そう考えてみるも、具体的なことが浮かばない。そのあいだだけ、脳が鎮まっている。

キャンプに行って、火を熾こし、夕餉を摂る動画を見ている。肉を焼いたり、煮たり。魚を喰らい、飯を炊く――どこかで仕入れて来たようなキャンプのマナーが続く。小洒落たツールの見本市が繰り広げられていく。

ここぞとばかりの一人飯を、不特定多数に見せる。

君がほんとの一人旅なら、そうはしないだろう。

 

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Anything Goes

 

晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、ポテトサラダ、大根・サニーレタスのサラダ、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

ハイファイ・オーディオには、大事なことがある。

それは、後から足すな、だ。

良かれと思って施したことは、巡り巡って、音を汚す。動機は善行から発しているのに。

音の艶が違う、低音の陰影が曖昧だ、音の波が痩せている――言い出せばキリがない。ひとつを足せば、次が出てくる。その行列に、終わりはない。

ただ、手元の音に耳を傾け続ける。言いも悪いもない。護るべきはそれだけだ。

鳴っている音は、唯一無二だ。まだ見ぬ世界はかならずあるが、どこへ行こうと、聴こえてくる音はそこだけの音だ。

昼餉は、妻が作ったざる蕎麦、焼売。

ハイファイ話の意味するところは、敷衍についてである。

それは、Key of Life――なんにでも通じる。どこへでも通じている。眼前のことに正対できれば、まだ見ぬ世界は、そこにあると気づく。

夕餉は、ポテトサラダ、サバの味噌煮、ワンタンスープ、チャーハン。

今晩も、妻がろうそくを灯して、部屋の電気を消す。

今日の感慨をボソボソと。ありきたりのことを話していると、いつの間にか、火が消えている。

 

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補間

 

曇り、のち雨。20度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・キャベツ・サニーレタス・大豆煮・カニカマのサラダ、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

ものすごい勢いで、春が終わろうとしている。だからといって、夏が流れ込んでくるわけでもない。新たな季節が生まれようとしているみたいだ。

春と夏のあいだなので、ハナという感じ。または、1.5的ということで、イチハン。

「今年のハナは、ナァ寄りですなぁ」とか。

「そろそろ、イチハンの衣替えですね」とか。

昼餉は、妻が作った味噌ラーメン。

このぶんだと、夏でもなければ秋でもないという季節も予想できる。

同じ流儀で行くと、ナアという感じか。2.5的だから、ニイハン。

いっそ8つに区切ると、年中行事も増えて、何かと賑やかでよろしいかもしれない。

僕らは、握手やハグよりお辞儀をしていたし、こんなことになるずっと前からマスクをしていたし、手洗いもこまめだった。

世界では潮流になりつつあるが、この国では目新しくもない。

世界中が、マスクをしてお辞儀をする景色に染まるとも限らない。

夕餉は、冷奴、煮豆、ポテトサラダ、厚揚げと小松菜の炒め煮、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯。

 

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確信をもって決める

 

おおむね晴れ。26度。

8時に起きる。

朝餉は、大根・コンニャク・竹輪の煮物、サニーレタス・大豆・キャベツ・カニカマのサラダ、トースト、ルイボスティ。食後にコーヒー。

微かにだが、気づいていることがある。

確信までいっていないのは、確信したくないという気持ちもあるからだ。

それは、手書きのほうが、文章は愉しいということ。キーを叩くことでは味わえない、湧き出てくるような感じ。

かれこれ半世紀、キーを叩いて来て、今さらなのだが。

いや、だからこそ、というべきか。

作家の保坂和志さんは、20年近く前に手書きにしたという。それ以来、ずっと手書き。

作業のような感じがする――キーを叩くことを、彼はそう表現した。

その感じが、わかる。

でも、確信することを拒んでいるのはなぜだろう。

昼餉は、妻の作った卵サンド、グレープジュース、コーヒー。

確信すると、碌なことにならない。

僕に限ったことだが、確信すると、だいたい間違っている。なぜ確信できたのか、情けなくなるくらいだ。

確信すると、余白が消えてしまう。その先へと続く道が、閉じていく感覚とでも言おうか。

決める、ということと同じかもしれない。決めると、清々しさが、流れ込んでくる。スパッと決める方が、上等に思える。

だが、それは魔物だ、と思う。

決められない。それは連綿ということ。あれやこれやが、決められないまま、層となって積み上がっていく。決められないという頁岩層が、目の前を覆っていく。

めんど臭くなって、それをほったらかしにする。そのうち、見えてくることもある。だいたいは、見えないままだけれど。

夕餉は、冷奴、ひじき煮、大根・コンニャク・竹輪の煮物、鶏肉のカレーチーズ風味ピタカ、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、二色そぼろご飯。

チコちゃんによれば、世界では年間80万人が蚊によって命を落としているとか。

妻が言う――コロナより多いじゃない。

 

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小さなキャンドルが燃え尽きるまで

 

晴れ。26度。

8時に起きる。

妻の作った朝餉は、パプリカとサニーレタスのサラダ、パンケーキ、ルイボスティ。食後にコーヒー。

寝る前に、YouTubeを見続けていたら、目が悪くなった。

気付いたら、また自分の脳みそに忍び込まれている。

この身体を脳味噌とはんぶんこしている。そういう感覚でいると、間違いは減らせるかもしれない。脳味噌の言いなりにならない。それが生きるうえでは、大事なことかもしれない。

昼餉は、スパゲッティ・ナポリタン、コーヒー。

4キロをジョグ。

5、6年くらい前まで? 毎朝4時に起きて、会社へいく前に10キロを走っていたのは。今となっては、なんだかよくわからない。それは情熱とも違うし、課すとかとも違う。

けっこう苦痛だったのに、ずっと続いた。

たぶん、大きな病が襲ってこようとしていたのだろう。今にしてわかる。だから、僕は身構えていたのだ。

長年の不摂生を自覚していなかったので、奥深いところで身体が訴えていたと思う。だが、その声を聞いたという自覚はなにもない。

走ることで、僕はさまざまなことに気づいた。分けても、ヒトとしての自覚に気付けたのは最大の出来事だった。でも、病のことは、わからずじまいで来てしまった。それは、襲って来たのだろうか。そして、去っていったのだろうか。それとも、来なかったのだろうか。

今は、申しわけするように、走っている。

耳を傾けた、という自覚もなしに、ヒトは傾けるらしい。世の中には、説明できないことがままあるけれど、これもそのひとつではある。

夕餉は、冷奴、ひじき煮、白身魚のフライ、大根・コンニャク・竹輪の煮物、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯。

妻がキャンドルを灯した。

寝る前に、こうやって少し話しましょう、と。

使い道のないろうそくを始末する目的もあるのだろうが、そんな提案は滅多にないこと。

これからは、こうやって灯火を見ながら、今日あったことや感じたことを語りましょう。

はい、と返事して、妻の話に耳を傾けた。

 

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どんどはれ

 

晴れ。26度。黄砂。

7時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・キャベツ・竹輪・カニカマのサラダ、トースト、ルイボスティ。食後にコーヒー。

昔物語の和綴本とかを、ご不浄に置いている。読み始めると、時を忘れてしまう。

短い昔物語の持つ、遠くまで射抜く力に疑いを挟む人はいない。そばに置いて手慰みのようにして頁を繰っていると、マッサージを受けているような気持ちになる。凝った肩とか背筋を揉みしだかれるのに似ている。

理屈を説かない。リアリズムという概念について、無頓着だ。というよりも、リアリズムを知らない。そういう近代的な根拠に到達していない。到達と言っていいのか、それさえ疑わしい。

逆に言えば、僕らはリアリズムに縛られて動けなくなっている。便利を追求し続けて、やがて、不便の只中で窒息しかけている。

一方の昔物語には、それが空気を震わせ、相手の耳に届けば、物語はすでに十全である、という盤石の掟があるように感じる。

昼餉は、妻の作った焼きそば。

8キロをジョグ。

物語には、びくともしない岩盤があって、そこに礎のあるものだけが、遠くへ巨大な岩を投げ上げることができる。そんなことを、昔物語は教えてくれる。

 

 昔、雷さまにいい息子いたったど。その息子さ隣村から、これもまたいい嫁ご来たど。

 儀式も済んで、嫁様も角隠し取ってお披露目となったど。嫁様、われ拵えて来た三つ重ねのお重持って出て来たど。一の重の蓋取ったところ、何もかにもうまそうな煮しめがいっぱい入っていだど。

「これハ、なんたらうめえ煮しめだべ」

って、みんなご馳走になったど。煮しめ、なくなったずもな。

 次に、二の重の蓋取ったら、臍の佃煮いっぱい入っていたど。長い臍から丸い臍、三角の臍から出臍まであって、これもみんなしてご馳走になったど。

「何たらこの臍この佃煮のうめえごど。料理の上手な嫁様もらって、いがったな」って、さっぱりと食ってしまったど。

 次は三の重だなと思って、お客さんだちが待ったども。嫁様ぁ一向に蓋取る様子がねがったずもな。お客様たちみんなして、

「なんたら嫁様、みんな待ってるが。蓋こ取ってご馳走してがんせじゃ」って言ったど。

 ところが、その嫁様は「そんだって」って、面こ赤くしたど。そして、

「なんぼおれだって…。臍の下までご馳走するわけには行かながんす」って言ったんだとさ。

 

夕餉は、キュウリと竹輪・ワカメの酢の物、妻の揚げた鳥の唐揚げ、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・豆腐)、カニカマの天津飯。

ひっくり返る話はたくさんあるが、これもそのひとつだ。

 

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公僕

 

曇り、のち晴れ。23度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・トマト・竹輪・カニカマのサラダ、さつま揚げと卵焼き、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・豆腐)、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

市役所でマイナンバー・カードを受け取る。申請してから3ヶ月近くかかった。事務手続きに問題がある場合は、それくらいの時間がかかる。

どうやら、そう思っていないところがこの国の行く末に影を落としている。言い方は悪いが、社会主義の国だってもう少しまともだろう。

市民会館の裏の公園でパンをかじりながら、例の定額給付金の申請をスマホでやってみた。要領の悪いプロシージャに辟易する。

要領は、頭の出来不出来を物語る。偏差値と頭の出来は、組み合わせの問題だと思う。偏差値は高いのに、頭の出来が悪い。これは救いようのない組み合わせだ。

そもそも、行政は命名ができていない。マイナンバーという言葉には連想性がない。姑息な意図だけが伝わる。定額給付金もそうだ。

誰に仕えているのか、という意識が低いことをうかがわせる。国家試験が機能していないと、救いようのない組み合わせが拡大していく。 

昼餉は、パン屋で買った菓子パン2個と団子、ミルクティー。

酒を求める。Teacher’sの『Highland Cream』。アードモアで作られているブレンデッド。スモーキーな味がウリらしい。逆に、Johnnie Walkerの赤のすごさがわかった。

夕餉は、キャベツと鶏ひき肉の甘辛炒め、サバのごまマヨネーズソテー、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・豆腐)、ご飯。

申請にまつわるすべてのプロシージャは、市民に出来を評価させる仕組みを立法化すべきかと思う。

それを最大の考課項目にしてほしいものだが、この国の代議員から、そういう試みは出てきそうにない。

 

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秋までには

 

晴れ。28度。

7時に起きる。

朝餉は、ソーセージと小松菜・キャベツ・モヤシ・さつま揚げのバターソテー、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

コルナゴのクロスバイクで閉口したのは、Vブレーキの鳴りと、ドッカンといきなり制動して前のめりになってしまう、野暮な感触だった。

キャリパー・ブレーキだったら良かったのに。

何度もそう思った。換装しようとして、そんな散財をするくらいならスポーツバイクを買った方がまだしもだ、と思い止まったのだった。

あれから10年――。

Vブレーキを生み出したシマノは、DEOREというコンポーネントで、弱点とされていた鳴りとか効きの問題を克服したという。ほんとだろうか?

昼餉は、大葉ハンバーグを添えたざる蕎麦、蕎麦湯、コーヒー。

ドロップハンドルにして、ブレーキレバーもスポーツバイク風にというなら、ミニVブレーキというのがあるらしい。テクトロのRX3とかRX5がおすすめとか。Vブレーキの狭小化みたいな商品なので、装着には細いタイヤが前提になる。

まあ、いきなりコンポーネントに話が飛ぶのもどうかと思う。

ひとまず、錆を落として、油を差して、滑らかさを取り戻すことに。先は、とても長い。

妻が作った夕餉は、大根・サニーレタスのサラダ、白身魚のフライ、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・大根の葉・豆腐)、  焼きチーズカレー、ルイボスティ。

使い物にならなくなったパーツの換装については、全体の方向性をクラシックな風情に落とし込みたい。焦げ茶やワインの革を鋲打ちしたサドルとか、同色のバーテープはすぐに思いつくが……。

 

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ハグは、ナシ

 

曇り、ときどき日差し。25度。

7時に起きる。

朝餉は、鶏ひき肉と大根の煮物、卵焼き・ソーセージ、味噌汁(人参・玉葱・ジャガイモ、小松菜・豆腐)、トースト、ルイボスティ。食後にコーヒー。

NHKの囲碁トーナメントも収録分が今週で終わった。来週からはアンコール放送。

テレビは、アンコール物ばかりだ。そのあおりで、YouTubeに芸能人が流れ込んでいるらしい。

ホームセンターへ行ったら、オヤジたちがあちらこちらに。庭や畑、家の養生、DIY、修理――かく言う僕もその一人だが。

近所では、造築があちらこちらで進んでいる。そこだけが懐かしい日常なのだが、今となっては遠い昔の景色のよう。

コロナとともに生きる、という惹句を耳にする。常に感染のことを心配しながらの暮らし。

収束したと言われていた武漢でも、ライブハウスで集団感染が見つかったという。

昼餉は、妻の作ったパンケーキ、コーヒー。

無邪気だった日々は戻ってこないかもしれない――そういう心がまえを説く専門家や識者が増えている。

物理的な移動と引き換えに、ネットで行き来することが日常になった。「会う」という言葉の変容。孤独の手触りが、知らず知らずのうちに指の間をすり抜けていく。

稀に見る変化が起きている。

歴史を俯瞰しても、ただならぬことだ。

その変化のひとつひとつを、僕らは注意深く見つめなくてはいけない。

大部分の人が、取り返せると思っている。

でも、好きとか嫌いとかとは関係なしに、良い悪いにお構いなく、過ぎ去ってしまったものもある。

夕餉は、冷奴、キュウリとワカメ・竹輪の酢の物、長芋の酢の物、鶏ひき肉と豆腐の大葉ハンバーグ、味噌汁(人参・玉葱・ジャガイモ・小松菜・豆腐)、ご飯、ルイボスティ。食後に抹茶の葛餅。

 

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コツがある

 

晴れ、のち曇り。20度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・キャベツ・竹輪・ツナ・カニカマのサラダ、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・エノキ・小松菜・豆腐)、フレンチトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

包丁を研いでいる。時間をかけるほどに切れ味が戻る、と言いたいところだが、不慣れなので角度が一定しない。

包丁には申し訳ないが、ちょっと我慢してもらう。きっと、いつか切れるようになるから。とりあえず、ほぼ毎日の修行が続く。

昼餉は、妻の作った塩ラーメン、コーヒー。

日々コツコツのほかに、跳躍できるスベはないのだと、小学校あたりで教えるのが人生の初動には肝要だと思うが。

ちゃんと、教わったのかもしれないが。

不思議なことに、今頃になって、聞く耳ができあがる。

こういうのを、遅きになんとやらというのだろうか。

相変わらずのコツコツが続く。

夕餉は、厚揚げと小松菜の炒め煮、鶏ひき肉と大根・人参の煮物、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・豆腐)、ご飯、ルイボスティ。

 

 

どこにいたんだ?

 

晴れ。21度。

7時に起きる。

朝餉は、カボチャのひき肉あん掛け、カニクリームコロッケのトースト、ルイボスティー。食後にコーヒー、チョコレート。

本棚の飾りになっている、妻が買ってくれたウクレレ。

また爪弾いてみようかと思う。それもこれも、ロイ・サクマさんの演奏をたまたま観てからだ。楽器のチャーミングさ、そのままの人。

昼餉は、妻の作った卵サンド、パンプキンスープ、コーヒー。

11キロをジョグ。

ベランダに置きっぱなしのコルナゴの自転車。フレームとスポークを残して、あとは取っ替えないと乗れそうにない。少しずつビルド・アップし直そうと思う。

MacBook Airに警告メッセージが出る。バッテリーを修復しなさいと。寿命かもしれないし、ひょっとしたらβ3のバグということも。

夕餉は、コロッケ、ゴボウの甘辛炒め、ソーセージと小松菜・コーンのクリーム煮、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・カボチャ・エノキ・豆腐)、鮭ご飯、ルイボスティ。

Appleは、macOS Catalinaのパブリックベータ・プログラムを更新してβ3をリリースした。

妻が使わなくなった食器を整理していると、すっかり忘れていたデカンターや中国茶のセットが出てきてびっくりする。

身の回りには、時間の底に沈んでいるモノたちが埋もれている。風情のあるそれらに、相応しい場所と時間を用意するのは僕の役目だが……。

 

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