後悔はないと

 

曇りのち晴れ。19度。強風。

8時に起きる。

朝食は、りんご、レタスときゅうり、玉ねぎ、トマトのサラダ、味噌汁(人参、豆腐、ネギ、玉ねぎ、かぼちゃ)、ロールパン、フルーツティ。

電線が上下に揺れている。関東を吹き抜ける風。

昼餉は、女房が作ったホットケーキ、ミルク。

女房がクワイアの打ち合わせに。遅くに戻る。

気管支炎が治る。腰の痛みも消えた。

夕餉は、カップヌードル、おにぎり。

イチローが引退。

おかしな音

 

快晴。19度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタスのポテトサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参、玉ねぎ、ほうれん草、豆腐、かぼちゃ、ネギ)、トースト、フルーツティ。

女房はクワイヤの打ち合わせへ。遅くに戻る。

昼餉は、トースト、ミルク。

10キロをジョグ。

Miles Davisをある時から聴かなくなった。特にわけはなかったと思う。好きだと思う感情には言葉を捧げるのに、逆の感情に費やす言葉は限りなく少ない。

気づくと、プレスティッジに遺したマラソン・セッションの頃のクインテットで彼が奏でるボソボソしたミュートの音をまた聴いている。あのミュートはアルミ製のワウワウから先っぽのロートを引っこ抜いて吹いているはずで、抜け切らない音が彼のトランペッターとしての性格をよく表している。

夕餉は、アジとイカのフライ、玄米ご飯。

ジャズ史を彩るコンセプチュアルなアルバムとは毛色の違う、どちらかといえば流した、やっつけ仕事のようなレコーディングの感じは『Walkin'』に顕著だと勝手に思っているけれど、四部作の「らしくない」ところが結局のところ多くの人々から愛されているのも事実だ。

スイングしない彼のミュート・トランペットは、たとえばレッド・ガーランドのピアノを強く意識したものだったと今にして思う。彼のそういうプロデューサー的なところが若い時には鼻についたのかもしれない。

とりあえず録音して、さっさと終わらせようぜ。火事場のなんとやらを彼はどのように乗り切ったのか。そんな背景などどうでもいいのだが、なぜかそれを考えずにはいられない。

べったり張り付いたそういう物語が、もうコンセプチュアルになっているような。

 

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Ultra Best?

 

おおむね晴れ。16度。

6時過ぎに起きる。

朝餉は、ポテトサラダ、長芋の酢醤油かけ、ハムと野菜の卵とじ、りんごとバナナ、味噌汁(人参、かぼちゃ、ほうれん草、豆腐、ネギ)、トースト、フルーツティ。

女房はクワイヤの打ち合わせに。

昼餉はチョコレート。

11キロをジョグ。街角を曲がると、さまざまな花の香りに包まれる。コブシ、ハクモクレン、桃、アンズ、河津桜が満開だ。

夕餉は、豚バラの野菜炒め、卵とじの残り、玄米ご飯、白湯。

女房は早めに帰宅。

気管支炎が治りつつある。痰が盛大に出て、何かを詫びるように咳がせり上がってくる。

AppleはOS群のパブリックベータ・プログラムを更新して、β6をリリースした。

ジョー・パスが生誕90周年で『Ultimate Best』なんだそうな。では100周年の時はどうするつもりだろう。ジョーだって、おちおち死んでもいられない。

 

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鈴木一郎、みたいな

 

晴れ。13度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナ、豚バラと野菜の卵とじ、味噌汁(人参、小松菜、かぼちゃ、豆腐、ネギ)、BLTサンドイッチ、フルーツティ。

昼餉は、チーズピッツァ、栗おこわ、たい焼き、コーヒー。

夕餉は、ポテトサラダ、卵とじの残り、高野豆腐と野菜の中華炒め、味噌汁(人参、かぼちゃ、ほうれん草、豆腐、ネギ)、玄米ご飯、ハーブティ。食後にコーヒー、チョコレート。

現代のオーセンティックなトロンボーンプレイヤー、Steve Davisはその名前で損をしているかもしれない。その世界で名をはせる男が他に少なくとも二人いるのだ。たぶん、ビリヤードプレイヤーとMLBのセカンドのほかにもいるはずだ。

トロンボーンプレイヤーはジャズの世界で地道にやっている。他の二人がそうであるように(またはあったように)。最新のアルバムもトランペットとサックスを加えた三管編成のセクステットでオリジナルを気持ちよく奏でている。カーティス・フラーやJ.J・ジョンソンより、ボブ・ブルックマイヤーっぽく聞こえるのは、彼の肌の色を知っているせいかもしれないが、そのインプロビゼーションはどこか構築的な響きがあるからだと思う。

クラシックでいうところのチェロプレイヤーに通底する何かが、ジャズのトロンボーンプレイヤーにはある。それを言葉にするのはむずかしい。彼らもそれを知っているフシがある。そして、彼らも同じように思い悩んでいるわけではないと思うが、だからこそ(というべきか)、彼らはトロンボーンを吹くし、チェロを奏でる。

ただ黙々と。

 

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無機質の哀切

 

おおむね晴れ。12度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナとリンゴ、高野豆腐とベーコン、野菜の生姜炒め、味噌汁(人参、ほうれん草、玉ねぎ、豆腐、ネギ)、トースト、フルーツハーブティ。

アニメーション映画は、ティム・ミラー総監督の『Love, Death & Robots』。総指揮はデヴィッド・フィンチャーだ。オムニバスの18話は、上映時間もさまざまで監督や作画のタッチも異なる。

ストーリーは玉石混淆だが水準はクリアしている。リアルとの対比でしか語られないCGのクォリティには触れたくもないが、重量感の表現が鑑賞に耐えられるところに近づいている。

昼餉は、女房の作った豚バラ肉と野菜丼、お茶。

日本のアニメーションは、走る女の表現が拙い。どれも似たり寄ったりで、性格や出自や骨格、体型を無視しているようにしか見えない。ありきたりで、うんざりするくらい観察していないので、そういうシーンが出てくると興ざめするのが常だが、こっちのオムニバスはまだしもだった。

夕餉は、常夜鍋、玄米ご飯。

アルフォンソ・キュアロン監督の『ROME』の上映が始まっている。ストリーミング作品が映画館へ--真逆の流れが現実になる。その流れを作ったのは、つまるところ、一人一人のサブスクライマーだった。

 

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行ったり来たり

 

おおむね晴れ。11度。

8時に起きる。腰が痛む。

朝餉は、バナナとリンゴ、竹輪と野菜の卵とじ、味噌汁(人参、かぼちゃ、玉ねぎ、豆腐、ネギ)、トースト、アップルティ。

昼餉は抜き。

女房は昔の劇団の公演へ。遅くに戻る。

夕餉は、キャベツを添えた豚バラ肉と玉ねぎの生姜焼き、ご飯、白湯。食後に花林糖。

冷たい風。朝と夕で季節が変わる。

そのままの味

 

晴れのち曇り。12度。

8時に起きる。

昼餉兼用の朝餉は、モスバーガーで。ホットドッグ、コーヒー。カウンターで「スパイシーチリドッグとコーヒー」と言った途端、30年くらい逆行した。スパチリドッグならドリンクはコーラだったが、そこだけ今なのだった。

ドッグを頬張りながら、奥の席に陣取った若いお母さんたちの甲高くて破裂するような笑い声を聞いていた。子供を幼稚園あたりに送った帰りらしい。子供たちよりよほど屈託のない声。少なくとも僕は、この先も発することはない声。

いいんじゃないの、あれくらい。女房が僕の顔を見ながら言う。そういう顔をしていたのだろう。

病み上がりの体で街を歩く。見慣れぬ家、閉めてしまった店、チラシを手渡している若い女の子。僕の疎外感は、住んでいる人々が抱いている気持ちと寸分違わないだろう。屈託のない声とは違って、この気持ちは幾つになっても消え去ろうとはしない。遠すぎて名前もおぼろげな人相の悪い親戚が、向こうから微笑みかけてくるようだ。

夕餉は、竹輪と刻んだ梅漬けのレタスサラダ、鯖の味噌煮、味噌汁(人参、玉ねぎ、かぼちゃ、小松菜、豆腐、ネギ)、ご飯。食後にコーヒーとずんだ餅。

ほんとの踏み絵?

 

おおむね晴れ。12度。

朝餉は、レタスとキュウリ、ベーコン、目玉焼き、味噌汁(玉ねぎ、かぼちゃ、小松菜、豆腐)、バナナ、トースト、アップルハーブティ。

女房はクワイアの打ち合わせへ。

気管支炎の熱が下がり始める。横になりすぎて腰が痛む。

昼餉は、塩カップ麺。

映画はローランド・エメリッヒ監督『2012』。彼らしい俗悪な趣味に溢れている内容だ。惑星の直列で太陽のフレアが巨大化し、それがニュートリノを飛躍的に増大させる。ニュートリノは到達した地球深部でコアの温度を上昇させ、それが地軸のズレやら極の反転といった様々な地異の引き金となって地球は滅亡する。この前提がどれほど奇想天外なことか考えるのもうんざりするが、もっとダメダメなのは、それを予見していながら米国の態勢がずいぶんお粗末なことだろう。そういった前提が崩れているにもかかわらず、押し切って物語を進める力はエメリッヒらしい。

僕は愉しんで観た。

夕餉は、唐揚げ、鮭と赤飯の握り飯。

少し遅かった女房は、白米を炊いて納豆で。

主人公が途中で命を落とすかも。そういうハラハラはエメリッヒにはない。どれほど危ないシーンでも切り抜けることが約束されている。カタルシスにもならない。だから劣悪野郎だといわれるのも無理はない。だが、ひでぇなあ、あんなのアリかよ。くだらねぇじゃん。とか言いつつ、内心では元は取ったかなとうっすらでも思った人に僕は親近感を覚える。

この映画が果たしている踏み絵が何のなのか、そのことに考えが至った時、それ以前の思いとは別の感慨が残るものだろうか。

世の中はどこまでも踏み絵だらけだ、と思わずにはいられないが。

ええ、一人で旅立たれたわ

 

おおむね晴れ。16度。

6時過ぎに起きる。

朝餉は、バナナ、レタスときゅうり、ベーコン、目玉焼き、味噌汁(大根、玉ねぎ、カボチャ、小松菜、ネギ)、トースト、フルーツティ。

女房はクワイアの打ち合わせへ。

居間のソファに毛布にくるまっていると、肺のあたりでゴボゴボいっているような。女房はすぐ病院へ行けという。二時間待って五分の診療で何がわかるというのだ。四六時中付き合っている己がいちばん知っていると啖呵の一つも切りたいところですが。

昼餉は、ミルクと食パン。

エマニュエル・ムレ監督のフランス映画は『Mademoiselle de Joncquières(邦題:令嬢ジョンキエール -愛と復讐の果てに-)』。手練手管のプレイボーイ貴族に傷つけられた未亡人の物語。その復讐劇は、最後の最後にちょっとした味わいを残して終わる。企てた未亡人とその友人の会話が、幸不幸の機微を浮き彫りにする。舞台を十七世紀の貴族社会に求めることで、鷹揚な雰囲気のうちに色恋沙汰が立ち上がってくる。せせこましい現代ではこうはゆくまい。『男と女』を観れば、そのことはすぐにわかる(もっとも、『男と女』はすべての恋愛映画の白眉だが)。最後の友人のセリフがなければ、この映画は凡庸に終わっただろう。さすがフランス映画と膝を打つ。

娼婦役のアリス・イザーズの美しさは、印象派の絵画のよう。

夕餉は、ツナ缶、ご飯。

女房は遅くに帰宅。手伝っているクワイアの新規事業が滑り出そうとしている。

あっけらかんと晴れた空を見ている。走りたい。その気持ちを押さえ込むように咳が出る。

 

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変わらぬ景色、変わりつつある景色

 

おおむね晴れ。13度。

8時に起きる。

朝餉は、りんごとバナナ、味噌汁(大根、ニンジン、小松菜、豆腐、ネギ)、トースト、白湯。

10時半の東海道線で東京へ。恒例となりつつある青春18きっぷ・ほぼ各駅停車の旅。女房は横浜で降りて、クワイアの稽古に。

昼餉は、作って持ってきたサンドウィッチや握り飯、揚げパン、お茶を車内で。

富士山は山頂が雲の中。太平洋はくすんでいる。車内に旅姿の人はちらほら。座り続けて、尻や腰が痛む。本を読んで、景色を眺めていた。洗濯物が並ぶバルコニー、茶畑の手入れをするお婆ちゃんたち、海に浮かぶ漁船、菜の花が咲き始めた大井川の堤。気づくと、写真を撮り忘れている。

10時間近くかかって帰宅。熱っぽい。咳も出る。気管支炎らしい。

夕餉は、スーパーの唐揚げ弁当。

AppleはOS群のパブリックベータ・プログラムを更新してβ5をリリースした。メディアでは今月末に同社が大きな発表をすると予測する記事が出始めている。その中身はサブスクリプション・サービスだという。

夜半を回って女房が戻る。

ポランニー的知恵

 

雨のち曇り。10度。

6時に起きる。

朝餉は、豆腐のもやしあんかけの残り、キャベツとキュウリのポテトサラダ、味噌汁(大根、ニンジン、小松菜、ジャガイモ、豆腐、ネギ)、ポテトサラダのロールパン、白湯。

女房の出勤日で弁当を。

気管支のあたりの炎症が収まらない。雨の中を歩いていると、湿り気が肺のあたりを慰撫するようで心地いい。

人どおりの消えた街、ここに数万人が住んでいるとは。50年先、この街は外形をとどめているだろうか。

どの世代も、文明が栄え滅びるサイクルを目の当たりにしてきた。戦争もあれば天変地異だって起こる。今回のような原因は、そのさらに奥深いところに眠る原因について、誰かが何かを、わかるかたちで提示しているとは思えない。人口が減少したのは、結局のところどんな理由によるのか。僕らが子供を作らなくなった、その背景には何が横たわっているのだろう。

定量限界のような暗黙知が身体には埋め込まれている。その装置は、極端に人口が増えたり減ったりするとスイッチが入る。スイッチは世界規模で入りつつある。この国は先取りしており、やがて次々にスイッチが入っていく。流域のホタルがいっせいに点滅するように。

この説明が仮説されるとしたら、定量限界なり暗黙知なりの存在を探り当てるのは並大抵のことではない。

フランスは増加に反転している、稀有な国だ。育児給付は所得に関係なく、第二子に123ユーロ、第三子は158ユーロもらえる。他国も同様の政策を導入すべきなのか。それが定量限界やら暗黙知への対抗策となるのか。少しでも増えればいい、だが、増えすぎたところは減らしてほしい。

ずいぶんな話だが、それが正直な心情だろう。僕らは知らず知らず損得勘定の相殺を担っている。

そんな被害者意識が、現象の説明を背後で支えきれるとは思えない。このパズルには他のピースとは比べ物にならない、巨大すぎて逆に目につかないピースがある。そんな気もする。

昼餉は、弁当おかずの残り、食パン、コーヒー、ミルク。

生殖を不全にさせるか、意欲を減退させる。たとえばだが、そんな化合物が世界規模の食品に添加されている。ありがちな言説だが、これはそのピースたり得るだろうか。食品とは限らない。石油由来の化学繊維とか、ある種の光合成で組成が変わってしまう排気化合物とか、特定の波長とその近隣波長の同期波長が脳器官にもたらす変化とか。

こうした想像がいくらでも浮かぶのは、それがどこかで現実になっているせいかもしれぬ。

何を選び取るにせよ、ツケを払う覚悟をしなければいけない。そんな気がする。

夕餉は、常夜鍋、玄米ご飯、赤ワイン。

シューベルトのピアノ・ソナタをルービンシュタインで。ワルター・クリーンもいいし、クリスチャン・ツィメルマンもいい。ヴィルヘルム・ケンプも。そして、ホセ・フランシスコ・アロンソの愛らしさよ。彼のシューベルトは、最期に録音されたものだ。

新しい流れ

 

曇りのち雨。12度。

6時の起きる。

朝餉は、リンゴとバナナ、ハムとさつま揚げ、野菜の卵とじ、味噌汁(大根、ニンジン、玉ねぎ、かぼちゃ、豆腐、ネギ)、卵とマヨネーズ、きゅうり、レタスのホットドッグ、白湯。

女房の出勤日で弁当を。

7キロをジョグ。ランナーとすれ違う。

昼餉は、シリアル、弁当おかずの残り、食パン、コーヒー。

日本語エディター『stone』を求める。志向しているところはよくわかる。そのテイストは世界の潮流になっている。道のりは遠そうだし、対象となるMacのモデルを揃えてデバッグやらテストをするだけの余裕もないだろう。へこたれないでほしいな。使い物にならないところがものの数分でわかるのだが、とりあえず使い続けてみることに。

びわ湖毎日マラソンは雨が冷たそう。タイムは7分台と平凡。

NHKの囲碁トーナメント、許家元碁聖を相手に一力遼八段が七目の大差で。解説の本木克弥八段が、一力八段の指し手に何度も感心する。読みの確かさでは人後に落ちない本木八段でさえそうなのだ。一力、本木のお二人に芝野虎丸七段を加えた若手三人の対局からは目が離せない。

夕餉は、ポテトサラダ、卵とじの残り、挽肉と豆腐のモヤシあんかけ、味噌汁(大根、ニンジン、小松菜、カボチャ、豆腐、ネギ)、玄米ご飯。食後に白湯とクッキー。

女房と話しているうちに、喉の奥が痒くなる。炎症の前兆のような疼き。肺のあたりで何かが始まっている。

下手くそな鼻うがいで咽せてばかりいるせいかも。

『stone』ですぐにでも追加したほうがいいのは、カーソルの所作の設定とかTypewriterモードだ。前者はエディタの基本として、後者は最新の潮流に欠かせない機能として。せっかく中央表示して書き出すという提案をするなら、Typewriterモードは必要になる。画面最下段で文字入力し続けるのはいかにも窮屈でしょ。

 

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たまのキャバクラみたいな

 

おおむね晴れ。13度。

6時に起きる。

朝餉は、かき揚げ、さつま揚げと野菜の卵とじ、味噌汁(大根、人参、ほうれん草、豆腐、わかめ、ネギ)、トースト、リンゴとバナナ、ほうじ茶、コーヒー。

女房の出勤日で弁当を。

一刻も早く家を飛び出したい。ベランダに差し込む朝日がその気にさせる。そういう日が増えた。

15キロをジョグ。比良山系の雪を見ながら走っていると、目がクリアになっていく。

Nike Run Clubなるアプリをダウンロードしたら、Germinのデータをマージして、マイルストーンの数字を勝手に抽出したうえ、トロフィーなる褒美までくれる。やれ一週間に5キロ走っただの、それ連続で7週間走っただの。なにかにつけあんたは偉い、偉いと褒めてくれる。動機付けくらい自分でやるよ。と思いつつ、まんざらでもない。

Garminはその点でいうとロジカルで、必要にして十分なデータ管理、可視化、把握化に力点を置いている。走ろうが休もうがあんたの勝手だが、走ろうというからにはきっちり記録させてもらいます。そういうふうな姿勢が明確である。

長く付き合うならGarminだと思うが、チヤホヤされるキャバクラみたいな気分もたまには悪くない。

昼餉は、弁当おかずの残り、トースト、シリアル、コーヒー、ミルク。

湖岸のホテルに一本だけ河津桜が植わっており、もうすぐ満開を迎える。鮮やかな桃色。

夕餉は、卵とじの残り、中華スープ、炒飯。

女房は残業して帰宅。食事も施設で済ませた。

 

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inaccrochable

 

おおむね晴れ。9度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、キュウリ、コーンのサラダ、味噌汁(大根、ニンジン、カボチャ、豆腐、ネギ)、残りのポークカレー、ほうじ茶。

1920年代のパリでサロンを作っていたガートルード・スタイン女史のエピソードはジャズ時代を超えて、表現の核心を僕らに喚起する。ヘミングウェイは彼女との交流を描いているくだりで、とても印象的な彼女の言葉を綴っている。移動祝祭日が輝いているのは、こういう言葉が随所にあるからだと思う。

 

  `It's good,` she said. `That's not the question at all. But it is inaccrochable. That means it is like a picture that a painter paints and then he cannot hang it when he has a show and nobody will buy it because they cannot hang it either.`

  `But what if it is not dirty but it is only that you are trying to use words that people would actually use? That are the only words that can make the story come true and that you must use them? You have to use them.`

  `But you don't get the point at all,` she said. `You mustn't write anything that is inaccrochable. There is no point in it. It's wrong and it's silly.` 

 

昼餉は、フレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。

ここで印象深いのはinaccrochableだ。スタイン夫人は、ヘミングウェイの短編小説『Up in Michigan』を壁に掛けるのを憚られる絵のようだと表現する。ヘミングウェイの性描写を夫人はそう表現したのだ。ヘミングウェイはその点についてずっと考えていたことだろう。このくだりは、正確さを求め続けた作家の苦悶を垣間見せるとてもチャーミングなエピソードになっている。ヘミングウェイは彼女のある種の俗物性について思ったことを吐露していない。それがまた、作家の陰影を忘れ得ぬものにしている。

夕餉は、豚バラ肉の野菜炒め、かき揚げ天ぷら、ふろふき大根、蕎麦。食後に抹茶二服とクッキー。

inaccrochableはなぜかモーツァルトを連想させる。彼の俗物性と彼の音楽の乖離について、スタイン夫人はどう思っていたのか。それをたずねてみたい。

 

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雨、温む

 

雨のちときどき日差し。10度。

6時に起きる。

朝餉は、ハムとさつま揚げ、野菜の卵とじ、味噌汁(大根、ニンジン、カボチャ、豆腐、ネギ)、トースト、リンゴ、コーヒー、ほうじ茶。

女房の出勤日で弁当を。

ドカンと積もるわけでもなく、今冬は去っていこうとしているのか。寝首のひとつも掻いたらどうなんだ。ツヤツヤして見える冬タイヤがそう言っているようだ。

昼餉は、弁当おかずの残り、食パン、コーヒー、ミルク。

忘れた頃に、玄関先にあらわれる人々がいる。

屋根や外壁はちゃんと手入れされていますな。リフォームや建て直しなら、どうか我が社へ。

そんなことを話して、チラシや名刺を置いていく。

夕餉は、残りのポークカレー。

女房は施設で食べて帰宅。