ポランニー的知恵

 

雨のち曇り。10度。

6時に起きる。

朝餉は、豆腐のもやしあんかけの残り、キャベツとキュウリのポテトサラダ、味噌汁(大根、ニンジン、小松菜、ジャガイモ、豆腐、ネギ)、ポテトサラダのロールパン、白湯。

女房の出勤日で弁当を。

気管支のあたりの炎症が収まらない。雨の中を歩いていると、湿り気が肺のあたりを慰撫するようで心地いい。

人どおりの消えた街、ここに数万人が住んでいるとは。50年先、この街は外形をとどめているだろうか。

どの世代も、文明が栄え滅びるサイクルを目の当たりにしてきた。戦争もあれば天変地異だって起こる。今回のような原因は、そのさらに奥深いところに眠る原因について、誰かが何かを、わかるかたちで提示しているとは思えない。人口が減少したのは、結局のところどんな理由によるのか。僕らが子供を作らなくなった、その背景には何が横たわっているのだろう。

定量限界のような暗黙知が身体には埋め込まれている。その装置は、極端に人口が増えたり減ったりするとスイッチが入る。スイッチは世界規模で入りつつある。この国は先取りしており、やがて次々にスイッチが入っていく。流域のホタルがいっせいに点滅するように。

この説明が仮説されるとしたら、定量限界なり暗黙知なりの存在を探り当てるのは並大抵のことではない。

フランスは増加に反転している、稀有な国だ。育児給付は所得に関係なく、第二子に123ユーロ、第三子は158ユーロもらえる。他国も同様の政策を導入すべきなのか。それが定量限界やら暗黙知への対抗策となるのか。少しでも増えればいい、だが、増えすぎたところは減らしてほしい。

ずいぶんな話だが、それが正直な心情だろう。僕らは知らず知らず損得勘定の相殺を担っている。

そんな被害者意識が、現象の説明を背後で支えきれるとは思えない。このパズルには他のピースとは比べ物にならない、巨大すぎて逆に目につかないピースがある。そんな気もする。

昼餉は、弁当おかずの残り、食パン、コーヒー、ミルク。

生殖を不全にさせるか、意欲を減退させる。たとえばだが、そんな化合物が世界規模の食品に添加されている。ありがちな言説だが、これはそのピースたり得るだろうか。食品とは限らない。石油由来の化学繊維とか、ある種の光合成で組成が変わってしまう排気化合物とか、特定の波長とその近隣波長の同期波長が脳器官にもたらす変化とか。

こうした想像がいくらでも浮かぶのは、それがどこかで現実になっているせいかもしれぬ。

何を選び取るにせよ、ツケを払う覚悟をしなければいけない。そんな気がする。

夕餉は、常夜鍋、玄米ご飯、赤ワイン。

シューベルトのピアノ・ソナタをルービンシュタインで。ワルター・クリーンもいいし、クリスチャン・ツィメルマンもいい。ヴィルヘルム・ケンプも。そして、ホセ・フランシスコ・アロンソの愛らしさよ。彼のシューベルトは、最期に録音されたものだ。