ほんとの踏み絵?

 

おおむね晴れ。12度。

朝餉は、レタスとキュウリ、ベーコン、目玉焼き、味噌汁(玉ねぎ、かぼちゃ、小松菜、豆腐)、バナナ、トースト、アップルハーブティ。

女房はクワイアの打ち合わせへ。

気管支炎の熱が下がり始める。横になりすぎて腰が痛む。

昼餉は、塩カップ麺。

映画はローランド・エメリッヒ監督『2012』。彼らしい俗悪な趣味に溢れている内容だ。惑星の直列で太陽のフレアが巨大化し、それがニュートリノを飛躍的に増大させる。ニュートリノは到達した地球深部でコアの温度を上昇させ、それが地軸のズレやら極の反転といった様々な地異の引き金となって地球は滅亡する。この前提がどれほど奇想天外なことか考えるのもうんざりするが、もっとダメダメなのは、それを予見していながら米国の態勢がずいぶんお粗末なことだろう。そういった前提が崩れているにもかかわらず、押し切って物語を進める力はエメリッヒらしい。

僕は愉しんで観た。

夕餉は、唐揚げ、鮭と赤飯の握り飯。

少し遅かった女房は、白米を炊いて納豆で。

主人公が途中で命を落とすかも。そういうハラハラはエメリッヒにはない。どれほど危ないシーンでも切り抜けることが約束されている。カタルシスにもならない。だから劣悪野郎だといわれるのも無理はない。だが、ひでぇなあ、あんなのアリかよ。くだらねぇじゃん。とか言いつつ、内心では元は取ったかなとうっすらでも思った人に僕は親近感を覚える。

この映画が果たしている踏み絵が何のなのか、そのことに考えが至った時、それ以前の思いとは別の感慨が残るものだろうか。

世の中はどこまでも踏み絵だらけだ、と思わずにはいられないが。