何人目?

 

晴れ。28度。

7時に起きる。

朝餉は、コンソメスープ、バゲット、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ。食後にコーヒー。

Appleは年次の開発者会議・WWDCのオープニングをオンラインで開き、次期OS群の詳細を解説した。macOSVer.12になるのかわからないけれど、コードネームは『Monterey』と名付けられた。

ほかのプラットフォームのOSにも通底しているのは、なるほどそれは便利だ、と多くのユーザーが認めるような比較的小さな機能が付与されていること。OS間の連携が高まっている。MaciPhoneiPadを近づけるだけで、MacのキーボードやマウスがiPhoneiPadでも使えるようになるといったものはその最たる機能だ。ただ、同等のものを実現するサードパーティ製も中にはある。OS群のパブリックベータは早いものは来月から配布される。

ちなみに2014年以前のMacでは、機種によってはMontereyは動かない。僕のMacBook Airも非対応になった。「たった8年で見捨てるのね」——妻は例によって辛辣だ。

昼餉は、トマトソースのスパゲッティ、紅茶。

注文しておいたポーランド製のカフェチェア3脚が届く。それぞれ作られた年代は不詳で、使い込まれて塗装もところどころ剥げている。ガタつきはないものの、値段相応といったところ。

チェコやポーランドで作られたベンドウッドチェアは、木工工業製品のイコンといっていい。

郷愁というものを強く覚えるほど、僕らは椅子との暮らしが長くはない。たかだか100年だろう。それでも掻き立てられる何かがあるのはすごいことだと思う。そしてベントウッドこそ、その真ん中にある椅子なのだと思う。

使い古され、少しガタついている。その風情を愛でながら座る。この国へやって来るまでに、どれほどの人を座面に乗せたことだろう。僕がその最後になるわけではない。次の人は、必ずいる。ベンドウッドチェアの旅は、そうやって続いていく。

巡り会って、たまたま預かった——心得の基本はそうありたい。

夕餉は、ポテトサラダ、合い挽き肉のハンバーグ、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。食後に冷たいミルクココア。

 

 

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コトワリのこと

 

晴れ。29度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、野菜とハムのコンソメスープ。食後にコーヒー。

この世の理は、日々の暮らしの中に揃っている。奇跡とか特別な何かが、物事の道理を説いてくれるわけではない。良いも悪いも一緒くたの日々を、少しずつ繋いでいくしかない。

日々のことは、同じになるように、同じにやる。違いを見つけるのではなく、違いを同じにしていく。変わっていくのは当たり前なので、そこを同じになるようにしていく。

心象は決して同じではない。同じなることは一日としてない。所作は、同じにできる。すべての所作は、同じようにする。食べる、見る、話す、読む、書く、聞く、動く——決まりきっていることは、徹底的に決まりきって行う。徹底することに執心する。無駄を省く。正しいことも、そうでないことも、それが在るべき姿を定着させる。

今日は調子がいい。やることなすことぴたりと決まる——そういう言い訳を所作に与えない。雨だから身体が重い。二日酔いで頭が痛くて集中できない——わかりきったことを持ち出してきて、所作の邪魔をしない。

昼餉は、グリーンレタス・大根・レタス・コーン・ハムのサラダ、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、トースト、紅茶。

ジョギング、11.47キロメートル。西北西の風。

数メートルと離れていない葦の藪から、大きなキジが飛び立つ。羽音に首がすくむ。

蜘蛛の巣に気づかない。頭から突入してしまい、へばりつく。絡め取られていた羽虫や蝶が顔や髪の毛にべったりと。

蜘蛛の邪魔をしてはならない。家のまわりや庭を歩くときはことにそうだ。

夕餉は、納豆、冷奴、竹輪の磯部焼き、豚バラ肉とキャベツ・玉葱・ピーマンの中華炒め、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐)、ご飯。妻の点てた抹茶二服、桜餅。

 

 

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枝と……

 

曇り、のち晴れ。25度。

7時に起きる。

グリーンレタス・コーン・レタス・キュウリ・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・シメジ・油揚げ・豆腐)、フレンチトースト、バナナ、紅茶。食後に、コーヒー、どら焼き。

庭石に茶トラの猫が座って、どら声をあげている。盛りのついたような声は、昨日あたりから聞こえていた。ほっそりしているのに声は太い。ベランダから手を振ると、すぐ姿を消した。

野良は見なくなった。代わりにネズミが増えて、それを追う青大将も天井裏にいる。

NHKの囲碁トーナメント。藤沢里菜女流本因坊が、あっというまに劣勢に。悪手を3手も打っては仕方ない。勝率のバーが、次の瞬間には7030から1585にひっくり返って驚く。そんなわかりやすいことが起きるのか、と。

昼餉は、どら焼き、冷たいココア。

岳父の庭で、木の剪定。

松や槙(たぶん)、ツツジ、そして梅。名も知らぬほかの木々も、気のむくままに刈り込む。下草は除草剤を撒く。妻が枝を拾い集めて袋に入れた。

2人して黙々と。

夕餉は、納豆、ニラ卵、餃子、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐)、ご飯。食後に抹茶、チーズケーキ。

入りは3週間も早かったのに梅雨はさっぱりで、どうかすると明けたような空が広がっている。

 

 

 

 

予測可能だった

 

おおむね晴れ。24度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・コーン・大根・レタス・キュウリ・カニカマのサラダ、ハム・目玉焼き、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、トースト、バナナ・紅茶。食後にコーヒー。

去年からぼちぼちやっている積み立て型の投資信託。毎日の積み立てと、月単位の積み立てを組み合わせている。どちらも少額なのだが、天眼鏡で日経新聞を覗き込んでいた母の気分がわかる。

この際だから、運用はAIに任せることにした。提示されたポートフォリオには不安を掻き立てられたけど、なに勉強のつもりだと。

基本的な運用方針はリスクを多めに取るつもりだったのに、AIは僕より臆病なようで。そう思っていたのは最初だけで、裏には思惑が蠢いていた。教わっている。そう感じだすと、気が楽になった。

情勢が変わっても、ポートフォリオに手を入れることは滅多にない。運用に口は出さない——それがAIへの申し送りだ。が、向こうはそんなメッセージを受け取った覚えはないだろう。

父は、けっこうな額の株式投資をしていたことが物故してからわかった。その大部分は、塩漬けになっている。

昼餉は、マクドナルドでフレンチフライ、チーズバーガー、アイスコーヒー。

妻とウッドショックの話を。

コロナ禍で在宅が当たり前となり、米国と中国が住宅の建設ラッシュに沸いているとか。木材の高騰は、この国の新築計画を滞らせはじめている。建て替えどころではないと妻が言う。

この話には、とんでもなくドジな奴がいて、そのせいで何かが狂ってしまった、という前段の話が隠れている。複雑でも予測不可能でもないのだ。

夕餉は、グリーンレタス・キュウリ・ポテトサラダ、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、ポークカレーの残り、バナナ。食後にどら焼き。

新築の内覧会のお知らせが工務店から。インテリアに凝った若い夫婦の家らしい。資材が高騰する前に建てられて良かった。

 

 

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見える力

 

雨、のち曇り。21度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・大根・キュウリ・カニカマのサラダ、ベーコン・目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・シメジ・油揚げ・豆腐・大根の葉)、トースト、紅茶。食後にコーヒー。

余市の菩提寺に電話。2回目のワクチン接種を来月に終えてから、帰郷して父の納骨と永代供養をしたい旨を伝える。

納骨に際しては、ちょっと気がかりがある。父の遺骨は焼かれても崩れることがなかった。何かに取り憑かれたような叔父や叔母たちが、詰められるだけの骨を壺に詰めても、父の骨はなお残った。詰まった骨壷は、ずっしりした。

大振りの壺を墓に納めるには、どんな魔術が必要なのだろう。途方に暮れる住職の声が聞こえる気もする。

昼餉は、揚げパン、コーヒー。

ここしばらくの雨で、岳父の庭の樹々が第2段階へ。朝と夕では姿さえ変わっている。ひとつ所から動けぬ彼らにとって、漲らせる繁殖力は僕らには真似のできないこと。

動き回っているけれど、僕らに備わっている生命力ははるかに鈍重で、どうかすると、止まっているようにさえ見える。

妻が戻ってくる。どことなくこざっぱりして見える。

夕餉は、ポテトサラダ、味噌汁(人参・玉葱・シメジ・油揚げ・豆腐・大根の葉)、ポークカレー。

ApplemacOS Big Surのパブリックベータを更新して、11.5β2をリリースした。

 

 

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ジェフ・べゾスのほくそ笑み

 

晴れ、のち曇り。26度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・大根・キャベツ・カニカマのサラダ、目玉焼き・ウインナーソーセージ、味噌汁(人参・玉葱・シメジ・油揚げ・豆腐・大根の葉)、トースト、紅茶。食後にコーヒー。

ビッグデータの一部として扱われている——僕らは、ダイレクトメール(もちろん電子のだ)を見てそう感じる。それは数日前に検索したモノから、数ヶ月前に買ったモノまで脈絡なく並んだリストである。

長さ180センチ、幅60センチ、厚さ3センチの桐の集成材に興味があったのは2ヶ月前だ。それに続いて、やけに持ち手の長いドイツ製のピーラーとか、ヘンプで織った無骨な作業ズボンとか、電動歯ブラシの偽物の替えブラシセットとか、中古の凸版印刷機の入門セットとか、バスキアの蕎麦猪口とかが並んでいる。いったい、どんなリストなんだと薄気味悪くなる。

自分のリストを見せられて、そう思わないヒトはいないだろう。それらがたった一人から紡がれたモノとは信じられない。どんな人物像が浮かび上がるのか、コンピュータに聞いてみたい。

その理路整然とした説明を聞かされて、僕らは感心するのだろうか。

要するにコンピュータは、薄気味悪くなったり、驚いたり、信じられなくなったり、感心したりはしない。

脈絡がないようでも、コンピュータは関連を見つけ出し、消費の性向として何かをつかむ。それをリストにして送りつけてくる。

僕らは、送りつけてきた存在にも、それを受け取った存在にも、狂気を見る。

ジョギング、9.23キロ。夏一番と呼びたい風は、南風。

昼餉は、ミックスナッツ、ポテトチップス、コーヒー。

あと数年したら、ベランダに宅急便のドローンが降りてくる。お届けモノです、とドローンが言う。箱を開けると、サンショウウオの生態図鑑が入っている。買った覚えはないぞ。まったく、世も末だな。

引き取りの依頼をしようとして、ふっと思い出す。サンショウウオが気になっていたことを。誰だって、一生に一度はサンショウウオのことが気になる日がやってくる。

コンピュータは、そのトリガーを引いたまでのことだ。

需要を喚起されて、そのことに気づく——僕らに届くのは、予測に基づいた注文だったりする。

夕餉は、納豆、大根・カボチャの煮物、アジフライ、味噌汁(人参・玉葱・大根の葉・シメジ・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。

 

 

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Green Book

 

曇り、のち晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・大根・キュウリ・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・大根の葉)、バゲットのトースト、紅茶。食後にコーヒー。

ネットから1回目のワクチン接種の予約を。自宅から3分の医院で今月末に。2回目を終えるまで自宅で暮らすことに。注射がなければ、自宅への道は遠い。あっちが仮住まいのように感じる。

昼餉は、バゲット、ミルク。

ピーター・ジョン・ファレリー監督『グリーンブック(原題:Green Book)』は、アカデミー賞作品賞を取っている。実話に基づいているらしいが、白人運転手と黒人ピアニストの南部へ向けたロードムービーという、かの国ならではの設定だ。

深南部でピアニストが受ける差別とイタリア人運転手との交流を描く。ときに偽善的に思えるのは、状況が今も変わっていないからだし、描いているのが白人ということもある。黒人が描いたら、様相は違っていたろう。

教養のない白人と才能ある黒人という対比、地位ある白人にありがちな無意識の差別、黒人同士の教育の有無に根ざした排他意識。さらっと描いているが、その根っこの闇はとても深い。

黄色人も、彼の地では差別を受ける。旅をすればすぐわかる。今は大都市でもひどい。いきなり殴られたりしている。

夕餉は、大根・南瓜の煮物、餃子、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・大根の葉)、ご飯、赤ワイン。

 

 

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異形をこそ

 

晴れ。26度。

8時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・キャベツ・キュウリ・カニカマのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐)、バゲット、バナナ、紅茶。食後にコーヒー。

冷凍庫で凍らせた梅の実を、ハチミツとともに瓶に漬ける。梅の木はがんばって、粒揃いが15個ほど。前年の枝打ちがたまたま良かったらしい。

その模様や形を愛でる木の瘤は、傷を治す過程で木がみずから治療した跡だ。災害で傷ついたり、雪の重みで折れたり、病気で腐ったり。原因の数だけ瘤があり、さまざまに姿形を変えていく。たいがいの瘤は、硬くて重い。ゴツゴツしている。びっくりするような形になる。その瘤を使って、カップやアクセサリーを作ったりする。美しいものができることを、ヒトは昔から知っている。

木に限ったことではないな、と思う。負った傷は、それを治してこそだ。傷の跡は異形だが、それが美しい。最終的にそんな視線を向けられれば、人生の陰影は深くなる。

昼餉は、バゲット2切れ、ミルク。

ジョギング、12.3キロ。

白鷺の羽が、純白にはえ揃っている。青鷺ははるかに図太くて、逃げ飛んでいく白鷺を尻目に、走ってくるこちらをずっと睨め付ける。いきがかり上、僕も目が離せなくなる。

子育て中のつがいは、まだ遠くにいる僕を威嚇してくる。声で、飛翔で。緊張感が空を覆っている。

夕餉は、大根とカボチャの煮物、ピーマン・キャベツ・ウインナーソーセージの中華炒め、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。

 

 

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見間違える

 

晴れ。25度。

8時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・キュウリ・キャベツ・カニカマのサラダ、コンソメスープ、トースト、バナナ、紅茶。食後にコーヒー。

すり下ろした玉葱の代わりに、柚子胡椒と塩麹を加えたドレッシング。隠し味に豆乳かミルクを少し。それ以外はいつもの、クレイジーソルト・蜂蜜・黒胡椒・リンゴ酢・ごま油・オリーブ油・レモン・醤油・生姜。たまにマヨネーズとかケチャップ。

大坂なおみさんを見ていて思う。彼女の人柄は、彼女の風貌と若干のズレがあるにもかかわらず、ちゃんと伝わってくる。

世の中は良くしたものだと思う。冷静に見れば、その人となりがわかる。

だから、試合後の会見をボイコットする、と彼女が声明を出して、実際に1回戦後の会見に出なかったとき、錦織圭さんは悩ましい表情を変えなかった。実際のところ、よくわからなかったのだと思う。彼女を取り巻く状況について。

昼餉は、食パン、ミルク、コーヒー。

正しい行いをしたいと願っている人がいる。必ずしも好意的に受け止められないことをその人がした時に、周囲は試されることになる。その人をどんなふうに見ていたのか。どんなふうに接していたのか。

ちゃんと伝わってくるものを信じていれば、と思う。

夕餉は、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、赤ワイン。

今月の総括をば。アクティビティは8日、総距離は74.55キロメートル。スクワット100回はほぼ毎日。

手慰みのようにして作った小さな家具。手先の器用さが滲み出ている。岳父の人となりは、だが不思議なことに伝わってこない。

 

 

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扉の鍵

 

晴れ。23度。

7時に起きる。

朝餉は、スクランブルエッグとウインナーソーセージ、コンソメスープ、トースト、バナナ、紅茶。食後にコーヒー。

梅の実を収穫して冷凍庫へ。シロップに生まれ変わるのは10日後くらい。萎びた実のほうはジャムになる。梅の雨でも、今日は違う。

ジョギング、7.13キロ。西北西の風。

昼餉は、シリアル。

田植えが終わり、蜘蛛たちがいっせいに巣を張る。

南の空に夏の雲。

最善がいいわけではない。

なにかがちょっと混じっている。それが何なのか、わからないままに選ぶ。その瞬間の混濁した視界を留め置く。それの方が、間違いがない。間違っているのかもしれないけれど、それがいいのだと思う。

間違っているのに、間違いでない。撞着しているようだが、それが理にかなっている。

夕餉は、ニラ卵、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・レタス)、ご飯、赤ワイン。

説明できることは、説明できることのうちにだけ生きられる。その外を知るには、撞着しかない。

扉は、そこにしか存在していない。

開けても、何かがあるとは限らない。

がっかりするかもしれないし、しないかもしれない。

それくらいは、知っている。

 

 

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自由じゃない、当たり前だ

 

おおむね晴れ。24度。

8時に起きる。

朝餉は、ウインナーソーセージと目玉焼き、トースト、バナナ、紅茶。食後にコーヒー。

自分がいかに年寄りかということを、世の年寄りはこぞって嘆く。いったいどうなっているのだろう。愕然としないほうがどうかしている。元気で暮らすのがいちばんだと、誰もが言う。そんなことはほとんどないくせして。

大人な年寄りは、嗤って生きている。どんな悲劇にも嗤う。条件反射みたいだ。

無闇と、言い募らない。

別にだからどうした、という顔でいる。

智恵をつけることに貪欲だが、黙ってやる。

酒を、すこし嗜む。

うるさい人を遠ざける。はっきり言う。

いい嘘をつくタイミングを間違えない。

傷つける相手を、見究める。でも、囚われない。

少食で済ませる。

世を斜に見る。

昼餉は、シリアル、ミルク、コーヒー。

それくらいのことを、年寄りなら心がけたい。

野良仕事に精をだしている老婆に、くだらない奴はいないのだ。

夕餉は、ウインナーソーセージと野菜の中華炒め、中華スープ、ご飯、バーボンのハイボール。

大橋歩さんの絵。

トイレのイラストを見ている。

 

 

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対峙と相克

 

晴れ。23度。

8時に起きる。未明まで眠れず。

朝餉は、グリーンレタス・キュウリ・パプリカ・カニカマのサラダ、コンソメスープ、トースト、紅茶。食後にコーヒー。

妻の留守のあいだに、と少しずつ断食に挑戦しようとして果たせないでいる。脳みそが甘味を欲しがる。人工の甘味を欲しがるあたりは、いかにもだ。わかっている物事に対しては躊躇がない。直線的といえば聞こえはいいけれど、要は短絡的なのだ。

そういう舐めきった考え方は、僕の根っこにある素が露呈したものだが、脳みそはそういった観察を嫌う。観察というより、突き放しのスタイルとでもいおうか。

こういう対峙の仕方は、『エクソシスト』で女の子に憑依する悪魔の感じに似ている。

己に気づいていない。本性と呼べるものが備わっているとしたら、その半分も僕らは知らないのではないかとさえ思う。理性とは無縁だった数千年前の面影が、相変わらず僕らを動かしているのに、なんと呑気なことだろう。

ジョギング、10.03キロ。西北西の風。

爪先を蹴り上げて、フォアフットを使って跳ねるように——唱えながら走っているとスピードが上がる。忘れていた感覚。

昼餉は、シリアル、バナナ、コーヒー。

オリンピックの聖火が家のそばを走ったらしいのだが、街は何事もなかったように静まりかえっている。

妻からメッセージ。自治体からワクチン接種の予約券が送られてきたと。アクセスしたらどの診療所もいっぱい。次の予約は来月2日。

妻のほうがよほど聖火を気にしている。気配さえない様子を報告したら、不思議がっている。

夕餉は、中華スープ、チャーハン、赤ワイン。

 

 

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その金の行方が

 

雨、のち曇り。17度。

8時に起きる。

朝餉は、トースト、バナナ・リンゴ、紅茶。食後にコーヒー。

午前中に豪雨警報が出て、乾いた小さな池に水が溜まった。気づいたときには、薄曇りの向こうにわずかな青色。

昼餉は、玉葱・ベーコンのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、コーヒー。

コーエン兄弟の映画版『FARGO』は、観たものだとばかり思ってきた。

若きフランシス・マクドーマンドがいい演技をしている。彼女は、僕が気づくずっと以前からいい女優だったのだという、ごく当たり前の確認をする。

TV版は、大事な小道具を映画版から引き継いでいる。そのシーンがとてもいい。なぜ、そこに大金が埋まっていたのか。TV版を先に観てしまうと、せっかくの仕掛けがわからない。それは、映画を作ったコーエン兄弟への上等のオマージュでもある。

勘違いをしていたわけは、いくら考えてもわからないままで。

夕餉は、キャベツ・ウインナーソーセージの中華炒め、ニラ卵、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。

西川美和監督『永い言い訳』を料理を作ったり、ワインを舐めたりしながら。

 

 

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健忘の好意性

 

おおむね晴れ。22度。

7時に起きる。

朝餉は、グリーンレタス・キュウリ・パプリカ・カニカマのサラダ、ウインナーソーセージ・目玉焼き、玉葱・人参のコンソメスープ、トースト。食後にコーヒー。

札幌の姉から電話。声の明るい響きに、鼓舞している感じ。余市の菩提寺から昨年に亡くなった檀家のための法要の案内。転送してもらう。

母の具合は変わらず。食欲はあったりなかったりで、眠っていることが多いと。

妻がスマホをMVNOに移行したものの、Messageだけがうまく動かない。SIMに原因がありそう。

昼餉は、豆乳をかけたシリアル、魚肉ソーセージ、コーヒー。

Netflixでノア・ホーリー脚本の『FARGO』のシーズン3を見始めたのが運のつき。ユアン・マクレガーの一人二役はともかくとして、デヴィッド・シューリスの演技は、シーズン1で怪演したビリー・ボブ・ソーントンと双璧をなす。ソーントンの悪魔性も見事だったが、シューリスのは腐臭が漂ってくる。

見るたび、同じことを思っているような。ちなみに、物語の最後も忘れていて、これも驚く。なんと、シーズン4が本国では放映されている。

コーエン兄弟監督の劇場版も中身はすっかり忘れていて、何倍も愉しめると小躍りしていいものやら。

夕餉は、前夜に引き続きアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、赤ワイン。乳化のやり方をあれこれ。

シーズン3の終わり方はフラフラしているものの、困った末に辿り着いた最後のドアのカットはちょっといい。

欧米の描く悪魔は、らしい悪魔と、らしからぬ悪魔に大別できて、どちらも面白い。幾重にも屈折しているのだが、その屈折度合いが腕の見せ所になっている。『ローズマリーの赤ちゃん』とか『エクソシスト』、『オーメン』といった王道もいいけれど、悪魔としては屈折度が低い。

なにはさておき、自分の闇底をのぞき込むのがいちばんかも知れない、と思ったり。映画は、その手助けになっているフシもある。

 

 

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億千万の腰を

 

 

晴れたり、曇ったり。25度。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐)、ブルーベリーを挟んだトーストサンドイッチ、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナとリンゴ。

チェコのTONのちょっと古い椅子を1脚、求める。カフェで使うIronica

この家の4脚の椅子はダイニングテーブルとの揃いだが、木槌で叩いて接着剤を足して、騙し騙しして座ってきた。名もない、国産の椅子だ。

年代も形も異なるTONの椅子があと3脚、修理やら塗装が終わった順に届く。ベンドウッドで作られた世界のカフェで使われている椅子。軽くて、丈夫で、飽きないカタチと材。取り立ててどうということもないのに、ずっと眺めていられる。座っていても疲れない。

ジョギング、13.01キロ。長浜ドームを回って湖岸沿いを。北西の風。

昼餉は、豆乳をかけたシリアル、コーヒー。

椅子の日々を思う。

ホンダのシートで痛めた腰を治してくれたのは、ドイツ製の椅子だった。それに30年近く座った。勤め先が変わっても、その椅子は一緒だった。数え切れない徹夜の日々を大過なく過ごせたのは、その椅子のおかげだった。

這うようにして渋谷の家具屋に行き、腰痛に効く椅子だと教えられたのを、大枚をはたいて求めて以来だ。ホンダに限ったことではない。国産車は、腰を痛めるような代物を作り続けている。

イギリスのコノリー社の革シートは10時間くらい座っていても腰はびくともしなかった。初代と2代目のレンジローバーは、車内に満ちるコノリーの革の香りが忘れられない。その香りが落ちることはなかったし、クッションがくたびれることもなかった。レンジローバーの命は、あのレザーシートに息づいていたと思う。

夕餉は、玉葱・ベーコン・ハムのアーリオオーリオ・ペペロンチーノ、赤ワイン。

ベントウッドのいい椅子を少しずつ集めていきたい。世界のカフェで、創造と愛と裏切りと背徳と革命と絶望と希望の日々を、丸ごと受け止め、突き放し、詰まるところは支えてきた。その椅子は、ベントウッド・チェアである。

 

 

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