春風

 

晴れ、のち曇り。12度。

8時に起きる。

朝餉は、目玉焼きとハム、ブロッコリーとキャベツのサラダ、女房の作った味噌汁、トースト。食後にコーヒー、ロールケーキ。

女房と長浜へ。生命保険の見直しを済ませる。2時間ほどかかった。

昼餉は牛丼、コーヒー、アップルパイ。

弥生の風はなぜか冷たい。壷に活けた梅の花の芳しき。三和土のあたりだけ淡い。

夕餉は、大根とカボチャのそぼろ餡、豚バラと野菜のオイスターソース炒め、焼鮭、味噌汁(玉葱・ワカメ・エノキ・小松菜・豆腐)、玄米ご飯。食後にコーヒー、クッキー。

 

 

土曜?

 

曇り、のち雨。7度。

未明に見た夢で、林家木久扇師匠とおにぎりを頬張りながら話し込んでいた。トイレに立った時は、面白くてニヤついていたのに。

8時に起きる。

朝餉は、女房が作った味噌汁とブロッコリーのサラダ、ピザトースト、紅茶。食後にコーヒー、クッキー。

女房と市庁舎の隣の文化産業会館へ。歩いて10分ほどのところ。1階の談話スペースには僕らだけで、備え付けの雑誌や新聞を読んだり、コンビニで求めた桜饅頭とミルクティをいただいたり。

ご時世で、週末でも人影はない。Wi-Fiがあるし、隣にはレストランもあるのに。ただでさえ人影の薄い街が、ゴーストタウンのようだ。

昼餉は、スパゲッティ・ナポリタン。

コンサートが中止になって、個人事務所では自己破産に直面しているミュージシャンもいるという。天災ならおりる保険金が、ウィルスは対象外だと。

観客を締め出すスポーツやステージも出ている。ストリーミングやTV中継で集客するらしいが、大相撲もそうなる可能性が出てきた。

現象だけ見ればパンデミックの様相だ。爆発的な拡大を抑えられるか、分水嶺にある。

夕餉は、カボチャと大根のそぼろ餡、ハンバーグの残り、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・ジャガイモ・ネギ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒー。

 

 

ひたひたと

 

晴れ、のち曇り。7度。

8時に起きる。

朝餉は、大根と厚揚げの煮物、目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・ジャガイモ・ネギ・豆腐)、トースト、ピーチティー。食後にコーヒー、クッキー。

全国の小中学校が休校に。コンサートやスポーツ観戦も次々に中止となり、倒産が増えそうだ。来年度予算に、コロナウィルス関連は計上されていないとか。

岳父の庭の白梅が満開を迎えている。剪定したわりに花の数は増えなかった。切って玄関の壺に活ける。壺とはいっても、物置の奥に転がっていた漬物壺だ。

昼餉は、鯛焼きとコーヒー。

買い物帰り。女房がハローワークに行きたいと言い出して、南彦根へ。アルバイトの求人ならスマホから調べられるのに。

このご時世に、けっこう混雑している事務所でしばし求人を見る。

気づいて、帰り際にあわててマスクをかける。そんな姿を見た女房が、冷やかす。命なんか呉れてやると日頃から言っておきながら、どういう了見でしょうね。

そう言いたげだ。

夕餉は、義姉が漬けたカブの漬物、大根・厚揚げの煮物、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・小松菜・豆腐)、チーズリゾット、赤ワイン。食後にコーヒー、クッキー。

彦根の食堂やレストランに客が少ないように見える。

 

 

認識の時差

 

晴れ、のち曇り。6度。

8時に起きる。

朝餉は、ミルク、大根の皮と人参のきんぴら、目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・ネギ・きざみ湯葉・ワカメ)、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

札幌の実家に電話。姉からの手紙が米原に来ていたのは2週間前。音沙汰なしで、心配かけたことを詫びる。

両親とも元気なようで、姉の脚も具合良さそう。マスクの買い置きもあると。

明るい声が気になる。そういう時、姉は努めていることが多い。健気なところがバロメータかと思う。

昼餉は抜き。

スーパー隣のうどん屋に客がいない。そういう時間帯だったこともあろうが、ご時世だからと連想したくなる。

米国の株式市場が歴史的な大きさで下げ続けている。他国も倣っている。ここへ来て織り込んでいるのは、パンデミック的な規模についての手探りだろう。WHOの責任者はパンデミックに近いと言っている。

起点になった中国では、当局者が4月までに収束すると語ったとか。勢いが下降に向かっているということか。

夕餉は、大根・コンニャク・厚揚げの生姜煮、合い挽き肉のハンバーグ、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・ネギ・豆腐)、玄米ご飯。食後にコーヒー。

先月に信楽で求めた女房の緋色のコーヒーカップを割ってしまう。手が滑った。落ち込む。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムを更新してβ3をリリースした。iPhoneはSE2と巷間呼ばれている廉価モデルの発表が3月にも噂されている。

 

 

11時間、440km

 

雨、のち曇り。12度。

8時に起きる。

朝餉は、大根と厚揚げの生姜煮、スクランブルエッグ、味噌汁(人参・玉葱・ネギ・豆腐)、トースト、アールグレイ。

荷物をパッキングしてクルマに。11時に家を出て女房と滋賀県へ。

市役所やガソリンスタンドに寄ってから青梅街道や甲州街道を中心に国道を走る。

女房の実家へ帰り着いたのは夜10時。

途中で休んだのは4回ほど。交代でハンドルを握ったので、疲れはそれほどでもない。腰が痛む。

ずっと雨混じりだったので、街道沿いの梅の花を見続けていた。

昼餉は、パンやらお握り、コーヒーをガブガブと。

峠越えを3度ほど。2速に固定したギアで登りも下りも回し続けたたせいで、御嶽山の峠でおかしな音が聞こえた。

国道1号が中心の東海道より、甲州街道の方が景色がコロコロ変わって愉しい。峠越えは、大きなトラックに出会わずにすむ。

夕餉は、天ぷら蕎麦、おにぎり、コーヒー。

非力なクルマで440kmほど。ずっと走っていると、自分たちがクルマに同化していくような瞬間がある。ひょっとしたら、永遠に着かないかもしれない。遅々として進まない距離計は、もう見ない。

 

 

season 5

 

晴れのち曇り。12度。

8時に起きる。

朝餉は、きんぴら、大根の皮と厚揚げの煮物、ほうれん草のソテーとスクランブルエッグ、味噌汁(人参・玉葱・ほうれん草・ネギ・豆腐)、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー、ドーナッツ。

掃除をしていた女房が富士フィルムのチェキを見つけた。フィルムも15枚ほど。単三電池を4本も使うインスタントカメラは、今でもフィルム10枚が600円以上する。いっそ壊れていればと思うが、電池がなくて確かめようもない。

ゼンマイで動くようなカメラがあればと思う。コンセントにも電池にも頼らない暮らしって、どんなだろう。

昼餉は抜き。

米ドラマ『Better Call Saul』のシーズン5が始まった。息の詰まりそうな闇が、登場する人物のそれぞれに、格別の暗さで描かれていく。誰一人として仕合わせになれない。そんな予感を抱きつつ、ちょっとしたユーモアに騙されて、遠い地へと誘われていく。

夕餉は、大根と厚揚げの生姜煮、味噌汁(人参・玉葱・ネギ・豆腐・ほうれん草)、ざるそば。食後にコーヒー、ドーナッツ。

 

 

音楽より手強いところ

 

晴れ。14度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルト、大根の皮と人参のキンピラ、厚揚げと大根の生姜煮、味噌汁(人参・玉葱・ナメコ・ネギ・豆腐)、レーズンロールパン、アールグレイ。

多くを語っていないのに、それは大部だ。そのページに出会うと、緊張する。呼吸が速まる。何度も読み返す。ため息が出て、目が宙を彷徨う。ドキドキしている。翻訳というスリットを通っているのに、それは瑞々しい。なぜだろう、と考えながら、気づくと文章との出会いを喜んでいる。そんな体験は、めったにない。

何度も読み返しているのに、その文章は残らない。さらさらと流れる水のようだ。

昼餉は、たい焼き、カプチーノ。

味わい直そうとして、棚から本を持ち出す。ページを繰る。

どこだったろう。行ったり来たりして、その箇所を探す。

最初から読んでいれば確実にたどり着くのに、ページを繰っていると見つからないなんて。

体験の高揚感。頼りになるのは、それだけで、その感情を生み出した肝心の文章が思い出せない。

不思議だが、そうだろうな、とどこか心の隅っこで得心している。つまみ食いは赦さない。小説家は、そんな仕掛けを残している。図っているわけではないけれど、どうしても見つけられない。

本は、物体として感触を確かめられるのに、含意の正体がどこかに埋もれて、在り処が判然としない。インクとして紙に載っているし、ページとして案内されてもいる。読むことで、眼球から脳へ送られるなにがしかがある。

それなのに、どこにそれが残っているのか。

ここだ、と誰かが示してくれたものを見たためしがない。

夕餉は、大根の皮のきんぴら、味噌汁(人参・玉葱・ほうれん草・ネギ・豆腐)、スパゲッティ ・ナポリタン。食後にコーヒー、ドーナッツ。

 

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転がるようで、転がらない

 

晴れ。13度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツ・竹輪・ゆで卵・カニカマのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・ネギ・豆腐)、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

ビル・チャーラップのピアノ・トリオ『Stardust: The Music of Hoagy Carmichael』。「The Nearness of You」のテンポアップの瞬間に、キーを打つ手が止まってしまう。表題曲もそうだが、彼のタッチは時として躊躇っているような空白が好ましい。

ちょっと酔っ払った感じとでもいおうか。

店がはねたあと、ピアノに向かっていつまでも弾いている感じ。

昼餉はバナナとヨーグルト、トースト。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。柴野虎丸名人を一力遼NHK杯が中押し勝ちで退けた。別世界に住んでいるような虎丸名人。風格が出てきたように見える。げに恐ろしきは、欲目。

この2人の対戦は、いつまでも見ていたい。

昨日は春一番が吹いたというが。

女房と夕方に散歩にでたら、今日の風は一転して冷たいのだった。

夕餉は、大根・厚揚げの生姜煮、ほうれん草のソテーを添えた合い挽き肉のハンバーグ、味噌汁(人参・玉葱・ナメコ・ネギ・豆腐)、玄米ご飯。食後にコーヒー。

 

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道のあとさき

 

おおむね晴れ。15度。

8時に起きる。

朝餉は、ほうれん草のごま和え、厚揚げと小松菜の生姜炒め、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・ナメコ・ネギ・豆腐)、トースト、アールグレイ。

女房はクワイアの稽古へ。夜に戻る。

間違っていた、と気づく人は、不仕合わせだ。

のめり込んでしまい、不覚のまま生きている。それは仕合わせなことだ。

巡り逢っていることに、気づかない。

巡り逢っていないのに、のめり込んでしまい、あとで気づく。

不仕合わせだと思いながら、のめり込んでしまう。

その深い沼は、あなたにとって、なんなのだろう。

昼餉はミルクをかけたシリアル。

なんにせよ、なにが不仕合わせなのか。

たぶん、囚われているうちは、不仕合わせなのだろう。

どこかで、言葉に無頓着に生きている。僕らには、そういう安全装置が備わっている。

言葉に縛られない。それは、考えないということだ。

夕餉は、アーリオオーリオ・ペペロンチーノ、コーヒー。

僕らを、そうたらしめていることから距離を置く。

無心になる。

道が付く習い事は、距離があることを教えてくれる。

なにが、なにに対して、どんなふうに距離があるのか。

それは、距離なのか。

それを、すべての道という習い事は、言葉にしない。

言葉で示すことはない。

ひたひたと

 

晴れ。13度。

8時に起きる。

朝餉は、きんぴらごぼう、大根の煮物の残り、フルーツシリアル。食後にコーヒー。

新型肺炎による死者が中国で増え続けている。日本でも客船に乗っていた2人が死んでいる。

昼餉は抜き。

東京マラソンの一般ランナー参加が中止に。メディアによれば、桜の花見祭りの自粛を検討する自治体もある。

感染経路を辿れない発症が相次いで、ドラッグストアーにマスクや手洗いアルコールの入荷がなくなって久しい。

ロンドン市長選挙の候補者が、東京に対してオリンピックの開催を肩代わりする意思があると発言している。

夕餉は、ほうれん草のごま和え、長芋のポン酢和え、味噌汁(人参・玉葱・ナメコ・ネギ・豆腐)、合い挽き肉のドライカレー。食後にコーヒー、ロールケーキ。

Appleは、OS群のベータプログラムを更新して、それぞれβ2をリリースした。

Netflixでパンデミックをテーマにしたドラマがおすすめリストに顔を出すようになった。

 

 

予感の結末

 

晴れ、のち曇り。11度。

8時に起きる。

朝餉は、りんご、ドーナッツ、コーヒー。

 

郵便袋を運ぶのに

人間の命を賭ける価値があるのかどうか、私はわからない。

しかし重要なのは、そういう価値観で作られた人間が

人間として美しいタイプか、

そうでないかを知ることだ……

 

――サン=テグジュペリ

 

昼餉は、ステーキ屋でハンバーグ、大盛りのサラダ、ドリンクバー。

つなぎのパン粉が倍増したようなハンバーグ。

近所のアウトレットに立ち寄るのは何年ぶりだろう。入り口で躊躇して、でも、せっかくだからと。

すると、目当ての雑貨屋が撤退している。

夕餉は、きんぴらごぼう、大根・厚揚げ・コンニャクの煮物、味噌汁(人参・玉葱・なめこ・ネギ・豆腐)、豚挽肉・野菜の焼きそば。食後にコーヒー。

書き忘れを。

昨日、古着屋へ。デュペチカのダウンジャケット、バーバリーのダッフルコート。季節を問わず買い取ります、と店長らしき男が言う。

 

 

よすがとなる聴覚

 

晴れ。12度。

7時に起きる。

朝餉は、目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・なめこ・ネギ・豆腐)、ピザトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

女房は別の銀行へ。今度は一人で相談。気のせいか、嬉しそうに見える。クワイアの稽古があって遅くに帰った。

来週から始まる『Better Call Saul』のおさらいを。シーズン2を見始めたら止まらなくなった。展開の妙。伏線の張り巡らせ方。小さな場面の小さな行為。画面の切り取り方。ロングショットとショートカット。空の描き方。タイムラプスやハイスピード。

兄と弟、家族、努力と怠惰、善意と悪意の混淆。男と女――シリーズ1から2へ。物語は思いもよらぬ方向へ進む。遠くへ連れ去られたという感覚はないのに、気づくと見も知らぬ風景が広がっている。

昼餉は抜き。

迂闊だったのだが、LINNのDSがSpotifyに対応していたことを知らずにいた。びっくりするやら嬉しいやらで。

他のネットワークプレーヤーとかUSB–DACの音がどんなものなのか、僕はほとんど知らずにいる。LINNをマイルストーンにしていれば、大きな曲解はないだろうと思っている。聴こえてくる音には、そういう確信の芽になる清明がある。

老いても、そういう特性は耳に届くらしい。ありがたいことだ。

夕餉は、アーリオオーリオ・ペペロンチーノ。うーん……。

女房は外貨建ての定期預金を始めて、そのことをボソボソ語ってくれる。錆びついていた歯車が回りはじめるのを確かめるように聞き入る。

 

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コンスエロ

 

晴れ。10度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツ・コーン・大根・竹輪・カニカマのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参・カボチャ・玉葱・ネギ・豆腐・小松菜)、トースト、紅茶。食後にコーヒー。

女房と銀行へ。女房の資産運用であれこれ教えを乞う。

昼餉は抜き。

本が届く。アラン・ヴィルコンドレ著、鳥取絹子訳『サン=テグジュペリ 伝説の愛(原題:Antoine et Consuelo de Saint Exupery.)』(岩波書店)。

生誕100年に公開されたトランクケースから出てきた手紙や写真。テン=テグジュペリ夫妻の記録が綴られている貴重な資料集。

夕餉は、きんぴらごぼう、チーズインハンバーグ、味噌汁(人参・玉葱・ネギ・なめこ・豆腐)、焼きそば。食後にコーヒー、ドーナッツ。

拡大鏡で日経新聞を読んでいた母は、株式投資が趣味になっていたと思う。張りになっていたのは、はたから見ればすぐわかった。お気に入りはトヨタの豊田社長で、彼がテレビに映ると真剣に見ていたものだ。何事も億劫になってしまった今は、それほど熱心には見ていないが、その姿勢は女房にも折に触れて話してきた。

同じような気質がありそうなので、小さくはじめてみることをすすめることにした。株に限らず、投資に関する視野を広げるのが目的だが。

 

「antoine et consuelo de saint exupery」の画像検索結果

 

 

Shikata ga nai

 

雨のち晴れ。11度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナ、小豆煮、コーヒー。

女房が運転するクルマであたり10キロ界隈を。濡れそぼつ梅の花。

どこに住もうか、と話し始めてかれこれ3年になろうか。

僕がフラフラしているせいで、のんびりしている女房が、いつの間にやら先を歩いている。それくらいで、ちょうどいいと言いたいのを口に出さないでいる。

昼餉は、坦々麺、コーヒー、鯛焼き。

ボリュームはダイヤルを回して決めたい。画面をなぞるのではなく、物理的なダイヤルに触れたい。リモコンの上下ボタンを気忙しく押すのではなく、そっと絞りたい。デジタルの目盛りではなくて、その目盛りと目盛りの中間あたりをフラフラ探って、決めかねつつソッと指を離したい。

ヒトとは、めんどくさい生き物であるな。

夕餉は、レモン汁をふったアジフライ、アーリオオーリオ・ペペロンチーノ。食後にコーヒー、ドーナッツ。

アジを三枚におろして、女房に小骨を処理してもらい、揚げる。サバなみにでかいアジがふっくら。そして、相変わらずのペペロンチーノ。

というよりも、ペペロンチーノは、c'est la vieである。

単純に見えて一筋縄ではいかぬ。思いどおりにいかないが、だからといって諦めるわけにはいかない。

作って、食う。

c'est la vie である。

日本人はそれを「仕方がない」と言ってきた。戦争に負けた時、日本人の口癖をアメリカ人は不思議がった。諦めが早過ぎると思ったのだ。威勢がいいようで、実は違う。アメリカ人は今も同じことを思っているかもしれない。

フランス人は、どこかで日本人をわかっていると思う。

 

 

蕎麦打ち親父か?

 

降ったり止んだり。10度。

女房は6時過ぎに川崎へ。クワイアの本番。

8時に起きる。

朝餉は、大根とカボチャの煮物、アーリオオーリオ・ペペロンチーノ。食後にコーヒー、和菓子。

NHKの将棋と囲碁のトーナメント。この時期の対戦は粒揃いで、一手ごとに息を呑む。

イタリアのレストランのシェフ、ローマのおばあちゃん、日本のリストランテのシェフ、料理好きの芸能人。彼らの調理を立て続けに見る。一人として同じ作り方はいない。少ない食材で作るというのに、大袈裟に言えば、別の世界の調理を見ているようだ。

使うのは、ニンニク(アーリオ)とオリーブ油(オーリオ)、唐辛子(ペペロンチーノ)にパスタ。手元にあれば、イタリアン・パセリを散らすだけ。

昼餉は煎餅、花林糖。

アーリオを刻むのか潰すのか、アーリオの汁をオーリオと合体させる。そのやり方も違う。乳化という言葉の意味も異なるし、考え方も違う。ペペロンチーノの投入の仕方、パスタを茹でるときの塩加減、フライパンにその湯を加えるのか。火加減はおろか火を止めてしまうシェフもいる。

夕餉は、アーリオオーリオ・ペペロンチーノ。

わかっているのは、アーリオとオーリオが混ざり合った白濁した汁がパスタにまとわりつくと、いかにも旨そうだということ。そこへ至る道筋は、料理人の数だけあって、どれもが自分のやり方を絶対だと思っているフシがない。

これだから面白い。

作ったのは二皿だったが、頭の中では作り続けていた。

 

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