音楽より手強いところ

 

晴れ。14度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルト、大根の皮と人参のキンピラ、厚揚げと大根の生姜煮、味噌汁(人参・玉葱・ナメコ・ネギ・豆腐)、レーズンロールパン、アールグレイ。

多くを語っていないのに、それは大部だ。そのページに出会うと、緊張する。呼吸が速まる。何度も読み返す。ため息が出て、目が宙を彷徨う。ドキドキしている。翻訳というスリットを通っているのに、それは瑞々しい。なぜだろう、と考えながら、気づくと文章との出会いを喜んでいる。そんな体験は、めったにない。

何度も読み返しているのに、その文章は残らない。さらさらと流れる水のようだ。

昼餉は、たい焼き、カプチーノ。

味わい直そうとして、棚から本を持ち出す。ページを繰る。

どこだったろう。行ったり来たりして、その箇所を探す。

最初から読んでいれば確実にたどり着くのに、ページを繰っていると見つからないなんて。

体験の高揚感。頼りになるのは、それだけで、その感情を生み出した肝心の文章が思い出せない。

不思議だが、そうだろうな、とどこか心の隅っこで得心している。つまみ食いは赦さない。小説家は、そんな仕掛けを残している。図っているわけではないけれど、どうしても見つけられない。

本は、物体として感触を確かめられるのに、含意の正体がどこかに埋もれて、在り処が判然としない。インクとして紙に載っているし、ページとして案内されてもいる。読むことで、眼球から脳へ送られるなにがしかがある。

それなのに、どこにそれが残っているのか。

ここだ、と誰かが示してくれたものを見たためしがない。

夕餉は、大根の皮のきんぴら、味噌汁(人参・玉葱・ほうれん草・ネギ・豆腐)、スパゲッティ ・ナポリタン。食後にコーヒー、ドーナッツ。

 

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