道のあとさき

 

おおむね晴れ。15度。

8時に起きる。

朝餉は、ほうれん草のごま和え、厚揚げと小松菜の生姜炒め、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・ナメコ・ネギ・豆腐)、トースト、アールグレイ。

女房はクワイアの稽古へ。夜に戻る。

間違っていた、と気づく人は、不仕合わせだ。

のめり込んでしまい、不覚のまま生きている。それは仕合わせなことだ。

巡り逢っていることに、気づかない。

巡り逢っていないのに、のめり込んでしまい、あとで気づく。

不仕合わせだと思いながら、のめり込んでしまう。

その深い沼は、あなたにとって、なんなのだろう。

昼餉はミルクをかけたシリアル。

なんにせよ、なにが不仕合わせなのか。

たぶん、囚われているうちは、不仕合わせなのだろう。

どこかで、言葉に無頓着に生きている。僕らには、そういう安全装置が備わっている。

言葉に縛られない。それは、考えないということだ。

夕餉は、アーリオオーリオ・ペペロンチーノ、コーヒー。

僕らを、そうたらしめていることから距離を置く。

無心になる。

道が付く習い事は、距離があることを教えてくれる。

なにが、なにに対して、どんなふうに距離があるのか。

それは、距離なのか。

それを、すべての道という習い事は、言葉にしない。

言葉で示すことはない。