雨のち晴れ。11度。
8時に起きる。
朝餉は、バナナ、小豆煮、コーヒー。
女房が運転するクルマであたり10キロ界隈を。濡れそぼつ梅の花。
どこに住もうか、と話し始めてかれこれ3年になろうか。
僕がフラフラしているせいで、のんびりしている女房が、いつの間にやら先を歩いている。それくらいで、ちょうどいいと言いたいのを口に出さないでいる。
昼餉は、坦々麺、コーヒー、鯛焼き。
ボリュームはダイヤルを回して決めたい。画面をなぞるのではなく、物理的なダイヤルに触れたい。リモコンの上下ボタンを気忙しく押すのではなく、そっと絞りたい。デジタルの目盛りではなくて、その目盛りと目盛りの中間あたりをフラフラ探って、決めかねつつソッと指を離したい。
ヒトとは、めんどくさい生き物であるな。
夕餉は、レモン汁をふったアジフライ、アーリオオーリオ・ペペロンチーノ。食後にコーヒー、ドーナッツ。
アジを三枚におろして、女房に小骨を処理してもらい、揚げる。サバなみにでかいアジがふっくら。そして、相変わらずのペペロンチーノ。
というよりも、ペペロンチーノは、c'est la vieである。
単純に見えて一筋縄ではいかぬ。思いどおりにいかないが、だからといって諦めるわけにはいかない。
作って、食う。
c'est la vie である。
日本人はそれを「仕方がない」と言ってきた。戦争に負けた時、日本人の口癖をアメリカ人は不思議がった。諦めが早過ぎると思ったのだ。威勢がいいようで、実は違う。アメリカ人は今も同じことを思っているかもしれない。
フランス人は、どこかで日本人をわかっていると思う。