デルフト眺望

 

 

 

 

 

 

晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、白菜・小松菜・玉葱・人参の卵とじ煮、味噌汁(レンコン・サツマイモ・人参・玉葱・油揚げ・豆腐・ネギ)、バターを塗ったトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。うつらうつらと見るともなしに。

キアラン・カーソン著『琥珀捕り』より――

 

 フェルメールは《デルフト眺望》を描くさい、建築の細部にきらきら光るハイライトの効果をもたらすため、絵の具の一部に砂粒を混ぜた、石の微小な粒が光に変わり、砂はガラスと化した。ヴァン・レーウェンフックは研究の初期段階から尺度に砂粒を用いたが、一〈砂粒〉とはきっかり八十分の一インチの立方体の大きさであった。顕微鏡を覗きこんだ彼は、まるでピンの先に載った天使たちを数えるように、極微動物たちを数えたのである。

 わたしたちの目には、ファン・レーウェンフックの顕微鏡は子供の玩具か拷問の道具にしか見えない。典型的なモデルでは、真鍮を無造作にタテヨコ四十ミリ×十八ミリほどに切ったレンズプレートに二つの蝶ナットがついており、これらを回して標本に焦点が合うように調節する。シンプルな単レンズはわずかに小型真珠ほどの大きさしかない。この器具を覗きこんでファン・レーウェンフックが見たものは、ブヨの目玉、象の歯の切断面、子羊の毛、赤血球、蜘蛛の出糸突起、(中略)、蛍の目、それから牡蠣の幼胚六点などもあった。

 

(中略)以降の言葉の羅列は筆舌に尽くしがたい。この小説は、こんな感じでどこまでも続いていく。言葉の坩堝というものがあるなら、この本もその列に加えていいかと思う。それにもかかわらずその坩堝を中略してしまう誰かさんは冒涜に等しい。

昼餉は、妻の作ったチーズサンド、コーヒー。

妻と散歩。どこぞの政党が四つ辻に立って震災の募金に声を張っている。ぼくらができることは募金しかないと。隗より始めよというではないか、己らの政党助成金から持ち出しなさい、と言いがかりをつけそうになる。

夕餉は、ふろふき大根、レンコン・ゴボウ・サツマイモ・人参の皮のかき揚げ、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、玉子丼、赤ワイン。食後にチョコレートアイス。