晴れ。8度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(サツマイモ・大根・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、玉子サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』より――
昭和二十六年、14号のときでした。まだ、そんなにいろんな色の布地がなかった頃でした。
工作でつくった組み合わせ家具を撮影することになりました。そのとき花森さんは紙の見本を示して、どうしてもこの色の薄手のウール地がいるといいます。それは紅赤でした。紅色というか赤に少しあい色がさしているしゃれた赤です。
紙の色見本を持って、東京のデパートの布地売場を探しました。どこにもありませんでした。銀座の洋服地屋さん、神田や万世橋の服地の問屋さんを探しましたが、やはりありませんでした。
「東京中さがしてもありませんでした」といいますと、花森さんは、「どうしても探せ」というだけです。横浜にまでさがしに行きました。それでも見つからず、とうとう染物屋さんにたのんで、白地の薄手のウール地を2メートルほど、その色に染めてもらいました。和服地の染屋さんでしたが、比較的近い色に染め上がりました。
花森さんはその布で、幅のせまい座ぶとんを作らせました。そして箱イスの上に、小巾の紺がすりで作った座ぶとんといっしょにならべておき、無事に撮影がおわりました。
出来上がった写真はもちろん白黒でした。白黒写真ですから理くつからいえば、あの座ぶとんは、赤でも青でもよかったわけです。
それがどうして、あれほどきびしく、その紅赤でなければだめだ、と一歩もゆずらなかったのか、私はそのわけが知りたかったのです。
花森さん、白黒写真なのに、どうして紅赤のを、あんなに探させたのですか、といいますと、花森さんは、くいつくような顔をして、
「そうだ、この座ぶとんは白黒写真だから、何色でも本当はいいことだ。しかし、これから先、何年かたったら世の中はカラー時代になる。雑誌にも色が使えるときがくる、そのときになって、編集する者が色の感覚がなかったらどうする、そうなってからでは間に合うものではない、時間はないのだぞ、一枚、一枚の写真、これが勉強ではないか、なにを言う」
それはするどい語気でした。
紺がすりの座ぶとんのよこに、紅赤の無地の座布団、そのときの色どりの美しさは、昨日のことのように忘れられません。
昼餉は、ずんだ餅、抹茶。
ものごとには順番というものがあって、それは限られた猶予のなかで、どれを先にやっておくかということに尽きると思う。どれもやっておくにこしたことはないけれど、どれかを先にすることは、それ以外のものごとが少しずつおろそかになることを意味している。
最後のほうは、やっつけたように見えるかもしれない。それも猶予をまもったあかしではあるのだけれど、見る人によっては、やっつけたなと思われる。場合によっては、もっと丁寧にやるべきだといわれるかもしれない。
そんなことだから、いけないのだ、と。
ぜんぶを満足にできないとしたら、どうするのがいいのか――そのこたえを求めつづけられるのが暮らしだと思う。
いつもとは言わないけれど、そのこたえを用意しながら生きているのだと思う。こたえがかならず求められることはないけれど、自分のために用意しておくのが、そもそもの順番というものだと思う。
夕餉は、豚ひき肉の団子・白菜・大根・ネギ・蓮根の中華風鍋、仕上げのうどん、赤ワイン。食後にみたらし団子。