お抹茶、花びら餅

 

 

 

 

 

 

曇り。11度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、お節、雑煮、豆パン、アールグレイ。食後にコーヒー。

材料を刻んで、筑前煮を作る。

出来はどうであれ、刻める場所と煮込む時間がたっぷりある。味見しつつ、腹がジワリと温かくなる。何気ないことがことさら、感謝する気持ちになる。

昼餉は、つまみ食いの筑前煮、赤ワイン、コーヒー。

志村ふくみ著『語りかける花』より――

 

 経糸に青を、緯糸に赤を入れて織ると、青と赤がかさなり、青でもなく、赤でもなく、やや紫に近い色があらわれる。それを織色と呼んでいる。さらに七彩を七倍に、たてよこ織り成せば無限の織色が生まれる。すこしはなれたところからみると、視覚混合の働きによって真珠母色の輝きを得る。色と色は決して混ぜ合わせることなく、一つの純粋な色としては重ね合わさるのである。

 かりに経を空間、緯を時間とすれば、我々の日常もまた歓び、哀しみの織色である。記憶や夢に、もし色があるとすればそれもまた織色であろう。自然現象の中ではさらに神秘な織色があらわれる。晴れた日の海が緑翠色に輝くのも、群青色の海と、太陽の光の織り成す色である。京都の街をかこむ山々もまた、春の霞にはじまり、夏の驟雨、秋の霧、冬の時雨など、緑の遠山にうす青く、水蒸気がかかり、或日は灰色のヴェールが、或日はうす紫の靉靆した靄がかかり、遠近の山なみはうんげんぼかしの玄妙な織色を呈する。それはまさにしっとりと潤いを含んだ日本的織色の世界である。幸か不幸か私はこの織色の世界から宿命的にのがれることができない。それならば私は、色が混じり合うことを拒み、互いに補色し合い助け合おうとしている色の法則性に従順でなければならない。

 人もまた、他者との、かかわり合いにおいて他と混同することなく、互いに調和をつくり出してゆくことをそれは示唆しているのかもしれない。

 

妻と買い物がてらの散歩へ。インターバル速歩とやらもついでに。寒さも手伝って往来に人の気配は薄い。それでも愛宕神社の行列は長かった。

夕餉は、お節、筑前煮、味噌汁(シメジ・レンコン・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に、妻の点てた抹茶、花びら餅。

能登半島地震の被災者は増えている。道路が寸断されているので物資が届かない。