晴れ。12度。強風。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、お節、雑煮、アールグレイ。食後にコーヒー。
職を退いてからずっと、遁世といっていいような日々を送ってきた。強く思ってそうしたわけではない。気づいたら、人目を避けるようにしていた。老いてなお血気盛んな方を見ても、格別の感慨を抱くこともなく、人は人と思うことさえなく淡々と過ごしてきた。外へ行っては友と交わってきた妻から見れば、世捨て人に見えたと思う。なにがそうさせているのか、と尋ねたくなる衝動を幾度となく抑えこんだかと思う。
多くの方と仕事をする機会を得て、事業を伸ばす好機を得たこともあれば、その後に待っている苦しい清算を幾度も経験した。世間のバブルもおこぼれのようなものを知らずに頂戴したことがあった。交わった方々のことを思うと、忸怩たる想いが残る。善きほうへと向かわせられたとは思えないからだ。
ほんとうの清算がはじまろうとしている。そう強く思うことが昨年末にあった。惜しみなく与えられたことは、そっくり奪われる。人生の勘定はよくできている。
今、また淡々と過ごす日々を送っている。本を読み、なにごとかを書き、そして走ったり歩いたり。そんな日々のさきに待っているものごとを覚悟とともに迎え入れるつもりだ。
命まで取られるわけじゃなし、とはよく言われること。いえいえ、命は、かならずもっていかれるものですよ、と。
昼餉は、温かい蕎麦、抹茶と花びら餅をすこし。
妻と散歩へ。愛宕神社は長い行列におそれをなした昨日がウソのよう。ぼくらの前に並ぶ年寄りたちはマイクロバスに乗ってデイサービスから来たらしい。
柏手を打って、しばし無心に。なにかを願うということは、ぼくに関しては無くなった。手を合わせてこうべを垂れるのは、そのほかの姿が思い浮かばないから。ちょっと離れた右手奥にきのう詣った日枝神社の祠が佇んでいる。
大きな通りは音を立てて風がとおりぬけていく。ぼくらは住宅街のひとけのとだえた道を歩いた。門松を立てた家が目に入って、ほんのすこし足を止める。万両や千両の赤い実がゆれている。
夕餉は、ニンジンのグラッセとマッシュポテトを添えた豚肉のハンバーグ、味噌汁(シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ・赤蕪)、玄米ご飯、赤ワイン。
Appleは、OS群の開発者バージョンをアップデートしてβ2をリリースした。もっとも、iOSとiPad OSは配信をすぐ停止している。大きなバグが見つかったらしい。