ガハハハハッ!

 

 

 

 

 

 

晴れ。15度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(パプリカ・リーフレタス・大根・キャベツ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(小松菜・シメジ・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、バターガーリックを塗ったバゲットのトースト、ルイボスティ。食後にコーヒー。

グレン・グールド著作集より抜粋――

 

 バッハはつねにフーガを書いていた。探究の対象としてこれほどかれの気質にぴったりするものはなかった。かれの技法の展開を正確に測るのにこれほどよいものさしはない。

 かれはいつもそのフーガによって判断されてきた。晩年になって、その時代のアヴァンギャルドたちがもっと旋律志向の作品に没頭しているときもなお、フーガを書き続けた。そして開化に遅れた前時代の遺物として忘れられたのだった。十九世紀初頭、バッハ復興の草の根運動がはじまったとき、その旗を振ったのは善意のロマン派の人たちだった。かれらは「聖マタイ受難曲」や「ロ短調ミサ曲」のあの壮大な、凍てついたコーラス群に、たしかに演奏不可能ではないにせよ、解きがたいさまざまの謎を見出し、身を打ち込む価値ありと認めた。まずはそれらが勝ち誇るように信仰心を発散させていたからであった。地下に眠る忘れられた文化を掘り起こす考古学者のように、かれらは自分たちの発見したものに感動した。しかしその喜びは、何といっても自分たちが他に先駆けて発見したことにあった。十九世紀の耳にしてみれば、そうしたコーラスは転調があいまいであって、古典派およびロマン派による調的戦略の概念をとうてい満たしうるものではなかった。

 今日われわれはバッハ作品が何を内に含み、かれの創造的衝動がいかに多様なものかを理解していると思っている。しかしなお、かれの音楽活動のすべてを判断する第一の手がかりはフーガにあることを認めているのだ。バッハの技法はつねにフーガに近似するものがある。かれが開発したテクスチュアは、どれも究極のところフーガに向かうように思われる。まったく素朴な舞曲の節回しも、もっとも荘厳なコラールの主題も、応答を求めているように思われる。そしてフーガの技法にもっとも完全なかたちで実現される、あの対位法による飛行を熱望しているように見える。

 

忘れっぽくなったので、この引用はどこかでしている気がする。それもつい最近かも。そうでないことを祈ろう……。

昼餉は、マーマレードジャムを塗ったバゲット、コーヒー。

来年の干支の置物が届く。張子作家の作品で、ガハハハハッ!と笑っているタツ。我が家の守り神として来年を睥睨してもらう。

台所の手洗い仕事でMacのTouch IDが認識してくれなくなった。消えかかっている指先の指紋を登録するのも面倒だ。磨耗の行くすえまで見越してくれないものかと都合のいいことをおもう。

古書を求める。サラ・ミッダ作、江國香織訳『おとなになること(原題:Growing up and Other Vices)』(ほるぷ出版)。こどものための絵本という体裁をとってはいる。が、実は、自分が大昔こどもだったことを思い出せるものなのか、密かに自己鑑定するための試験紙。または、半分だけわかるのに、もう半分がどうしてもわからないことに気づく、失われた時間は戻らないという当たり前を刻む夜のための伴侶。

甥っ子夫婦から京菓子が送られてくる。又甥が子供歌舞伎の女形を務めることになった。妻が祝いを送ってその返礼。米原の子供歌舞伎は長浜ほど規模は大きくないけれど、山車の舞台は年季が入っていて夜の部は幽玄だ。

夕餉は、サラダ(リーフレタス・大根・パプリカ)、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・大根・油揚げ・豆腐)、カレーライス、ウィスキー・オンザロック。食後に煎餅。

Appleは、macOS 14.2の開発者バージョンを更新して、RC2をリリースした。