憧れに似た、療養生活

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。28度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナとキウィ、レタス・キャベツ・玉葱・キュウリ・カニカマ・バジルのサラダ、味噌汁(小松菜・キャベツ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、ハム・卵焼き・レタスのトーストサンドイッチ、アールグレイ。

ジョギング、9.21キロメートル。

昼餉は、ミルクをかけたシリアル、コーヒー。

トーマス・マンの『魔の山』のような小説は若い時でなければ読めない。理解できるかは別にして、読破には体力がいる。ショーロホフの『静かなるドン』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』といった長編よりよほど記憶に残っているのは、内容というより読書という体験としてだろう。

再読しようとして、筑摩の全集を手に取ったら、佐藤晃一さんの翻訳はそんなに古臭くないし、原書の文体をうまく表現していると思うのに、なぜだか頁を繰る手が重い。

高橋義孝さんの新潮版は原書の長文をいくつかの文章に仕立て直しているらしい。戦前からのドイツ文学研究者には、例の『我が闘争』を前のめりに紹介した先生がけっこういる。前出のお二人もそうだ。

トーマス・マンを読み切る体力とは、いつ果てるとも知れない長編に付き合ってやるフシダラさのようなものと置き換えてもいい。

無闇と長いだけの、その長さを支えるダイアローグを無目的に受け取るには、どこかにフシダラな姿勢がなければ立ちいかなくなる。若さに固有のフシダラさは、文学につきものの推進装置なのだと思う。

夕餉は、切り干し大根煮、小松菜のお浸しと人参のグラッセを添えた豚ひき肉ハンバーグ、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ごはん、赤ワイン。食後に草団子、コーヒー。