ケトルの油汚れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。25度。

6時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナとキウィ、レタス・キャベツ・玉葱・カニカマ・バジルのサラダ、味噌汁(小松菜・ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、ハム・チーズ・玉葱のトーストサンドイッチ、アールグレイ。

妻はクワイアの野外ライブに出演するため、早くに家を出る。帰りは夜遅くに。

大声で歌えば、声を放流したところに空白が生まれ、なにかがまた流れ込んでくる。声を張るのも、誰かとハーモニーを重ねるのも、みずからが震わせた空気に包まれるのも、生きるには欠かせない人々がいる。青空の下でなら、それは倍加するだろうか。

ケトルについた油汚れを、重曹を溶かした温水とアルミホイルで擦る。落とせたのは半分くらい。

なにかを無心に擦る、汚れを落とす、それは儀式だ。

鏡面のように輝かせるのが本来の目的だが、ほんとの結末は心の中に生まれる。

そのおかげで均衡が保たれ、曇りも払われる。

油汚れよりよほど手強く、簡単には取れない。取り去れるのは稀だ。

昼餉は、中華スープ、チャーハン、コーヒー。

所在さえ特定できない汚れがほとんどだ。ただ闇雲に磨くしかない。無心に磨いても、徒労に終わる。だからといって、手をつけないわけにはいかないのだ。

重曹を溶かした温水に浸けて、アルミホイルで磨けという儀式はライフハックである。

わかりやすく、シンプルで、それだけで曇りの半分はクリアになっている。

夕餉は、ミルクをかけたシリアル、赤ワイン。

6月はストロベリームーンだという。見事な満月が昇ってきて、ベランダの外からコチラを見ているような月光。