アフォリズムにおける内部崩壊のこと

 

 

 


雨、のち曇り。21度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(レタス・リーフレタス・キャベツ・トマト・コーン・チーズ・バジル・カニカマ)、味噌汁(スナップエンドウ・キャベツ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
『パパ・ヘミングウェイ』より——

〈フィンカ〉への最初の訪問で、妻と私は接待用の邸に泊まることになっていたが、かがやくばかりに生き生きした女性、メアリ・ヘミングウェイは私たちを迎えると、あいにくまだ支度ができていないのだと詫びた。「ジャン=ポール・サルトルが思いがけず昨夜、女のかたといっしょにいらしたんですけど」と彼女がいった。「まだシーツを換えてありませんの」
 本邸に行く途中、アーネストが打ち明け話をしてくれた。「昨夜、食事のときサルトルが何なんていったと思う? “実存主義”ということばは新聞記者が作ったもので、彼、サルトルは関係ないんだとさ」
 みんなが居間にはいると、アーネストはふと天井を見上げた。「先週、ウインザー公夫妻が見えたが、漆喰が剥げているところだけに感じ入ったらしい」

昼餉は、コンソメスープ、スパゲッティ・ナポリタン、コーヒー。
ジョギング、6.75キロメートル。最大心拍数131bpm、最高速度8.0kph。
ホッチナーを読んでいてしみじみ思うのは、言葉はほんのひとにぎりのことだけを大事にしなければということ。生きるに際して、大事なことはそれほど多くない。ぜんぶを護って生きるのは荷が重いし、忘れたり勘違いもする。言葉にまつわる大事なことは、エズラ・パウンドが遺している言葉に尽きる。彼の言葉は、書くにさいして心がけるべきことだが、それは言葉全般に当てはまる。曰く、書くことにおける唯一のモラリティは、基本的な正確さをもって記述することだと。
唯一のモラリティと断っているところが厳粛である。基本的な正確さと読む者に委ねているところが広大無辺である。恥ずかしいことだが、この言葉はイサク・ディネーセンが遺したものだと長いあいだ間違って覚えてきた。失礼な話しなのだが、この間違いの構図がわれながらとても気にいっている。アフォリズムを図らずも内部崩壊させてしまっているからであり、ぼくはちょっと笑ってしまうのだ。ぼくが好きなディネーセンが遺した言葉は、私は希望も絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます、というものだ。
パウンドとディネーセンの言葉は、原典にあたったわけではない。レイモンド・カーヴァーの文章からの引用だから、ほんとのところはわからない。これも内部崩壊の芽を宿していると言えるかもしれない。誰かさんのように……。
夕餉は、ひじき煮、ポテトサラダ、竹輪とお蔵の磯辺揚げ、味噌汁(スナップエンドウ・豆腐・玉葱・人参・小松菜)、鶏ひき肉と卵の二色そぼろ丼、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、煎餅。