五月蝿い、ということ

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。20度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・リンゴ、キャベツ・大豆・大根・カニカマ・バジルのサラダ、味噌汁(小松菜・キャベツ・ジャガイモ・人参・油揚げ・豆腐)、チーズ・ハム・レタスのトーストサンドイッチ、アールグレイ。

妻は、隣町の友人の茶席に寄ってから、クワイアの稽古へ。夜に戻る。

ジョギング、10.53キロメートル。いつもよりピッチをあげる。

昼餉は、ブルーベリージャムを塗った食パン、ミルク。

樹の花がひととおり咲き終わり、赤のモッコウバラがちらほら。草花が取って代わっている。視線が空から地面へ向かう。

気づかず踏み潰しているアリたちのことを、ジョギングの時に思うのが常のことになってきた。アリが目に飛び込むことがあると、しっかり意識もする。

ヒトも、あまたある空間のひとつではアリくらいのスケールにいる。きっと踏み潰されている。今も、この空間にあってそうなっているかもしれない。

アリは僕らでもある。

だから気をつけようとか、そういうことではない。ただ、踏み潰す側にも踏み潰される側にも、常に同時に存在しているということだ。それを忘れずにいたいとか、そういうことではない。

踏み潰すし、踏み潰される。

ただそれだけ、ということだ。

教訓とか、気づきとか、そういうのはどこかばかばかしい。真実とか、嘘とか、そういうのは騒々しい。

ただ、踏み潰すし、踏み潰される。

それ以上でも以下でもあるし、それ以上でも以下でもない。

夕餉は、納豆、大根の皮の漬物、アジフライ、玄米ご飯、ウィスキーオンザロック、コーヒー。