二人の作家

 

 

 

 

 

 

 

 

雨、のち晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・リンゴ、キャベツ・玉葱・大根・バジルのサラダ、味噌汁(小松菜・シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・キャベツ)、ハムと卵のトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。

札幌の姉より電話。母の回忌法要のこと。隣近所のことなどを聞く。

強い向かい風、歩みが何度も止まる。帰り道は、背中を叩かれて早歩き。道でも店でもマスクをしている人の数は以前と変わらない。外でははずすものの、店に入るときは僕もつける。あれこれ考えるのも面倒臭い。みんなもそうなんだろう。

東京の感染者数は増加に転じて、それがニュース速報に。マスクがこのまま風景として定着するとも思えない。誰もがはずすきっかけは、何かのたとえに倣えば、75日目だろうか。

昼餉は菓子パン、カフェオレ。

NHK BSで井伏鱒二さんのドキュメンタリーを観た。『荻窪風土記』を映像で追うというもの。ご本人は飄々としてカメラに映っている。

途中で開高健さんが荻窪の自宅を訪問している。その際にワインを持参して、瓶を見せながら由来やら飲み方を細かく指示するような話し方をする。

その話の腰を折るように、井伏さんは急に立ち上がって、コニャックだかの瓶を物陰から持ち出すと、まずはこれを飲もうと栓を開けるのだ。開高さんの話しは途切れたまま。

このシーンが、お二人を物語っていた。蘊蓄を語らずにはいられない、ある意味ではおせっかいで無粋な小説家を、遠回しに忠言するどちらかといえば無口な小説家。

お二人を繋ぐのは釣りなのだが、それを繋ぐというべきか。せっかちな小説家と飄々とした小説家の釣りは、似て非なるものと見た。

夕餉は、冷奴、納豆、きんぴら牛蒡、餃子、味噌汁(小松菜・シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・キャベツ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にチーズクラッカー。

井伏さんは、気取らない文豪らしからぬ風情のうちにも、あの柔らかくて滑らかな書き回しがとても合理的でなおかつ澄んだ眼差しを感じさせる空気を纏っていた。開高さんは年少で、でも先に逝った。自意識の塊みたいな人だったように思う。

昔、青山の高樹町のバーに入った折、初老のバーテンダーから開高さんの話しを聞いた覚えがある。釣行の際には、そのバーに寄って、ピューターのスキットルにラガブーリンを詰めてもらってから出かけたという。