雨の日の演繹的推論

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち雨。19度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、厚揚げ・竹輪・白菜・小松菜・玉葱の卵とじ、味噌汁(カボチャ・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、ブルーベリーのトースト、フルーツのルイボスティー。食後にコーヒー、チョコレートとクッキー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。囲碁は辻󠄀篤仁3段が鶴田和志6段に中押し勝ち。村川大介9段の解説も的確で、AIの予想手に対する評価もわかりやすかった。AIが差手ごとに勝敗予想を極端に振って、そのたびにドキドキさせられた。辻さんの読みは上辺の大石が死なないと判断して中央へ転戦したのが印象的で、AIはその間も勝敗予想が振れていた。ヒトの読みの速さが少し速いと思わせる瞬間を見たのは初めてだった。

一方の将棋も、解説の阿部隆9段がAIの予想手を読んで評価した。久保利明9段が豊島将之NHK杯に勝つ。中盤の細かいやり取りに道筋をつけた。ゆるみない指手は最後まで変わらなかった。

昼餉は、クッキーやらパン、菓子を適当に。

昼前からの雨が降り続く。

Magic Keyboardは薄っぺらいので打ちにくい。買い物サイトでは、デザイナーの独りよがりだという書き込みさえある。Appleの判断基準はある意味ブレないという証左かと思う。仕方ないので牛革カバーをかけた文庫本にキーボードを載せたら、別物になった。キーボードが動かないし、ショックアブソーバーとしてもいい。オンダーチェの『イギリス人の患者』は、そのためにあるかのような打ち心地をもたらしてくれる。小説の文学的芳醇が、打鍵に寄与しているという見方さえ頭をよぎる。

演繹的に言えば、400頁の新潮文庫はMagic Keyboardを本来の入力ツールに変貌させる。演繹手法の常として、それがさらなる一般化に寄与する概念モデルになっている自信はまったくないけれど、どうせなら、400頁前後の世界の名作に片っ端からMagic Keyboardを載せてみたらどうだろうとふと思ったりした。

僕の演繹はAppleの独りよがりとどっこいだが、誰かの財布から金を持っていったりはしないぶんだけマシかもしれない。ダメダメな意匠をこねくり回している時点でいい加減に気づけよ、という声も聞こえてくるが……。

夕餉は、鯖の味噌煮、サツマイモと白菜の味噌汁、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にお茶、クッキー。