キムが去った

 

 

 

 

 

 

曇り、ときどき日差し。26度。

6時に起きる。

朝餉は、大根おろしを添えた卵焼き、カボチャと大根・三度豆の煮物、ホッケの一夜干し、味噌汁(ナメコ・ナス・ネギ・油揚げ・豆腐・人参)、ご飯、ヨーグルトをかけたキウィとメロン。

40年近く使ってきたクレジットカードを解約する。年会費に見合うだけの利用がなくなっていた。働いている時は、接待や海外旅行、マイレージ、旅先でのサポートやレストランの予約など、あれこれ世話になった。毎月送られてくる会員誌も仕事のヒントに。

電話口のデスクの女性は、会ったこともないのに名残惜しそうにあれこれ話してくれて、最後の最後まで心地いい応対だった。旅先でマイレージ移行に手こずって、デスクに電話してなんとかしてもらうなんていう無理をたくさん聞いてもらった。

そりゃ客なんだから当たり前でしょう、と妻は言いいそうだが、そんなひとくくりでは済ませられないことが、世間にはけっこうあるものだ。

クルマの免許を返納すると男は言い知れぬ寂寞感に包まれるらしい。僕はひと足先に、クレジットカードで味わった。

ケアマネージャーさん、訪う。母の在宅看護の連携の件。看護師とヘルパーの訪問頻度や、守備範囲の確認。

看取る場合の蘇生術の範囲とかその放棄など、詰めることは残っている。

とりあえず退院して、母を連れ帰るまでが最初のステップ。

ジョギング、6.23キロメートル。

ヤマガラが庭先に来ている。

姉は朝の残りと冷蔵庫から適当に見繕って夕餉を済ませている。

一人の夕餉は、トマトを添えた鶏胸肉のソテー、大根とカボチャの煮物、卵かけご飯、ウィスキー・トワイスアップ、和菓子。

Netflixのドラマ『Better Call Saul』のエピソード9。レイ・シーホーン演ずるところのキム・ウェクスラーが去っていった。マイケル・マンドが演じるイグナチオ・ヴァルガやハワード・ハムリン、ラロ・サラマンカといった二癖あるキャラクターが次々と去っていく。もっともキムは生きたままの退場だが(ひょっとしら再登場も……)。どんな死に方をするのだろう——僕はそればかり考えていた。

「私たちは害悪なのよ。一人ならそんなことはないのに、二人になると害悪になってしまう」

 

“Because I was having too much fun!”

 

キムの印象的な言葉。

こういう関係の男と女は、世間に掃いて捨てるほどいる。言い方は少し違うけれど、腐れ縁というのもそのひとつかもしれない。二人の最後のシーンは、尻切れトンボのように割愛されたように感じる。それが強い残像になっている。いい演出だと思う。

その後のソウル・グッドマンはつっかえが取れたような変貌ぶりで、本性を曝け出したとも言える。大切な女性を失った男の荒んだ姿を、一見すると華美に見える暮らしを描くことで伝えている。

一方で、ジャンカルロ・エスポジートはグスタボ・フリングの役で忘れ得ぬシーンを演じている。レストランのバーで、その店のソムリエが熱く語るワインのエピソードを聞いている。それからソムリエに黙って帰っていく。バーテンに「急用があると言ってくれ」と残して。

こういう脚本と演出は他にない。何気ないシーンに残る芳しさ。

残すは4回だ。