マッカーシーの遺作と黒原敏行さん

 

 

 

 

 

晴れ。11度。冷たい風。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・チーズ・カニカマ・バジル)、スクランブルエッグ、味噌汁(ナメコ・シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、チーズをのせたバゲットのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
昨日までの陽気はどこへやら。
甲子園の春の高校野球が始まる。妻の故郷の近江高校は早々に敗退。
近所に救急車がけっこうな頻度で来るようになった。あちらこちらで老人が生死の境をさまよっている。札幌の父のことを思い起こす。姉はなんども救急車に同乗した。ぼくも一度か二度。
昼餉は、菓子パン、コーヒー。
予約しておいた新刊が届く。コーマック・マッカーシー著、黒原敏行訳『通り過ぎゆく者(原題:The Passenger)』(早川書房)。550ページを超えるとはいえ値段は4180円。マッカーシーの日本における読者数がうかがい知れる。黒原さんの翻訳にぼくはずっと感服してきた。著者の文体は独特で言葉の使い方も異彩を放っている。黒原さんはそれを見事に和訳されてきた。国境3部作でどれほど感嘆したことだろう。早川書房は遺作の2冊を刊行するにあたって悩んだに違いない。改行のほとんどない文章、カギ括弧のない会話、乾いていて比喩のほとんどない情景描写など、ないない尽くしと言っていい。読むなと言われているような気持ちにさえなる。だが、そこに描出されているものの巨大さには言葉を失う。ひとりでも多くの読者を獲得するにはすこしでも読みやすくしたいと版元が思ったとしても不思議ではない。その結果だろうか、今回の翻訳では会話はすべて改行され、普通の文学作品の作法というものに近づいた。黒原さんのお気持ちをおもんぱかると、哀しい気持ちになる。原書と同じように改行のほとんどないグッと圧縮された文章で翻訳していたら500ページを切っていただろう。4000円以下で刊行できただろうに、早川書房は読みやすさを選んだ。改行された会話を見て鬼籍に入った著者はどう思うだろう。本が届いてから、ぼくはそのことばかり考えている。黒原さんがどれほどの思いやりを込めて翻訳してきたか、それも片時も離れない。
不思議なことに、ぼくはこの改行だらけのスカスカした字面が読みにくくて仕方ない。マッカーシーの遺作なんだぞと言い聞かせ、暴れそうになる気持ちを鎮めながらページを繰っている自分がおかしい。
良い悪いということではもはやない。日本の出版事情がここに現出しているだけのことだ。早川書房は頑張っている。刊行することの意義を護ろうとしている。たとえ原著とはほど遠い見栄えになったとしても、書店に並ぶことを選んだ。ぼくらは忸怩たる思いを抱えつつ、この遺作を味わう。それが遺作にかかわったすべての方々への謝意になると信じながら。
夕餉は、コンニャクと竹輪の甘辛煮、味噌汁(小松菜・油揚げ・豆腐・玉葱・ネギ・人参)、シメジとシーフードのドリア、赤ワイン。食後にコーヒー、かりんとう。