言葉が伝えないもの

 

 

 

 

 


晴れ。16度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、ハム・目玉焼き、味噌汁(小松菜・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、バタートースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
料理の後片付け中に、軽いぎっくり腰。段ボールを持ち上げたりしていたせいだろうか。ウッ、ツゥゥ、動いた拍子にうめく。心配する妻の声が気に障るのは、ぼくが疎ましく思っているからで、その心持ちはかならず伝わる。ヒトは言葉よりはるかにたくさんの粒子を発散させたり、光子として届けたりしている。感情は、ただ感情として伝わる。言葉はかえって邪魔なのだ。当たり前のことだが、言葉はかならずしも真意を伝えはしない。心配する声を疎ましく感じるのは、それがまことの心配ではない、不純物が混じっているとわかるからだ。
昼餉は、天かす・小松菜・竹輪の温かい蕎麦。
小学校に寄贈するピアノの調律師と日程の調整を。僕らの同席はかなわず。
文字は手書きに限る。コンピュータを使うと、片っ端から嘘っぽくなる。手書きはすべてをそのまま伝える力がある。言葉の背後のものごとほど、はからずも伝わる。このごろではAIが代筆している。そのシリコンのような金属のような言葉からは、はからずも伝わるものがないと思う。ぼくらは、伝わってこないことに苛立つようになる。それが世情を覆うようになるまで時間はそれほどかからない。
妻の作った夕餉は、野菜スープ、サバ缶のカレーライス、赤ワイン。食後にほうじ茶、歌舞伎揚。