西遊記、まぼろしの桂打ち

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。10度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
本が届く。筑摩書房の世界文学全集の9巻目『西遊記』だけが欠けていた。70巻が揃って、これを買い取り屋に送るべきか、棚に並んだ黒表紙の金文字を眺めて逡巡している。たとえばキルケゴールの『死にいたる病』とニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』が27巻目にいっしょに収録されている。そういう編纂の時代性はどうしても感じる。だが冒頭の「第一編  死に至る病とは絶望のことである」という文字を見ると、そういう時代性はどうでもよくなる。いついかなる時でもいい、なにげなくふと手に取ってどのページでもよいから読みはじめる。それが文学全集をそばに置いておくことの邂逅という贈り物の本質ではなかろうか。
つぶさに読むことはないかもしれない。「ふと手に取って」という豊穣まで否定したら、人生に残るのはなんだろうとはからずも極論してしまったり。
昼餉は、中華スープ、焼きそば。
文学全集を読み耽った高校生の時間は、今も本のページに流れている。それは過ぎ去ったことではないのだ。
NHKの将棋トーナメント。羽生善治9段が藤井聡NHK杯に敗れる。対局後が面白かった。ボソボソと柔らかい声で藤井さんが終盤のある一手について危惧していたと話す。その桂打ちに気づいて、羽生さんが繰り出していたら結果はどうなっていただろう。その一手を藤井さんが指し、それに続く数手を並べて話した瞬間に、羽生さんは「ああ!そういうことですか……」と大きな声を張った。羽生さんは気づいていなかった。解説の佐藤天彦9段もだ。一人だけが、そのリスクに身を震わせていたのだ。だから勝った。トーナメントの1年をつうじて、この一瞬だけが示唆に富んでいた。将棋の面白さを教えてくれるまぼろしの桂打ちだった。
夕餉は、大根の煮物、キャベツの千切りを添えたコロッケ、鶏胸肉のレモン・バジル唐揚げ、味噌汁(小松菜・大根の葉・油揚げ・豆腐・大根・人参・玉葱)、玄米ご飯、ビール、ウィスキー・オンザロック。