ピーター・セラーズとThe Goon Show

 

 

 

 

 

晴れ。9度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・キャベツ・キュウリ・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(小松菜・油揚げ・豆腐・人参・玉葱)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
予約注文の誘いがまた来る。田中泯のエッセイ、ガルシア・マルケスの遺作——Amazonはぼくを追いかけてくる。なんにも知らないくせして、痛いところを突いてくる。あちらはこちらの暮らしに無頓着の極みだ。そんな関係だからというべきか、向こうは儲けつづける。こちらはなお吸い取られていく。子どもたちにアダム・スミスの見えざる手を教えるのは不可能だ。つくづくそう思う。
失った実体のことを想う。それが確かにそこに在ったことをぼくらは透徹の眼差しで見つめてきただろうか。レコード屋、本屋、文房具屋、映画館……。街は滅んでいく。人は雑草の中へと埋没し、いつしか潰える。
昼餉は、中華スープ、野菜とウィンナーソーセージの焼きそば、コーヒー。
世界最大の森林が滅びつつある、という危惧を込めて社名にその地名をつけたというもっともらしい逸話を持った、その会社が街を滅ぼそうとしているのはある意味で予定調和の復讐といっていいかもしれない。
Netflixのドラマ、ガイ・リッチー監督『The Gentlemen』。2話まで観て、いかにもリッチー監督らしいと思う。既視感が満載の筋書きと、それに輪をかけた展開の妙。全編に漂う貧相さは、詰め込みすぎておくびが出そうになるせい。食傷気味なのはこの監督のアイロニーに根ざしている。余韻など蔑視してこれでもかと畳みかける流儀の一派といっていい。それは英国人の階級の血であり、映像的には『空飛ぶモンティ・パイソン』へと遡ることができるが、源流はたぶんBBCラジオの『The  Goon  Show』ということになるのだろう。ピーター・セラーズなどという懐かしい名前はその頃から登場する。
妻は友人の舞台を観に電車に乗って。夜に帰る。
一人の夕餉は、ポテトサラダ、大根の煮物、焼き鮭、味噌汁(小松菜・大根の葉・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。