自明のことわりがある

 

 

 

 

 

 

晴れ。8度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(油揚げ・豆腐・ネギ・玉葱・人参)、ハムと卵のトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー、ピーナッツ煎餅。

食したのは南部煎餅だが、宇部煎餅も同郷らしい。昔のほんのり甘いピーナッツ煎餅はもっと薄っぺらかった。それにもかかわらず今のピーナッツ煎餅はちょっと柔らかい。昔のは小麦粉がはみでて焼けた耳が香ばしかった。そこをグルッと割って食べてから本体の煎餅を食べたものだ。今のは耳がほとんどない。かわればかわるものものだ。

昼餉は、菓子パン、コーヒー。

買い物がてら妻と歩く。風が強くて、そのぶんだけ富士山が間近に見える。その姿をさえぎる山や建物がない空間が嘘のようにひらけていて、富士山はその隙間のような切れ目からはかったように見える。びっくりするくらい大きな富士山は、中腹の雪が風に巻きあがっている。

妻と立ち止まり、しばし見入る。ほおけたように口が開く。

夕餉は、納豆、ほうれん草のおひたし、大根・人参・ちくわの煮物、鶏胸肉の唐揚げ、味噌汁(油揚げ・豆腐・ネギ・人参・玉葱・大根)、玄米ご飯、赤ワイン。

とてつもなく独りでいることが、為し遂げるためにはどうしても要る。いっさいの介入を拒むのは、構築するためだ。大きさに関係なく、世界を建ちあげるには対峙しなければならない。徹頭徹尾の対峙は、独りによってもたらされる。要諦は、それだけだ。わかっている者はそのことに決して触れない。構築とは、それでしか成し遂げられない。自明だからだ。