かるい目眩のわけ

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。6度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(キャベツ・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(豆腐・油揚げ・ネギ・ジャガイモ・玉葱・人参)、バタートースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

妻はクワイアの稽古へ。夜遅くに、スッキリした顔で戻る。

物語と詩のさかい目はどこにも存在しない。文字と非文字のさかい目にあって、物語と詩を隔てるものはなにもない。この世のものをこの世のものだけと思い込んだり、あの世のものはあの世に限ったことと定めたりしない、ただ推進していく力さえあれば、それは物語であり詩であろう。どちらにもコレとわかった決まりは存在しない。それは音楽であったり絵画でさえある。それは音楽や絵画からも同じように見えている。なのに、物語と詩は、たしかに存在している。ぼくらの広大な沃野にその違いはたしかに浮かんでいる。どちらもコレとわかる決まりなど存在していないというのに。ぼくらは、それをあらためて不思議なことだとは思わない。だが、その不思議さはちょっと想像を絶するのではあるまいか。

昼餉は、ブルーベリージャムのサンドイッチ、コーヒー。

ぼくたちは自らのカラダが、容れ物であることをわかっている。なにが入っているかは別にして、それは所有しているという強い自覚に裏打ちされたものではない。たまたま預かっているにすぎない、そんな感覚に近い。

なにを入れるかは人それぞれだが、そこに文字や音、色を入れるのは誰でもが与えられている、ひょっとしたら余白みたいなものだと思う。

物語と詩は、その一部としてある。ひょっとしたら全部なのかもしれない。それを想うとき、かるい目眩のようなものにおそわれるのはなぜだろう。

夕餉は、きんぴらごぼう、カニカマ、梅干し、味噌汁(ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。