知恵の在処

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(レタス・サニーレタス・大根・大豆に・カニカマ・チーズ・バジル)、味噌汁(サツマイモ・小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、マーマレードのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、チョコレート。

ジョギング、6.69キロメートル。新しいGarmin ForeAthleteのセンサーやGPSの精度が高い。この10年のことを思ったり思わなかったり。これを付けてあと何年くらい走れることだろう。

昼餉は、菓子パン、ミルクをかけたシリアル、コーヒー。

暮らしの知恵はささいな事柄ばかりで、一つひとつはどうということもない。ささいはどこまでいってもささいなのだ。でも知っているのといないのとでは、先々が違う。多くの知恵は語り継がれてきたので、核家族化した時代で途切れている。暮らしかたも変わり、食事も変わった。食が変われば、すべてが変わる。様式は胃袋からはじまっている。

様式は、それを支えてきた手仕事の道具から役目を奪っていく。それによって、もう二度と戻らない物事が増えていく。便利を求めていくと、いつしか不便なことが一方で増えていく。

コーヒーは産地の気候風土の変化で数量が減っている。一方でドリップコーヒーを愉しむ人は増え続ける。煎れかたとか淹れかたの常識が広がり、さまざまなコーヒー器具が次々に生まれる。美味いといわれる淹れかたの多くは、ほんとかどうかあやしいことを含んでいる。そこに知恵が育っていないことがよくわかる。鵜呑みにするので、計量することばかり守らされ、豆の本来の味を知らないまま、コーヒーを消費し続ける人が増えていく。

そうしたことがコーヒーの需給をさらに歪める。知恵が育つには時間が要る。だが、知恵を追い越して物事が進んでいくことが顕著になった。

クルマ文明の知恵は、EVによって覆されようとしていると専門家が言う。はたしてそうなのだろうか。EVは、知恵と言えるほどのものをもう獲得しているだろうか。

知恵のない暮らしはあぶないと、僕らは用心しなければいけないのに、それも顧みられないことがままあるのだ。

夕餉は、冷奴、納豆、ひき肉と大根・人参・竹輪の生姜とろり煮、味噌汁(サツマイモ・小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・シメジ)、シャケをまぜた玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にハーブティ。