擬態もままならない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。25度。

7時に起きる。

朝餉は、卯の花、ポテトサラダ、小松菜・キャベツ・カニカマ・竹輪の卵とじ、焼き鮭、味噌汁(ナメコ・キャベツ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯。食後にコーヒー、チョコレート。

妻はクワイアの稽古へ。夜遅くに帰る。

ジョギング、12.39キロメートル。短パンにTシャツ。汗だく。

FilcoキーボードのBluetoothの出来を疑問視するのと同じかそれ以上に、AppleのBluetooth関連のソフトウェア・モジュールが果たしてまともなのか検証すべきかと思う。毎朝、ハンドシェイクのセッションが上手くいかないことを誰かのせいにする自己嫌悪と戦うのは精神衛生に良くない。

勝ち目のない戦いのすえに、MagicKeyboardの軍門に降るのは、クパチーノの筋書きどおりのようで苦々しい。

昼餉は、朝の卵とじの残り、チョコレート、ナッツ。

映画は、イリヤ・ナイシュラー監督『Mr.ノーバディ(原題:Nobody)』。主演のボブ・オーデンカークは、お約束のさえない中年オヤジを冒頭20分ほど演じている。そこからの振り幅は、極端な冒頭のぶんだけ大きな振幅となる。

オーデンカークが『ベター・コール・ソウル』で確立した地位を存分に味わうべく作られたかのよう。ノー天気な、空っぽの物語を観て胸のすくような思いを味わうのは、冒頭の20分を地で行くような毎日を送る世界中のウォルター・ミティなオヤジたちだ。だが、オーデンカークが擬態から目覚めるのと同じことが、世界中のウォルター・ミティにも起きるわけではない。

その現実を突きつけられてなお、心中のつかえがとれるものだろうか。逃避の仕方としてはあまり上等ではないような気がするけれど。

追い詰められたウォルター・ミティたちは、それでも溜飲を下げるものだろうか。

夕餉は、ポテトサラダ、味噌汁の残り、カレーの残り。食後にコーヒー、チョコレート。

世界のウォルター・ミティたちに言いたい。そのうち諦観みたいなのが降りてきて、なんも感じなくなるから大丈夫、と。

なんかを感じているうちは、まだこの映画を観ちゃダメなんだ、と。