文字のなかったころ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。18度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナとリンゴ、キャベツ・大根・竹輪・カニカマのサラダ、味噌汁(小松菜・キャベツの固いところ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、レタス・ハム・卵焼きのトーストサンドイッチ、アールグレイ。

ぐんぐん気温が上がる。いや、気温がぐんぐん上がる、か。

気分は、前者のほう。

ジョギング、12.22キロメートル。風あり。

小林秀雄著『本居宣長』より抜粋――

 

(前略)「古ヘより文字を用ひなれたる、今の世の心をもて見る時は、言伝へのみならんには、万の事おぼつかなるべければ、文字の方はるかにまさるべしと、誰も思ふべけ共、上古言伝へのみなりし代の心に立ちかへりて見れば、其世には、文字なしとて事たらざることはなし、これは文字のみならず、万の器も何も、古へには無かりし物の、世々を経るまゝに、新に出来つゝ、次第に事の便よきやうになりゆくめる、その新しく出来始めたる物も、年を経て用ひなれての心には、此物なかりけん昔は、さこそ不便なりつらめと思へ共、無かりし昔も、さらに事は欠けざりし也」と。

 

本居宣長の指摘はもっともなことだが、彼の生きた時代にこのようなことを言う文化人はいなかった。古事記が書かれた時代の日本人の心延えを想像することは、当時でさえ注釈なしには覚束なかった。

さらに数ページ先を抜粋――

 

「たゞに其ノ物其ノことのあるかたちのまゝに、やすく云染(イイソメ)名づけ初(ソメ)たることにして、さらに深き理などを思ひて言る物には非ざれば」、――という、そういう言葉の機能が、今日考えられぬほど優勢だった傾向を、ここで、彼は言っているのである。宣長は、言霊という言葉を持ち出した時、それは、人々の肉声に乗って幸わったという事を、誰よりも、深く見ていた。言語には、言語に固有な魂があって、それが、言語に不思議な働きをさせる、という発想は、言伝えを事とした、上古の人々の間に生まれた、という事、言葉の意味が、これを発音する人の、肉声のニュアンスと合体して働いている、という事、そのあるがままの姿を、そのまま素直に受け納れて、何ら支障もなく暮らしていたという、全く簡明な事実に、改めて、注意を促したのだ。

夕餉は、ほうれん草のお浸し、味噌汁(大根・玉葱・人参・キャベツ・油揚げ・豆腐)、レタス炒飯、赤ワイン。食後に煎餅、焙じ茶。

今月の総括をば。アクティビティは3日、総距離は、32.16キロメートル。クランプ、プッシュアップ、スクワットはそれなりに。