哀惜の余韻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り、日差しあり。18度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナとリンゴ、キャベツ・大根・カニカマのサラダ、味噌汁(小松菜・ネギ・大根・人参・玉葱・油揚げ・キャベツ)、ハム・レタス・卵のサンドイッチ、アールグレイ。

梅の花の香りが街をうっすら染めている。

沢村貞子さんの『わたしの台所』の解説を長塚京三さんが書かれている。ちょっと抜粋――

 

(前略)

 沢村さん御自身の遺品はない。

 しいて言うなら、いつか見立てていただいた、大島の着物くらいのものか。

 新年のお祝いに、お披露目のつもりでこれを着てお宅に参上したはいいが、慣れぬ着物の裾捌きをしくじって、羽織を、大事なデコレーションケーキの上に「羽織らせる」という、信じられないような醜態を演じた。

「かしてごらんなさい」と私に羽織を脱がせ、ケーキそっちのけで、汚れ落としを差配された沢村さんの立ち居が、これもまた、つい昨日の出来事を見るようである。

「解説」より何より、私は沢村さんのあのお声を、あの口調を、もう一度耳にしたかった。それで、『わたしの台所』を、すこし声に出して読んでみた。

 私は、この御本をお書きになった頃の沢村さんを、「よく知る」とは言えない。渋谷西原のお宅にお邪魔したことも、手料理を御馳走になったこともない。だから当然ながら、ここにある文章の一行たりと、私に向けられたものではない。いわばこれは、私の知らない沢村さんの世界である。

 だが、音読を始めるやいなや、私は勃然として感極まった。私のむくつけき声帯から発せられる一言一言が、まさに沢村さんの声、沢村さんの口調をそのまま映し出す物だったからだ。

 ただ平板に、話しことばを採録したというのではない。言い換えるなら、私の知る沢村は、このように、一風「書き言葉のように」話されるお方でもあったのだ。

 肩肘張るのではさらさらない。それでいて、話しことばの平明さ、率直さのなかに、たとえそれをどんな言質と取られようとも、一歩も引くものではないという、「責任の所在」が、毅然として顕かなのだ。

 一度口を衝いて出てしまったことばの無残さ、話すことの痛みというものを、沢村さんは、どこか深いところで知っておられたのだろう。

 だから、よく私の話を聞いてくださった。

(中略)

 それでなくとも、闇雲に芝居一辺倒だった当時の私は、周囲から誤解を受けやすかった。ほとほと「甲斐がない」などとコボしたに違いない。

 ウンウンと、私の話を逐一聞き終えた沢村さんは、例によってちょっと小首を傾げ、前屈みになって私の目を覗き込むと、「それでもアナタは役者が好きでしょ。面白くて堪らないでしょ」と、やや悪戯っぽく宣ったのだ。

 あのとき、この上を行く一言は、世界中のどこを探してもなかっただろう。

 斯様に、沢村さんの話しことばは当意即妙にして揺るぎなく、あたかも推敲に推敲を重ねた「書きことば」のようであった。

 

このあとの文章もいい。

昼餉は、妻とモスバーガーでハンバーガー、コーヒー。

古書が届く。トマス・フラナガン著、宇野利泰訳『アデスタを服冷たい風』(ハヤカワ・ポケット・ミステリー)。

これも復刊希望1位の常連のような寡作作家の作品。

夕餉は、鶏ひき肉団子・白菜・糸こんにゃく・人参・焼き豆腐・ネギの豆乳鍋、〆にラーメン、赤ワイン。食後にかりんとう、チャイティー。